08/12/18 14:15:40 6ZNv41I4
>>509
横レスだが、人間界は徹頭徹尾共同体だから、その共同体の不特定多数の成員
がほぼ共通に知覚できる対象を「実在」と仮設し、その知覚主体は、「生命」
という相対化は不可能なもの、知覚の対象にはなり得ないものだから、無我・
空とする、でよいのではないでしょうか。
「我」は、共同体における他者が知覚してくれない限り、実在ではないのです。
この意味で、デカルトのコギトは誤り。
従って、「実在」とは、知覚に基づく仮説だが、その知覚主体は、無我・空。
よって、結局は、「実在」も空となる。
「無であるが、無ではない」というのが、「色即是空・空即是色」の意味だと
思います。
人間存在の「共同体性」を考慮しない限り、何の結論も得られないと思います。