08/12/18 00:25:45 07eOFKWe
AがBに生まれ変わったとしましょう。Aが過去世において犯した悪業は、当然
その報いが今世においてBに降りかかり、全く関係のないCさんにおこることは
ありません。これが業報思想です。さて、この場合、AさんとBの同一性を確保
するものは何ですか? BさんとCさんの違いを識別するものは?
このように、業報思想というのは、あくまでも『個』の概念を導入しなければ
成り立ち得ないものなのです。(当たり前ですよね。Aさんの犯した悪業の報い
がCさんに降りかかったのでは、たまったもんじゃありません。)
あなたが、「主体」を否定したとしても『個』をなりたたせるもの(少なくとも
それは自他の識別可能な属性を有するものでなければ、なりませんが) を
認めなければ「業報思想」は、全く成り立ちません。
今まで議論した「肯定論者」たちの表現を借りると、輪廻するものは
「意識である」 「実体のないもの」 「物質を超えたもの」
など、様々でしたが、そのネーミングは例え何であっても、あなたの否定
する何かしらの「基体」を仮説しなければ、業報思想は崩壊します。