08/12/10 10:39:01 tCapn5hI
>>150
基本的に似てますが、宝珠愚者さんの説はスマナサーラさんの教えをベースに
色々な私見が入っているように思います。
根本的認識誤りである素朴実在論や自我意識といった無明によって、
行為を行うことが業といわれます。業は無明という煩悩に基づく行為と、
その結果としての潜在的エネルギーのようなものです。
その業が、縁と結びついて異なった形(異熟)で苦として縁起する。
苦が新たな煩悩を呼び、業をなし苦として縁起する。
この円環運動が輪廻と呼ばれ、始まりもなく解脱するまで終わらないと説かれます。
その意味で、どんな縁起・現象も過去の行為に基づくと考えます。
以下は、宝珠愚者さんとの違いです。
>>140
> 輪廻転生は意識の進化のための自然法則なのです。下等生命への生まれ変わりはない。仏典に
>動物への転生の話はごく少ない--それは戒め程度の方便ということです。ゴータマの輪廻に言及する
>説法をみても、基本的に人間としての生まれ変わりの話で満ちていることが理解される筈です。その
>他に理由はありません。
「輪廻転生は意識の進化のための自然法則」という説は、私が知る限り仏教に存在しないし、古典的インドの見解にもありません。
仏教では人間に生まれることが希有とされます。
それはジャータカでも、律でも説かれますし、
『勧戒王頌』『入菩提行論』『往生要集』『修証義』などでも説かれます。