08/12/10 23:28:34 QE+RBZlm
>>147
>「霊的」「霊的な成長」とは、具合的にはどういうことですか。
>「霊」と言う言葉は「幽霊」と混同されるから、
はい、すみませんでした。
これは心霊関係の意味ではなく、高い精神性のことです。
しかし、そこにあるものとは唯物主義の観点でみた精神レベルではありません。
物質(への執着意識)レベルから遠ざかっていく方向性での精神性です。
>>148
>それはおかしい。本能は、人間の生存と種属の維持のために「創造主」
>が人間に与えた「最大の恩寵」のはず。「人間」がそれを否定すること
>は、「創造主」の真っ向からの否定と冒涜ではありませんか。
もちろんそうですが(それは与えられるものです)、
もう少し詳しく述べると、人間の脳の活動には本能・情緒活動を司る「大脳辺縁系」と、倫理的で知
性的な創造性を営むような活動を司るところの「新皮質脳」という二大活動がインプットされています。
一方は生存本能そのものであり、他を排除してでも自己の生存を最優先する意識です。そこには慈
悲的な活動はなく、あくまでも他を排除してでも自己が勝利しようとする利己的遺伝子のような非常に
冷酷な意識です。対する新皮質脳の働きは、他との協調性と慈悲心を働かせ、よりよく生きることを考
えます。
大脳辺縁系からくる意識活動は弱肉強食時代からの遺伝的意識であり、つまりは当時の野生的な
名残りなのです。これは食うか食われるかの生存本能です。人類もこれのお陰で生き残れてきたので
すが、弱肉強食の必要が終ったにも関わらず、この意識はそういう判断しかできないのです。
この弱肉強食の食物連鎖から外れた人類にいまだに残るその時代からの名残り。そこからくる潜在
的な本能意識--これが仏教での悪しき煩悩と呼ばれるものになっている。ヘタな説明ですみませんが、
なんとなく分かるでしょうか?