08/12/13 21:29:36 d8Us78ux
>>259、>>281
>本人は「殺人などもってのほか」 と言いながら自説でそれを肯定して
>しまってることに気づいてないのです。
>死刑反対と言いながら、殺した者は来世で殺される と主張する
>矛盾が理解できないのですね。
勘違いも甚だしいとはこのことです!仏教の中に殺人を肯定する教えはどこにもない。
行為(殺人)は、それを行う側に一切の判断と行動の選択権があるのです。麻原はそれを選択する
ことができ、彼は自身の願望と狂気から自らそれを行った。その悲惨な行動による地獄の果報を彼自
身がこれから受けていくことになる。
対する殺された側には、恐らく何らかの過去世からの理由により、その体験が必然であったとみなす
ことができる。これはオウムのサリン散布でなければ、また別の機会でそれに相応しい体験を受けるこ
とになるのです。であるから、オウムがいようがいまいが彼ら自身の体験そのものは避けることはでき
ない。これを因果応報というものです。
>>286
>我が子を亡くして悲しんでいる母親に「お子さんは天国で幸せにお暮らし
>ですよ。」 と慰める人がいます。その人に向かって「天国などは妄想
>だ。そんなものはない。」 などと言うつもりは毛頭ありません。
私もそれは同じです!悲しみに暮れる家族に対し、わざわざ「亡くなった故人は本人が悪いからですよ」
などというわけがない。自業自得という言葉がありますが、これは、「ざまーみろ!!」という意味ではない
ので、とんでもない誤解は辞めましょう。
輪廻転生の教えの意図は、そのような悲劇に二度と遭わないよう、そのために説かれているのです。