08/12/16 17:04:22 bfPcRAdg
>>393
人間も生物の一種である、という自明の事実を自覚することが、悟り
の第一歩。宗教、思索、修行を初め、「すべての人間の営み」は、生物
的生命の機能。死者には、一切不可能。
「快楽は苦の原因」というのは、言語矛盾。ならば、修行や解脱による
「快楽」も、「苦の原因」となり、無意味ではないか。
生命という基盤を離れた形而上を排したのが、釈迦の比類の無い偉大さ
だと思うのだが。そして、生命は、関係性においてしか、絶対に存在
できないのである。
釈迦は冷厳な唯物論者・無神論者・科学者だと思う。万人に共通する真
理は、百人百様の「観念」からは生じ得ない。だから、キリスト教とは
全く異なり、仏教が2500年間、殆ど人を殺さなかったのである。
小乗は、原始仏典から一歩も踏み出せず、釈迦の「無」の思想を発展
させる努力を怠ったから、各地で、紛争の原因となっている。それは、
釈迦の真意ではないはずである。