08/12/18 12:22:40 TDsnVxil
>>504
>勝義というのは、実在論の無明から解き放たれた本来、真実の状態とい意味です。
>ですから、『勝義空性経』で「因があり果があり、主体はない」と説かれるのです。
>この考え、見解は、仏教の根本概念なので、これが分からないとどうしようもないです。
主体はない。というても、感覚器官・認識器官はあるわけで、
その器官自体には主体がない。といふことですね。
縁生ありて仮設の我としての自覚を生じせしめる。
つうことやにご理解なされては如何でせうか?
即ち、縁生即我とあいなりますから、主体としての我はない。→無自性
つまり縁生が第一義でありますから【第一義空】になります。
【我は二義的】になります。→これが世俗諦。
人間が死にますと感覚器官・認識器官が機能しなくなりますから、
縁生しようがない。
つまり縁起しなくなりますから、
そこで全てが終了します。
世界と我は一如ですから。世界も寂滅します。→ここが唯物論とは違うところ。