08/12/19 00:12:45 0eKvzg5n
>>497-498
>「永久不滅の境地」に執着するのも、生の機能としての煩悩です。それに、すべてが空で無常なのなら、
>その「永久不滅の境地」も空で無常でなければ、論理は全く一貫しません。
>オウムは、中村氏の影響を受けたと言われるが、それがその引用のあたりなのですか。
「すべてが空で無常なのなら」でいう「すべて」とは?「諸行無常」での「諸行」とは?「諸法無我」での「諸
法」とは何か?「一切皆空」での「一切」とは何か?これらは解脱すべき世界における「すべて」と「一切」の
ことです。
ですから、解脱した境地ニルヴァーナとは「永久不滅」であり、その存在である仏陀を「不死」(肉体的に
今生で死なないという意味ではない)というのです。世俗の事象のように「滅びて没することはない」のです。
古代インドの思想は全て唯一なる実在の探求を説くものであり、その方法論が違うだけなのです。「実在」
は「空」とはいわない。
オウムが中村氏による解説の影響を受けたとか、私の説明がオウムに似ているという意見がここで何
度か出ました。それは原始経典を学び、基本部分においては同一の理解に達してるからに他なりません。
「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
>「物事に執着するな」と言ってる。「輪廻転生」や「解脱」や「永久不滅の境地」に拘ることは、
>最大の執着ではないのでしょうか。
執着したら何でもダメでしょうが・・しかし、修行というのはそれ自体からして、元々が拘りの行為ですよ!
その拘りがなければ、「戒律」を自身が保持することすらできないでしょう。。「輪廻転生からの解脱」と「永
久不滅の境地」の仏教の目指す目的ですから、しっかり見失わないようにすべきです。