☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート21at PSY
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート21 - 暇つぶし2ch144:神も仏も名無しさん
09/01/15 21:25:14 4un+0VOI
>>139>>140
アドバイスありがとうございます。
>>139さんの教えてくださった本は調べてみたら大部分が入手困難でした。
もっと入手簡単な本があればよかったのですが・・・。
とりあえず、>>140さんおすすめの「仏教要語の基礎知識」を繰り返し読んで
マスターしようと思います。
重ね重ねありがとうございました。

145:139
09/01/15 21:31:19 +t4+JBav
>>144
あれ? ブックガイドが必要なのではなかったのですか?
「仏教要語の基礎知識」は最高ですから。それはなによりです。

146:あ
09/01/15 22:25:03 e1vca0SU
>>143
筋違いっていわれても笑

浄土系は明らかに
来世救世だろ笑

救われる=仏。ではないよ

147:大王
09/01/16 14:20:43 FepoVgWT
138 :神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 19:45:16 ID:Ty4dfKPX
密教の場合「密教を知るためのブックガイド」という便利な本がありますが、
仏教全般に関して上記のようなブックガイドはないでしょうか?


ワシが答えてやってもよいぞ、
結構マニアだからなあ、教義忠実解釈、多宗派別理解するほうだからなあ、
華厳経のスレにでもおいで、




148:神も仏も名無しさん
09/01/16 18:17:53 lFli6luK
質問です
法華経は受持し読誦し南無妙法蓮華経と唱えると功徳になると説かれていますが、法華系信仰宗教には不幸な信者が多くいます
これはどうしてでしょうか?

149:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/16 18:49:49 M/xEy01e
>>148
>法華経は受持し読誦し南無妙法蓮華経と唱えると功徳になると説かれていますが、

誰もそんなことは説いてはいないですね。
説いたのは日蓮くらいです。
(これは仏教ではなく「日蓮教」ですね)

大川隆法が「人生とは未完成である」とか吹聴しているようですが、
誰もそんなことは言わんですね。
意味不明な言説を垂れ流す輩は注意したほうがイイです。
脳が撹乱します。



150:神も仏も名無しさん
09/01/16 19:30:23 lFli6luK
>>149
分別功徳品や随喜功徳品に書かれてるようなんですが、私の読み方が甘いのでしょうか?
法華経広宣も凄い功徳みたいに書かれてないですかね?
そのわりには煎餅など法華系新興宗教には…
法華経を読むとその辺が訳分からなくなります

151:神も仏も名無しさん
09/01/17 03:37:41 AFvVdvUn
>>150
法華経は、お釈迦様が亡くなった後
何百年も経ってから創作された、偽物のお経です。
いわは、物語、小説です。
フィクションですから、そのまま信じてはいけません。

152:神も仏も名無しさん
09/01/17 14:05:48 sjz13kl9
法華経の中の「観音経」というお経は、民衆にも浸透しているようですね。
全国各地にある霊場も、観音信仰が多いようだし。
成立年代以前に、人が安心を得られるなら、それはそれでお経の役目を
果たしているのではないですか。釈尊直筆の著書はひとつもないことを
踏まえれば、成立年代に必要以上に拘るのはイクナイと思う。

153:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/17 14:35:33 QseWDp3k
>>150
そこに書かれているのは、悟れば功徳がある。って意味です。
実際にところ悟ってもなんの功徳もありませんよ。
これは達磨禅ですけど、
菩提達磨が悟って分ったらしいです。

まあ、考えてみれば常考ですね。
功徳が欲しい。って段階で・・・既に悟るのは不可です。
「何もいらん」といふ、無心になってこそ不死たる境地に至るわけですから。
功徳、功徳と言ってる段階では悟りへの道のりは遠いです。

154:神も仏も名無しさん
09/01/17 14:38:12 7eRrTiAt
念仏を唱えると地獄へ落ちると言う人と、
成仏するには念仏を唱えなければならないと言う人とがいますが、
どちらが正しくてどちらが嘘をついているのでしょうか?

いいかげん決着をつけてすっきりしたいです。

155:神も仏も名無しさん
09/01/17 15:03:54 6IHraQpE
法華経に関して質問した者です、レスありがとうございます

法華経は、幾つもの経典の寄せ集めらしいですね
正しい部分もあれば、変な部分もあると思っていれば良いでしょうか?

>>153
> 功徳が欲しい。って段階で・・・既に悟るのは不可です。
> 「何もいらん」といふ、無心になってこそ不死たる境地に至るわけですから。

難しいです

156:神も仏も名無しさん
09/01/17 15:07:19 6IHraQpE
>>153
> 功徳、功徳と言ってる段階では悟りへの道のりは遠いです。

だから法華経新興宗教の信者達には首をかしげる人達が多いんですかね?

私が今法華経に拘るのは、上座と大乗の折り合いをつけられるのは法華経かなと考えるからなんですが

157:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/17 15:27:31 bNGhcjRJ
>>154
念仏というのは、阿弥陀如来に全てオマカセする。ってことですよね。
オマカセして、どうか西方浄土まで連れていってください。ってことですから、
これは簡単に言いますと「自分の計らいごとを捨てる」という意味です。

つまり「無心」になることです。
人は無心になって・・・そして解ることがあります。
これを禅宗では頓悟とかいいますけど。

つまり阿弥陀如来というのは、悟るために「導いてくれる如来である」。
ってことですよ。
悟る(彼岸へ到る)までの筏(いかだ)です。
如来に導いてもらって彼岸へ行くことを他力といいます。
禅は自力ですね。
真宗(浄土宗)と禅は方法(方便)が違いますけど、彼岸へ目指すことは同一です。

158:神も仏も名無しさん
09/01/17 15:35:44 7eRrTiAt
>>157
>オマカセして、どうか西方浄土まで連れていってください

お任せすることと、「連れていってください」は矛盾してますよね。
お任せした以上、連れていってくれなくても文句は言えません。

「無心」になればいいのなら、気絶すればいい?
植物人間が最も頓悟してる?

>真宗(浄土宗)と禅は方法(方便)が違いますけど、彼岸へ目指すことは同一です。

同一だとおっしゃいますが、親鸞さんは自力は捨てよと切り捨てたのではなかったでしたか?
また、もし同一なら、どうして同一だと分かるのです?
道元さんは、両方で悟った人は一人もいない、と正法眼蔵に書いてましたよ。

また、日蓮さんは念仏を唱えたら地獄へ落ちると言いましたよ。

みんな言ってることが違いますね。誰を信用したらいいですか?それとも全部嘘ですか?


159:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/17 15:40:14 bNGhcjRJ
>>156
>私が今法華経に拘るのは、上座と大乗の折り合いをつけられるのは法華経かなと考えるからなんですが

法華経は五波羅密の実践を説いてますね。
不思議なのは六波羅密ではなく、ひとつ外してあります。
肝心な「智慧」が抜けてますね。

これは作為的に抜いたんでしょうね。
つまり、原始仏教から面々と流れていた空思想を排除してある。
ここに如何わしさが垣間見えてしょうがないんですね。
(これは人それぞれ捉え方は違うんでしょうけど)

160:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
09/01/17 15:53:47 QseWDp3k
>>158
>お任せした以上、連れていってくれなくても文句は言えません。

それはそうですよ。
凡夫は迷うだけで何もその術(すべ)はありませんから、
ただただ南無阿弥陀仏しかない。ってことですよ。

>親鸞さんは自力は捨てよと切り捨てたのではなかったでしたか?

凡夫は自力は大変だから、他力にすがる他ない。ってことで南無阿弥陀仏なんです。
(如来にすがるんなら自力は必要ないですね)c

>また、もし同一なら、どうして同一だと分かるのです?

それは、悟ってみると解るのです。
西方浄土も自力で解ってくるのです。

>道元さんは、両方で悟った人は一人もいない、と正法眼蔵に書いてましたよ。

両方で悟るのは、あまりないですが、
黄檗宗とか・・・中国では禅と浄土宗の双修はあります。

>みんな言ってることが違いますね。誰を信用したらいいですか?それとも全部嘘ですか?

日蓮が言ってることが間違いですね。
そもそも極楽とか地獄はない。
(真宗における浄土の意味は現世です)

161:神も仏も名無しさん
09/01/17 17:48:03 6IHraQpE
>>159
> 不思議なのは六波羅密ではなく、ひとつ外してあります。
> 肝心な「智慧」が抜けてますね。
> これは作為的に抜いたんでしょうね。
> つまり、原始仏教から面々と流れていた空思想を排除してある。> ここに如何わしさが垣間見えてしょうがないんですね。

あまりまともに読んでなかったから知らなかったです
何と!
一体何が目的だったんでしょうかね?
しかし道元も法華経を讃美してますよね?

162:神も仏も名無しさん
09/01/17 21:08:06 7eRrTiAt
>>160
>凡夫は自力は大変だから、他力にすがる他ない。ってことで南無阿弥陀仏なんです。
(如来にすがるんなら自力は必要ないですね)

いや~、単に自力は大変だとか、自力は必要ないってだけではなく、
もっと積極的に自力では極楽浄土にはいけないと繰り返し書いてるよ。

>それは、悟ってみると解るのです。
西方浄土も自力で解ってくるのです。

あなたは悟ったのですか?ここに自信満々に書いているということはきっと悟ったのでしょうね。
しかし私はあなたが悟ったということを確信する根拠がないので信用するわけにはいきません。
つまり、悟っていない他人に、「悟ってみると解る」というような説明は無駄では??
(私は別にあなたを否定したいのではなく、疑念なく心から納得して真理を知りたいので、
疑問を洗い出しているだけなので、気を悪くなさらないように)

>両方で悟るのは、あまりないですが

あまりないということは少しはあるということ?それはそれで変ですね。一度悟ったのに、
再び悟るということは、やはり最初と二回目の悟りは同一ではなく、別物ということになり
ますね。同一なら「両方で悟る」なんて概念はおかしいですから。どちらか一方を悟ったら
それで終わりなはずです。一度解脱したら再び生まれることはありませんから。つまり、
二つの悟りを同一か異なるかと判定することは不可能なはずです。
道元の「両方で悟った人は一人もいない」(すなわち同一の悟りかは解らない)という判断
が正しいと思いますよ。

>日蓮が言ってることが間違いですね。
そもそも極楽とか地獄はない。
(真宗における浄土の意味は現世です)

その根拠は?
私は誰が正しく、誰が嘘を付いているのか尋ねているのですから、結論だけ書かれても困ります。

163:神も仏も名無しさん
09/01/17 21:11:27 7eRrTiAt
>>161
>道元も法華経を讃美してますよね?

アインシュタインがハリーポッターを賛美しても、ハリーポッターの魔法が真実
ということにはなりません。ごたくを並べた法華経も文学作品として、派手で美辞麗句を駆使してて美しい
と感じる人は多いので、荒唐無稽であってもそういう点を賛美するのは全く不思議ではありませんね。

164:神も仏も名無しさん
09/01/18 14:43:02 2qMWjpv/
極楽にいくことが
「悟りを得る。」ってことなんですか??

悟りっていうのは言い換えれば究極の人格を手に入れ
この世の苦しみから解放される人間ってことですよね?

だとしたら、その悟った人が極楽に行けるっていう
付加価値を付ければ教えに幅が出来るので極楽というのを考えたって
いう理由にはなると思いますが・・・

でも浄土教みたいに一心に祈りをささげてても無心や空などの思想を
体感できるとは思えないですし、それで悟りを得るなんて良く分からないです。

じゃあ浄土教に似てるキリスト教の人だって悟りを得ることになりますし。

後は極楽にいく=悟りを得る、だとしたら極楽にいった人なら
誰でも如来様になれるんですか?

なんか私は思い違いをしてるようですね・・・

165:神も仏も名無しさん
09/01/18 22:16:05 1TOz284J
>164 阿弥陀仏が造り上げた極楽浄土という場所は、
とても悟りやすい環境なのです。
たとえば、極楽にはさまざまな珍しい鳥がいて、美しい声で鳴くのですが、
実はその鳥たちはすべて阿弥陀仏の化身であり、
その鳥たちの声は、仏の教えを表現しているのです。
また、極楽浄土に生まれた者は、はかりしれない寿命を与えられ、
修行が未完成のうちに死んでしまうことがないのです。
普通の世界では、せっかく仏教徒になっても、悟らないうちに死んでしまい、
次に何に生まれかわるかわからないし、
人に生まれかわってもまた仏教に出会えるかもわからない。
極楽浄土に生まれてしまえば、もう悟りにむかって一方通行なのです。
修行があともどりすることもなく、レベルアップのみ。
これを不退転の境地といいます。
極楽に生まれたものは、すべて不退転の境地になる。
阿弥陀仏が、そのような世界に設計したからです。

166:神も仏も名無しさん
09/01/18 22:26:47 f37z3b/A
超初心者です教えてください
仏教についてちょっと調べたのですが
いつできたとか誰が開いたとか歴史的経緯はわかるのですが
具体的にそれぞれの宗派がどう違うのかって言うのは
あまりサイトとかもないのですが
そういうのってわかるものってあるのでしょうか?

167:神も仏も名無しさん
09/01/18 22:54:42 sequtRey
>>166
雑誌「大法輪」で時々特集するよ。普通の本屋で気軽に買える唯一の仏教雑誌かなw
急いでるなら、バックナンバーさがせば、直近なら20年9月号かな。

168:承狂 ◆nR84EH8w52
09/01/18 23:18:45 EdioJh+C
>166
日本式仏教を大別すると、
念仏宗と禅宗と密教とその他。
念仏宗は、煩い電波系。
意外とスカスカ。
禅宗は、静かな電波系。
かなりヤバい。
密教は、元気な着ぐるみ。
タマにアクロバティック。
その他は、法相やら何やらかんやら。

何れもベースとなった仏教哲学とはかなり変質している。(笑)


169:神も仏も名無しさん
09/01/18 23:21:04 Q77YB6SN
>>168
> 禅宗は、静かな電波系。
> かなりヤバい。

> 何れもベースとなった仏教哲学とはかなり変質している。(笑)

やっぱり!


170:神も仏も名無しさん
09/01/19 09:46:22 iDyzGUNb
>>164
>でも浄土教みたいに一心に祈りをささげてても無心や空などの思想を
>体感できるとは思えないですし、それで悟りを得るなんて良く分からないです。

念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業
にてやはべるらん。惣じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまひら
せて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう。そのゆへは、
自余の行もはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまふして地獄にもおちてさふ
らはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ。いづれの行もおよびが
たき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

                          歎異抄・第二条より抜粋

親鸞的には、己の非力、罪業の深さを、念仏行にしか寄る辺を見出せない下根の身
だと諦めた境地が、「とても地獄は一定すみかぞかし」に辿りつくのだと思います。要
は、すべてを阿弥陀仏におまかせして、あとは野となれ山となれの覚悟のような。
第八章では、「念仏は行者のために非行・非善なり」とあります。→行も善も自分の力
によってすることだが、阿弥陀さまのお召しによってさせられる念仏は、そうではない。
絶対他力の念仏とは、それを称えると自体が、弥陀の誓願に抱かれることなので、成
仏が必ず約束されているという意味でしょう。

171:神も仏も名無しさん
09/01/19 09:53:09 f3XMU/WP
>>165
ありがとございます。
やはり、その認識で良いんですね。

やっぱり>>143の人は間違ってるようですね

でも空海を如来として信仰しない理由って何なんですか?
他にも悟りを得ただろうっていう僧はいたと思いますが如来や
菩薩として新たに、その僧を信仰するって事あまりないですよね

172:神も仏も名無しさん
09/01/19 17:47:36 6vtMgBCf
>>166

大法輪閣編集部 『日本仏教十三宗ここが違う』

上が一番、分かりやすいと思います。見てませんけど。
もうちょっと分かりたい方は以下がお勧めです。

平川彰『仏教研究入門』


以下に古典的名著『仏教十二宗綱要』をアップしときました。
ただし明治時代の本なので漢文と書き下しで、ちょっと読みにくいです。
DL-key: buddha
URLリンク(www1.axfc.net)

173:南無大師遍照金剛
09/01/19 18:06:52 gHxIshQV
>>168
仏教哲学だって(笑)
電波発見


174:神も仏も名無しさん
09/01/20 00:56:48 zfhu7Pjs
>>168 ちなみに、日蓮系は何電波?

175:承狂 ◆nR84EH8w52
09/01/20 01:35:22 AWV5QTnY
>174
念仏宗。

因みに、念仏宗の中で法華の呪だけはかなりヤバいが、仙術でクリア可能♪

176:神も仏も名無しさん
09/01/20 01:58:03 zfhu7Pjs
>>175 念仏宗も広い意味では密教では?
身・口・意の三業で規定の行為をすれば、
それど「成仏とみなす」「往生するとみなす」。

177:承狂 ◆nR84EH8w52
09/01/20 02:07:55 AWV5QTnY
>176
根本経典からして全く別ものです。

当然、術式の組み方も異なります。

(^。^)てか、その論法だと、ヤソも密教になるが?

178:ショウキョウ教はナルシズム俺様電波♪
09/01/20 11:32:06 oMJh/NMN
ショウキョウも、相当やばい♪

179:総合評価
09/01/20 11:48:57 oMJh/NMN
160 :机龍之介は、
原始仏教と禅の間の子と見た、
曹洞宗と臨済宗と正当派に評判が悪い理由も解る。

でも、彼はこのスレでは優秀だろうね。

180:承狂 ◆nR84EH8w52
09/01/20 18:44:37 AWV5QTnY
>178は俺をアカと間違えた人だな?(笑)
トリ付けたら?

181:神も仏も名無しさん
09/01/23 10:59:17 8C1gPUC5
質問です

先日「仏教において真実の美人とは、また真実の性欲とは何か?」
と問われ、色々調べたのですが良くわかりませんでした

この2つに関して参考になる書や何か知っている方がいらっしゃいましたらご解答お願いします

182:神も仏も名無しさん
09/01/24 01:30:00 p9kvWd91
>>181
>先日「仏教において真実の美人とは、また真実の性欲とは何か?」

ありません。二つに限らずあらゆる現象は縁起で、空だからです。
あらゆる現象は仮にそう見えるだけで、真実には空(実体のないもの)です。
というのが仏教の考え方です。



183:神も仏も名無しさん
09/01/24 12:26:25 WZKuhQ02
>>182
そうなのですか…
ずっと答えが気になっていたのですがスッキリしました
ご解答どうもありがとうございました

184:神も仏も名無しさん
09/01/25 12:11:57 gyAiFyDC
日本の伝統的な座禅とヴィパッサナー瞑想では違いは何ですか?
どちらの方が真の悟りに達せられますか?

185:神も仏も名無しさん
09/01/25 13:19:50 xG8wvtQd
>>184
座禅も禅宗によって違いがあります。
ヴィパッサナーというのは本来、止観の観の意味で仏教であれば必ず行ずるものです。
ですがヴィパッサナー瞑想と言う場合、テーラワーダのニューウェーヴが止観のうちサマタを実践せずにヴィパッサナーだけを強調したものと理解します。

サマタ、つまり禅定による精神集中なしにヴィパッサナーだけしても効果はないと思います。

これはビルマ系の伝統的なテーラワーダではきっちりサマタを実践し、
精神集中ができた後でヴィパッサナーを行うことから分かります。

以上からヴィパッサナー瞑想というような言葉を使うテーラワーダではなく
ビルマ系の伝統的なテーラワーダで行をすれば効果があると思います。

禅宗で行う場合でもビルマ系で行う場合でも、弟子がちゃんと結果を出している師につかないと悟りは得られないでしょう。
個人的にはビルマ系で三年ぐらい籠って集中して行ずればかなりの境地になるのではないかと思います。



186:神も仏も名無しさん
09/01/26 21:37:49 UzqRI9Yn
アルボムッレ・スマナサーラは真の悟りを得た人ですか?

187:184さんへ、大王
09/01/27 10:56:53 e83w/kXV
ヴィパッサナー瞑想は、論理的、親切、段階的である、欲望を滅するを至高とする。
ただし、世界空間的統一感覚は無い。
世界空間的統一感覚は、日本信仰義認的浄土宗日蓮宗を除く、唯識以降大乗仏教の路線となる。

坐禅においては、日常の応用性を重んじる。
道元、曹洞宗禅は、坐禅を重んじる、自然性がある。
臨済宗禅は空間への強力な作用を含む日常の実践性がある。



188:神も仏も名無しさん
09/01/27 17:59:20 QAHSlCsi
外国の禅宗と日本の禅宗の違いは何ですか?
ビルマ系の仏教の禅的修行と日本の禅宗では行き着く所は同じですか?

189:神も仏も名無しさん
09/01/28 15:35:00 2QLxVA2f
質問です。
お経を読むのを日々のお勤め。
っていうようなのですが。
例えば無職の人が毎日お経あげてもそれはお仕事と言えるのでしょうか。

190:顕正
09/01/30 11:37:57 h35Jp7BF
日本社会の恩恵を受けて生きているにもかかわらず、己はその社会運営に協力することはなくただ日々お経をあげる。それが何を意味するのかそんな事も解らないのか?人間は生きるために働くんじゃない。生きるから働くんだ。

191:神も仏も名無しさん
09/01/30 11:52:46 rBxYvK9u
ありがとうございます。<(_ _)>

192:神も仏も名無しさん
09/01/30 12:57:15 2Z/7I0Zf
>>189 この場合の「お勤め」とは、
「仕事(職業・労働)」という意味ではなく、
「修行」という意味ではないでしょうか。
「朝のお勤め」とは、「朝の修行」です。
ですから、お坊さんでなくても、誰でもお勤めはできます。

193:神も仏も名無しさん
09/01/30 12:59:56 2Z/7I0Zf
お経を読むことは、
教えの勉強、信仰の高揚、精神集中の効果があります。
そのような効果をねらった修行は、無職の人でもできます。

194:神も仏も名無しさん
09/01/30 14:06:08 O2erwceC
*************************************************
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【ZAPPA】フランク・ザッパ★オンステージ★Vol.21 [洋楽]
*************************************************

フランク・サッパと仏教はどういう関係があるのですか?

195:神も仏も名無しさん
09/01/30 15:17:40 rBxYvK9u
>>192,193
ありがとうございます。
日々の習慣として、続けます。


196:神も仏も名無しさん
09/01/30 16:21:03 8sKnfGZY
>>195
随喜いたします。もし余裕がありましたら、お経を読むまえに
仏法僧の三宝に帰依、みんなのためにお経を読むという菩提心を起こして、
お経を読み終わったらみんなに功徳を回向すると思ってください。

197:神も仏も名無しさん
09/01/31 13:47:27 UEd5UvCn
自業自得のことばかりなんですが、自分がもう本当に嫌でたまらなく、
この価値観を壊して楽になりたいので仏教を学ぼうと思っています。

しかし、少し調べてみると仏教には多くの宗派があり、どれが本当の釈迦の教えなのか、
どれが自分に合っているのかわからない状態です。
私は、まだ他人を救う前に自分をと思ってしまいますし、輪廻にも懐疑的です。
ただ、両親の実家のお墓は曹洞宗のようなので、学ぶのは曹洞宗なのかなとも思っています。

釈迦の生い立ちや仏教ができるまで、その教えや宗派などを知ることができる本として、
このスレで紹介されている「仏教要語の基礎知識」はおすすめでしょうか。

198:神も仏も名無しさん
09/01/31 14:06:39 i+JYo/zI
>>197
そういう感じなら、
「釈尊の生涯」春秋社/水野弘元
一冊あれば十分。(要語は、辞書&教義解説書的だからw)
曹洞宗なら、本来は修証儀とか正法眼蔵へ行くべきなんだろうけど、
眼蔵は難解だし、修証儀は檀家の心得的側面が強いし・・。
広く眺めてみたいなら、併せて、
「仏教入門」岩波新書(赤)/三枝充悳
「お経の話」岩波新書(緑)/渡辺照宏
を推薦しとく。

199:神も仏も名無しさん
09/01/31 14:10:22 mH1PA+lL
>>197 仏教の教えの基礎を学びたいというならお勧めですが、
釈尊の生い立ちや、各宗派の成り立ちについては、
詳しく書かれてなかったと思います。
ちょっと大きめの本屋さんにいけば、宗教コーナーにたくさん本があります。
適当にぱらぱらっと立ち読みしてみて
参考になりそうなのを買えばいいと思います。

200:神も仏も名無しさん
09/01/31 14:19:36 mH1PA+lL
まぁ、とにかく何でもいいから読んでみること、
一歩踏み出してみることでしょうね。

201:神も仏も名無しさん
09/01/31 14:22:19 mH1PA+lL
うちお寺なんだけど、
お寺で基礎仏教講座みたいなのをやったら人来るだろうか?
テキスト代と、まぁ、お茶・おやつ代程度の参加費で。

202:神も仏も名無しさん
09/01/31 14:52:15 UEd5UvCn
>>198
「釈迦の生涯」は水野弘元作というのは手に入らなさそうですが、
同様のタイトルで中村 元作のがありますが、こちらはどうでしょうか。

>>201
ありがとうございます。
近くにそういうのがあれば、私のような心境の時など、行きたいと思うかもしれません。

203:神も仏も名無しさん
09/01/31 14:59:42 UEd5UvCn
>>202
すいません、「釈尊の生涯」の間違いです。

204:神も仏も名無しさん
09/01/31 16:31:16 PHYW2VjP
質問です。
ここでよくあがる「仏教要語の基礎知識」をはじめ、初心者向けの仏教本を数冊読んだばかりですが、
○○という言葉はこういう意味、解釈をするのだ。ということをひたすら暗記していくような感じです。
説明しにくいのですが、仏教を学ぶ初期はこのように暗記をしていく感覚でいいのでしょうか?
もう少し理解をして頭に入れていきたいと思い、ネットなどで調べてはいるのですが、それを説明する言葉がさらに理解し難かったりと
結局理解というよりは、これはこういうものと丸覚え状態です。
もう少し本などを読んでいけば感覚?が掴めるのでしょうか。
仏教に詳しい方々は学校やそういった学ぶ場で勉強されたのでしょうが、独学で勉強していくためのアドバイスなどお願いしたいです。
よろしくお願いします。

205:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:09:21 i+JYo/zI
>>202
重版してないのか・・。
伝記系の書籍も、色んな人が書いてるからなぁ・・・。中村さんも2・3種類書いてんじゃないかな。
私が見たのは、「選集所収の物(春秋社)」と「法蔵館版」。
選集の11巻(11・12巻)は専門的過ぎるので、選ぶなら「法蔵館版」かな。
できれば、水野さんのを推したいけどw

私は以下のようなのを読んだけど、おそらく星の数ほど出版されてるんじゃないかな。
各宗派のちょっと偉いお坊さんとか、学者肌のお坊さんとかも出してると思うし・・・。
1「水野弘元著(春秋社)」、2「中村元(春秋社選集)」、
3「中村元(法蔵館)」、4「前田恵学(山喜房)」、5「増谷文雄(角川選書)」、
(6「アンべドカル(三一書房)」…伝記的著述も含まれるので一応)、
7「渡辺照宏(不明)」、8「著者不明(出版社不明)」、9「著者不明(出版社不明)」、
10「奈良康明(NHKブックス)」。

1が、やっぱり無難で解り易く、一番初学者向きだと思うけど、手に入らないなら
訳文付で、一般的な史実としての釈尊像を描こうとしてる3・4・5の類かな?
急ぎでないなら、誰か詳しい人の降臨を待ちましょう。
(やっぱり著者によって、解釈や分析、読み取り方が違うから・・・w)

ちなみに、7・8は明治から昭和初期っぽい文体なんで却下。
9は、僧職にもある学者さんっぽいが、誰の著でどこの出版社か判らない・・・w
(8・9は学生時代のコピーだが、誰が書いたとか出版社とか、何もメモってないw 何考えてたんだ俺はwww)
6も却下で、もし興味があるなら、でいいでしょう。
10は、伝記というわけではないけど、
奈良さんが見つめる(自身が“向かい合うべき”だと考えている)釈尊像を語っている点で興味深いし面白い。

>>204さんは、この10「釈尊との対話」(NHKブックス/奈良康明)を一読してみたら如何でしょう?
勉強っぽい本じゃないので(息抜き的にも)良いかも?

206:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:28:10 M/xXTiau
>>204
「仏教要語の基礎知識」を片手に、先ずは、
原始仏典の長部経典を読むのがいいのではないかと思います。
片山一良訳、中村元監修のいずれかが入手容易ですが、
どちらも高価なのが残念です。

片山一良訳か、梶山雄一監修かが文庫になるといいのですが。

207:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:36:20 UEd5UvCn
>>205
ありがとうございます。
たくさん出ていますね・・・
まず書店でパラパラと見てみて考えてみたいと思います。

208:神も仏も名無しさん
09/01/31 17:42:16 i+JYo/zI
>>206
季刊「原始仏教」なら安いよ。
ジャータカも併載したり、豆知識も載ってたりで、意外にお得かも?

よほどの物好きな店主の店か、よほどの専門書店ならともかく、
一般書店には置いてないだろうから、直接注文かネット注文するしかないだろうけど・・・w

209:神も仏も名無しさん
09/01/31 18:16:42 i+JYo/zI
>>201
需要はあると思うよ。

問題は、というか大切なのは、
貴方が、≪【どのようなスタンス(立場・距離感)でもって】仏教について話すのか?≫ということだと思います。
これが一点。もう一点は、≪対象者(層)を絞るか絞らないか≫になると思います。

・「檀家さん信者さん達に対して」「所属或いは関連宗派の“おしえ”と、がっちりリンクさせて」話すのか。
   (→インド仏教・原始仏教等学問的研究成果と、宗派の伝統的おしえ・価値観との折り合い)
・「檀家さん信者さん達に対して」「仏教の“原初的おしえ”を紐解いていく」のか。
   (→自身や来訪者方の依拠すべき或いは依拠してきた(伝統的)知識・価値観との折り合い)
・「宗派や、事前の価値観世界観関係なしに、不特定多数に対して」
 「所属或いは関連宗派の“おしえ”と、がっちりリンクさせて」話すのか。
   (→不特定多数の、まだ自身の所属宗派のおしえに触れてない方への“初説法・初法話”となる)
・「宗派や、事前の価値観世界観関係なしに、不特定多数に対して」
 「仏教の“原初的おしえ”を紐解いていく」のか。
   (→所属或いは関連宗派の“おしえ”に、どこまで触れるのか)

で、貴方の口にする言葉や語り口が変わらざるを得ないと思います。
対象者選びは次の段階としても、
まず貴方が、 ≪「何を」「どのように」「誰に」語りたいのか≫ をしっかり定めるべきかと思います。
また逆に、そこがしっかり定まっていたなら、何をどのように語ろうとも、
きっと、来た人の心に届くと思います。

更には、「(色々あるようですけど)、和尚さんはどう考えてるんですか?」と訊かれた時に、
「これこれこういう点から、私は、このように考えます」と胸を張れるとベストでしょう。
その集まりを“単なる知識の移送”にしないことにも繋がるでしょう。

210:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:13:36 sGggTOUP
>>204です
>>205
ありがとうございます。
次何を読んだらいいか悩んでいたので助かります。


211:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:39:40 mH1PA+lL
>>204 岩波仏教辞典もお勧めです。
が、仏教はもともと、師匠から弟子へ、つまり人から人へ伝えられてきたものです。
在家信者であっても、お寺のお坊さんから教わってきたわけです。
ですから、仏道を本当に修めたいのであれば、独学は不可能です。
お坊さんから教わってください。
ただ、現在はインターネットがあります。
2ちゃんねるを見ているお坊さんだっているはずですから、
わからない用語程度なら、ネット上で教えてもらえるかも。

仏教辞典は役にたちます。

212:神も仏も名無しさん
09/01/31 22:59:26 M/xXTiau
>>208
そうでした。忘れてました。ありがとうございます。
>>211
仰る通りです。悟った師、あるいは菩提心のある師に教わらないといけないと思います。

213:神も仏も名無しさん
09/02/01 08:58:04 oZ8j+LsA
>>211
参考にします。
本当に修めたいというよりは、心の拠り所や支えのような物を求めて勉強し始めたのですが、
正直 学ぶほど混乱するというか、仏教は難しいですね。
お坊さんに教わるとのアドバイスですが、どこでどのお坊さんに教わればいいかさえ自分ではわからないほどです。
まだ入り口にさえ立てていなかったようです。出直します。
ありがとうございました。

214:神も仏も名無しさん
09/02/01 09:42:48 cVSNArHk
おしえてください

仏様の頭の髪型ってどうしてあんなにブツブツなんですか。
なにか意味があるのでしょうか。自然なヘアスタイルなんでしょうか?
それに、なぜお坊さんの髪って丸めるのですか。

よろしくおねがいします。

215:神も仏も名無しさん
09/02/01 09:56:24 s5GdQsB/
仏像の髪型の表現方法としては、「らほつ」といいます。

実際のお釈迦様の髪型は、長髪で、細かい三つ編みをたくさんつくって、
それを頭の上で束ねてまとめていたのではないかと聞いたことがあります。
ですから、古い仏像では、パンチパーマみたいなぶつぶつではなく、
細かい三つ編みの編み目が表現されているものもあります。
お坊さんが丸坊主なのは、おそらくお釈迦様の時代の
インドの出家者がそうだったからではないでしょうか。
お釈迦様は長髪だったと書きましたが、
お経の中で、お釈迦様がスキンヘッドであったと伺わせる場面もあります。
ですから、お釈迦様は、長髪だった時期も、
髪を剃っていた時期もあったのではないでしょうか。
本来の出家者は、ファッションへの執着も捨てて
粗末な袈裟を着て修行してるわけですから、
髪型にもこだわらないので、一番めんどくさくない髪型(坊主頭)におちつくのかも。

216:神も仏も名無しさん
09/02/01 15:09:14 J0VxuBA0
質問です。実体のない世界が、なぜ私たちに認識されているのでしょうか?
認識のメカニズムを教えて下さい。生まれる前(前世)の体験、先入観なども
影響するのでしょうか。

217:神も仏も名無しさん
09/02/01 15:21:19 MJjMdhyV
>>216
縁起です。実体のないものが、無明という実体視の習慣に馴染んでいるために、
原因と諸条件によって x と認識される。
全て行為が原因となって結果を縁起させる。
当然、前世を含む過去の経験・行動が原因です。
先入観も過去の経験・行動によって形成されますよね。

218:神も仏も名無しさん
09/02/01 15:54:58 cVSNArHk
>>215 さん、くわしくありがとうございます

219:南無大師遍照金剛
09/02/01 18:10:36 zmwQlcEa
>>216
実体=色は普通にありますよ?
あるから
現実に実体があるから
現実に悩み苦しみがあり
だから
お釈迦様は悩み苦しみを取り除く方法を残しましたよ?
何故実体が無いなんて思うの?

220:216
09/02/02 14:49:06 Xhw45qn9
>>217
何だか分かったような分からないような話です。例えば目の前のネーちゃんの
「美人」か「不美人」かの判断はどこから来ると考えるのでしょうか。それも
やっぱり「ハイ縁起です」の一言でおしまいでしょうか?

空なる対象に意味が付けられるメカニズムは、たいへん不思議に感じられます。

221:神も仏も名無しさん
09/02/02 15:56:55 OiZil6E4
>>220
それも縁起ですね。つまり、複合的な原因と条件によって知覚される。
大雑把な話ですが、
まず前世の行為によって人に、現代日本人に生まれました。
人に生まれたことによって、一般的に生殖可能な健康な人が対象となります。
現代日本人に生まれたことによって、x を美人とするあいまいな本質・意味・概念・流行があり、それに影響されます。
その基本条件の中で経験する行為によって、個人的な好みが形成されます。
その好みによって、美人不美人が認識されます。

この a によって b が生じる。というのが縁起で、
上は、大雑把な話ですが、実際はもっと緻密にダイナミックに縁起しているわけです。



222:神も仏も名無しさん
09/02/02 22:22:25 TAzyL3qD
>>216 実体がないと言っても、存在しないわけではありません。
法が無我であるということです。
法とは、意識で認識する概念・観念です。
概念には実体がありません。
美人だという概念に実体はないですが、
美人だと認識された人がそこにいないわけではない。
分別・判断・概念・観念には実体がない。

223:神も仏も名無しさん
09/02/03 11:02:59 J4NvjRVZ
たまに太鼓をドンドンドンドンドンって打ち鳴らしながら
街を練り歩いてるのは何宗の人たちなんでしょうか?

224:神も仏も名無しさん
09/02/03 11:37:26 aY704kGy
>>223
日蓮宗です。

225:神も仏も名無しさん
09/02/03 11:46:02 J4NvjRVZ
>>224
ありがとうございます。

あれはなんという行事なんでしょうか?
毎月何日とか日程が決まってるんですか?

226:神も仏も名無しさん
09/02/03 12:05:39 aY704kGy
これくらいしか知りません。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

227:神も仏も名無しさん
09/02/03 13:05:54 BdV023+x
死んだ人を仏というのは間違っていますか?
仏=釈迦だけですか?

228:神も仏も名無しさん
09/02/03 13:19:51 aY704kGy
>>227
方便としてありだと思いますし、
本覚としては正に正しいものです。

問題なのは自分の現状肯定に用いる場合です。
例えば、死ねば仏だから、なにやってもいいやとか。

そんなことはありません。自分ではきっちり行しないとだめですが、
他人、遺族などを安心させるために仏という方便はありという意味です。

229:216
09/02/03 13:54:50 P5HJn+E3
>>221-222
よけいに訳が分からなくなってきました。もう少し勉強してから質問
しなおします。レスありがとうございました。

230:神も仏も名無しさん
09/02/03 14:30:53 gC5q5mUN
>>227
間違っています。
ご遺族を安心させるための方便とのことですが、嘘は嘘であって、
方便とは別です。下手に安心感を与えた結果、そこで停滞してしまえば、
却って罪作りになると思います。

231:神も仏も名無しさん
09/02/03 14:33:42 gC5q5mUN
十善戒でいえば、妄語や綺語に相当しますから。

232:神も仏も名無しさん
09/02/03 14:38:53 J4NvjRVZ
>>226
ありがとうございました!

233:神も仏も名無しさん
09/02/03 17:11:49 aY704kGy
>>229
すいません。説明がヘタで。縁起は譬喩として今、モニターを見て文字や
映像と認識しているものが、唯のドットの集合であると言えば分かるでしょうか?

中観仏教スレにこれから似たようなことを書くのでよかったら参考にしてください。

>>232
すいません。あまり知らないのに答えてしまって。

234:承狂 ◆nR84EH8w52
09/02/03 17:28:46 csJIiDtS
>227
古来、日本では、死者は氏神となり一族を守るとされていました。
そして仏教が一般化する過程で、神と仏が同一視されて、
死者=仏とされました。
従って、本来の仏教哲学的には間違いですが、一般的には正しい訳ですね。

この様に、成立した流れを正しく理解する事を縁起を観ると言います。

235:神も仏も名無しさん
09/02/03 17:45:48 vPG1gQRQ
>>227
>>230-231は無視しといて下さいw

原理主義をもってして日常言語(会話)・慣用句の使用を否定・制限するような奴にロクな奴はいないw

236:神も仏も名無しさん
09/02/03 18:27:03 vPG1gQRQ
>>227  参考:


127 名無しさん@3周年 sage 2006/07/09(日) 19:46:28 ID:5GnPpD3E
>> 125
亡くなった人を「仏様」と言うのは(或は「成仏する」と言うのは)、
以下のような手続きから、『受戒し、仏弟子となり、解脱し、ほとけとなった』
と見做すからだよ。
100 73 sage 2005/11/10(木) 16:55:06 ID:2d/8EVMe
ちなみに、葬儀という儀礼の持つ意味合いの一つの解釈として、
以前、極々仲間内で作った用語集から引用しておくw

【引導】(いん・どう)
人(衆)を導いて仏道に入らしめる事。
転じて、葬儀の際に死者を済度する事とされ、この意味で用いられる事が殆ど。
何となれば、葬儀の理論は、
『(未だ無戒の者には戒を授け得度せしめ)、その人を一仏弟子として認め、三界輪廻に迷わぬよう手続きをする』
という一連の儀式として行われるから。だから葬儀では、懺悔文を誦み、
三帰依を誦み、剃髪偈を唱え、俗名でなく戒名(僧名と同じ位置づけ)を授けている。
ちなみに、なぜ名を変えるかといえば、俗世を捨てて、宗教的再生をしたという意味があるから。


>ところで、仏教の思想体系って輪廻が無いと成り立たないのだろうか?素朴な質問。
大筋で、そうです。 が、不可能でもありません。
ただし、業果について多様な詰問に答えることができた上での話ですが・・・。

237:227
09/02/04 09:20:07 6w9oISgR
レスくださった皆さん、ありがとうございました。
勉強になりました!

238:神も仏も名無しさん
09/02/04 22:59:16 xnqkrAWU
仏教について学ぶ会合のようなものに参加してみたい
初心者なのですが、どこか紹介して
もらえませんか。東京23区内にありましたらお願いします。

239:匿名
09/02/04 23:57:31 rYbx9ffV
法華経(日蓮正宗)…

食に困らなくなると聞き、実践してますが…

前より困らなくなりました。

まだまだ修行中ですけど。

240:神も仏も名無しさん
09/02/05 00:10:28 Pu5+7xh1
日本テーラワーダ仏教協会の初心者瞑想指導。

241:神も仏も名無しさん
09/02/05 11:23:19 QsDrz4lh
教えてください。
仏教の智慧とは、一般に使う知恵と同じ意味ですか?
子供に対して知恵がつくのが早い子と言ったり、知恵を絞れなどと使いますが
この知恵と同じ意味でしょうか。

242:神も仏も名無しさん
09/02/05 11:35:42 1zFsTwRe
>>241
違います。そういった世俗で生きていくための知恵と、
仏教で説く智は全く違うものです。
ただし、仏教を学ぶために世俗的な知恵がある程度必要だということも
一般的にはあります。これについても例外はありますが。

243:神も仏も名無しさん
09/02/05 14:59:34 OqiF2miw
>>241
仏教の知恵はまた一字で「明」とも言い表します。宿命明、天眼明、漏尽明、etc.
要するに世俗の知恵とは別もの。

244:神も仏も名無しさん
09/02/05 15:55:01 QsDrz4lh
>>242-243

何かと智慧をつけろ、智慧が必要と出てきて、その度に一般の知恵だと思っていたので「はてな?」でいっぱいでした。
はっきり別物とわかってすっきりしました。

245:神も仏も名無しさん
09/02/06 00:25:44 qz+WTswl
具体的にどう違うのですか?

246:神も仏も名無しさん
09/02/06 00:35:00 Fjt22319
>>245
単純にいうと、世俗の知恵は何かが確固として実在するという視点で成り立つもの。
仏教の智慧は、そのような何かが無我であり空であるという視点のものと思います。

247:神も仏も名無しさん
09/02/06 00:52:27 qz+WTswl
それは所謂一ツの考え方であって
本質的には何も変わらないよね。
他の考え方で満足できるなら、それはそれで良いわけであって


248:承狂 ◆nR84EH8w52
09/02/06 01:01:18 8GarkWDU
一切法自性清浄故般若波羅密多清浄♪

249:brown
09/02/06 01:15:56 lfBdCMlt
>>245
一緒だよ。

智慧は智慧。世俗も仏知も基本は同じ。大抵,煙に巻いた議論をするので,
訳の分からないようなことを言っているだけです。

智慧とは,因果律のことで,「不注意によって事故が起こる」ごとくの理解を
言う。そういう意味で,どちらも因果の関係に関する知識のことを言っている。

世俗の智慧と仏教的な智慧の違いは,分かりやすくいうと,世俗の智慧は,
物事の因果関係についての知識だけど,仏教的な智慧は,安心,心の自由と
その逆の不自由,苦悩,妄想の群れをもたらす原因と結果に関する知識
である,というように,対象が違うと理解しておけば,基本的なずれは
ないでしょう。

250:神も仏も名無しさん
09/02/06 01:23:16 qz+WTswl
>>249
あんた知恵者だね

251:匿名
09/02/06 01:48:58 Fm8sEYmc
お仏壇の所で小さな僧侶を見た様な…。

疲れてたのかな?

多分、日蓮大聖人さま。

同じような体験した人いますか?



252:南無大師遍照金剛
09/02/06 03:41:41 45TkxCod
>>245
知恵には
猿知恵
悪知恵
浅知恵などが含まれ
搾取,詐欺,他人を陥れたり等々
悪因縁を招くものが多い

知彗とは人類の悪因縁を断ち切るもの
生きとし生けるものが幸せであるようなもの

253:神も仏も名無しさん
09/02/06 09:03:28 GZb4MBDH
お坊さんや修行に励んでる人達は趣味とか無いのですか?
凡人なら趣味を持ったら極めたいと思うのが普通の考えだと思うのですが、それって欲なのですか?

254:神も仏も名無しさん
09/02/06 09:23:02 Fjt22319
>>253
本気の行者に趣味はないでしょう。
一瞬でも惜しいはず。
そうですね。まさに執着ですね。
私も執着しまくってますが(^^)

でも、そうでないお坊さんは、一般人と変わりません。

255:神も仏も名無しさん
09/02/06 09:53:06 GZb4MBDH
>>253で質問した者です
>>254さん回答有難う御座います。
う~ん 私は趣味でスポーツしてて色々な物に執着しちゃってますが、メンタル強化(不動心や練習のモチベーション)に仏教的な物??も取り入れてみたく勉強したかったのですが…
場違いな気がして来ましたf^_^;
へんてこな質問してすいませんでした。


256:神も仏も名無しさん
09/02/06 10:45:16 Fjt22319
>>255
すいません。答えがよくなくて。その動機でも仏教は役にたちますよ。
仏教の目的は苦を取り除くことですが、
心が安定すること、集中力を付けることは、
主な修行の一つですから、役にたちます。
そういう形で仏教を学ぶのもアリだと思います。

257:神も仏も名無しさん
09/02/06 12:20:29 JBYnlCFO
>>256
>仏教の修行は苦を取り除くこと
あなた本当にお坊さん?
まあ浄土宗レベルじゃその程度なんだろうけど。

258:神も仏も名無しさん
09/02/06 12:32:09 iMKCy9q0
外道乙。

259:けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU
09/02/06 12:33:32 7ZXHSUVK
>>245
智慧の反対は痴(無明)です。
痴(無明)とは、あらゆる煩悩の根本です。

つまり、仏教の智慧とは、
煩悩がないこと、煩悩がなくなることではないでしょうか。


260:神も仏も名無しさん
09/02/06 12:38:53 iMKCy9q0
煩悩を無くす方法が智慧。

261:神も仏も名無しさん
09/02/06 12:39:02 Fjt22319
>>257
苦の滅がネハンでしょ。
そのために道がある。


262:神も仏も名無しさん
09/02/06 12:42:19 oobzh7xZ
>>245
智慧とは、般若(無分別知)のこと、知恵(知識、分別知)かな。

URLリンク(ja.wikipedia.org)

263:神も仏も名無しさん
09/02/06 12:50:59 iMKCy9q0
分別智までいかないと足りない。

264:神も仏も名無しさん
09/02/06 12:52:03 7ZXHSUVK
参考
URLリンク(www.j-theravada.net)

265:神も仏も名無しさん
09/02/06 13:04:55 iMKCy9q0
山は山。川は川。鳥は鳥。
されど言葉にすればもう余ってしまう。

266:神も仏も名無しさん
09/02/07 01:51:35 eFw/L6P1
興味本位な書き込みで申し訳ないんですけど、自分の好きな詩人の山村暮鳥は、
晩年悟りを開いていたのかどうか知りたいのですが、下のサイトの詩集でどなた
か判断できないでしょうか?悟りを開いていたという人と、それっぽくしてるだ
けみたいな意見の人とがいるようなのですが。

URLリンク(2style.net)

267:じいさん
09/02/11 02:15:40 w8JulGqI
般若心経の論理だと・・・因縁果と言う事は否定されることになると思うんですが・・・
そういう解釈しかないと思えるんですがどうでしょう?

268:承狂 ◆nR84EH8w52
09/02/11 05:48:40 Q5erAmL9
>267
空は縁起の意味もあります(エジョウロン)から、因果律の否定は有り得ません。

269:南無大師遍照金剛
09/02/11 07:17:45 h4aJKLy0
>>267
空とは無ではありませんよ?
般若心経では空と無という言葉を使い別けている
つまり
般若心経では
空=無ではないと言うこと
色とは目に見える現象
空とは目には見えないが色という現象を規則正しく成り立たせているもの
つまり空とは色を成り立たせている因縁律を支配しているもの→色即是空
この世に現れている全ての現象は空
そして空とは全ての因果応報を規則正しく支配して色という現象を忠実に現す
空とは目には見えないが無ではなく色という現象を規則正しく支配しているもの
色即是空
だからこそ
全てこの世に現れる現象には意味がある



270:神も仏も名無しさん
09/02/11 11:48:00 dSgkaoEu
縁起、原因に対して結果が生じる。
眼耳鼻舌身意で認識される一切の「もの」と「こと」は、
条件次第で変わってしまうちゃらんぽらんな現象である。
一切は縁起(因縁によって生起する)である。
一切は縁起であるから、
あらゆる「もの」「こと」には、自性(確実なそれ自体)が無い。
一切は無自性であるから、
一切には実体が無い、つまり無我である。空である。
空とは、無我であるということ。

271:神も仏も名無しさん
09/02/11 12:07:58 dSgkaoEu
>>269
空って、実体がないこと、無我であることを表す
形容詞・形容動詞じゃないの?
その「空」がものごとを支配するというのはおかしくない?
りんごは「赤い」。ポストも「赤い」。
この場合、「赤い」は形容詞です。
で、
『「赤い」がりんごとポストを支配している』
なんて言わないでしょう。
「空」を名詞にしちゃうのはおかしいと思う。
「空」は宇宙を支配するものでもないし、宇宙の材料や元素でもない。
単なる「無我であること」の別表現。

272:南無大師遍照金剛
09/02/11 12:08:13 h4aJKLy0
>>270
>> 条件次第で変わってしまうちゃらんぽらんな現象である。

条件を無視してちゃらんぽらんに変わるなら分かる
でもこの世の現象は全て条件通りに変わる
全くちゃらんぽらんぢゃない
条件通りに変わるから空なんだ


273:神も仏も名無しさん
09/02/11 12:12:59 dSgkaoEu
たとえば、職場では「仕事が一番大事」と思い、
恋人の前では「仕事よりお前が大切」と思うなら、
ちゃらんぽらんでしょう。
条件(職場か恋人の前か)で、思考や感情や言動が変わってしまうから、
ちゃらんぽらんでしょう。

274:南無大師遍照金剛
09/02/11 12:21:21 h4aJKLy0
>>273
言ってる意味がさっぱりさっぱり
┐(´~`;)┌


275:神も仏も名無しさん
09/02/11 12:35:52 +h8X4nOD
>>267
空だからこそ因果が縁起するんです。

276:じいさん
09/02/11 13:14:33 w8JulGqI
>>268 :承狂
>>269 :南無大師遍照金剛:
因果律の否定が空だと読み取れます。
因果律を認めると物質や観念に絶対性が生まれます。
空というのは事物の絶対的存在性を否定する言葉だと考えます。

色を成り立たせている因縁律の支配を否定するのが心経の論理なのでは?

>全てこの世に現れる現象には意味がある

釈迦も現象に意味付けをすることをしなかったのでは?
神が居るとも居ないとも言わないと言うことだから。
禅宗などの精神も「只ある」「只生きる」と言った感じではないですか。
それは存在の意味、因果とか生きる意味、価値とか言った考えを排除する「只」ではないでしょうか?

277:南無大師遍照金剛
09/02/11 13:56:30 h4aJKLy0
>>276
禅の話するなら修証義くらいよもうね

278:じいさん
09/02/11 13:56:49 w8JulGqI
>>270 :神も仏も名無しさん:
>条件次第で変わってしまうちゃらんぽらんな現象である。

そのとおりだと思います。
だとすると・・・・

>原因に対して結果が生じる。

これが成り立たないのです。
因果律と言うのはある原因に対して結果が一意的に定まることです、ちゃらんぽらんの結果では因果律とは言いません。
因果律が成立する為には原因も結果も絶対的存在性が必要なのです。
空であればは因果はありえないと考えます。
その辺は「不生不滅」と大変判りやすく「原因もなければ結果もない」と言い切っていると思います。

279:南無大師遍照金剛
09/02/11 14:00:22 h4aJKLy0
>>273
たとえば、職場では「仕事が一番大事」と思い、
恋人の前では「仕事よりお前が大切」と思うなら、


それを自性というんだよ
無自性とは無関係の話

280:南無大師遍照金剛
09/02/11 14:02:06 h4aJKLy0
>>276
つか
あんた何処の新興宗教信者?

281:南無大師遍照金剛
09/02/11 14:14:25 h4aJKLy0
>>276
因果律の否定が空だと読み取れます。←般若心経の何処に書いてるの?
因果律を認めると物質や観念に絶対性が生まれます。←?意味が解らん
空というのは事物の絶対的存在性を否定する言葉だと考えます。 ←だから何でそんな答えでるの?最初に答えあり?
色を成り立たせている因縁律の支配を否定するのが心経の論理なのでは?←何処にかいてんのさ?あんたの教祖が言ってんの?
>全てこの世に現れる現象には意味がある
釈迦も現象に意味付けをすることをしなかったのでは?←はぁ?
神が居るとも居ないとも言わないと言うことだから。←あんたみたいな盲信的なアフォが居るから証明出来ないこと不必要な無意味な事は無記にしたのさ。
神がいたからどうなのさ?居なきゃどうなのさ?仏教は他の宗教と違って神様の機嫌を取る教えぢゃないから神様の存在の是非は不要
禅宗などの精神も「只ある」「只生きる」と言った感じではないですか。←修証義読んでね
それは存在の意味、因果とか生きる意味、価値とか言った考えを排除する「只」ではないでしょうか?←修証義読めよ



282:南無大師遍照金剛
09/02/11 14:38:26 h4aJKLy0
俺もまだ青いな
釣りに釣られちゃったよ
般若心経の最後に
能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
とある
つまり
この世界は現実にあり 悩み苦しみがある
だから全ての一切の苦を取り除く虚しくない真実の呪を般若心経で説いている
この世が無なら悩みを取り除く呪なんて般若心経では不要
この世は無ではなく現実に悩み苦しみがあるから般若心経で苦を取り除く呪を説いている

283:神も仏も名無しさん
09/02/11 14:46:53 dSgkaoEu
>>279
条件次第でその場の雰囲気に流されて考えが変わってしまう私。
だから私には自性が無い。
私は空である。

284:南無大師遍照金剛
09/02/11 14:49:57 h4aJKLy0
>>278
>> その辺は「不生不滅」と大変判りやすく「原因もなければ結果もない」と言い切っていると思います。

本当に新興宗教信者だな

是緒法空相
不生不滅
不垢不浄
不増不減

緒法=全ての現象は空相=空の相→空の結果
つまり空とは
生まれないし滅っさない=空とは最初から存在し未来永劫まで滅することがない
空とは
誰にも汚されることはなく汚れることがないから清らかなにすること出来ない→つまり誰にも変えることが出来ない不変なもの
空とは不増不減
増えたり減ったりもしない不変なもの
つまり空とは最初から未来永劫まで絶対不変

285:南無大師遍照金剛
09/02/11 14:51:51 h4aJKLy0
>>283
条件次第でその場の雰囲気に流されて考えが変わってしまうチミ。
だからチミには自性がある

286:神も仏も名無しさん
09/02/11 15:01:26 dSgkaoEu
>>285 何者にも自性が無いはずだから、
チミにも私にも自性は無い。

287:じいさん
09/02/11 15:09:12 w8JulGqI
>>277 :南無大師遍照金剛:
では貴方は禅宗は生きる意味を追求する宗教という考えなんですね。

>>272 :南無大師遍照金剛:
>でもこの世の現象は全て条件通りに変わる

これは二重の意味で間違えていると思います。
まず同一条件でも現象(結果)は一意的に定まりません。
サイコロを転がしてみれば簡単にわかります。
まして人間の行為のような複雑系では全く結果は予測できません。
それからもう一つ「条件」なるものが確定できません。
空ですから条件も当然あやふやなのです。
因果律は初期条件の空性と相対的相互作用の空性の両方から否定されます。

色即是空 空即是色 の部分です。

288:神も仏も名無しさん
09/02/11 15:12:06 dSgkaoEu
>>278 目を閉じて黙って座ってると、あれこれ妄想が浮かんできます。
実体のない妄想ですが、なぜその妄想が今浮かんだのか、
そこには何か原因があります。
原因はあるけど、執着には値しない。
「何かの理由でそうなっただけだろう」と軽く受け流せばいい。

289:じいさん
09/02/11 15:16:11 w8JulGqI
>>284 :南無大師遍照金剛:
>空の相→空の結果

これは論理的におかしいでしょう。
相=結果 はおかしい。

>つまり空とは最初から未来永劫まで絶対不変

それでは「空」そのものが絶対的存在になってしまう。


290:神も仏も名無しさん
09/02/11 15:18:13 dSgkaoEu
>>287 複雑系というのは、無数の原因と結果が複雑にからまっていて
人間の計算能力では予想できない動きをする現象ですよね。
つまり、原因に対して結果があることは否定していない。
ただし、あまりにもたくさんの条件がからまりあってるから、
人間の目にはわかりにくいため、デタラメに見えるのです。
サイコロも、人間の目からは一見同じ投げ方に見えても、
実際には微妙に角度や速度が違っているから、
違う目がでる。

291:じいさん
09/02/11 15:19:38 w8JulGqI
>>288 :神も仏も名無しさん:
>「何かの理由でそうなっただけだろう」と軽く受け流せばいい。

そのとおりだと思います。
要は 縁起、因縁などは軽く流して無視すればいいと言うことです。
目的は苦の消滅なのですから。

292:じいさん
09/02/11 15:23:17 w8JulGqI
>>290 :神も仏も名無しさん:
>実際には微妙に角度や速度が違っているから、違う目がでる。

違います、同じように投げても違う目が出ることを確率と言う。
結果が前の条件に関係し無いのが確率です。

293:神も仏も名無しさん
09/02/11 15:24:58 qFn0/x6/
あるサイコロを振って何回にどの目が出たかは人間の勘では予測できないことだが、
出る順番は、均等に出るように緻密に定められた完全無欠な運命が存在していることは観測できる

294:神も仏も名無しさん
09/02/11 15:31:30 dSgkaoEu
>>292 複雑すぎて制御できないから、
どれかの目がでるように偏らせることができないため、
六つの目が均等な確率でてしまうのです。
しかし、そもそも、
6面の立方体のサイコロを投げるという条件のもとでは、
それぞれ6分の1の確率でどれかやね目がでるという
結果が決まっているではたりませんか。

295:じいさん
09/02/11 15:40:28 w8JulGqI
>>293 :神も仏も名無しさん:
然しながら現実の一人の人生で善行をしたのに結果が吉と凶のどちらになるかが確率ならそれは因果律とか言わない。
無数の人生を統計すれば出目は決まっているのだろうが・・。

現実は賽の目のように結果が予測できない。
結果(因果、因縁)を予測(執着)した善行は期待が裏切られその時に苦しみが発生する。
因果律こそ執着の根拠であり苦の本性である。

296:南無大師遍照金剛
09/02/11 15:41:01 h4aJKLy0
やべ
釣られたと思ったら
釣り基地三瓶を釣ってしまった

297:神も仏も名無しさん
09/02/11 15:53:10 qFn0/x6/
>>295
個別に見ればあたかも偶然のように見えるけれど、
大きな運命から逃れることは不可能ということですね。

298:じいさん
09/02/11 16:00:29 w8JulGqI
>>284 :南無大師遍照金剛:296 :南無大師遍照金剛:

>是緒法空相・・・・・不増不減

この部分はどう読み返しても・・・

>空とは 生まれないし滅っさない=空とは最初から存在し未来永劫まで滅することがない
>空とは・・・不変なもの
>空とは・・・減ったりもしない不変なもの

こんな風に読むのは間違いでしょう。
空くまでも「緒法=全ての現象」についての記述です。
諸法に空相があると言うことで、空が不変と言ってはいない。
貴方は心経を捻じ曲げて読んでいます。

299:神も仏も名無しさん
09/02/11 16:02:24 qFn0/x6/
>>295
近視眼的に見ないほうがいいですね。
大きな釣り合いは完全に取れています。
人生はデタラメだ、不公平だという人は、人生を一回限りと唯物論で見ているのですよ。

300:じいさん
09/02/11 16:25:09 w8JulGqI
>>299 :神も仏も名無しさん:
>大きな釣り合いは完全に取れています。

この言い方は苦しいですよ。
言外に「小さな釣り合いは取れていない」と言う事を認めてしまっています。
小さな釣り合いも取れないのに何で大きな釣り合いだと取れて仕舞うのかと言う根拠は何処から来るのですか?

ちなみにサイコロの確率ですと、試行回数を重ねるたびにどんどん収束して行きます。
つまり釣り合いが取れることが目に見えて確認できる訳です。
しかし事故のようなことは人生上試行回数を重ねられますか?
貴方の「人生を一回限りと」見ないと言う事は、何万回の人生の中ではつりあいはとれるという意味ですか?

そんな事ならそれこそ今の一生など大きな運命を考える上でたいした重要性はないとも言える事になってしなう。
それでもいいのですか?

一期一会なんじゃあないかな~。

301:神も仏も名無しさん
09/02/11 16:46:55 +h8X4nOD
>>295
因果が何か固定した実体による物理法則といった考え方をしてるからじゃないですか?

逆に、本来空であるものが、諸条件によって因果として認識されるだけと考えるのが、仏教でこれは現代物理学に近い考えのようですが。
現代物理学は知りませんが。

302:じいさん
09/02/11 16:57:22 w8JulGqI
>>301 :神も仏も名無しさん:
>諸条件によって因果として認識されるだけと考えるの・・・

ですからこのことを肯定的に捕らえるか否定的に捕らえるかでしょう。
心経では絶対的な因果性は無いのだから因果に拘るなと行っている、と私は思います。

303:神も仏も名無しさん
09/02/11 17:19:32 yfulVoy1
>>300
小さい体毛一本、石ころ一個のことが、完全になされているから
大きなことがキッチリ収束するんですよ。
どんなことも一部の狂いもなく行われているわけ。
それが小さな視点ではよく見えないんですね。

304:じいさん
09/02/11 17:27:31 w8JulGqI
>>303 :神も仏も名無しさん:
はい因果律の考えでは当然そういう記述になるでしょうね。

>小さな視点ではよく見えないんですね。

どうしてそんな事がいえるの?
それに・・・・まあそうだとして、
その上で「小さな視点ではよく見えない」事について仏教ではどう扱うと言う事ですか?
心経ではどう言ってますか?


305:神も仏も名無しさん
09/02/11 17:50:39 +h8X4nOD
>>302
>ですからこのことを肯定的に捕らえるか否定的に捕らえるかでしょう。

そういってもいいかもしれませんが、仏教では無明によって迷うものが色を認識して実体と捉え、
悟ったものが空と捉えると言います。色即是空ですね。

>心経では絶対的な因果性は無いのだから因果に拘るなと行っている、と私は思います。

「絶対的な因果性は無い」は仰るとおりだと思います。
しかし「因果に拘るな」とは言ってないでしょう。
現象に拘るなという意味と因果に拘るなでは違いますから。
空を悟った者が、現れる色を見て空こそが色と見る。
これが空即是色です。

般若心経の主張は、最終的に最後の心呪です。
だから、般若の心呪の経と言われるのです。
経典の論理構造も心呪の効能を説く前提だということが分かると思います。


306:神も仏も名無しさん
09/02/11 18:14:58 Cw6Z2UZh
NHK解説委員の長谷川浩さんが、911のときWTCに勤務している人間のうち
イスラエルとの2重国籍の人間の死亡者が一人もいないことを報じてその5日後に
変死
スレリンク(occult板:16番)

307:じいさん
09/02/11 21:43:23 w8JulGqI
>>305 :神も仏も名無しさん:
実体のないものは因果性を持たないのです。
原因と結果をはっきりさせる為には事物の実在性が不可欠なのです。
実在性のない色であれば因果性も問えないのです、判りますか?
実在性のないものがどうして結果の原因となりうるでしょうか?
不生、生まれてないものは不滅、死なない。
絶対的存在のない事物が何かの結果の原因足りえる事は出来無いのです。
その事を心経は繰り返し繰り返し述べています。
そのような本文を軽んじて呪の部分だけを強調するのはやはりゆがんだ考えです。
心経は中観思想の経です、中観は仏教の一派に過ぎません、他派では真っ向から対立する考えの宗派も有るでしょう。
しかし心経は少なくとも日本では庶民にやけに人気があります。
中観に反対する宗派が素直に心経を批判し異を唱えるなら判り易いのです。
しかしその人気にあやかって心経を取り込むふりをしてその解釈を自派の都合の良いように捻じ曲げたり、
お経というものは解釈するべきでなく呪として有り難く唱えていれば良いのだといって心経の主張である中観の思想から目を逸らさせると言う事が多い様に感じます。

308:承狂 ◆nR84EH8w52
09/02/11 21:52:54 Q5erAmL9
>じいさん

だから、その中観派のエジョウロンで縁起と空が同一の意義だと説かれているっつーの。

309:神も仏も名無しさん
09/02/11 22:15:08 c07Ig4KT
毒入りカレー空海。

310:神も仏も名無しさん
09/02/11 22:23:44 dQXOFx+4
毎朝、6地蔵の前を通って駅へ向かうのですが
「オンカカカビサンマエイソワカ」と唱えればいいのですか?


311:神も仏も名無しさん
09/02/11 22:42:56 +h8X4nOD
>>307
>実体のないものは因果性を持たないのです。
>原因と結果をはっきりさせる為には事物の実在性が不可欠なのです。
>実在性のない色であれば因果性も問えないのです、判りますか?

この考え方が、正に実在論です。縁起も空も理解しない考えです。
実体であれば、変化せず縁起しないので、因果もないと考えるのが仏教です。

>実在性のないものがどうして結果の原因となりうるでしょうか?

上に説くように縁起だからです。迷ったものが実体として因果を捉えるのであって、
そこに現象しているのは無常な縁起だけを実体として認識し、
因果として仮設するだけだからです。

>不生、生まれてないものは不滅、死なない。

不生不滅というのは、ある原因から実体が発生し、ある原因で実体が消滅するのではないという意味です。
もちろん、日常用語では発生して消滅するといいますが、
それは無明であって、本来は違うという意味です。



312:神も仏も名無しさん
09/02/11 22:43:19 +h8X4nOD
>絶対的存在のない事物が何かの結果の原因足りえる事は出来無いのです。
>その事を心経は繰り返し繰り返し述べています。
>そのような本文を軽んじて呪の部分だけを強調するのはやはりゆがんだ考えです。

いえ、これは文章を読めば分かることです。
弘法大師の註釈だけでなく、インド註もチベット註でも同じです。
それから現代文献学者も認める方が増えてきています。

>心経は中観思想の経です、中観は仏教の一派に過ぎません、他派では真っ向から対立する考えの宗派も有るでしょう。

違いますよ。その証拠に唯識派の玄奘の弟子である基が註釈しています。

>しかし心経は少なくとも日本では庶民にやけに人気があります。

チベット・モンゴルでも重視します。

>中観に反対する宗派が素直に心経を批判し異を唱えるなら判り易いのです。

あなた自身の理解が足りないとは思わないのですか?

>お経というものは解釈するべきでなく呪として有り難く唱えていれば良いのだといって心経の主張である中観の思想から目を逸らさせると言う事が多い様に感じます。

別に目をそらせることが目的なのではなく、主が呪であることは事実です。
前文は、因縁、効能書きのようなものでしょう。


313:じいさん
09/02/11 22:52:03 w8JulGqI
>>308 :承狂 ◆nR84EH8w52 :
縁起的にあると言う事は存在は空相であると言う事でしょう。
それは否定的な存在であって「有」ではない。
色即是空として存在の空相を理解(悟る)事が第一です。
その空を悟った後に空即是色があるのであって、曲解する人は空即是色の方を取り上げてわが意を得たりとする。
「功徳を積むとは功徳を積まないことである、だから徳を積む」
と言う論理が中観思想である。
その時に後半の徳を積むという部分だけを取り出しては意味がない。
中観の主張は空くまでも「功徳を積まないこと」である。
すなわち色即是空である。

「縁起と空が同一の意義」と言うだけでは中観の真意は伝わらない。
縁起と言うものは事象の相対的存在性をあらはすのでしょう。
そこに空相との同一性を見ているのであって「実在の否定」と言うメッセージ無くしては意味がない。

>>284 :南無大師遍照金剛:
>空とは最初から未来永劫まで絶対不変

こんなばかげた事を言う人が現れるからだ。

314:神も仏も名無しさん
09/02/11 23:02:30 dSgkaoEu
天台宗でいう空・仮・中の三諦って、
般若心経の影響ででてきた思想なんでしょうか?

315:大王
09/02/11 23:35:12 V2pMuwiD
314氏へ、
インドでは般若思想を専門にやる流派が二つある、
説明不可能否定論理派と、
説明可能論理派だ、

天台は後者の影響が強い、チベット密教ゲルク派も、その流れに結構影響があるようだ、

316:大王
09/02/11 23:42:07 V2pMuwiD
日本仏教と言うのは、密教とかは、唯識的ベースがありそうだなあ、
サマディー的領域、それが、空即是色、色即是空とするだろうなあ。
唯心的感覚でありながら、外部があり、内部があり、外部も無く、内部も無く
と中観派と唯識と如来蔵をかき混ぜチックな般若心経解釈だろうなあ。日本仏教の多くは。

317:じいさん
09/02/11 23:50:35 w8JulGqI
>>311 :神も仏も名無しさん:
>実体であれば、変化せず縁起しないので、因果もないと考えるのが仏教です。

はいそれは中観の論点です。
私が問題にしているのは絶対的実在と因果を結びつける考えがありそれは否定されるべきだということです。
だから「縁起だけを実体として認識」とか「因果として仮設」とか言う表現は「縁起は実体ではない」とか「因果は仮設」と言うのは否定的な中観の表現だと考えます。

>不生不滅というのは、ある原因から実体が発生し・・・

それは違うと思います・・・
生には絶対的実体はない、ならば死と言う実体もないはずであると素直に解釈した方がいいと思います。
生きる苦しみに実体はないと言う実践的意味があるのですから。


318:じいさん
09/02/11 23:54:21 w8JulGqI
>>312 :神も仏も名無しさん:
>唯識派の玄奘の弟子である基が註釈しています。

そうなんですか、大変興味があります。
どんな注釈なのですかお聞かせ願えませんか?

319:承狂 ◆nR84EH8w52
09/02/11 23:58:09 Q5erAmL9
(^。^)ジジイだけにあれだな♪(笑)

320:じいさん
09/02/12 00:00:13 SCCu6Q2m
>>315 :大王:
>>316 :大王:
なるほど了解です。

>中観派と唯識と如来蔵をかき混ぜチックな般若心経解釈だろうなあ。日本仏教の多くは。

その理由は心経が人気があるから他派としてはあやかりたいと言う趣旨としか考えられませんが・・・・。

321:大王
09/02/12 00:10:28 kOsGQPFG
>その理由は心経が人気があるから他派としてはあやかりたいと言う趣旨としか考えられませんが・・・・。


と言うよりも、中国の大乗仏教の国土安泰思想、世俗肯定思想が強くなった流れだろうなあ。


322:大王
09/02/12 00:14:03 kOsGQPFG
大乗仏教の成立自体が、在家重視で成立するが故に、
中国の解釈変化は起きるだろうし。
中国で大乗仏教が広がるのは、遊牧民族と中華民族の果てしないジェノサイドを終焉させる思想として期待されたから、
当然、国土安泰思想、世俗肯定思想が強くなるわけで、国家統治システムとして、

323:大王
09/02/12 00:20:33 kOsGQPFG
で、中論を忘れて、国土安泰仏教原理主義になってしまったのが、日蓮だなあ。

324:じいさん
09/02/12 00:32:53 SCCu6Q2m
>>322 :大王:
その理由は・・・と言ったのは日本での事です。
日本では不思議に心経が人気です(チベットでも人気らしいですが・・・)から。

中国では儒教を押さえつけるとの政治的絡みがあるのでは?
儒教は徹底した実在論です。
もとより中国は老荘易という実在論の宝庫です。
易では事象は変化し循環します、その循環そのものが実在論的に把握されます。
陰陽五行です。
全く仏教の論理を受け付けないと思います。

325:神も仏も名無しさん
09/02/12 00:43:48 rcpoVBVG
“実体が無い”と言うのは、空性(縁起している)と言うことであって、“物が無い”と言うことではないよ。

326:大王
09/02/12 00:45:16 kOsGQPFG
日本の仏教も中国輸入モノです、天台、真言は。

中国仏教が流行った隋、唐時代の以前は遊牧民族と中華民族の果てしないジェノサイドです、
儒教が通じない時代です、隋、唐時代は仏教です、儒教が力を持つのは朱子学とか、宋の時代です
日本に来た、真言、天台は隋、唐時代の仏教です。

327:大王
09/02/12 00:48:16 kOsGQPFG
老荘思想の勢力拡大は、空海死後、日本天台が密教を中国で学び始めた、円珍、円仁の時代で、
勢力を持ちます。

328:大王
09/02/12 00:53:16 kOsGQPFG
天台の密教はそれ故に、その後の日本修験道、神仏習合仏教において、陰陽五行が入り、
実在的傾向が強まります、
空海の真言は、それ程実在論ではない。般若思想を意識して真面目に彼なりに追求している
空海死後、真言宗も神仏習合が進み般若思想に無関心になり始め、大日如来=天照、信仰が勢力を持つ。
般若心経が呪術化し始める。
もちろん、日蓮の曼荼羅、ご本尊には天照の名が入る。


329:神も仏も名無しさん
09/02/12 07:34:58 81cx4zlp
五行説をもってすれば、魂(五行で木)なるものがアートマンでないことを
簡単に説明できるのだがな。(相克により変換可能)

330:神も仏も名無しさん
09/02/12 07:42:06 81cx4zlp
>>324
>儒教は徹底した実在論です。
>もとより中国は老荘易という実在論の宝庫です。
>易では事象は変化し循環します、その循環そのものが実在論的に把握されます。
>陰陽五行です。
>全く仏教の論理を受け付けないと思います。

おやおや、道は無視ですか。道を語らずして、老荘を語るどころか、易すら
語れませんよ。

331:じいさん
09/02/12 23:23:36 SCCu6Q2m
>>325 :神も仏も名無しさん:
はいですから「物の実体がない」と言う事です。
私は「事物の絶対的存在性はない」と言ういい方が好きです。

332:じいさん
09/02/12 23:31:32 SCCu6Q2m
陰陽の考えは森羅万象は全てに陰陽の相を持つと言う観念です。
そして陰陽は循環します。しかしあくまでも陰陽であり変化するからと言って陰陽の絶対的真理は普遍で保存されます。
循環し変化するけど絶対的実在する概念なのです。
インドでは仏教は「変化するなら実在性はない」と言う言い方で他の思想集団を論破しましたが中国では通用しないわけです。

333:じいさん
09/02/12 23:37:08 SCCu6Q2m
>>329 :神も仏も名無しさん:
はいそうですね。
陰陽もそうですが五行も「相生、相克」とあるように一種の相対論です。
ですが五行それぞれの実在性は強く意識されます。
インドでは空性により変化するものが、中国では絶対的実在が変化する訳です。

ところで私は日本人ですが空性の方がシックリ来ます。

334:じいさん
09/02/12 23:39:46 SCCu6Q2m
>>330 :神も仏も名無しさん:
>おやおや、道は無視ですか。道を語らずして、老荘を語るどころか、易すら語れませんよ。

そうですか、それは失礼しました。
ぜひ道を語ってください、お願いします。

335:神も仏も名無しさん
09/02/12 23:53:53 22LD6HEy
おまえら、
ここが質問箱だというのがわかってるか?

補足説明が大量・冗長・詳細に亘るようなら場所を変えろ。

336:神も仏も名無しさん
09/02/12 23:54:17 pmxk8cna
>>334







337:神も仏も名無しさん
09/02/13 00:07:41 YqIb7dxi
中論 第十五章
五 有(存在するもの)がもしも成立しないならば、無もまた存在しない。
   何となれば、有の変化すること(異相)を人々は無と呼ぶからである。

六 <それ自体>と<他のものであること>と、
  また有と無とを見る人々は、ブッダの教えにおける真理をみない。

七 カーティヤーヤナに教える【経】において、
  「有り」と「無し」という両者が、有に無とを説き給う尊師によって論破せられた。

八 もしも本性上、或るものが有であるならば、
  そのものが無はありえないであろう。何となれば、本性の変化することはけっして成立しえないからである。

九 【物の】本性が無であるとき何物の変化することがあろうか。
  また本性が有なるとき何物の変化することがありえるであろうか。

一〇 <有り>というのは常住に執著する偏見であり、<無し>というのは断滅を執する偏見である。
    故に賢者は<有りということ>と<無しということ>に執着してはならない。

一一 <その本性上存在するものは、無いのではない>というのは常住を執する偏見である。
    <以前には存在したが、今は無し>というのは断滅を執する偏見となるであろう

338:神も仏も名無しさん
09/02/13 07:34:02 YqIb7dxi
『易経』繋辞上伝  

形而上者謂之道、形而下者謂之器”(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う

339:じいさん
09/02/14 00:49:51 wZfbHZa6
>>337 :神も仏も名無しさん:
八のところが中国では通じないのでは?
世界を分類して実在性を述べるのが得意だから。
「形而上者謂之道、形而下者」とか・・・
陰陽、五行も・・・




340:神も仏も名無しさん
09/02/14 10:47:44 Xwb3nPxq
正しい禅定と正しくない禅定について教えて下さい。テーラワーダの禅定は
本当に正しい禅定なのでしょうか?

341:神も仏も名無しさん
09/02/14 11:21:26 RZNoEcMi
>>340
テーラワーダの禅定が解脱した聖者によって伝承されるものなら正しいものです。
テーラワーダといってもいろいろあるので、私はビルマ系テーラワーダは、伝統的で現代でも解脱者を出していて信用できると思います。
ビルマ系にもいろいろあるでしょうが。


342:神も仏も名無しさん
09/02/14 15:57:31 XsPr6aN5
質問です。
仏教はただ単に何かを信じれば救われる宗教じゃないと思っていたのですが、
なぜ、何々を唱えれば極楽へ行けるという考えの宗派も仏教というのでしょうか?


343:神も仏も名無しさん
09/02/14 16:10:17 mK2veIj6
そこのスレいって質問しなよ。
ちゃんと勉強したものでないと答えたらいかんと思う。

344:神も仏も名無しさん
09/02/14 16:34:28 RZNoEcMi
>>342
仏教だと思います。理由は、二つ。
一つは、浄土教がインド起源で、チベット、シナでも信仰されていること。
第二には、三宝に帰依するものであれば仏教だからです。



345:じいさん
09/02/14 22:17:39 wZfbHZa6
>>343 :神も仏も名無しさん:
宗教と言うのは、勉強すれば答えられるようになるものなのだろうか???

346:神も仏も名無しさん
09/02/14 22:19:59 mK2veIj6
天才なら勉強しなくても大丈夫かもしれませんね。

347:神も仏も名無しさん
09/02/14 22:56:49 RZNoEcMi
>>345
問いによりますね。本質的な内容は悟ってないと答えられませんが、
知識、資料、歴史といった問いなら答えられるでしょう。

348:神も仏も名無しさん
09/02/15 14:21:08 ctH9be7Q
>>342
経典では、
阿弥陀仏を信じて阿弥陀仏の名をとなえれば極楽浄土に往生できるという教えは、
お釈迦様が説かれたことになっているからです。
お釈迦様(仏)が説いた教えだから仏教。
まぁ、この経典自体はお釈迦様の死後何百年も経って創作されたものですが、
少なくとも、仏教教団の中からでてきた教えではあります。

349:神も仏も名無しさん
09/02/15 14:22:54 ctH9be7Q
>>342
お経の記述では、
お釈迦様が弟子に対して、
阿弥陀仏を信じて極楽浄土への往生を願いなさいと教えているのです。
お釈迦様が阿弥陀仏や浄土を紹介してくれたことになっているのです。

350:神も仏も名無しさん
09/02/15 19:16:18 kbRbRf0r
>>349
インドに阿弥陀信仰の行われた形跡はありません。浄土経典はインド成立ですが、
阿弥陀信仰は中国起源。仏教と言えるのかどうか、このあたりが微妙です。

351:神も仏も名無しさん
09/02/15 19:36:08 7IYeOjwf
>>350
学界で、学問的に(分類的に)呼称をどうするかという点では、コンセンサスがとれる可能性はあるかもしれない。

が、一般的に、日常に於いて、我々の生活に寄り添った部分で、
既に習慣として、習俗として、文化として根付いている分類は、余程のことが無い限り変わらないだろう。
そして、『学会で、どう分類されているか』なぞ、我々の日常には関係が無い。(このような例は枚挙に暇がないだろう。)
『我々の“日常に於いて”“日常の価値観に於いて”、(たとえ無意識的にでも)どのように分類されるか』
が重要だ。そして、それこそが、【本来の、本質をついた分類】と言えるのかもしれない・・・。
その際の基準は、学界で用いる基準とは似ても似つかないものかもしれない・・・。

352:神も仏も名無しさん
09/02/15 20:39:24 5mIuDQXR
>>350
痕跡はたくさんあるよ。クシャーナ朝にアミダ仏を建立した台座刻文とか、
ウダヤギリ遺跡のアミダ像とか。当然、ネパール、チベット、モンゴルにもあり、
アミダ信仰がシナ起源でないことは明らか。
もちろん、浄土信仰も。

353:神も仏も名無しさん
09/02/16 08:53:40 Ck8GPM0C
>>343
いつも見ていて、素朴な質問にも丁寧に答えてくれるのでここで質問してしまいました。

>>344 >>348 >>349
親切にありがとうございます。



354:神も仏も名無しさん
09/02/18 10:25:33 ZE9olQ0G
煩悩を辞書で調べると、「人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。」と書いてあるのですが、「仮の実在への執着」がよくわからないのですが、どういうことなのでしょうか?


355:神も仏も名無しさん
09/02/18 10:59:18 mof3GFS9
>>354
今、自分が実在し、見える通りに諸物が実在していると捉えることです。
そうでなく自分も諸物も縁起して見えているのであり実体のない空であるという
本来のあるがままではなく、実在していると見るから様々な苦が生じるというような意味です。

356:神も仏も名無しさん
09/02/18 11:16:17 ZE9olQ0G
>>355さん
ありがとうございます。質問してよかったです。"自分はこうなりたい"というようなことを想像していたので。まったく違いました・・。

357:神も仏も名無しさん
09/02/18 11:34:53 mof3GFS9
>>356
お役に立ったなら嬉しいかぎりです(^^)

358:神も仏も名無しさん
09/02/18 20:43:50 7biMATIG
質問です。サンサーラとサンスカーラはどう違うのでしょうか。訳語ではなく、
意味について違いを教えて下さい。

359:神も仏も名無しさん
09/02/18 20:53:13 XsZO+TxE
サロメ 転落人生

360:神も仏も名無しさん
09/02/18 21:03:30 mof3GFS9
>>358
サムサーラは、巡る、廻るという意味です。
サンスカーラは、集成、形成、形作るという意味です。
どうちがうというより全く違う言葉です。


361:神も仏も名無しさん
09/02/18 21:35:48 7biMATIG
>>360
ありがとうございました。カタカナで書くと似ているので、意味も
類似しているのかと思っていました。

362:神も仏も名無しさん
09/02/23 23:07:36 pxMISnkx
毎日のように「もしこうなったらどうしよう」などという想像や、
他人の態度、他人からの悪口に何時間も重い気持ちになってしまう。
もうずっと経験してる事だけどちっとも進歩しない。
仏陀の仰るとおり我執によるものであり、他人によって悪い影響を
受けてしまう俺は愚かで軽薄な人間なのだと思う。
苦しいので少しでも我執を消し去りたいがちっともうまくいかないぜ。

363:神も仏も名無しさん
09/02/24 07:56:50 2TTnjfBn
>>362
とりあえず、今考えても仕方ないことは考えないようにしては?
悪口を言われたことを何回も思いだしたって、仕方ない。
だったら、そのことを考えないように。
考えたら嫌な気分になる。
考えなければ嫌な気分にならない。

364:神も仏も名無しさん
09/02/24 09:54:21 BSOUlUNG
>>362
釈尊を信じるなら、釈尊の教え通り道を歩まないと、
なかなか煩悩という癖は根深くて直せません。
酒・たばこみたいな浅い癖も直すのに一苦労するなら、
我執という本能的な癖を直すのが、そう簡単なものでないのは分かるでしょう。

365:神も仏も名無しさん
09/02/24 10:16:21 AsFAFH/P
諸法無我について教えてください。
すべてのものに主体が無いと、人と人をどのように識別するのですか?
それぞれの個性は無いと考えていいのですか?

366:大王
09/02/24 10:29:51 AkFTasxl
諸法無我について

人間の肉体が常に同一であり続けるだろうか?
細胞は死に、うんこになって排泄、タンになって吐き出させる、
人間の精神は同一だろうか?
いろんな経験で転落したり、成長したり、変化する、
アルツハイマーになれば、同一であるとは言えるだろうか?

固定的でありつづけてるいると断定できうるだろうか?

367:神も仏も名無しさん
09/02/24 11:35:43 BSOUlUNG
>>365
見える通り現象は多様で、個々別々です。
だから、世間的、世俗的意味で主体もあるし、識別も個性もあると言います。
これは世間的習慣、言い慣わしに従った世俗諦と言われます。

ですが、それが実体を持って実在し独立不羈だと見ることこそ煩悩の根本で、
苦しみの元であるというのが仏教の考えです。
すべては諸要素が縁起して、それ自体として認識されているだけである。
と見る本来のありのままの見方をするために無我、縁起・空があります。
このような見方を習慣づけることで、執着は減少しますが、
本来は、禅定・三昧状態で縁起・空観を行うことで、
諸法、つまりあらゆる現象が無我、つまり本質・実体がないと体験するのです。
その体験後も、現れは多様で、個々別々に現れますが、
実体がなく幻のように縁起していると観ることができ、執着を離れます。

という感じです。


368:365
09/02/24 13:16:56 AsFAFH/P
>>366 私へのレスですよね・・?ありがとうございます。
>>367 
見たとおりに識別し個性もあると考えていいということですよね。
ただ、主体がないのになぜそう考えられるのかがよくわかりません。
それについて説明してくださっているのだと思うのですが、難しくて理解できませんでした。

レスありがとうございました。


369:神も仏も名無しさん
09/02/24 13:23:41 BSOUlUNG
>>368
>見たとおりに識別し個性もあると考えていいということですよね。

いえ、もし仏教に従って無我を実感したいなら、そうではありません。

>ただ、主体がないのになぜそう考えられるのかがよくわかりません。

例えば、TV や モニターの画面上がドットの集合なのに
文字や映像として認識できるのに近いです。



370:大王
09/02/24 13:44:22 AkFTasxl
主体と言う思考によって主体があるのか?
その主体は定義できうるのか?
また、その主体があるならば、その主体の認識は同一でありうるのか?
主体の認識が同一でないのが普通であり、
その違いがあるのは、主体と言う固定的な主体が無いからでは?

371:神も仏も名無しさん
09/02/24 14:31:04 7OmfVY/H
最近瞑想や探求を続ける内にいくつか疑問が湧いたので質問させてください。
基準となる思想は仏教でも個人でも何でもけっこうです。
できるだけ多くの方の主義・思想を聞かせていただければありがたいです。

・私は趣味で牛革を使ってベルトを作っています。
 この動物の革を使って何かを作る行為というのは望ましく無い行為なのでしょうか?
 例えば、動物を殺して皮を剥ぐのと、死んでいたものの皮を剥ぐ事、これは同列でしょうか?

・菜食でも小魚は食べてもよいという話を聞きました。
 菜食主義の基準は様々でしょうが、私は魚も食べない方がいいと思っていますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
 私の中の基準では食べる事でその食べられたモノにメリットがある場合、だけだと思っています。

・肉類も神に捧げてから食べれば良い、という話も聞きました。
 これは分からぬでもないのですが、具体的にはどうすればよいのでしょうか?
 神に許しを得るという事でしょうか?
 私は仏壇というのは好きではないので、仏壇に捧げるという以外の方法があればお教えください。

・瞑想の最中に恐怖心を感じる事があります。
 雑念などではなく、何かが近づいてきたり横切ったりといった感じです。
 いつも怖くなって目をあけてしまうのですが、どのように対処すればいいでしょうか。
 その恐怖に耐え抜く事が修行となるのか、それとも危険なので何か対処をした方がいいのか分かりません。

長々と書きましたが、一つでも良いのでお答えいただけましたらありがたいです。
未熟者ゆえ、至らない質問だとは思いますがよろしくお願いいたします。

372:神も仏も名無しさん
09/02/24 14:39:37 mUZnWe81
華厳経のお経はなんという題でしょうか?

悟りの世界・華厳経
スレリンク(psy板:84番)
☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 11 ★ ☆
スレリンク(psy板:103番)
でも同じ質問しましたが、ここ質問スレでも質問してみます


373:神も仏も名無しさん
09/02/24 14:54:43 AsFAFH/P
>>369
度々ありがとうございます。本当に理解力なくてすみません、最後にもう一つだけお願いします。

まったく同じ姿をした人が二人いるとして、その二人とも主体がないと、二人の違いをどう識別するのでしょうか?

>>370 大王さん
ありがとうございます。
主体が何によってあるか、ないかについてではなく、主体がないものの違いを何によって見分けるのか?ということを知りたいと思いました。
それについての説明もくださっているのでしょうが、理解できる頭がなくすみません。



374:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:10:36 BSOUlUNG
>>371
>・私は趣味で牛革を使ってベルトを作っています。
> この動物の革を使って何かを作る行為というのは望ましく無い行為なのでしょうか?
> 例えば、動物を殺して皮を剥ぐのと、死んでいたものの皮を剥ぐ事、これは同列でしょうか?

他の生物を傷つけることがよくないので、死んだものは生物ではありませんから、問題ありません。

>・菜食でも小魚は食べてもよいという話を聞きました。
> 菜食主義の基準は様々でしょうが、私は魚も食べない方がいいと思っていますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
> 私の中の基準では食べる事でその食べられたモノにメリットがある場合、だけだと思っています。

植物も生命ですが、人を殺すより、動物を殺す方がまだ罪が軽いと考えるように、
なるべく他の生物の命を奪うことは直接は絶対よくなく、
間接的にもできるだけ避けるのが望ましいと思います。

>・肉類も神に捧げてから食べれば良い、という話も聞きました。
> これは分からぬでもないのですが、具体的にはどうすればよいのでしょうか?
> 神に許しを得るという事でしょうか?
> 私は仏壇というのは好きではないので、仏壇に捧げるという以外の方法があればお教えください。

神仏に捧げたから許されるというのは、世俗的な神々の話だと思います。
ですが、観想で神仏に常に捧げるのはよいと思います。

>・瞑想の最中に恐怖心を感じる事があります。
> 雑念などではなく、何かが近づいてきたり横切ったりといった感じです。
> いつも怖くなって目をあけてしまうのですが、どのように対処すればいいでしょうか。
> その恐怖に耐え抜く事が修行となるのか、それとも危険なので何か対処をした方がいいのか分かりません。

一番いいのは、自我を守ろうという意識をなくすことだと思いますが、
難しいです。

375:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:32:51 BSOUlUNG
>>372
大方広仏華厳経が漢訳の題名です。
ブッダ・アヴァタンサカ ナーマ マハーヴァイプリャ・スートラ
というのがインド語の題名です。

376:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:47:11 mUZnWe81
>>375 御返信有難う御座いました 

377:神も仏も名無しさん
09/02/24 15:49:38 BSOUlUNG
>>373
>まったく同じ姿をした人が二人いるとして、その二人とも主体がないと、二人の違いをどう識別するのでしょうか?

それは見たまま、良識といわれる言語習慣のままです。
仏教は、そういった良識を破壊するものではなくて、
良識が実体、実在であると思う認識を破壊しようとします。
私の説明がヘタで混乱されているかもしれません。

パユットー『仏法』31頁でこのように述べられます。

要するに、五蘊の原理は無我であることを示す。「人間の生命」は
様々な構成要素の集まりであり、そしてこれらの構成要素の集まったものも
自我ではない。それぞれの構成要素も自我ではない。
また、これらの構成要素とは別に自我であるものもありえないことを示す。

この本などを読まれてはいかがでしょうか?
あるいは水野弘元『仏教要語の基礎知識』旧版32, 100-103, 130, 132, 146
などをお読みになってはいかがでしょう。

この問題は、なかなか理解しずらいものです。
なぜかというと実在論的思考形式に馴染んでいるからです。

378:神も仏も名無しさん
09/02/24 16:15:43 AsFAFH/P
>>377
混乱しているのは私の理解力不足からです。何度もありがとうございます。
何回も読み返しましたが難しいですね。それぞれひとつひとつはわかるのですが、繋がると途端に頭が混乱します・・
377さんの説明と、本を参考に整理したいと思います。


379:371
09/02/24 21:37:22 LXluEAXe
返信ありがとうございます!
疑問が解決しました。
また、自分の経験を通してそれを確認していきたいと思います。
「自我を守ろうとする意識」というのはまさにその通りですね。
瞑想の本質でありながら、その事に気づきませんでした、やはり私はまだまだ未熟ですね。
ありがとうございました!

380:神も仏も名無しさん
09/02/24 22:52:20 2TTnjfBn
>>373 あらゆる識別は絶対的なものではないのです。
1秒前のあなたと今のあなたが同一人物である
と思う識別も、絶対ではないのです。
諸法無我を簡単に言うと、
「あなたが思ったことは、あなたが勝手にそう思っただけのものだ」
ということです。

こういう修行もやってみては?
すべての思考のあとに、
「…と思った。」とつけて終える。

すべての判断・識別は、あなたがそう思ったにすぎないのです。

381:神も仏も名無しさん
09/02/25 04:25:58 UYnHA8lu

馬鹿は死んでも治らないって!やっぱ信者に使う言葉?w

382:大王
09/02/25 10:40:49 XCVrmGUt
まあ、慣れた道を車で目的地へ行く場合、
主体と言う実体がこの道右左と判断したり、主体がブレーキ、アクセルを踏むとかわざわざ判断したり、やっているのだろうか?
慣れた道の場合、カーステ、ラジオを聞く方に集中し、知らぬ間に目的地に到着する、
その場合、主体が、と言う判断、選択を意識的どれほどやっているのだろうか?

383:神も仏も名無しさん
09/02/25 12:28:11 UBc770uO
>>382
慣れている道でも、
運転してるときには主体による判断・意思がはたらいている。
ただ、カーステレオの音の印象がつよくて、
運転したことをいちいち覚えていないだけでしょう。

384:神も仏も名無しさん
09/02/25 13:46:34 r494QfKW
>>380
ありがとうございます。
ぼんやりとですが、わかってきたような気がします。完全に理解はまだほど遠いですが・・

「・・と思った」は瞑想の時にしていますが、普段から意識してみようと思います。

385:神も仏も名無しさん
09/02/26 09:41:02 GZLnMMgp
ぷりゃ

386:神も仏も名無しさん
09/02/26 11:19:16 dEVdUYtl
>>380
精神分裂病やうつ病への誘いですか?
まったく無意味な修行?ですね。基地外の業をつくってるにすぎませぬ。

そうではないのです。
そのような思考を捨てるのです。
生まれてから今日までの白黒をつけるすべての相対的思考を断絶するのですよ。
曇った玉を磨くようにですよ・・・。
そうしてしばらく修行していると曇りがとれた後に玉本来の輝きがでます。
そのとき、諸法無我というものが本当に識得できます。そうすれば生死も解決するでしょうし、
と同時に万物同根も識得できます。その他いろいろな道理もね・・・・。
いろいろ理屈をならべても、決して分かるものじゃありませぬ。
まあ、頭で理解できたつもりにはなるかもしれませんが。



387:神も仏も名無しさん
09/02/26 12:08:55 50e8ANSs
>>386
御大層なことをのたまっとるが、
>そのような思考を捨てる
具体的方法を記さなければ意味が無いぞw

空虚なスローガンと同じだw
スローガンを叫ぶだけなら馬鹿でもできる。
「じゃあ、具体的にどうするのか」が同時に提示されて初めて、スローガンは価値を増す。
絵に描いた餅じゃ腹は膨れんぞw

388:莫迦に説法
09/02/26 13:23:32 7o/i0n+2
>>387
ご承知のうえでお尋ねになってると推察。
具体的方法は古来ゴマンとあるのではないでしょうか。
あるものは坐禅、又あるものは南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経などのご唱明、キリスト教では聖歌でしょうか。
またあるものは六根清浄と唱えながら山をかけ回っているかもしれませぬ。
要は煩悩妄想を蕩尽する方法であれば何でもいいんです。
お釈迦様が周利槃特に、「塵を払い、垢を除く」といいながら掃除をするようにと指示し、永い間についに悟ったというエピソードもありますよ。

こんなことあえて回答するまでもないことですが・・・。

389:神も仏も名無しさん
09/02/26 21:41:34 2A1GZvDy
「塵を払い、垢を除く」といいながら掃除したくらいで悟れるなんて天才なんじゃねーの?

390:大王
09/02/27 11:40:08 0tCrPWhM
主体くんへ

哲学的センスで仏教スタンスから外れた表現で言えば、

主体と言う19世紀以前の哲学用語のものさしを堅持している時点で問題だな、
主体、と言う哲学用語が死後になる時代来るだろうな、

20世紀後半以降の構造主義、ポスト構造主義でも、勉強したら?
人間の精神、文化は19世紀以前の哲学用語のものさしで計る不可能性に気付くだろう。
言語概念で普遍的固定的に説明可能なのは物質法則と生命原理機能のみだろうよ、
人間の精神は不可能だろうなあ、

中沢新一はいまや宗教学者だが、80年前後だと、上記哲学ムーブメントにあり、
そこからチベット仏教へ行ったのは何故でしょうなあ?

391:大王
09/02/27 11:44:13 0tCrPWhM
主体くんと言うのは383あてです。

392:神も仏も名無しさん
09/02/27 13:40:56 7I0tPJuC
華厳経
華厳宗
って日常勤行ってあるのでしょうか?
何を読経するのでしょうか?


393:大王
09/03/03 16:59:02 M0VS6y3p
392さんへ、
東大寺で検索したら、
知識面で関心が薄いわたし。

394:神も仏も名無しさん
09/03/07 14:47:30 x4HL2Hlg
すみません。質問させてください。
瀬戸内寂聴の本で見たのですが、「観世音菩薩」といわゆる「聖観音(たぶん
如意輪観音とか千手観音とか馬頭観音も含めて)」は全く別と書いてあったような
気がしたのですが、実際そうなのでしょうか?

395:394
09/03/08 03:10:14 Ziysj21H
もしかして、この板は初心者に優しくありませんか?

396:神も仏も名無しさん
09/03/08 03:23:23 9fgOD52t
>>394
たぶん、聖観音が千手・馬頭・如意輪観音などの姿に変化するんだと思います。

397:神も仏も名無しさん
09/03/13 15:12:06 0jAIluM6
因縁生起について教えてください。
煩悩は因であっていますか?


398:神も仏も名無しさん
09/03/13 20:15:35 WiC81J3K
>>394
寂聴さんが何と仰ってたか分かりませんが、聖観音も如意輪観音も千手観音、馬頭観音も全く同じです。
観音どころか不動明王も閻魔様も同じ仏様です。名は何と言おうとおなじ仏様です。
仏性をしっかりと自覚してみれば分かりますが、皆、心の産物ですよ。

>>397
因も果にもなるでしょう。
現代人が因縁についてもっと深く自覚すればよい社会になるし不幸も減るでしょうね。




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