08/12/07 17:58:55 j3NU/a1S
*投稿される方へ---前スレのスレ番号にはアンカー>>を付けない様にして下さい!
(リンクがこの当スレのスレ番に掛かるので・・)
皆さんはこういう話を聞いたことはありませんか?
(どの経典だったか忘れました-知ってる方は提示を希望します)
仏陀の一行が托鉢の行脚に出かけたが、在る時、道の前方が真っ二つに分かれていた。一方には
金持ちの住む街がある。また、もう一方は貧困の村になっている。しかし、仏陀は迷うことなく貧困の
村の法へと急ぎ足で歩を進めていく。それを後ろから見ていた弟子たちは困惑して、師にこう尋ねた。
「師よ、道をお間違えではありませんか?そちらは貧困の村であり、托鉢に行っても殆ど施しが期待
できません。食を得ないと、私たちは困ってしまいます」と。
すると師はこのように答えた。
「いや、わたしは間違ってはいない。あの村の貧困に喘ぐ人々は何故、そのような境涯に陥ったのか、
おまえたちには分るか?彼らは過去世において、財を成していたが貪り驕って、貧しいものに全く施しを
することなく、自分のためだけの贅沢に明け暮れたのだ。だから、今こうしてその報いを受け餓鬼界に
堕ちている落ちている。
彼らが救われるための善行とは施しの徳行である。少ない手持ちの食料の中から、僅かでも施しをす
る行為を行わせるためである。その中でも修行者に対する施しは最上の徳である。
であるから、私は彼らを救うべく貧困の村へと向かっているのだ。」
つまり、金持ちに施しをさせるという一般常識ではなく、宗教的な真理によって行動してるのです。それ
は輪廻転生の観点から見て人々を流転地獄から救い出すだめです(ゴータマは個人の過去世を見通す
神秘力を持つ)。施すを得られないと、弟子たちもその日の食が得られず大変、困る状況になるのです
が、仏教における托鉢とは相手を救うだめに行う修行なのです。