08/12/08 11:03:40 Cuk8nH3s
---5さんへ
>>15
>その論拠は129、132(前スレ)などで、あげましたが、その反証は全くなされておりませんね?
*132-1 確かに1123が最古層仏典のなかでは最も輪廻を想定させるところですがそれもその文の趣旨
はあくまで「妄執をすてよ」ということであって輪廻思想を説くことが目的でないのは、明らかです。
*132-4 輪廻を想定させる記述も輪廻思想そのものを説く趣旨のものはなく「妄執をすてよ」と説く文の中
で見られるのみ。言い換えると修行への動機づけに使用されたものと考えられる。
*129-4 最古層には輪廻思想そのもを説く目的とみられる文がない。
「それ故に、ピンギヤよ、汝は怠ることなく愛執を捨てて、再び生存状態に至らないようにせよ。」
(スッタニパータ1123)
見解についてはもう述べたと思います。では、もう1度です。
これについて、5さんが何故そういう読み方をするのか私は理解できません。そのような印象を受けるの
は、輪廻からの解脱は否定的な表現で述べられているからでしょう。分り易くいうと、「輪廻から解脱しよう
!」「ニルヴァーナに入ろう!」というような肯定的表現ではなく、「再生しない」「生存を受けない」といった
否定表現だからだろうと思います。ここには嫌なものに対する意識がそのまま現れている。言い換えれば、
生存は苦であるとするゴータマの基本的な意識がそのまま表現されているといえるのです。
妄想を捨てるのは何のためか?そんなことは解かりきった話です--要するに「再び生存状態」戻らない
ようにするためです。だから、あくまでも「目的」は輪廻からの解脱であり、そのための「方法論として妄想
の破棄」について述べているのです。仏教の教えは全部そうだと思います。