【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!2【決着】at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!2【決着】 - 暇つぶし2ch420:神も仏も名無しさん
08/12/16 20:58:07 KWkEz3kV
>>419
なるほど。

それでも、心に平和の縁が芽生えるといいですね。

421:神も仏も名無しさん
08/12/16 21:17:56 zbJ6l8Ix
>>417-420
あはは・・
支離滅裂のレスが並んでますね

反論に窮すると感情的な人格批判しか出来ないクリ達と反応がそっくり
なのが不思議ですなw (笑

「人の悪口を言わない」と言う戒が、確かオウムにはあったと思ったけれど・・
汚い言葉や悪口を言い戒を破ると、来世は醜男・醜女に生まれるとか言ってたらしいなw

もはや、君達のレスの信憑性はナシ!!


422:神も仏も名無しさん
08/12/16 21:20:41 zbJ6l8Ix


■今の日本の現状を見ても明らかなように、 宗教を利用したがっている人間は沢山いますよ。
釈尊入滅後100年を経て経典は編纂されましたけど、この約2400年の間にはそういう輩
もいたわけで、書かれていても鵜呑みにはできませんですね。(釈尊が空中を飛ぶ話もある)

  
// |ヽ\
 / / | ヽ 人
 ^Y⌒Y⌒ (__)
    ||,∧(____) 
    ||;;;;::::・∀・:;ヽ  <■ もちろん、全ての宗教は本質的には【マイコン】【洗脳】 から切り離せない。■
   ,Jl;;;::::;;;:::::::;;;:;;;:ヽ
.   /;;⊂::::▲ ▲ ▲ヽ
   i;;;::::::;;" .▲ ▲ ▲.i  
   |;;;;;:::::i        l
   .ヽ;;;;;;;      /
    .\;;;;;;;;;;;:::::::/


*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。  
 しかしながらこれらのことが、全て「般若心経」に説き明かされておるんです。
 驚きました!★☆




423:神も仏も名無しさん
08/12/16 21:25:31 zbJ6l8Ix


■ 「色即是空・空即是色」 ■

「この世は、人間の目に映じただけの世界だから、空かも知れない。

しかし、その世界こそ、人間が現に生きている世界、生きるべき

世界なのだ」。大いなる 『現実肯定』 である。☆★




424:神も仏も名無しさん
08/12/16 21:34:02 KWkEz3kV
>>421
私は、誠実に答えてきたつもりですが。

 >>417>>420 がなぜ人格批判や悪口なのでしょうか?

そもそも、このスレは、ブッダは転生を説いたかであって、
輪廻や転生の科学的実証とは無関係でしょう。
つまり、仏教体系ないでの検討のはずが、常識を基準に持ってきて、
経典も読まずに云々されても。


425:神も仏も名無しさん
08/12/16 21:37:55 KWkEz3kV
>>423
そういう意味ではありません。

色などの諸法は空、実体なく無常・無我であり、
空、実体なく無常・無我だからこそ、色などの諸法は縁起できるという意味です。


426:神も仏も名無しさん
08/12/16 21:50:20 ZdPN3EX4
>>425
>そういう意味ではありません。

御釈迦さんに聞いてきたのですかw。釈迦の真筆はないのだから、真意は
結局誰にも判らないはず。

無常・無我だといっても、「現にある」のは何故?

「縁起」という以上、「縁起の始点」はあるはず。始点が「無」であれば、
そもそも縁起は始まらない。

>>423の解釈のほうが、はるかに合理的。

427:5
08/12/16 21:55:06 /qtBKx3j
久々に来たら前のスレはなくなったのでしょうか?
このスレ主さんは別の方ですよね。

なんか変な方向に行ってますね。
仏教と言うか宗教全般を必要としていない人もおられますが
仏教批判なら別のスレでどうぞ。

「前スレ5」さんとはまさか私のことではないでしょうね?
私の推説はあくまで「釈迦は輪廻思想の受容に積極的ではなかった。
しかし、結果的に仏教は輪廻思想を受容せざるを得なかった」
というものです。付け加えれば「仏教は輪廻思想を前提に思想的発展を遂げた」
ということ。
これは、否定できない事実です。
「仏教は輪廻思想を否定している」と主張すれば釈迦滅後の仏教の歴史を否定することになります。
まあ、そんな馬鹿のことを主張する人はいないと思いますが。

428:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:00:11 PeqmcgZK
>>427
>「前スレ5」さんとはまさか私のことではないでしょうね?

どういうことですか??
話が良く見えません。

429:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:03:51 Htw42/DI
え? 壮大な釣りだったということ?

430:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:08:32 KWkEz3kV
>>426
梵蔵漢の諸伝承からです。諸『般若経』や『般若心経』の諸注釈などから。

>「縁起」という以上、「縁起の始点」はあるはず。始点が「無」であれば、
>そもそも縁起は始まらない。

その始点、基体、本質といった考え方が、アルケーやアートマンであり、
西洋ではギリシャから、インドなどでもどこでも仏教以外では行われる。
本質探求の道、実在論、還元論です。

仏教でもアビダルマや唯識では何かを設定してしまいます。
それが間違いで、始点、基体、本質を設定したとたん縁起は崩壊します。
だから「色即是空・空即是色」なのです。


>>>423の解釈のほうが、はるかに合理的。

合理的といっても、その理が常識では、ただ常識的なだけでしょう。
あくまで比喩としてですが、ニュートン物理や、物質還元主義の方が常識、
つまり、直感に合致しますが、量子力学は常識や直感に合致しませんね。
それでも、量子力学の方が正しいとするのは、なぜ合理的と信じられるのでしょうか?



431:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:09:12 /qtBKx3j
>どういうことですか??
いや、久々に見たら「前スレ5」という方がおられたので・・
私は最初から「5」と名乗っておりましたものですから
てっきり・・・。
まあ「前スレ5」さんと私は別人ですという意味です。

432:前スレ7
08/12/16 22:16:05 ENr7y34E
>>431
君が、【前スレのレス番“5”を書いた人物】なのかい?w

433:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:17:53 BdyiZ+G1
匿名掲示板だから思想さえぶつかり合えばよろしいから、本物偽者論は大した問題ではないとは言いつつも、特定のキャラクターに成りすましてまで論議を展開する所に怨念めいた業の深さを感じる。

434:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:29:02 ZdPN3EX4
>>430
>合理的といっても、その理が常識では、ただ常識的なだけでしょう。

自然科学と思想とは違いますよ。前者は、自然という厳然たる判断基準が存在
するが、後者は、百人百様で、客観的な判断基準は存在せず、あくまで不特定
多数人の思想である「常識」が判断基準になります。常識から著しく逸脱した
のが「狂気」です。

>>423の解釈を否定すべき基準は何ですか。諸注釈が、「釈迦の真意に合致する」
ことの根拠は?

「色即是空・空即是色」は、優れた「存在論」であると思う。「物や世界が存在
するとはどういうことか」を、原理的に解明したものです。

435:前スレ7
08/12/16 22:34:23 ENr7y34E
はいw

そこで、>>343の問いがスレ参加者全員に関わってくるわけですw


(´ー`)y━~~

436:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:36:24 jLKzLdjt
>>434
>あくまで不特定多数人の思想である「常識」が判断基準になります。常識から著しく逸脱したのが「狂気」です。

経典伝統的解釈並びに文献学的解釈は歴史的に多数の学者に支持選択されてきた極めて「常識的」なものである。

437:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:36:48 ZdPN3EX4
>>430
>本質探求の道、実在論、還元論です。

本質とも、実在とも、言っていませんよ。あくまで、「実在の仮定」で
す。それを「空」と呼ぶのです。

すべて「空」なのなら、「色即是空」だけで充分で、わざわざ「空即是色」
を加える必要はありませんね。

>>423の解釈で、不都合な点を、具体的に挙げてください。

438:前スレ7
08/12/16 22:43:08 ENr7y34E
>>437
五感(>>423の場合「視覚(眼根・眼識)」だが)が信じるに足る理由はどこにあるのか?
という哲学的(認識論的?)問題をクリアしてないよねw

(´ー`)y━~~

439:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:58:54 ZdPN3EX4
>>438
そのテストは簡単です。人間は、五感で知覚できる「実在物・現実界」に100%
依存しない限り、生存することが出来ず、生存できなければ、宗教も思考も、その
他如何なる営みも不可能だからです。

釈迦が「眼耳鼻舌身」と、五感を把握したのは、見事ですね。現代の生理解剖学でも、
これら以外の感覚器官はありません。第六感という感覚器官は存在しないw。
但し、最後に「意」を加えたのは、いささか誤解を招く。この「意」とは、
あくまで五感からの入力を統合する脳のことで、五感の一部。観念・思考器官と
しての脳ではない。誤解している方も多いようです。

440:哲氏 ◆FVy0/WJrcA
08/12/16 22:58:59 akbzEsJu
シャカの時代でもそうだが、古代インドでは伝承文化だった。
経典に関しても聞いたものを暗記して伝えていったのである。

経典がサンスクリスト語によって書かれたのは、シャカが入滅した後だったのである。


441:神も仏も名無しさん
08/12/16 22:59:18 KWkEz3kV
>>434
それはデカルト的ですね。

思想も文献や伝承に基づく限り、百人百様ではないでしょう。
文献や伝承も無常ですから、揺れ揺らぎはもちろんありますが、
ありえない解釈も当然あるわけです。

このスレにプラマーナはありますか?

>「この世は、人間の目に映じただけの世界だから、空かも知れない。
>しかし、その世界こそ、人間が現に生きている世界、生きるべき
>世界なのだ」。大いなる 『現実肯定』 である。☆★

色=諸法を「この世」と言い換えるのはありでしょう。
「空かも知れない」というのはありえません。
ruupam zuunyataa zuunyataiva rupam
というのは、断定の色と空性の一致を説いているからです。
「しかし」という接続詞は、ありえません。こういったない接続詞の付加は文意を変えるためによく付加されます。
後半は、空こそがこの世なのだとなるはずで、
「その世界こそ、人間が現に生きている世界、生きるべき世界なのだ」というように解釈できる文は全くありません。

『般若心経』にも『般若経』にも諸注釈にもです。

注釈の正当性の根拠はありませんよ。長い伝統の中で批判に耐えてきたものですから、
蓋然性が高いと思います。

>「色即是空・空即是色」は、優れた「存在論」であると思う。「物や世界が存在
>するとはどういうことか」を、原理的に解明したものです。

もちろん、私もそう思いますがあなたとその意味が一致してるかどうかわかりません。

442:前スレ7
08/12/16 23:07:53 ENr7y34E
>>439
甘いなw

なぜ、100%依存できるんだい?
映画「マトリックス」は洒落じゃないぜw

>五感で知覚できる「実在物・現実界」に100%
>依存しない限り、生存することが出来ず、生存できなければ、宗教も思考も、その
>他如何なる営みも不可能だからです。
これを担保するのは何?

>この「意」とは、
>あくまで五感からの入力を統合する脳のことで・・・・・・・・
その『入力』からして怪しいでしょ?w その入力の“確かさ”は何によって担保されているのでしょう?

(´ー`)y━~~



あ、ちなみに、
(仏教的には)「意」こそが「第六感」ですよ。
御間違えなくwww

443:神も仏も名無しさん
08/12/16 23:20:56 KWkEz3kV
>>439
素朴実在論の信仰表明ですね。


444:神も仏も名無しさん
08/12/16 23:22:25 ZdPN3EX4
>>442
>これを担保するのは何?
そのあなたの書き込み自体ですw。

> その入力の“確かさ”は何によって担保されているのでしょう?
現代の生理学における観察・実験が、担保している。

>(仏教的には)「意」こそが「第六感」ですよ。
御釈迦さんのミスだと思う。第六感と言う感覚器官はありません。
「眼耳鼻舌身」に付け加えているのだから、五感の一部、即ち、その統合器官
と解するのが最も自然。現代の生理学とも、完全に一致する。

445:神も仏も名無しさん
08/12/16 23:28:58 ZdPN3EX4
>>443
人間は、専ら素朴実在論で生命を維持しているのだから、信仰とは言えません。

信仰とは、「ないものを、ある」と信じ込むこと。即ち、「妄想」。精
神医学者は、「宗教的信念と妄想とを、実質的に区別するのは不可能」
と言っている。

446:前スレ7
08/12/16 23:42:00 ENr7y34E
>>444
だからwww
442の書き込みが、
(貴方にとっても、書き込んだ私自身にとっても!)確実であることを
担保できるもの(信じるに値すると思わせるもの)は何ですか?
と問うているのです。 貴方は何も答えていないw

>現代の生理学における観察・実験が、担保している。
その“実験”等を信頼できる理由はどこにあるんですか?
と問うているのですw

>御釈迦さんのミスだと思う。第六感と言う感覚器官はありません。
ほうw
では、貴方は、「喜び」や「悲しみ」、或いは「同情」「憐れみ」「優しさ」、
或いは「概念」「思想」「考え方」「世界観」「思い出(記憶)」「希望(未来予想図)」等等は
感じない・見ない・思考に登ってこない、ということですね。
よく解りましたwwwww

447:神も仏も名無しさん
08/12/16 23:45:20 KWkEz3kV
>>445
「色即是空・空即是色」がテクスト的に>>423の解釈がありえないことは
納得していただけましたか?

ちなみに私はテクストの諸伝承を自分で検証して解釈してます。
あなたは、精神医学者や生理学の説を信仰しているのではないのですか?
それとも自分で検証した結果ですか?

>信仰とは、「ないものを、ある」と信じ込むこと。即ち、「妄想」。

これは通常の言語習慣とは違う用例ですね。
言葉の意味を変えて使うのは詭弁ですよ。
私が言った意味は、自分で検証することなく無批判に信じてるという意味です。

448:独白
08/12/16 23:46:08 bLe/mMIu
 ブッダは、より良く生きるための方便として、世俗民衆に対し
『物語』としての輪廻転生を利用して説いたということになっている。
それは本質的にジャータカ物語と変わらない。ジャータカはおとぎ話だが他はすべて『真実説法だ』など何の根拠もない。

教育レベルとして無学文盲の当時の民衆にもおとぎ話を説くことが必要なのだ。
被征服民族のシュードラたちがまともな教育を受けていると考えることは完全な誤謬だ。
物語に真偽を問うこと自体がナンセンスであるにもかかわらず、経典にその『かたち』が説かれているということで、
輪廻転生論を真実・事実・自らの世俗『論理』的倫理的根拠と妄想するのが、宝珠愚者をはじめとするその他大勢の外道連中なのだ。

言っておくが、当時ブッダのもとに出家したほとんどが高等教育を受けた金持ちエリートの子息だったということは注意しておく必要がある。
だからブッダは彼らのためには、キチンと勝義第一義空経を説いている。

『前後ありといえども、前後際断せり』(道元) 
道元も判っているのさ。
三世両重因果『物語』と、『古仏心』の根本的な違いを。
盲目の徒には観えないだけだよ。



449:前スレ7
08/12/16 23:50:37 ENr7y34E
>>447
>自分で検証することなく無批判に信じてるという意味です。

素晴らしい発言ですね。
「信仰を捨てよ」という時の「信(信仰)」は、この意味で受け止めるべきなのでしょうね。
また、「未信者に信を生ぜしめ(起こさしめ)、既信者に信を増大せしめ」と言われる時は、
【自らの頷き】の上に生じる「信」を指しているのでしょうね・・・。

450:神も仏も名無しさん
08/12/17 00:02:18 1gIH897P
>>449
>>自分で検証することなく無批判に信じてるという意味です。

その検証力、批判力自体を奪うのが、まさに宗教なのです。特に、「ないもの
を、ある」「あるものを、ない」と「信じ込まされた」場合には、検証や批判
は全く不可能になります。

451:神も仏も名無しさん
08/12/17 00:05:25 CyUTm2xj
>>448

あの『律』読まれたことありますか?
『律』は出家者のみに説かれた教えです。
そこにジャータカと同じ過去の因縁が何度も説かれます。
輪廻方便説はなりたちません。

『勝義第一義空経』=『勝義空性経』は、主体がない空・無常・無我である
ことを説いたのであって輪廻を否定しているわけではありません。
何度も言うように現在、無我なのに個体として縁起しているように、
無我でも縁起して輪廻するんです。
『勝義第一義空経』は、パーリには伝承されず、有部や大乗で盛んに
引用されますが、当然、全て輪廻を前提とした論書に引用されていることが
その根拠となるでしょう。

道元禅師も輪廻を前提とされていたことも、
『正法眼蔵』「深信因果」

0295a26: 龍樹祖師云ク。如キハ外道人ノ。破スレハ世間因果ヲ。
0295a27: 則無今世後世ヲ。破スレハ出世ノ因果ヲ。則無三寶
0295a28: 四諦四沙門果 アキラカニシルヘシ。世
0295a29: 間出世ノ因果ヲ破スルハ。外道ナルヘシ。

以上で納得できなければ、こちらで「深信因果」全体をご覧ください。
URLリンク(21dzk.l.u-tokyo.ac.jp)

452:前スレ5
08/12/17 00:06:28 bZrYtSpi
えーと、まず少し勘違いされている方がおられるみたいですので
>>427 >>431 さん  書き込みの内容から推察しますと、あなたは
前スレで38のナンバーを付けていた方なのでは? 釈迦在世当時の状況
などを解説してくださった方なのでは? と思いますが。
おそらくナンバーを誤認されてるとおもいます。

453:前スレ7
08/12/17 00:09:23 CRhhSKf7
>>450
貴方はID:KWkEz3kVでしょう?w

貴方(方)が 『>現代の生理学における観察・実験』 を信じる理由と、
(宗教等の)『伝承・言い伝え・教え・知識』を 信じる理由との違いを聞いているのですw

或いは、『学校教育で教わることを信じられる理由(→「教師自身が、教えるべき事柄を信じている理由」)』とは何か?
という問いに変換してもいいですよw

454:神も仏も名無しさん
08/12/17 00:14:36 CyUTm2xj
>>449
>「信仰を捨てよ」という時の「信(信仰)」は、この意味で受け止めるべきなのでしょうね。

そうですね。仏教以外の邪見への信を捨てよという意味だと思います。

>また、「未信者に信を生ぜしめ(起こさしめ)、既信者に信を増大せしめ」と言われる時は、
>【自らの頷き】の上に生じる「信」を指しているのでしょうね・・・。

いえ、仏教では信は重要ですから。三宝に対する信という意味でしょう。
分かっていても、ツリですか?

>>450
>その検証力、批判力自体を奪うのが、まさに宗教なのです。特に、「ないもの
>を、ある」「あるものを、ない」と「信じ込まされた」場合には、検証や批判
>は全く不可能になります。

宗教もそうですが、科学や常識も同じようなものでしょう。
それが分からないと話になりませんよ。

455:前スレ7
08/12/17 00:14:52 CRhhSKf7
あ、IDコピペをミスったかもw

>>453は、ID:ZdPN3EX4宛であるべきかもしれない・・・。

申し訳ない・・・ orz

456:前スレ7
08/12/17 00:20:23 CRhhSKf7
>>454
>分かっていても、ツリですか?

いいえ。
私は、449のように考えています。
梵網経や沙門果経で述べられる「戒」や「果報」は、ここに直結するものだと考えています。
また、(随犯随制と言えど)律(或いは学処)制定の理由や長老たちが律の護持を選んだ理由とも絡めれば、
尚更449として受け止めるべきだと考えています。

457:前スレ7
08/12/17 00:28:32 CRhhSKf7
>>456補足:
仏典のテキスト的(原本的)読みとして「こうである」という書き方をしていない点に留意されたし。
現代に生きる我々が「どう受け止めるか」という立ち位置での449及び456と読んで下さい。

テキスト的(教義的(≒文献学的)・教団的・サンガ的)には、454のように、
「釈尊の教え及び釈尊の弟子としてのサンガに対する“信”」と読むべきだろうとは思います。

458:前スレ7
08/12/17 00:37:57 CRhhSKf7
>>457へ更に補足:
尤も、 >「釈尊の教え及び釈尊の弟子としてのサンガに対する“信”」 と言いながらも、
その「信」を担保するのは【頷き(納得)】であろうとは思いますが・・・。
(ここが、>>438とも微妙にリンクしてくる部分なわけですがね・・w)


おやすみなさい  ノシ

459:前スレ5
08/12/17 00:57:05 bZrYtSpi
>>411 結局、最後はこれですか。>>378>>381 にも、何も反論できず
切れて「あなたが理解できないでもかまわない。」  「あなたに信じて
もらう必要はない。」 と、オカルト信者が最後に言う決まり文句で一方
的に議論を打ち切って逃走。 411の回答も見れば解かるとおり、何の説明
にもなっておらず、関係のないことを書いてごまかす。
ヒステリックになるのも、わからんこともないですが、もう少し、冷静に
自分を見つめることをお勧めします。

460:前スレ5
08/12/17 01:10:43 bZrYtSpi
それではお尋ねします。IDが変わってしまい、解かりにくいのですが
昨日の ID:KWkEz3kV さん   最も基本的なことからお聞きしますが
あなたは、この「輪廻するもの」を何であると考えておられるのですか?
スマさんは「心」であると言い、さらに一般的、回答でいいますと
「霊魂」 「魂」  「アートマン」 などもありますね。
ここは、「無我論」などによる肯定派、否定派の論点になる重要ポイント
であると思われますので、解説よろしくお願いします。

461:神も仏も名無しさん
08/12/17 01:59:30 1gIH897P
>>447
>「色即是空・空即是色」がテクスト的に>>423の解釈がありえないことは
>納得していただけましたか?

テクストがどうあれ、意味としては全く納得できませんね。それでは、「空即
是色」を何故加えたか、その追加の持つ千金の意味が、明らかにはなりません。

般若心経は、「空」と「色」とを、「同じ比重で」取り扱っている。「色不異空」
「空不異色」。「すべて空」と言ってるわけではない。

従って、「色」としての人間からは、「現実肯定」と考えても、ちっともおかしく
ないばかりか、むしろ、そう解釈すべきだものだと考えます。

ある仏教学者は、現代では、「空即是色」がより重視される、と言っています。

462:前スレ5
08/12/17 02:06:25 bZrYtSpi
さらに疑問。業報思想というのは、明らかに「個」の概念を前提としてますよね。
Aが今世で行った悪業が来世において、Aとは全く関係のないCに、その報いが
降りかかることはなく、Aと何らかの同一性を確保できるB(すなわちAの生まれ
かわり)に、その結果が生じる。 ここでは『個』の概念を認めなければ、そもそも
論自体が成り立ちませんね。
しかし、仏教には「無自性」 「空」 「一如」  などの「個」を否定する思想
もあります。 果たしてこれらの思想と業報思想は両立し得るのでしょうか?

463:神も仏も名無しさん
08/12/17 02:26:07 1gIH897P
>>454
>宗教もそうですが、科学や常識も同じようなものでしょう。
>それが分からないと話になりませんよ。

宗教と、科学や常識との区別もできないのでは、それこそ話にならない。頭の良い
中学生にでも分ることです。

端的に言えば、前者は、当該宗教内部だけにしか通用しない。後者は、全人類的に
通用する。

464:神も仏も名無しさん
08/12/17 08:45:09 EeQmpUNI
>>463
>端的に言えば、前者は、当該宗教内部だけにしか通用しない。後者は、全人類的に通用する。

ほんとに・・・自分達の滑稽さに気づかないのは哀れ~w

宗教に嵌ると確かに盲目になるなぁ、レスによく現れている
盲信とは良く言ったもの、大真面目で説くから吹く(笑


465:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/17 09:13:59 il2hyZLz
>>451
>道元禅師も輪廻を前提とされていたことも、
>『正法眼蔵』「深信因果」

僭越ながら、拙者が解説いたします。
(こういふことも全て般若心経に書いてあります)

因果の道理は重要である。→これが世俗諦です。
しかしながら、これに囚われておったなら悪趣に堕してカルトに嵌るだけです。
ってことが書いてありまして、
この道理を超越する。→つまり彼岸に至る。→これが深信因果です。

図式にすると解り易いです。

色即是空。
不落因果(色)→不昧因果(空)
空即是色
不昧因果(空)→深信因果(色)

ですから、あくまでも還滅した意での因果であるわけです。
          (つづく)

466:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/17 09:19:34 il2hyZLz
(つづき)
これは浄土門でも同じです。

阿弥陀如来に帰依して・・・いつかは彼岸に至ります。
(これが色即是空)
彼岸に到れば、筏(いかだ)である阿弥陀如来は必要がなくなりますが、
それでもなお阿弥陀如来に帰依する。
(これが空即是色)

禅門でも浄土門でも、最終的には現実に生きることの重要性を説いている。


467:神も仏も名無しさん
08/12/17 11:48:19 Sh9JPext
>>460
自我は無いが愛を因として再生ありと説くのが釈説である。
命身一異の論難は無記とするが釈説のあり方。
それを難詰した弟子に対する答えが矢の喩えである。
よって命身一異を以って問いを立てるスタンスがすでに仏弟子のあり方ではない。
よって、これは愚問である。

468:独白
08/12/17 12:42:16 i7t37kao
>>451
再掲
『前後ありといえども、前後際断せり』(道元) 
道元も判っているのさ。
三世両重因果『物語』と、『古仏心』の根本的な違いを。
盲目の徒には観えないだけだよ。

物語を破って、古仏心に至らせることが道元の本懐。
これを道元は以下のような奇跡的な言語表現で示している。
『このゆえに、花開の万木百草、これ古仏の道得なり。古仏の問処なり。
 世界起の九山八海、これ古仏の日面、月面なり。古仏の皮肉骨髄なり。
 さらに又古心の行仏なるあるべし。古心の証仏なるあるべし。古心の作仏なるあるべし。
 仏古の為心なるあるべし。
 古心といふは、心古なるがゆえなり。
 心仏はかならず古なるべきがゆえに、古心は椅子竹木なり。』(正法眼蔵「古仏心」)

 チンケな輪廻転生論など入る余地がない。 

469:神も仏も名無しさん
08/12/17 14:39:11 wTio8ib6


■ 輪廻転生は外道の思想? 
道元は輪廻転生を外道の思想と云っていますが、それは何故でしょうか?■

URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp) から抜粋

日本では輪廻を仏教の考え方とする向きがあります。
確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。
どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。
したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。

しかし、多くの経典が一度に日本に伝来したわけで、当時の日本人はそのあたりの事情を理解し得なかったため、
輪廻を仏教の教説と勘違いした人も出てきたわけです。

日本人にとっての「とらわれ」は輪廻ではなく、「黄泉の国」や「冥土」だったわけですから、輪廻については日本人
には不必要だったといえるかもしれません。

また、江戸時代に出家修行を旨とする宗派においては、民衆に説くべき教えがないため、「悪いことをすれば地獄
に落ちるぞ」というような道徳的なことを説く際に利用されたのも事実かと思います。

ちなみに極楽浄土などの「浄土」という概念は、本来はあらゆるとらわれから解き放たれた状態を指すのであって、
輪廻ではありません。



470:前スレ5
08/12/17 15:11:55 bZrYtSpi
>>467 え~と、まずあなたが、私が>>460 でお尋ねしたID:KWkEz3kV さん
なのかどうか、わからないのですが(IDが変わると判別が困難です)
レスを付けていただいたので、返信します。

あなたは、>>460での私の問いを「愚問」であると断定しておられましたが
そうでは、ありませんね。 問いを発する相手次第ですね。

死後の世界について、断見、常見いずれにも偏らない中道のひとに
この問いを発すれば、それは愚問でしょう。しかし、「自ら来世、生まれ変わり
業報などを主張する人」 に対しての問いであるなら十分、意味を持ちます。

Aから、その生まれ変わりであるBへと何が連鎖したのか?
AとBの同一性を確保するものは何か?
来世、生まれ変わり、業報を主張する人は、このような問いに「無記」
とするわけにはいきません。当然、説明を必要とします。
「BがAの生まれ変わりである根拠?そんなもの考える必要はない。
ただ、間違いなくBはAの生まれ変わりなんだ。」
このような主張が成り立たないのは明らかですね。
「自ら輪廻業報を肯定」するのならば、避けて通れない説明です。

「毒矢の喩え」は、『死後のことなど、現時点において、いかように
論じようとも結論の出るはずもない形而上の課題について無駄に
時間を費やすよりは、もっとするべきことがあるでしょ?修行に
励みなさい。』  これが釈迦の真意では?

よって、この場合の引用は意味がありませんね。


   

471:神も仏も名無しさん
08/12/17 16:41:11 w68sE9oW
>>468
キリスト教とは全く異なり、仏教は、そうやって、直ちに「人間と自然」に
立ち返ることが出来るのは、さすがですね。

キリスト教的な神でさえ、キリスト教より仏教のほうがよく把握している感じ。

道元は、「世界最大の思想家」であると評価する人もいます。

472:神も仏も名無しさん
08/12/17 16:46:30 CyUTm2xj
>>456
失礼しました。【頷き(納得)】を「躓き」と誤読したもので。
深い理解ですね。以下を説明していただけるとありがたいです。

>梵網経や沙門果経で述べられる「戒」や「果報」は、ここに直結するものだと考えています。
>また、(随犯随制と言えど)律(或いは学処)制定の理由や長老たちが律の護持を選んだ理由とも絡めれば、

>その「信」を担保するのは【頷き(納得)】であろうとは思いますが・・・。
>(ここが、>>438とも微妙にリンクしてくる部分なわけですがね・・w)



473:神も仏も名無しさん
08/12/17 16:49:54 CyUTm2xj
>>460
その点については何度も説明しているのですが。

現在、あなたの心身がありますよね。その主体は何ですか?



474:神も仏も名無しさん
08/12/17 16:51:42 CyUTm2xj
>>461
もう、話あっても無駄でしょう。
お互い、時間を有効に活用しましょう。
ということで、終了ということでよろ。


475:神も仏も名無しさん
08/12/17 16:58:54 w68sE9oW
>>473
「原子の塊」。人間が死んで、灰になっても、その原子は消滅しない
から、自然界を循環する。

これが、最も正確な「輪廻転生」。

反論ありますか。

476:神も仏も名無しさん
08/12/17 17:11:13 CyUTm2xj
>>475
このスレは、仏教の体系内での話でしょ?

それに量子物理学では何かに還元可能な、実在論は否定されたと聞きますが、
違いますか?




477:神も仏も名無しさん
08/12/17 17:22:35 zstLcPgK
>>475
ただの素朴実在論じゃん。仏教は唯物論じゃない。

478:神も仏も名無しさん
08/12/17 17:27:20 w68sE9oW
>>476
>このスレは、仏教の体系内での話でしょ?

仏教の体系では、肝心の自然はカバーできないのですか。仏教の「妊娠」に
ついての叙述を読んだが、驚くべきことに、それは現代の産科学と全く同じ
です。釈迦は、むしろ、優れた科学者だったと思う。「空(関係性)」の
原理は、すべての自然に適用でき、現代の科学や思想・哲学の方向でも
あります。

>それに量子物理学では何かに還元可能な、実在論は否定されたと聞き
>ますが、違いますか?

違うと思います。量子力学でも、粒子が「実在」であるからこそ、その
位置や運動の不確実性を論じることが出来るのです。「非実在」につい
ては、位置も運動も考えることはできません。

量子力学も、まさに関係性の世界です。

量子力学を、「ものから、ことへ」などと称して、宗教の分野に引き込
もうとする極く少数の科学者がいるが、それは上記の理由で誤り。

479:神も仏も名無しさん
08/12/17 19:37:06 CyUTm2xj
>>478
仏教の体系は、物理は肝心ではないのです。
物理を記述することが、まさに毒矢の喩えです。
物理を知っても解脱に役にたたない。
そして知るためには一生費やしても時間がないからでしょう。

仏教のテクストに基づかないものには私は答えようがありません。
なぜなら、常識程度しか知らないからです。
そんないい加減な知識で、推測しても無駄なだけですから。


480:神も仏も名無しさん
08/12/17 20:16:25 wE4DcxAa

輪廻転生やカルマ・天国・地獄・罪・・・等の宗教の教義に精通し勉強している
プロの宗教家達が、エゴのためにそれらを悪用し多くの犯罪を繰り返していること
を見れば、彼ら自からが、教義を全く信じてもいなく軽んじていることは明白な事実。

修行で神通力を持ったと言うならば、現実社会に於いて未解決の難事件、医療・
政治・経済・司法・・・・等、全ての面でその力を還元・発揮し役立てなければ
誰も納得させることは出来ないでしょう。日本はチベットではありませんから・・


481:神も仏も名無しさん
08/12/17 20:23:58 wE4DcxAa


■輪廻はインドにおける「とらわれ」の代表格であり、釈尊はあらゆる「とらわれ」から離れるべきこと

(これを「解脱」とか「悟りを開く」などという)を説きました。☆★☆∵※


      
        *'``・* 。
        | 人  `*
        |(__)  `*。         ※∵☆☆★☆★☆★☆☆∵※
       。∩__)  *          「永遠の生命」「極楽浄土」など求めるのは、
      + (・∀・ ) *。+゚             究極の執着と煩悩で~す。
      `*。 ヽ、  つ *゚*
       `・+。*・' ゚⊃ +゚
       ☆   ∪~ 。*゚
        `・+。*・ ゚


■一度脳に焼きついた観念というのは、そんなに簡単に消えるものではなく、
やがてその観念において自己をコントロールされてしまう。

【宗教の恐ろしさ】とは、これに尽きますね。





482:神も仏も名無しさん
08/12/17 20:58:56 zEVSnhHu
考え方を改めたぐらいで統一的主体がもつ歪みが解消されるならば、だれも苦労はしない。

483:宝珠愚者
08/12/17 22:00:44 bWl7D0El
あのですね!

輪廻転生を否定した経などは一つも存在しない。
だから、在るなら「それを出せ!」と私はいってるのです。
どうぞ、それを出して下さいよ。
般若心経にもそんなことはどこにも書かれていないではありませんか。
ただ単に、読んだ側の「空」に対する理解と解釈に誤解があるだけのこと。

私たちという存在は「空」なのだが、
今もこうして肉体を有して物質レベルでも生存しており、なんと2CHまで利用していると。
これが「空即是色」ということなのでしょう!
「空」だから輪廻転生はない---などというのは全く意味が通らない。
縁起に拠って生を受け、そして死を受け、また再び生存する。
この変化して止まない状態が苦の無常たる世界。

その世界から解脱するのが仏教の説く目的です。
であるから、無常なる「色」の世界から脱した存在である仏陀というのは、もう「空」ではない。
仏陀(ニルヴァーナ意識境)という存在は「永久不滅」なのです。
再び変化して止まない状態ならば解脱とはいわない。
変化して止まない世界など仏教の目指す境地ではない。

これでも、「永久不滅」と「空」との状態の関係を理解できませんか?
まだ分らない??(これは簡単なことなんだけれど・・・)

どなたか、
もっと上手に説明して上げてもらえませんか!

*「輪廻転生など最初から無かったんだ。それはバラモン外道の思想だったんだ。」
 などと、頭の中で理解することが輪廻転生からの解脱なんかじゃないので、
 どうかくれぐれも間違わないようにしましょう!

 「それから、仏教辞典を丸暗記したら解脱--みたいな愚かな理解は辞めましょう。」

484:神も仏も名無しさん
08/12/17 22:28:38 igNgLfzE
>仏教の「妊娠」に
>ついての叙述を読んだが、驚くべきことに、それは現代の産科学と全く同じ
>です。

クルアーンでそうことをやってるのは見たことがありますが、
URLリンク(en.wikipedia.org)
仏教では初見ですね。
出典は何ですか?

485:独白
08/12/17 22:57:38 i7t37kao
>>483
 それはひとえにおまえが愚かだからだ。
 これに尽きる。
 その理由は何重度も説かれている。
 それが観えない、ホントは固執し偏して観ようとしない自らの愚かさに気がつくべきなのだ。
 己自究明とはそういうことだ。
 覆われているのは認識するおのれなのだ。真相ではない。
 『法々は隠蔵せず、古今つねに顕著なリ』

 出来の悪い餓鬼にこれ以上付き合えるほど暇ではない。

 好き勝手におまいのいわゆる輪廻転生してなさい。
 永久に悟れないんだもの、そうするしかないでしょw

                    寝ます

                  


486:神も仏も名無しさん
08/12/17 22:59:13 eglSxERS
>>484
仏教関係の本は多数読んでいるので、どの本だったかは思い出せないし、手元
にもないが、お経からの出典として、書いたあったことは確かです。

妊娠の日数なども、現代の産科学と寸分も異なりません。

487:宝珠愚者
08/12/17 23:27:33 bWl7D0El
>>485
 これは大きな誤解なのです!
 「永久不滅はない」「一切は無常」などと頭で理解することが仏教の目的ではない。この無常なる世界か
ら実際に脱して、永久不滅の境地へと到達することが仏教の目的です。
 「色即是空」ですから、この無常なる世界から脱した境地はもう「空」でもない。これこそが求めるべき唯
一なる実在なのです。無常なる世界を空として理解し、そこから解脱していく。
 まずは、寝てから頭をすっきりしましょう!ていうか--わたしにはこれ以上の説明はできない。


 『インド人はもともと宗教的な民族であったが、・・・人間を含む生類は永久に流転輪廻の生涯を繰返
すと考え、しかもその信仰を切実に身に感じていたのである。・・・このような考えを受けて原始仏教に
おいても、人間が生まれ老い死ぬこと、そしてこの過程を無限に繰返すこと、それを「輪廻」(流転、生死)
と呼んでいた。
 この輪廻の生存は恐ろしいものである。ときには輪廻の生存を、波濤・渦巻など水の動揺のある恐ろ
しい大海に譬えていることもある。この輪廻のすがたを如実に知った人が、ブッダ、目覚めた人(buddha
 仏)である。

 《聖者には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わるということがない。聖者の身体は、永遠の昔から
の永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。今や再び後に生存に入る
ことがない》(テーラ・ガーター:202、スッタニパータ:502)
 一般に修行者は生存からの離脱も願っているのである。修行完成者は《生に赴かない。》(ウダーナ・
ヴァルガ:7)のである。原始仏教聖典の内には、一般に悟り終った人の心境を示すものとして、次の詩
句がしばしばあらわれている。

488:宝珠愚者
08/12/17 23:28:08 bWl7D0El
 《生存はすでに尽きた。清らかな行ないはすでに確立した。為すべきことは、すでに為し終えた。このよ
うなことのために、再び生を受けることはないであろう。》(サンユッタ・ニカーヤ:161、スッタニパータ:82)
 ヒンズー教によると、最高神に帰依することによって再びこの世に生まれることがないようになるという
が、最初期の仏教によると、どこまでも自らの修行と悟りによってこれが達成されると考えたのである。
 解脱した人には現世も来世も存在しないということは、インド一般に諸宗教を通じての理想であり、ジャ
イナ教や叙事詩にも説かれているが、原始仏教はそれを受けているのである。原始仏教で解脱というの
は、《この世における生と死とを捨て去ること》(スッタニパータ:1097)である。

 解脱の境地においては、生死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタニパー
タ:484)である。この究極の境地は、「不滅の領域」、「不滅の境地」といい、あるいは単に「不死」とも称
する。また単に「不老」ともいうのである。

 そして仏教はこのような最高目的に達することを教えているものであるから、仏教は「不死の門」、「不
死の獲得」であり、修行者は「不死の境地を見る」のである。
 生死を超越するということは、また現世も来世も超越するということである。修行者は《この世をも、彼方
の世をも希求することなし。》(スッタニパータ:779)といい、したがって現世のみならず来世にも執着しない
のである。・・・
 《人々は渇にたとえられる妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われている。故につとめて妄執を捨てよ。
そして再び生存状態に戻らないようにせよ。》(スッタニパータ:1120-1123) 』
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)

489:神も仏も名無しさん
08/12/17 23:32:21 CyUTm2xj
>>484
こういったアビダルマ論書には見られますが、経典では見られるかどうか知りません。
タントラにはあるのはたしかです。



阿毘達磨集異門足論 (No. 1536) 0403c17 - 0404a21: 卵■或母胎中若羯剌藍若?部曇若
阿毘達磨法薀足論 (No. 1537) 0505c13 - 0507c24: 吐此識無間於母胎中與羯剌藍自體和合此羯剌藍自體
阿毘達磨發智論 (No. 1544) 0921b16 - 0922b29: 卵■及母胎中羯剌藍?部曇閉尸鍵
阿毘達磨大毘婆沙論 (No. 1545) 0088a16 - 0088b29: 似爲因非不相似如此身羯剌藍位與此身羯剌藍位爲同
阿毘達磨倶舍論 (No. 1558) 0047c23 - 0048a22: 謂母腹中分位有五一羯剌藍位二?部曇位三閉尸位四
阿毘達磨倶舍論 (No. 1558) 0082a23 - 0082b04: 後各有五位胎中五者一羯剌藍二?部曇三閉尸四鍵南
倶舍論實義疏 (No. 1561) 0327b13 - 0327b14: 胎者識所攝持方能成就羯剌藍也阿毘達磨順正理論 (No. 1562) 0335c13 - 0336c20: 動相無別所觀別觀所長羯剌藍等或復芽等説能長業長

490:前スレ5
08/12/18 00:24:13 07eOFKWe
>>473 あなたは ID:KWkEz3kV さん ですね? その前提で 
ID:KWkEz3kV さん の書き込みを再読してみました。

>その点については何度も説明しているのですが。
これに該当すると思われるのは、>>413 の「主体なく縁起して輪廻するのです。」
と >>430 の「その始点、基体、本質といった考え方が、アルケーやアートマンであり、
西洋ではギリシャから、インドなどでもどこでも仏教以外では行われる。
本質探求の道、実在論、還元論です。

仏教でもアビダルマや唯識では何かを設定してしまいます。
それが間違いで、始点、基体、本質を設定したとたん縁起は崩壊します。」

だと思われますが、要するにあなたは輪廻する「主体」を否定されていますね。
あなたが、この『主体』と言う語をどのような意味に定義しているのか、いま
ひとつはっきりしませんが、一般的な意味にとって話を進めます。

あなたは六道輪廻を肯定されておりましたが、各界へ行く「もの」は何なんで
しょうか?「主体」とは、呼べないものなのですか?さらに、

491:前スレ5
08/12/18 00:25:45 07eOFKWe
AがBに生まれ変わったとしましょう。Aが過去世において犯した悪業は、当然
その報いが今世においてBに降りかかり、全く関係のないCさんにおこることは
ありません。これが業報思想です。さて、この場合、AさんとBの同一性を確保
するものは何ですか? BさんとCさんの違いを識別するものは?
このように、業報思想というのは、あくまでも『個』の概念を導入しなければ
成り立ち得ないものなのです。(当たり前ですよね。Aさんの犯した悪業の報い
がCさんに降りかかったのでは、たまったもんじゃありません。)
あなたが、「主体」を否定したとしても『個』をなりたたせるもの(少なくとも
それは自他の識別可能な属性を有するものでなければ、なりませんが) を
認めなければ「業報思想」は、全く成り立ちません。

今まで議論した「肯定論者」たちの表現を借りると、輪廻するものは
「意識である」  「実体のないもの」  「物質を超えたもの」
など、様々でしたが、そのネーミングは例え何であっても、あなたの否定
する何かしらの「基体」を仮説しなければ、業報思想は崩壊します。

492:神も仏も名無しさん
08/12/18 00:45:09 LeSDfSzN
>「業報思想」は、全く成り立ちません。
「果報を享受する主体がなければ、解脱はあり得ない」とジャイナは
刹那滅を説く仏教を批判しますが、あなたならどう答えます?
刹那滅自体あり得ない?

493:brown
08/12/18 00:59:56 lJ9th5X4
>>491
なかなかいいポイントを突いていると思いますね。

でも,そうじゃないんですよ。
「基体」を仮設しなくても業報思想はちゃんと成り立ちます。
生まれる前とか,死んだ後とか考えるから,可笑しくなるんで,
今の自分と,少し前の自分を考えてください。

さて,今「事故」を起こしました。それは少し前の「不注意」という行為に
よって,自らに降りかかったことです。つまり自業自得。
このとき,Aさんの「不注意」という行為が,他人のCさんに降りかかって
「事故」という現在の結果を生み出したということはあり得ません。
しかし,結果を受けた人がBさんであれば,それは,過去のAさんと現在のB
さんは同一人物だということを意味します。
この時間を貫く同一性のことを「責任感」とか「因果応報」という訳です。

一方,上記AさんとBさんの間の同一性を示す存在があるか?ということに
なると,それはあり得ません。当たり前ですが。もしそれをCとすると,
AとCは等しいのか?ということになって,いずれにせよ矛盾してしまいます。
だから,Cの存在自体が棄却されます。

要するに,基体はないが,因果の過程はAからBに連絡するということです。
これはあらゆるこの自然界を通じて見られる普遍的な法則です。

494:brown
08/12/18 01:11:53 lJ9th5X4
>>483
>無常なる「色」の世界から脱した存在である仏陀は、もう「空」ではない。
>仏陀(ニルヴァーナ意識境)という存在は「永久不滅」なのです。
>これでも、「永久不滅」と「空」との状態の関係を理解できませんか?

それはマズイデスネ。
仏陀というのは,「存在」ではなくあえて言えば「概念」なんですよ。
それは永遠不滅です。ちょうど「三角形」という概念が永遠不滅のように。
あるいは「万有引力」という法則も。これらは具体的存在物ではなく,
それ故に無常ではなく,永遠不滅でもあり得る訳です。

一方,「三角形」の概念は,概念である故に永遠不滅であるけれども,
「三角形」を認識する知覚(あるいは体験)は永遠不変ではないですね。
それを考えている時,それを見ている時にのみ,「三角形だなあ」という
認識が生まれます。その知覚は無常。

同様に,「仏陀」という概念は永遠不滅。だけど,「ニルヴァーナ意識境」
など,どのような境地でも,経験でも,知識でも,認識でも,現実でも,
永遠不滅ということはあり得ないですね。はっきりいいます。無常です。
ええ。仏陀は無常なんですよ。

495:brown
08/12/18 01:32:47 lJ9th5X4
では,解脱ってなんだ?無常なら意味無いじゃん!ってことになりますね。

結論から言えば,そうなんですよ。解脱って意味ないですね。輪廻も,
それからの解脱も全く無意味です。だから,解脱なんですね。

輪廻とか,解脱とか,無常とか,無我とか,そういうことを「問題」にして
いる認識,それが根源的な「苦」ですね。人生に常時つきまとう「苦」です。
楽しく食事しているときも,歌っているときも,エッチしてるときも,
仕事に没頭しているときも,今そこで書き込みを読んでいるときも,
出鱈目言いやがってと怒っているときも,そんなこと無意味だと嘲っている
ときも,潜在的にはいつでも,どこでも付きまとっている「問題」ですね。

その「問題」からはどうしても逃れられないですね。ずっと,どこでも,
何処までも付いてきます。それをすぱっと切る。無くす。なくすと,問題
はなくなる。問題がなくなると,問題はない。無いから意味ない。意味なんて
なくていい。

無常でいい。無我で(基体がなくて)いい。因果応報していい。
人生は苦でいい。輪廻していい。解脱していなくていい。そういうことに
なります。全て問題ないからです。意味など問わなくてよいからです。

496:前スレ5
08/12/18 01:39:25 07eOFKWe
>>492 >「果報を享受する主体がなければ、解脱はあり得ない」
残念ながら、これには回答不能です。なぜなら、ここで言う「解脱」
というものを私は、理解していないからです。「解脱」とは「こういうものである」
と比喩などで、よく説明されますが、そもそも言葉による定義自体が
不可能な概念であり、自らの「自覚」以外にはありえません。
よって、この問いに答えることができる者は「解脱」している者だけであり
私は解脱しておりませんので「わかりません」としか答えようがありません。

「刹那滅」については、これは「生滅の同時性による、時間軸における
自己同一性の否定」  と簡単にいえば、このような理解をしてますが
あってますかね? 私の見解としては、あくまでも認識論上のこととし
てですが、十分うなづける認識論であると思いますが。

497:神も仏も名無しさん
08/12/18 02:30:32 +Vx1YVpY
>>487
>この無常なる世界か
>ら実際に脱して、永久不滅の境地へと到達することが仏教の目的です。

その「永久不滅の境地」を認識するのも、解脱という感情(思考・感覚?)も、「生」
の機能です。修行も、勿論、「生」の機能です。人間が何らかの営みをする
限り、生から「超越」することは出来ません。

「永久不滅の境地」に執着するのも、生の機能としての煩悩です。

それに、すべてが空で無常なのなら、その「永久不滅の境地」も空で無常でな
ければ、論理は全く一貫しません。

オウムは、中村氏の影響を受けたと言われるが、それがその引用のあたりなの
ですか。

要するに、すべて生の機能を語りながら、「生死の超越」などと言ってみても
無意味で、矛盾です。

498:神も仏も名無しさん
08/12/18 03:00:26 +Vx1YVpY
般若心経は、要するに、「すべては無」しかし「その無もまた無」と
言っているのではありませんか。「物事に執着するな」と言ってる。

「輪廻転生」や「解脱」や「永久不滅の境地」に拘ることは、最大の
執着ではないのでしょうか。

また、「恐怖」があっては、決して悟れません。仏教から、「輪廻転生」
などの「恐怖」の要素を一掃することが必要です。

仏陀が「厭世論者」であったのなら、現代人としては、それを真似るべき
ではない。人間は、現世以外では、生存できず、従って如何なる営みも
不可能なのですから。

499:神も仏も名無しさん
08/12/18 05:09:03 hM/9Rvjn
神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/27(木) 11:24:30 ID:q6WM0ESh

最近では、伝統宗教が、社会的に非難を受けた「宗教」を「カルト」という言葉で
隔離し、自己を防衛しようとしている動向が見られる。オウムと近隣の住民との
対立を、何と「感情的対立」に矮小化してしまっている。宗教そのものに対する
本質的批判は、全くできていない。激しく批判しているようでも、結局は宗教擁
護と自己正当化に落ち着く。これが宗教自体に共通して内在する「病理」である。

この「病理」は、現実上の根拠皆無な「観念」を一切廃し、「全ての人間に共
通する唯一の普遍の事実」としての、「人間の生物的生存本能(生命)と、そ
の生命を支える大自然(現実界)」に立ち帰らない限り、克服は困難である。☆★

カルトというなら、史上そして現在も、最も多くの人間を、最も残酷な方法で
殺してきたキリスト教こそ、最大最悪の超カルトであることは明らかだろう。
キリスト教に影響され、その要素を真似し、取り入れた他宗教も同様にカルト
である。
最近のチベット暴動で、ヒステリックな反応を示さなかった日本の仏教界の態
度は、仏教者らしいものであった。そもそも、独立運動をやったり、デモ行進
したり、暴動を起こしたりする仏教者がいるのかね。ダライラマが外国で、キ
リスト教やヒンドウー教の影響を受けた結果ではないかと推測する。
ガンジーも、英国留学によって、キリスト教の影響を受けたものと推測される。
彼は、インドの宗教対立を激化しただけ。彼は、インドの最下層賎民を「神の子」
と呼ぼうとしたが、彼らは、ちゃんと「最下層賎民と呼べ」と怒ったそうである。
ガンジーには、キリスト教の臭いがする。

■宗教の病理の克服は、人間や自然からは一歩も離れず、「関係性」という真理を
知る、釈尊の仏教にこそ期待したいのだが。☆★



500:神も仏も名無しさん
08/12/18 08:17:03 wC8tIUnD
>>490-491
輪廻ではなく、現在を考えてください。
例えば、様々な材料が縁起して車と仮設されるように
五蘊が縁起して私と仮設されるだけです。
主体というのは仮設されるだけです。

輪廻の主体も意識とか自相続とか呼ばれますが、
もちろん仮設されるだけで、実体なく無常なものです。
『勝義空性経』とまったく同一の見解です。


501:神も仏も名無しさん
08/12/18 08:46:46 DmlNTzuu
>>483
>輪廻転生を否定した経などは一つも存在しない。
>だから、在るなら「それを出せ!」と私はいってるのです。
>どうぞ、それを出して下さいよ。

自分で原始経典で検証するというスレの方向性を破壊しておいてよく言う。

502:神も仏も名無しさん
08/12/18 09:12:12 7QmHerHn
>>486
>妊娠の日数なども、現代の産科学と寸分も異なりません。

それもクルアーンやハディースを元にした主張として存在します。
もしかしてガチでイスラムネタだったりして。

503:前スレ5
08/12/18 10:27:37 07eOFKWe
>>500 レスありがとうございます。
誤解があるといけませんので、述べておきますが、私は一貫して
「業報思想」の否定派です。

>>490 >>491 の意味は、「もし業報思想を肯定するのであれば、自他の

識別を可能にする属性を有する何がしかのもの、『個』の概念を導入しな
ければ、論そのもが成り立ち得ませんよ。」  という業報思想肯定論者
の論理矛盾を指摘したにすぎません。 私自身、業報思想は全く信じて
おりません。

504:神も仏も名無しさん
08/12/18 11:08:02 wC8tIUnD
>>503
はい、了解してます。並川さんのような説を支持する方ですね。

昨日から伺っているのは、あなたは仏教が無我・空を説くことは認めますか、
ということです。それを認めるなら、現在のあなた自体が無我・空であるように
輪廻の主体も無我・空であることに何も問題ないでしょうということですが。

仏教では実体から個体が認識されるという実在論には立ちません。
「あれがあるとき、これがある」という縁起で諸法個体として仮設されると見ます。
個体を名指しする時は、世間で流通している言語習慣、そのままを用います。
だから「識別を可能にする属性を有する何がしかのもの、『個』の概念」も世間の用法のまま
因果関係に混乱なく、社会や他人とコミュニケートできるのです。
ところが、無我・空というのは世間の用法ではありません。勝義です。
勝義というのは、実在論の無明から解き放たれた本来、真実の状態とい意味です。
ですから、『勝義空性経』で「因があり果があり、主体はない」と説かれるのです。
この考え、見解は、仏教の根本概念なので、これが分からないとどうしようもないです。

あなたの言う論理矛盾は、実在論に立ったものなので仏教では受け入れられません。



505:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/18 11:42:16 uFOioZiw
>>504
>勝義というのは、実在論の無明から解き放たれた本来、真実の状態とい意味です。
>ですから、『勝義空性経』で「因があり果があり、主体はない」と説かれるのです。
>この考え、見解は、仏教の根本概念なので、これが分からないとどうしようもないです。

なかなかいいレスポンですよね。


506:前スレ5
08/12/18 11:58:11 07eOFKWe
>>504 え~と、まず、ややこしいのですが、あなたは
ID:KWkEz3kV さん   なのですか? もし、そうであるなら
それとわかる工夫をしていただけるとありがたいのですが。

レスについて返信しますが、議論がかみあいませんね。
私が言っていることは、あくまでも「業報思想」についてです。
Aが過去世において犯した悪業が今世のBにふりかかる。
それは関係のないCさんにではなく、生まれ変わりであるBさんに
ふりかかる。

これが「業報思想」ですね。例えば、過去に殺人を犯したために
今世において同じような目にあう。
この考えは、もちろんAさん、Bさんの実在を前提として説かれて
います。Aさん、Bさん共に主体はなく、「空」であるならば、
そもそも、このような話をすること自体、まったく意味がありません。
(倫理的要請からくる方便として話すのなら意味があるということも
言えるかもしれませんが)

私は仏教における認識論に異を唱えているわけではありません。
「業報思想」は、あくまで、実在を前提としての話であるから
『識別を可能にする属性を有するもの』 を否定しては論自体
なりたちません。 「業報思想」は、現実に今、暮らしている
我々を実在のものと見做し、それに干渉する思想です。
観念論の範疇に収まる話とは、違ってきます。


507:前スレ5
08/12/18 12:09:01 07eOFKWe
>>504 つまり、あなたの言わんとしてることは
「業報思想は世俗の話であり、言語によるものであって、勝義においては
違う。真理は言語によらぬ勝義にある。」

このようなものですか?
それなら、全くかまいません。「業報思想」は、方便であるというのならば
私は全く異をとなえることはありません。

508:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/18 12:22:40 TDsnVxil
>>504
>勝義というのは、実在論の無明から解き放たれた本来、真実の状態とい意味です。
>ですから、『勝義空性経』で「因があり果があり、主体はない」と説かれるのです。
>この考え、見解は、仏教の根本概念なので、これが分からないとどうしようもないです。

主体はない。というても、感覚器官・認識器官はあるわけで、
その器官自体には主体がない。といふことですね。

縁生ありて仮設の我としての自覚を生じせしめる。
つうことやにご理解なされては如何でせうか?
即ち、縁生即我とあいなりますから、主体としての我はない。→無自性

つまり縁生が第一義でありますから【第一義空】になります。
【我は二義的】になります。→これが世俗諦。

人間が死にますと感覚器官・認識器官が機能しなくなりますから、
縁生しようがない。
つまり縁起しなくなりますから、
そこで全てが終了します。
世界と我は一如ですから。世界も寂滅します。→ここが唯物論とは違うところ。

509:神も仏も名無しさん
08/12/18 12:27:32 wC8tIUnD
>>506
現在のあなたは実在でしょうか? それとも無我・空でしょうか?

これにお答えいただけないようでしたら、無駄なのでお話は終了いたします。

510:神も仏も名無しさん
08/12/18 14:15:40 6ZNv41I4
>>509
横レスだが、人間界は徹頭徹尾共同体だから、その共同体の不特定多数の成員
がほぼ共通に知覚できる対象を「実在」と仮設し、その知覚主体は、「生命」
という相対化は不可能なもの、知覚の対象にはなり得ないものだから、無我・
空とする、でよいのではないでしょうか。

「我」は、共同体における他者が知覚してくれない限り、実在ではないのです。
この意味で、デカルトのコギトは誤り。

従って、「実在」とは、知覚に基づく仮説だが、その知覚主体は、無我・空。
よって、結局は、「実在」も空となる。

「無であるが、無ではない」というのが、「色即是空・空即是色」の意味だと
思います。

人間存在の「共同体性」を考慮しない限り、何の結論も得られないと思います。

511:神も仏も名無しさん
08/12/18 14:51:24 2tW93dPF
>>510
小利口ぶった薀蓄語りたいだけの横レスいらん。
空気読んでだまっとれ。

512:神も仏も名無しさん
08/12/18 14:55:28 6ZNv41I4
>>511
御釈迦さんは、空気読んだかねw。

513:神も仏も名無しさん
08/12/18 14:58:52 2tW93dPF
わかったわかった。
わしもだまるw

514:前スレ5
08/12/18 15:49:04 07eOFKWe
>>509 それは立脚点により、異なりますね。
勝義から観ずれば「無自性、無常、無我、空、すなわち非実在」
でしょう。 私は前にも書きましたが、この認識論に異を唱えるものでは
ありません。非常に優れた認識であると考えております。

しかし、世俗の視点から論ずれば話は変わってきます。あなたが、殺人を
犯し、「自分は空で、非実在である。」と言っても通りませんね。
あるいは「一如であるから、あなたの財布は私のもの。」 なんて言う人
もいませんね。 ここでは、実在を認めないわけにはいきません。

そして「業報思想」は、明らかに「世俗」における話です。
実在を前提としての話です。わかりますか?自説の矛盾点が。
「一如を認めるかぎり、業報思想の出てくる余地はありません。」

誤解のないように申しておきますが
「倫理的要請から、世俗において、そう説いた。」
これなら、私は全く異を唱えるものではありません。



515:前スレ5
08/12/18 16:08:37 07eOFKWe
もう一度まとめておきますね。

あなたは、「主体などない、無我であり、空である」 という『個』
の概念を否定する立場にたちながら、 『個』の概念をその前提条件
とする「業報思想」を肯定しています。 その矛盾を私は指摘している
のです。  「業報思想を肯定するならば『個』の概念を認めないわけ
には、いかないでしょ?」  と、こう言っているのです。
おわかりいただけましたか? 

516:神も仏も名無しさん
08/12/18 16:40:48 P4usWi/Q
前スレ5 >>514 発言の脆弱性。

>しかし、世俗の視点から論ずれば話は変わってきます。あなたが、殺人を
犯し、「自分は空で、非実在である。」と言っても通りませんね。
あるいは「一如であるから、あなたの財布は私のもの。」 なんて言う人
もいませんね。 ここでは、実在を認めないわけにはいきません。

「一如であるから、あなたの財布は私のもの。」という考え方は古くからあった。
むしろ「私の財布は私のもの」との主張は、
植民地時代以降の狭量な近代西洋思想に毒されすぎ。
それによって「みんなの土地はみんなのもの」だったものが、
「あなたの土地は私のもの」と変わった。
また、殺人という特異な例のみを提示して、
さも自分はそのような罪を犯していないかのように思っているようだが、
あなたもまた、日々豚や牛や鶏を食し、菜食としても植物の命を奪い
それによって自らの生命を維持し、
蚊やハエをたたき殺しながら生きてきたのではないのか。

517:神も仏も名無しさん
08/12/18 16:47:49 5tYGvEHN
>>516
今、一番いいところなんだから論点がボケル話題はとりあえず措いて下さいませんか。
いろいろ言いたいこともあるでしょうが、そこんとこ宜しくお願いします。

518:神も仏も名無しさん
08/12/18 16:57:54 wC8tIUnD
>>514
それなら、輪廻の主体は<勝義から観ずれば「無自性、無常、無我、空、すなわち非実在」>ですが
「世俗の視点から論ずれば」意識や自相続と仮設されるとあまり変わりませんね。
これは理解できますか?

「一如」を持ち出したことなどありませんが?

「業報思想」と輪廻も縁起・無我・空もなにも矛盾しませんよ。
矛盾だと思うのは、あなたが理解できてないだけのことです。




519:神も仏も名無しさん
08/12/18 17:09:29 wC8tIUnD
>>515
>>『個』の概念をその前提条件とする「業報思想」

これが誤解の元です。釈尊の「業報思想」は無我・無常の縁起による因果論なんです。
『個』という実体を認めるなら、縁起も空も無我も成り立たないというのが、
『中論』で龍樹菩薩が強調したことです。

なぜなら実体として『個』があるなら、変化せず縁起できないので因果もない。
世俗で『個』は、世間の言葉づかいどおり仮設されて用いられるだけです。

分かりますか?


520:神も仏も名無しさん
08/12/18 17:42:53 LeSDfSzN
このスレでたびたび目撃される誤謬

1.「戯論」を日本語の語感に引きずられ「無駄話」「無意味な議論」だと思いこむ誤り。
2.「世俗」を日本語の語感に引きずられ、「世間的」だとか「一般常識」とかに解釈する誤り。
3・あくまで心の内面である「智慧」についてとかれる「般若心経」の「色」を
  外界の事象と取り違える誤り。

仏教は意行を重視し、心の内面を探求する宗教です。
ですから外界に対しては基本的に言及しないか、無関心です。
業や輪廻を外界の事象ととらえること自体が大いなる誤謬です。
心の中では業も輪廻は存在します。
いくら「そんなのありはしない」と心の中で叫んでもあります。
心がなくならない限り存続します。



521:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/18 18:24:27 uFOioZiw
>>518
>「業報思想」と輪廻も縁起・無我・空もなにも矛盾しませんよ。

そうですね、業報思想とか輪廻は縁において生起しているわけです。
いつ生起するか?といふと今生起してますね。
つうことは、
業報とか輪廻とかは【今においてある】つうことになります。

今においてあっても、将来は先ず生起することはないですから、
今を離れた縁起はない。
つうことになる。

「前後ありとも、前後断滅せり」。by道元
ってのは、そういう意になりまふ。

          <机龍之介・花押>

522:神も仏も名無しさん
08/12/18 18:27:51 wC8tIUnD
これがヒントになると思います。

> URLリンク(www.dia.janis.or.jp)
> サーティという比丘は、「<識は流転し、輪廻し、同一不変である>
> そのように世尊は説かれた」と主張して、皆から、「世尊を誹謗
> してはならない。世尊は<縁がなければ、識の生起はない>と述
> べておられる」と諭されます。(片山一良訳 パーリ仏典中部 
> 大蔵出版 第38大愛尽経から要約)

釈尊は輪廻を否定されたのではなく、識という実体が不変に輪廻するという説を否定されたのです。
なぜなら、それでは縁起にならないからです。
だから、<縁がなければ、識の生起はない>と説かれる。

リンク先の曾我さんは、『勝義空性経』が輪廻を否定すると解釈されるように、
上の『大愛尽経』も輪廻を否定すると解釈しています。あなたと同じ立場ですね。

本来の解釈は以下のようなものです。
これは、私がずっと説いてきた内容に近いです。
業のエネルギーとか科学等を引用しているところは、方便でしょう。
「業が輪廻する」というのは有部説に近いですね。

> URLリンク(homepage3.nifty.com)
> 死ぬ瞬間の業は、その直後に、結生識を生み出します。それが新しい
> 物質(精子と卵子)と結合して、次の「生」を生み出すのです。つまり
> 結生識を主として、新しい名色(心と身体)nama-rupa が生起
> するのです。臨終直後には、このように過去の意業の果が現れるのです
> 。科学者たちは「エネルギーは不滅であり、形を変えながら保持し続
> ける」と言っています。それでは何が生存から生存へと移転
> するのでしょうか? 業ですか、業の果ですか、識ですか?


523:神も仏も名無しさん
08/12/18 18:28:49 wC8tIUnD
> いずれも答えは否です。どれも移転しません。業には計り知れない力
> があります。それが次の生存に影響を与え、新しい「生」を生み出
> すのです。このとき、距離は妨げになりません。
>
> 「識は生存から生存へと移転する」という誤った見解を持つサーティ
> 比丘に、お釈迦さまはこのように説かれました。「愚か者よ、私は多
> くの根拠をもって、縁によって生じる識について説
> いてきたではありませんか。縁がなければ、識の生起はないと」(
> 中部経典・大愛尽経)。 ウィリアム・クルックス卿(William Crooke)
> は、エディンバラ(Edinburgh)の精神科学の講義で、「意業に基づいて
> 心は物質を作り出す。このことがすでに実験で証明されている」と言
> いました。心のエネルギーが別の次元に「生」をもたらします。
> このことを表現するために、便宜上「業が輪廻する」などの言葉を使用
> しているのです。お釈迦さまは「生存から生存へと移転(輪廻)
> するものは何もない」ことを示すため、多くの比喩を用いて説明
> されました。何かが輪廻するのではなく、前の縁が、次の縁に影響を与
> えるのです。膨大な業のエネルギーが、別の世界で形態を作り、識を生
> み出しているのです。


524:神も仏も名無しさん
08/12/18 18:36:58 VHw8TAhi
輪廻転生を一言でいうなら、古代インドの特権階級のアーリア人のバラモンたちが、末代までも体制維持するために考え出された「カースト制度」の為の方便です!

そのルーツは遠く古代バビロニアのニムロデと息子タンムズによる、太陽崇拝ならびに母子崇拝と悪魔崇拝が起源であり、さらに考察するなら
エデンの園で蛇サタンが女を欺く時に言った「汝らは決して死ぬことあたわず、却って汝らの目開きて神の如くならん」の一語に尽きる。ニューエイジの惑わしもこれが起源であります。

525:神も仏も名無しさん
08/12/18 19:46:44 mP/csT7J
>>523
五連の衝突球みたいなもんか。

運動が存在の本質であると見るつうことかしらん。
個から個へと貫いていく勢いみたいなのが因果的存在として続いてゆく・・・。
これなら業報の取りこぼしもないわな。

526:神も仏も名無しさん
08/12/18 20:44:18 avVoKh9F
誰も何も分からないのに何でこんなに輪廻転生に執着するんだろ

527:神も仏も名無しさん
08/12/18 20:53:11 P4usWi/Q
いいかな、もうそろそろ口をはさんでw

つまりは世俗こそが因果と縁起と輪廻の世界であるということを
わかりやすく書いたつもりだったんだが。
おまえさんの身体は、こないだ食べた、誰かが殺した牛の肉のハンバーグと
ライスとポテトフライのつけあわせなどを材料に構成された
物質のカタマリとして存在しているにすぎないのに、
そこに「個がある」と思い込んでいるだけなのではないかと。

ところで机氏にいささか質問。

>>508 名前:机龍之介
>人間が死にますと感覚器官・認識器官が機能しなくなりますから、
>縁生しようがない。
>つまり縁起しなくなりますから、
>そこで全てが終了します。
>世界と我は一如ですから。世界も寂滅します。→ここが唯物論とは違うところ。

これでは危険な「独我論」のニオイがぷんぷんしてくるが、
「個」が死んでも世界までなくなりはしないはず。

また、道元は時間というものを「一如」として捉えていたからこそ、
「われを丈六金身にあらずとのがれんとする、またすなわち有時の片々なり」
「生も時なり、仏も時なり」
などの「有時」の発想がでてくるのでは。
丈六金身も凡夫のわれも、「時々のあらわれの分別」であって、
その本質において「一如」であるがゆえの「悉有仏性」なのでは。

ま、いちばんききたいところは
「人間(個)が死んで感覚器官・認識器官が機能しなくなったら、そこで全てが終

了」って、ホントですか、ってこと。

528:神も仏も名無しさん
08/12/18 21:01:39 VHw8TAhi
ミジンコに生まれ変わるって教えって人間性への冒とく以外の何物でもないような気がする。サタンが考えた詐り惑わしではないだろうか?

529:神も仏も名無しさん
08/12/18 21:05:09 avVoKh9F
経典に書いてある、というだけでそれが「本当のことだ」となる理由を説明したほうがいいね

530:神も仏も名無しさん
08/12/18 21:10:20 avVoKh9F
聖書に書いてある、というだけでそれが「本当のことだ」となる理由を説明したほうがいいね

531:悪寛
08/12/18 21:15:27 jYl5Ld9T
道元は明解そのものに説いている

たき木はひとなる。さらにかへりてたき木となるべきにあらず。
しかるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。
しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。
前後ありといへども、前後際断せり。

灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。
かのたき木は、ひとなりぬるのち、さらにたき木とならざるがごとく、
人のしぬるのち、さらに生とならず。

しかあるを、生の死になるといはざるは、
仏法のさだまれるならひなり。
このゆゑに不生といふ。

死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。
このゆゑに不滅といふ。

          (正法眼蔵「現成公案」より)



532:某ピカ
08/12/18 21:19:18 V3XOf7Ra
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | < 仏教は坊主・学者などの専門家さえ生涯に数回しか
 (〇 ~  〇 |  \  通読できない膨大な経典があるピカ。     
 /       |    骨も節操もない糞宗教と言われてもしょうがないピカ。  
 |     |_/ |                    

533:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/18 21:20:42 uFOioZiw
>>527
>その本質において「一如」であるがゆえの「悉有仏性」なのでは。

悉有仏性でありますら、すなわち即心即仏でありますね。
即心即仏といふのは世俗諦です。
世俗諦でも・・・勝義諦になりますと非心非仏です。

即心即仏と非心非仏は同義です。
(差別相と無差別相の違いだけ)

>「人間(個)が死んで感覚器官・認識器官が機能しなくなったら、そこで全てが終
>了」って、ホントですか、ってこと。

世界といふのは、対象化することにおいて世界といふ名称&形態が成り立つわけで、
対象化できなくば【世界といふ対立は不可ですね】。


534:神も仏も名無しさん
08/12/18 21:23:00 VHw8TAhi
釈迦が死んだのは紀元前の600年頃、小乗の教えを弟子たちが実践、紀元一世紀に妙法蓮華経はじめ多く大乗経典が没後 数世紀を経て、登場。初期の釈尊の教えとは異なり、ゴーダマを久遠実成の永遠の仏に祭り上げ、新たにミダを崇拝、はっきり言って仏教ではない

535:神も仏も名無しさん
08/12/18 21:27:32 YaD3nVdL
仏教はもう終わった宗教ですね。
だからこそニューエイジ、新宗教(HS)が生まれているのですよ。

536:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/18 21:29:24 uFOioZiw
× 悉有仏性でありますら、すなわち即心即仏でありますね。
○ 悉有仏性でありますから、すなわち即心即仏でありますね。

酒気がありますので・・・
寝まふ。


537:某ピカ
08/12/18 21:38:30 V3XOf7Ra
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | < 仏教は言葉遊び
 (〇 ~  〇 |  \       
 /       |      
 |     |_/ |

538:神も仏も名無しさん
08/12/18 22:19:19 qAh30lTz
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | < 聖書は言葉遊び
 (〇 ~  〇 |  \       
 /       |      
 |     |_/ |

539:悪寛
08/12/18 22:44:26 jYl5Ld9T
>>532>>537>>538

チンケ外道が来れる場ではない、散れ。

540:某ピカ
08/12/18 23:01:10 V3XOf7Ra
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | <  仏教は誇大妄想
 (〇 ~  〇 |  \       
 /       |       
 |     |_/ |      

541:神も仏も名無しさん
08/12/18 23:27:03 c2xHrly6
>>540
誇大妄想の典型はイエス。「私は神の子。神の座の右に座る。アブラハムより
前から居た」などという妄想の垂れ流し。完全な統合失調症患者。

御釈迦さんはうつ病だったと思われるが、うつ病は「感情障害」であり、イエス
のような「人格崩壊」には至らない。

542:神も仏も名無しさん
08/12/18 23:32:59 LpXmWSio
>>540
イエスは世界没落体験をした。
分裂病の古典的症例。

543:某ピカ
08/12/18 23:35:20 V3XOf7Ra
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | < 仏教は修行して人間が神より偉くなるとする傲慢宗教
 (〇 ~  〇 |  \       
 /       |       
 |     |_/ |

544:某ピカ
08/12/18 23:41:17 V3XOf7Ra
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | <  乞食修行者になった元王子の教祖が、
 (〇 ~  〇 |  \  世俗を否定するような教えを人々に説いて     
 /       |    厭世観を強めさせ、自分の下に集めて弟子にし、   
 |     |_/ |     真理の(w)王様として再出発したピカ。

545:神も仏も名無しさん
08/12/18 23:42:55 c2xHrly6
>>543
そもそも、仏教は、人間が、「人間を超越した、人間にあらざる空想上
の神」を信じるなどという、人間の身の程を忘れた「倒錯」には陥って
いない。

釈迦は、「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな」と
戒めた。そのため、キリスト教とは全く異なり、仏教は2500年間、
殆ど人を殺していない。釈迦の比類の無い偉大さと先見性というべきで
あろう。

546:承狂 ◆nR84EH8w52
08/12/18 23:44:20 ewLiTq0K
まぁ、偽善者のエゴイストには仏教なんてのは難し過ぎるわな。(笑

547:神も仏も名無しさん
08/12/18 23:52:27 c2xHrly6
>>544
釈迦はれっきとした「王子」だが、イエスは、ナザレ村のしがない大工
の子倅で、まともな教育も人生経験もない、30歳そこそこの気の狂っ
た若者。医師であるシュワイツアーも、イエスを統合失調症であると
診断した(彼の博士論文)。

こんなイエスを、こともあろうに「神」として信じ、崇めたキリスト教
は、巨大な過ちを犯したことになる。

そのことは、キリスト教の「血塗られた歴史と現状」が、如実に証明し
て余りない。

548:某ピカ
08/12/18 23:54:07 V3XOf7Ra
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | < >>545 神というのはインドの神々でいいピカよ。
 (〇 ~  〇 |  \  原始仏典にも神霊などが出てくるじゃん。     
 /       |    『釈迦は、「神や霊など、人間が考えても   
 |     |_/ |     無意味なものは考えるな」と 戒めた。』これの根拠は?
              勝手に信徒が教祖は高い深い存在だと想像するから得ピカね。

549:某ピカ
08/12/19 00:02:45 V3XOf7Ra
私より厳しい苦行をした者は過去にも現在にも未来にもいないであろう
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | < こういうことを教祖は言っていたはずだけど、
 (〇 ~  〇 |  \  誇大妄想なのでは?     
 /       |    過去・現在・未来の苦行者のことを知り尽くして   
 |     |_/ |     くらべることなど出来ないピカ。
             もしかしたら、アホ弟子が「教祖様はこんなに苦労したのだ!
             その教祖様が苦行では悟りに至らず、涅槃に至らないと説いたのだ!」
              と言わんがために誇大な表現をしたのかもしれないピカ。

550:神も仏も名無しさん
08/12/19 00:03:34 c2xHrly6
原始仏典に神霊などが出てくるのは、バラモン教の影響がまだ残って
いたのだろう。そのバラモン教を結局は根底から否定したのが、釈迦で
ある。

キリスト教とは、イエスの統合失調症の集団的一大感染以外の何物でも
ない。クリスレのクリコテたちは、もはや狂乱状態。精神病は感染する
(感応精神病)。

551:宝珠愚者
08/12/19 00:10:16 0eKvzg5n
>>494
>だけど,「ニルヴァーナ意識境」など,どのような境地でも,経験でも,知識でも,認識でも,現実でも,
>永遠不滅ということはあり得ないですね。はっきりいいます。無常です。ええ。仏陀は無常なんですよ。
>では,解脱ってなんだ?無常なら意味無いじゃん!ってことになりますね。結論から言えば,
>そうなんですよ。解脱って意味ないですね。輪廻も,それからの解脱も全く無意味です。
>だから,解脱なんですね。人生は苦でいい。輪廻していい。解脱していなくていい。そういうことになります。
>全て問題ないからです。意味など問わなくてよいからです。

しかし、これは頂けない!
「苦でいい解脱しなくていい・・・」って、そんなこと誰がいってるのですか?
前半の解説はとても旨い説明だと思い同意できましたが。

552:某ピカ
08/12/19 00:11:33 4W2+Hzm/
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | <  教祖は自分の子にラーフラ(障碍・しょうがい)
 (〇 ~  〇 |  \  と名付けたらしいけど、頭がやはりおかしいピカ?     
 /       |    個人個人の人生を大切にする人物だとはとても思えないピカ。   
 |     |_/ |    

553:宝珠愚者
08/12/19 00:12:45 0eKvzg5n
>>497-498
>「永久不滅の境地」に執着するのも、生の機能としての煩悩です。それに、すべてが空で無常なのなら、
>その「永久不滅の境地」も空で無常でなければ、論理は全く一貫しません。
>オウムは、中村氏の影響を受けたと言われるが、それがその引用のあたりなのですか。

 「すべてが空で無常なのなら」でいう「すべて」とは?「諸行無常」での「諸行」とは?「諸法無我」での「諸
法」とは何か?「一切皆空」での「一切」とは何か?これらは解脱すべき世界における「すべて」と「一切」の
ことです。
 ですから、解脱した境地ニルヴァーナとは「永久不滅」であり、その存在である仏陀を「不死」(肉体的に
今生で死なないという意味ではない)というのです。世俗の事象のように「滅びて没することはない」のです。
古代インドの思想は全て唯一なる実在の探求を説くものであり、その方法論が違うだけなのです。「実在」
は「空」とはいわない。
 オウムが中村氏による解説の影響を受けたとか、私の説明がオウムに似ているという意見がここで何
度か出ました。それは原始経典を学び、基本部分においては同一の理解に達してるからに他なりません。

 「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)

>「物事に執着するな」と言ってる。「輪廻転生」や「解脱」や「永久不滅の境地」に拘ることは、
>最大の執着ではないのでしょうか。

 執着したら何でもダメでしょうが・・しかし、修行というのはそれ自体からして、元々が拘りの行為ですよ!
その拘りがなければ、「戒律」を自身が保持することすらできないでしょう。。「輪廻転生からの解脱」と「永
久不滅の境地」の仏教の目指す目的ですから、しっかり見失わないようにすべきです。

554:神も仏も名無しさん
08/12/19 00:22:14 RaO9dvM1
原始仏典が何を言おうとも、現代人としての知性と批判力をもって考えること
が必要。そのためにこそ、釈迦は、「自灯明」を教えたのではありませんか。

開祖や原始仏典の「言葉」だけに執着すれば、神や、イエスや、聖書から一歩も
踏み出せないキリスト教と同様の、カルトになってしまいますよ。それが、原始
仏典から発生したオウムの姿です。

「自灯明」「法灯明」とは、イエスが逆立ちしても言えなかった凄い言葉だと
思う。

555:某ピカ
08/12/19 00:26:21 4W2+Hzm/
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | <  教祖率いる乞食修行者集団がやってきて、
 (〇 ~  〇 |  \  村の働き手の若者を洗脳して吸収して連れ去った    
 /       |    話とかが経典に美徳話として書かれていたような・・・・。   
 |     |_/ | 

556:某ピカ
08/12/19 00:28:17 4W2+Hzm/
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | <  何というかね、形而上学的なもののために
 (〇 ~  〇 |  \  現実生活を放棄してしまう姿がそこにあるピカよ。     
 /       |    最終解脱(w)を目指したオウムと変わらないピカ。  
 |     |_/ | 

557:神も仏も名無しさん
08/12/19 00:54:41 RaO9dvM1
>>556
キリスト教とは違って、その「形而上学的なもの」が人間と自然という基盤
から離れていないのが仏教。大日如来も曼荼羅も、あくまで「現実界・自然界」
の象徴。

オウムがああなったのは、キリスト教の影響。ハルマゲドンは、黙示録の言葉
です。

イエスの思想の基盤は終末論(神の国)。終末論を語る宗教は、すべてカルト
と思って間違いない。


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch