08/12/08 12:09:47 Cuk8nH3s
「その業の創造力が自らを実現するがために---生きようとする根本意志すなわち無明は、生時の経験
すなわち業(カルマ)をその性格として刻みつけて継続する。」
(「無我と輪廻」の矛盾にかんする木村泰賢博士の解釈)
私は、木村博士については読んだことがありませんでしたが、卵さんに教えられて検索して、このページ
はすでに目を通しています。木村博士はこの中でも霊魂というわけではありませんが、「超空間的生命」と
いういい方もしています。
私の個人見解では、それを「超空間的生命」と呼ぶのか、何かまた「阿頼耶識」のようなものを仮定する
のか?そんなにアートマンという言葉が仏教においてナンセンスなのであれば、私は別に何でも良い・・くら
いにみています。
それにこの私は、「アートマンですら永久不滅とは主張していない」ので、その辺を誤解しないようにしまし
ょう!これらは輪廻する間の縁起による繋ぎ的な存在でしかないからなのです。
私の間違いでなければ、要するに木村博士がいいたいことは、「業」そのものに輪廻として情報を伝承す
る作用があるのだということだろうと思います。これは何も変わった見解ではなく、業そのものが輪廻すると
か、業は輪廻において情報を伝達する力(作用)があり、それを業と呼ぶといった説明があることはすでに
知っています。
私が述べた、『因縁に拠りて起生し、因-縁-果-報(因)-縁-果-報(因).....と続いていく、その展開していく
作用(力)が「業」(カルマン)であり、この関係性を「業報」という。 こうして輪廻することから「業報輪廻」と呼
んでいる。』(前スレ452)とは、このことをいっています。
まっ、否定派には業報も関係ないそうですが・・(業報を無視して一体、どこが仏教なのか!!)。