08/12/11 22:47:53 z5LmcDMw
>>198
え~机さんは、机節でしょ。勝義はなんもない。世俗は因果で、二諦バラバラ。
私は中観と釈説はほぼ同じと見てます。次に近いのが経量部、アビダルマと唯識はかなり違う。
アビダルマにテーラワーダも入ります。そして中観と般若心経は矛盾しないと思ってます。
縁起、因果、空についての中観の見解は、難しいのですが現在は私の理解では、
まず、『中論頌』24-18でこう述べられます。
> 何か諸因に依って生成(縁起)するものは虚ろなもの(空性)と説かれる。
> それは諸因に依って仮設することであり、それこそ中道である。
これを『明句論』は注釈して、
> 「何か空であるもの、それは諸因に依って仮設すること」とは、空
> であるものこそが諸因に依って仮設することだと定義される。
> 例えば車輪など車の部品に諸因に依って車と仮設する。
> それ自体の要素に基づいて仮設されたものである
> ... それ故、空性、依因仮設、中道というこれらは、縁起の特殊概念である。
というように空性、仮設、中道は、縁起のある特性を強調した概念・名称だとしています。
『入中自註』対6-150偈 では、
> 「これに依ってこれが起こる」というこれだけは世俗の真偽体系を
> 断絶させないために認めるが、無因などを生起でないと[否定]
> するように、ここでも[諸質料因に基づいて形づける]依因仮設に正しく
> 依拠するなら、上述の欠点ある形相を除いて「諸蘊に依って仮設する」
> というこれだけは、世間の言語習慣を安定させるために認めるべきである。
> なぜなら「我」と言語習慣が仮設されることが見られるからである。