08/12/18 20:53:11 P4usWi/Q
いいかな、もうそろそろ口をはさんでw
つまりは世俗こそが因果と縁起と輪廻の世界であるということを
わかりやすく書いたつもりだったんだが。
おまえさんの身体は、こないだ食べた、誰かが殺した牛の肉のハンバーグと
ライスとポテトフライのつけあわせなどを材料に構成された
物質のカタマリとして存在しているにすぎないのに、
そこに「個がある」と思い込んでいるだけなのではないかと。
ところで机氏にいささか質問。
>>508 名前:机龍之介
>人間が死にますと感覚器官・認識器官が機能しなくなりますから、
>縁生しようがない。
>つまり縁起しなくなりますから、
>そこで全てが終了します。
>世界と我は一如ですから。世界も寂滅します。→ここが唯物論とは違うところ。
これでは危険な「独我論」のニオイがぷんぷんしてくるが、
「個」が死んでも世界までなくなりはしないはず。
また、道元は時間というものを「一如」として捉えていたからこそ、
「われを丈六金身にあらずとのがれんとする、またすなわち有時の片々なり」
「生も時なり、仏も時なり」
などの「有時」の発想がでてくるのでは。
丈六金身も凡夫のわれも、「時々のあらわれの分別」であって、
その本質において「一如」であるがゆえの「悉有仏性」なのでは。
ま、いちばんききたいところは
「人間(個)が死んで感覚器官・認識器官が機能しなくなったら、そこで全てが終
了」って、ホントですか、ってこと。