☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート21at PSY
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート21 - 暇つぶし2ch350:神も仏も名無しさん
09/02/15 19:16:18 kbRbRf0r
>>349
インドに阿弥陀信仰の行われた形跡はありません。浄土経典はインド成立ですが、
阿弥陀信仰は中国起源。仏教と言えるのかどうか、このあたりが微妙です。

351:神も仏も名無しさん
09/02/15 19:36:08 7IYeOjwf
>>350
学界で、学問的に(分類的に)呼称をどうするかという点では、コンセンサスがとれる可能性はあるかもしれない。

が、一般的に、日常に於いて、我々の生活に寄り添った部分で、
既に習慣として、習俗として、文化として根付いている分類は、余程のことが無い限り変わらないだろう。
そして、『学会で、どう分類されているか』なぞ、我々の日常には関係が無い。(このような例は枚挙に暇がないだろう。)
『我々の“日常に於いて”“日常の価値観に於いて”、(たとえ無意識的にでも)どのように分類されるか』
が重要だ。そして、それこそが、【本来の、本質をついた分類】と言えるのかもしれない・・・。
その際の基準は、学界で用いる基準とは似ても似つかないものかもしれない・・・。

352:神も仏も名無しさん
09/02/15 20:39:24 5mIuDQXR
>>350
痕跡はたくさんあるよ。クシャーナ朝にアミダ仏を建立した台座刻文とか、
ウダヤギリ遺跡のアミダ像とか。当然、ネパール、チベット、モンゴルにもあり、
アミダ信仰がシナ起源でないことは明らか。
もちろん、浄土信仰も。

353:神も仏も名無しさん
09/02/16 08:53:40 Ck8GPM0C
>>343
いつも見ていて、素朴な質問にも丁寧に答えてくれるのでここで質問してしまいました。

>>344 >>348 >>349
親切にありがとうございます。



354:神も仏も名無しさん
09/02/18 10:25:33 ZE9olQ0G
煩悩を辞書で調べると、「人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。」と書いてあるのですが、「仮の実在への執着」がよくわからないのですが、どういうことなのでしょうか?


355:神も仏も名無しさん
09/02/18 10:59:18 mof3GFS9
>>354
今、自分が実在し、見える通りに諸物が実在していると捉えることです。
そうでなく自分も諸物も縁起して見えているのであり実体のない空であるという
本来のあるがままではなく、実在していると見るから様々な苦が生じるというような意味です。

356:神も仏も名無しさん
09/02/18 11:16:17 ZE9olQ0G
>>355さん
ありがとうございます。質問してよかったです。"自分はこうなりたい"というようなことを想像していたので。まったく違いました・・。

357:神も仏も名無しさん
09/02/18 11:34:53 mof3GFS9
>>356
お役に立ったなら嬉しいかぎりです(^^)

358:神も仏も名無しさん
09/02/18 20:43:50 7biMATIG
質問です。サンサーラとサンスカーラはどう違うのでしょうか。訳語ではなく、
意味について違いを教えて下さい。

359:神も仏も名無しさん
09/02/18 20:53:13 XsZO+TxE
サロメ 転落人生

360:神も仏も名無しさん
09/02/18 21:03:30 mof3GFS9
>>358
サムサーラは、巡る、廻るという意味です。
サンスカーラは、集成、形成、形作るという意味です。
どうちがうというより全く違う言葉です。


361:神も仏も名無しさん
09/02/18 21:35:48 7biMATIG
>>360
ありがとうございました。カタカナで書くと似ているので、意味も
類似しているのかと思っていました。

362:神も仏も名無しさん
09/02/23 23:07:36 pxMISnkx
毎日のように「もしこうなったらどうしよう」などという想像や、
他人の態度、他人からの悪口に何時間も重い気持ちになってしまう。
もうずっと経験してる事だけどちっとも進歩しない。
仏陀の仰るとおり我執によるものであり、他人によって悪い影響を
受けてしまう俺は愚かで軽薄な人間なのだと思う。
苦しいので少しでも我執を消し去りたいがちっともうまくいかないぜ。

363:神も仏も名無しさん
09/02/24 07:56:50 2TTnjfBn
>>362
とりあえず、今考えても仕方ないことは考えないようにしては?
悪口を言われたことを何回も思いだしたって、仕方ない。
だったら、そのことを考えないように。
考えたら嫌な気分になる。
考えなければ嫌な気分にならない。

364:神も仏も名無しさん
09/02/24 09:54:21 BSOUlUNG
>>362
釈尊を信じるなら、釈尊の教え通り道を歩まないと、
なかなか煩悩という癖は根深くて直せません。
酒・たばこみたいな浅い癖も直すのに一苦労するなら、
我執という本能的な癖を直すのが、そう簡単なものでないのは分かるでしょう。

365:神も仏も名無しさん
09/02/24 10:16:21 AsFAFH/P
諸法無我について教えてください。
すべてのものに主体が無いと、人と人をどのように識別するのですか?
それぞれの個性は無いと考えていいのですか?

366:大王
09/02/24 10:29:51 AkFTasxl
諸法無我について

人間の肉体が常に同一であり続けるだろうか?
細胞は死に、うんこになって排泄、タンになって吐き出させる、
人間の精神は同一だろうか?
いろんな経験で転落したり、成長したり、変化する、
アルツハイマーになれば、同一であるとは言えるだろうか?

固定的でありつづけてるいると断定できうるだろうか?

367:神も仏も名無しさん
09/02/24 11:35:43 BSOUlUNG
>>365
見える通り現象は多様で、個々別々です。
だから、世間的、世俗的意味で主体もあるし、識別も個性もあると言います。
これは世間的習慣、言い慣わしに従った世俗諦と言われます。

ですが、それが実体を持って実在し独立不羈だと見ることこそ煩悩の根本で、
苦しみの元であるというのが仏教の考えです。
すべては諸要素が縁起して、それ自体として認識されているだけである。
と見る本来のありのままの見方をするために無我、縁起・空があります。
このような見方を習慣づけることで、執着は減少しますが、
本来は、禅定・三昧状態で縁起・空観を行うことで、
諸法、つまりあらゆる現象が無我、つまり本質・実体がないと体験するのです。
その体験後も、現れは多様で、個々別々に現れますが、
実体がなく幻のように縁起していると観ることができ、執着を離れます。

という感じです。


368:365
09/02/24 13:16:56 AsFAFH/P
>>366 私へのレスですよね・・?ありがとうございます。
>>367 
見たとおりに識別し個性もあると考えていいということですよね。
ただ、主体がないのになぜそう考えられるのかがよくわかりません。
それについて説明してくださっているのだと思うのですが、難しくて理解できませんでした。

レスありがとうございました。


369:神も仏も名無しさん
09/02/24 13:23:41 BSOUlUNG
>>368
>見たとおりに識別し個性もあると考えていいということですよね。

いえ、もし仏教に従って無我を実感したいなら、そうではありません。

>ただ、主体がないのになぜそう考えられるのかがよくわかりません。

例えば、TV や モニターの画面上がドットの集合なのに
文字や映像として認識できるのに近いです。



370:大王
09/02/24 13:44:22 AkFTasxl
主体と言う思考によって主体があるのか?
その主体は定義できうるのか?
また、その主体があるならば、その主体の認識は同一でありうるのか?
主体の認識が同一でないのが普通であり、
その違いがあるのは、主体と言う固定的な主体が無いからでは?

371:神も仏も名無しさん
09/02/24 14:31:04 7OmfVY/H
最近瞑想や探求を続ける内にいくつか疑問が湧いたので質問させてください。
基準となる思想は仏教でも個人でも何でもけっこうです。
できるだけ多くの方の主義・思想を聞かせていただければありがたいです。

・私は趣味で牛革を使ってベルトを作っています。
 この動物の革を使って何かを作る行為というのは望ましく無い行為なのでしょうか?
 例えば、動物を殺して皮を剥ぐのと、死んでいたものの皮を剥ぐ事、これは同列でしょうか?

・菜食でも小魚は食べてもよいという話を聞きました。
 菜食主義の基準は様々でしょうが、私は魚も食べない方がいいと思っていますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
 私の中の基準では食べる事でその食べられたモノにメリットがある場合、だけだと思っています。

・肉類も神に捧げてから食べれば良い、という話も聞きました。
 これは分からぬでもないのですが、具体的にはどうすればよいのでしょうか?
 神に許しを得るという事でしょうか?
 私は仏壇というのは好きではないので、仏壇に捧げるという以外の方法があればお教えください。

・瞑想の最中に恐怖心を感じる事があります。
 雑念などではなく、何かが近づいてきたり横切ったりといった感じです。
 いつも怖くなって目をあけてしまうのですが、どのように対処すればいいでしょうか。
 その恐怖に耐え抜く事が修行となるのか、それとも危険なので何か対処をした方がいいのか分かりません。

長々と書きましたが、一つでも良いのでお答えいただけましたらありがたいです。
未熟者ゆえ、至らない質問だとは思いますがよろしくお願いいたします。

372:神も仏も名無しさん
09/02/24 14:39:37 mUZnWe81
華厳経のお経はなんという題でしょうか?

悟りの世界・華厳経
スレリンク(psy板:84番)
☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 11 ★ ☆
スレリンク(psy板:103番)
でも同じ質問しましたが、ここ質問スレでも質問してみます


373:神も仏も名無しさん
09/02/24 14:54:43 AsFAFH/P
>>369
度々ありがとうございます。本当に理解力なくてすみません、最後にもう一つだけお願いします。

まったく同じ姿をした人が二人いるとして、その二人とも主体がないと、二人の違いをどう識別するのでしょうか?

>>370 大王さん
ありがとうございます。
主体が何によってあるか、ないかについてではなく、主体がないものの違いを何によって見分けるのか?ということを知りたいと思いました。
それについての説明もくださっているのでしょうが、理解できる頭がなくすみません。



374:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:10:36 BSOUlUNG
>>371
>・私は趣味で牛革を使ってベルトを作っています。
> この動物の革を使って何かを作る行為というのは望ましく無い行為なのでしょうか?
> 例えば、動物を殺して皮を剥ぐのと、死んでいたものの皮を剥ぐ事、これは同列でしょうか?

他の生物を傷つけることがよくないので、死んだものは生物ではありませんから、問題ありません。

>・菜食でも小魚は食べてもよいという話を聞きました。
> 菜食主義の基準は様々でしょうが、私は魚も食べない方がいいと思っていますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
> 私の中の基準では食べる事でその食べられたモノにメリットがある場合、だけだと思っています。

植物も生命ですが、人を殺すより、動物を殺す方がまだ罪が軽いと考えるように、
なるべく他の生物の命を奪うことは直接は絶対よくなく、
間接的にもできるだけ避けるのが望ましいと思います。

>・肉類も神に捧げてから食べれば良い、という話も聞きました。
> これは分からぬでもないのですが、具体的にはどうすればよいのでしょうか?
> 神に許しを得るという事でしょうか?
> 私は仏壇というのは好きではないので、仏壇に捧げるという以外の方法があればお教えください。

神仏に捧げたから許されるというのは、世俗的な神々の話だと思います。
ですが、観想で神仏に常に捧げるのはよいと思います。

>・瞑想の最中に恐怖心を感じる事があります。
> 雑念などではなく、何かが近づいてきたり横切ったりといった感じです。
> いつも怖くなって目をあけてしまうのですが、どのように対処すればいいでしょうか。
> その恐怖に耐え抜く事が修行となるのか、それとも危険なので何か対処をした方がいいのか分かりません。

一番いいのは、自我を守ろうという意識をなくすことだと思いますが、
難しいです。

375:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:32:51 BSOUlUNG
>>372
大方広仏華厳経が漢訳の題名です。
ブッダ・アヴァタンサカ ナーマ マハーヴァイプリャ・スートラ
というのがインド語の題名です。

376:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:47:11 mUZnWe81
>>375 御返信有難う御座いました 

377:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:49:38 BSOUlUNG
>>373
>まったく同じ姿をした人が二人いるとして、その二人とも主体がないと、二人の違いをどう識別するのでしょうか?

それは見たまま、良識といわれる言語習慣のままです。
仏教は、そういった良識を破壊するものではなくて、
良識が実体、実在であると思う認識を破壊しようとします。
私の説明がヘタで混乱されているかもしれません。

パユットー『仏法』31頁でこのように述べられます。

要するに、五蘊の原理は無我であることを示す。「人間の生命」は
様々な構成要素の集まりであり、そしてこれらの構成要素の集まったものも
自我ではない。それぞれの構成要素も自我ではない。
また、これらの構成要素とは別に自我であるものもありえないことを示す。

この本などを読まれてはいかがでしょうか?
あるいは水野弘元『仏教要語の基礎知識』旧版32, 100-103, 130, 132, 146
などをお読みになってはいかがでしょう。

この問題は、なかなか理解しずらいものです。
なぜかというと実在論的思考形式に馴染んでいるからです。

378:神も仏も名無しさん
09/02/24 16:15:43 AsFAFH/P
>>377
混乱しているのは私の理解力不足からです。何度もありがとうございます。
何回も読み返しましたが難しいですね。それぞれひとつひとつはわかるのですが、繋がると途端に頭が混乱します・・
377さんの説明と、本を参考に整理したいと思います。


379:371
09/02/24 21:37:22 LXluEAXe
返信ありがとうございます!
疑問が解決しました。
また、自分の経験を通してそれを確認していきたいと思います。
「自我を守ろうとする意識」というのはまさにその通りですね。
瞑想の本質でありながら、その事に気づきませんでした、やはり私はまだまだ未熟ですね。
ありがとうございました!

380:神も仏も名無しさん
09/02/24 22:52:20 2TTnjfBn
>>373 あらゆる識別は絶対的なものではないのです。
1秒前のあなたと今のあなたが同一人物である
と思う識別も、絶対ではないのです。
諸法無我を簡単に言うと、
「あなたが思ったことは、あなたが勝手にそう思っただけのものだ」
ということです。

こういう修行もやってみては?
すべての思考のあとに、
「…と思った。」とつけて終える。

すべての判断・識別は、あなたがそう思ったにすぎないのです。

381:神も仏も名無しさん
09/02/25 04:25:58 UYnHA8lu

馬鹿は死んでも治らないって!やっぱ信者に使う言葉?w

382:大王
09/02/25 10:40:49 XCVrmGUt
まあ、慣れた道を車で目的地へ行く場合、
主体と言う実体がこの道右左と判断したり、主体がブレーキ、アクセルを踏むとかわざわざ判断したり、やっているのだろうか?
慣れた道の場合、カーステ、ラジオを聞く方に集中し、知らぬ間に目的地に到着する、
その場合、主体が、と言う判断、選択を意識的どれほどやっているのだろうか?

383:神も仏も名無しさん
09/02/25 12:28:11 UBc770uO
>>382
慣れている道でも、
運転してるときには主体による判断・意思がはたらいている。
ただ、カーステレオの音の印象がつよくて、
運転したことをいちいち覚えていないだけでしょう。

384:神も仏も名無しさん
09/02/25 13:46:34 r494QfKW
>>380
ありがとうございます。
ぼんやりとですが、わかってきたような気がします。完全に理解はまだほど遠いですが・・

「・・と思った」は瞑想の時にしていますが、普段から意識してみようと思います。

385:神も仏も名無しさん
09/02/26 09:41:02 GZLnMMgp
ぷりゃ

386:神も仏も名無しさん
09/02/26 11:19:16 dEVdUYtl
>>380
精神分裂病やうつ病への誘いですか?
まったく無意味な修行?ですね。基地外の業をつくってるにすぎませぬ。

そうではないのです。
そのような思考を捨てるのです。
生まれてから今日までの白黒をつけるすべての相対的思考を断絶するのですよ。
曇った玉を磨くようにですよ・・・。
そうしてしばらく修行していると曇りがとれた後に玉本来の輝きがでます。
そのとき、諸法無我というものが本当に識得できます。そうすれば生死も解決するでしょうし、
と同時に万物同根も識得できます。その他いろいろな道理もね・・・・。
いろいろ理屈をならべても、決して分かるものじゃありませぬ。
まあ、頭で理解できたつもりにはなるかもしれませんが。



387:神も仏も名無しさん
09/02/26 12:08:55 50e8ANSs
>>386
御大層なことをのたまっとるが、
>そのような思考を捨てる
具体的方法を記さなければ意味が無いぞw

空虚なスローガンと同じだw
スローガンを叫ぶだけなら馬鹿でもできる。
「じゃあ、具体的にどうするのか」が同時に提示されて初めて、スローガンは価値を増す。
絵に描いた餅じゃ腹は膨れんぞw

388:莫迦に説法
09/02/26 13:23:32 7o/i0n+2
>>387
ご承知のうえでお尋ねになってると推察。
具体的方法は古来ゴマンとあるのではないでしょうか。
あるものは坐禅、又あるものは南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経などのご唱明、キリスト教では聖歌でしょうか。
またあるものは六根清浄と唱えながら山をかけ回っているかもしれませぬ。
要は煩悩妄想を蕩尽する方法であれば何でもいいんです。
お釈迦様が周利槃特に、「塵を払い、垢を除く」といいながら掃除をするようにと指示し、永い間についに悟ったというエピソードもありますよ。

こんなことあえて回答するまでもないことですが・・・。

389:神も仏も名無しさん
09/02/26 21:41:34 2A1GZvDy
「塵を払い、垢を除く」といいながら掃除したくらいで悟れるなんて天才なんじゃねーの?

390:大王
09/02/27 11:40:08 0tCrPWhM
主体くんへ

哲学的センスで仏教スタンスから外れた表現で言えば、

主体と言う19世紀以前の哲学用語のものさしを堅持している時点で問題だな、
主体、と言う哲学用語が死後になる時代来るだろうな、

20世紀後半以降の構造主義、ポスト構造主義でも、勉強したら?
人間の精神、文化は19世紀以前の哲学用語のものさしで計る不可能性に気付くだろう。
言語概念で普遍的固定的に説明可能なのは物質法則と生命原理機能のみだろうよ、
人間の精神は不可能だろうなあ、

中沢新一はいまや宗教学者だが、80年前後だと、上記哲学ムーブメントにあり、
そこからチベット仏教へ行ったのは何故でしょうなあ?

391:大王
09/02/27 11:44:13 0tCrPWhM
主体くんと言うのは383あてです。

392:神も仏も名無しさん
09/02/27 13:40:56 7I0tPJuC
華厳経
華厳宗
って日常勤行ってあるのでしょうか?
何を読経するのでしょうか?


393:大王
09/03/03 16:59:02 M0VS6y3p
392さんへ、
東大寺で検索したら、
知識面で関心が薄いわたし。

394:神も仏も名無しさん
09/03/07 14:47:30 x4HL2Hlg
すみません。質問させてください。
瀬戸内寂聴の本で見たのですが、「観世音菩薩」といわゆる「聖観音(たぶん
如意輪観音とか千手観音とか馬頭観音も含めて)」は全く別と書いてあったような
気がしたのですが、実際そうなのでしょうか?

395:394
09/03/08 03:10:14 Ziysj21H
もしかして、この板は初心者に優しくありませんか?

396:神も仏も名無しさん
09/03/08 03:23:23 9fgOD52t
>>394
たぶん、聖観音が千手・馬頭・如意輪観音などの姿に変化するんだと思います。

397:神も仏も名無しさん
09/03/13 15:12:06 0jAIluM6
因縁生起について教えてください。
煩悩は因であっていますか?


398:神も仏も名無しさん
09/03/13 20:15:35 WiC81J3K
>>394
寂聴さんが何と仰ってたか分かりませんが、聖観音も如意輪観音も千手観音、馬頭観音も全く同じです。
観音どころか不動明王も閻魔様も同じ仏様です。名は何と言おうとおなじ仏様です。
仏性をしっかりと自覚してみれば分かりますが、皆、心の産物ですよ。

>>397
因も果にもなるでしょう。
現代人が因縁についてもっと深く自覚すればよい社会になるし不幸も減るでしょうね。



399:神も仏も名無しさん
09/03/14 08:33:01 czyeVzCz
>>398
ありがとうございました。

400:神も仏も名無しさん
09/03/14 11:53:15 tNdEsrPC
華厳経を読みたいのですが、手頃なところでは
中村元の「『華厳経』『楞伽経』 」(現代語訳大乗仏典)がありますが、
これって全訳ではありませんよね?
この本で大丈夫でしょうか?
あと、『楞伽経』は全訳が収録されていますか?

401:神も仏も名無しさん
09/03/20 14:19:14 dRwkeA/E
ある屁理屈な人がこういいました
「お彼岸と言うのは本来お墓には誰も居ない。それなのにお墓に墓参りするのは
間違っている」
この言葉は本当ですか?
お彼岸と言えば墓参りするのが当たり前と思っていました
仏教界で宗派によって考えが違うのでしょうか?
正しいお彼岸の意味を教えてください

402:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/03/20 16:54:25 eRottDlx
>>401 もともとお墓には誰もいません。
お骨や遺体は遺品の一つにすぎず、
お墓はそれらの遺品を埋めた場所に建てるモニュメントにすぎません。
お彼岸だからどうこうと気にする必要はありません。
仏教では、死んだら輪廻するかか涅槃(解脱)に入るかのどちらかだと考えます。
仏様と同等の悟りに達したら涅槃に入ります。
それ以外は輪廻します。
輪廻するということは、
どこかで新しい生命に生まれかわることですから、
お墓にはいません。
涅槃は、平安なる滅びですから、もう、どこにもいません。

403:佐藤栄三郎
09/03/20 17:47:39 dRwkeA/E
すみません
難しい解釈で良くわかりませんが

お彼岸でお参りするのはお墓のほうですか?
それとも仏壇の方ですか?
それを教えて下されば結構なんですが・・・


404:承狂 ◆nR84EH8w52
09/03/20 17:58:05 Xc+VCm8V
>403
いわゆる「お彼岸」とは本来、神道の行事でした。
氏神さまのいるお山から御先祖さまをお迎えして、またお送りする訳です。
各地で風習は様々ですが、
丁寧に供養したいなら、入りと明けに墓参りして、盆の間は殺生を避けて仏壇にお供えすると宜しいかと存じます。
勿論、気持ちの問題ですから、仏壇にお供えして故人を偲ぶだけでも構わないかと思います。
(^人^)

405:神も仏も名無しさん
09/03/21 09:42:17 Mc3N533g
>>403 仏教的に正しいかは別として、
世間一般にはお墓にお参りすると思います。
仏壇は家にあるのだから、毎日でもお参りする人がいるでしょう。

406:佐藤栄三郎
09/03/21 10:02:23 +vChUxtu
いろいろとコメントいただき有難うございました
お彼岸って必ずお墓参りするものと思っていました
本来、お彼岸は檀家がお寺に説教を受けに行く期間と言うのが正しいのかな?
全く、仏道は解らない事がいっぱいです
相手方も正しい事だったんですね
「馬鹿げた事を言うな」と喧嘩するところでした


407:神も仏も名無しさん
09/03/21 13:15:35 Mc3N533g
>>406 お彼岸には、お墓にお参りして、
お寺さんにもごあいさつして、
お寺でお彼岸の恒例行事・法要・説法等があるのなら、
それにも出席するのが、一般的だと思います。

仏教的には、お墓に執着するのも煩悩なのでよくないかもしれませんが、
一般的な慣習としてはお墓参りします。

408:佐藤栄三郎
09/03/21 14:18:59 +vChUxtu
>>407
丁寧にお説明有難うございました
今後お彼岸にはそう心がけたく思います
クイズ番組で
お彼岸は故人を供養すること ×
お彼岸とは悟る期間     ○
こんな問題が出たらほとんどの人は間違いますね

409:神も仏も名無しさん
09/03/21 14:57:22 HAhPGBU8
>>402さん、横レスすみません。
「先祖を供養する」とよく聞きますが、輪廻転生の考え方からするとそれもおかしな話ということですか?
どこかに生まれ変わっているか、涅槃に入れたのなら供養することはないですよね。


410:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/03/21 22:41:23 Mc3N533g
>>409 そうですね。
僕も、自分の前世の家族のことなんか憶えてませんからね。
供養というよりも、善行の功徳を回し向ける(回向:えこう)。
しかしそれも結局、自分の心に対して行っているのかもしれません。

411:見性しました
09/03/23 12:58:59 +HisxBS4
昨日の座禅中、隻手の音声で大轟音を聴き見性しました。
大爆発の歓喜でした。
嬉や~、ああ嬉や~。

412:神も仏も名無しさん
09/03/23 13:08:43 v05y6AP3
大日如来や、薬師如来のように実在していない仏様は誰が何のために作ったのですか?

413:神も仏も名無しさん
09/03/23 16:14:32 lHnycKaa
失礼ながら
お寺なんて仏像彫刻の美術館と認識しざるをえない

414:412
09/03/25 16:12:40 L33vN2iT
調べたら、わかりました。拝む対象をはっきりさせるためのあくまでシンボル的なもののようでした。


415:神も仏も名無しさん
09/03/27 14:47:36 unZZICpT
>>411
見性したと舞い上がってしまうと、有頂天界に堕落するのだそうです。


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