【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!2【決着】at PSY
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!2【決着】 - 暇つぶし2ch127:神も仏も名無しさん
08/12/09 11:35:43 cY3VmwlH


    ∧,,,∧
 /\(`・j・´)/\ ハッハッハー                 ゚ ,  
 ⌒⌒ wωw'"⌒⌒ ` .゚ .゚. ゚。 .  . ゚  .   ,  .     .  .   。    ゚ .      ゚ ,         ,
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■ 【献金・布施制度廃止】 ■

美辞麗句の観念の<甘言と脅し><偽善>で人を釣る金の亡者!☆
人の懐あてにするな!社会の寄生虫!★
ボランティアでやりなさ~いねw (笑

 。 .  . .   .   .  。 ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,。 . 。  , .。 .  .。.      . .  .
    ゚  。    ゚.  .  +。 ゚ * 。. , 。゚ +. 。*。 ゚.    . . .  . ゚ .      ゚ ,
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128:神も仏も名無しさん
08/12/09 11:45:31 bpMr+URb
唯物論者が宗教を疑うのはいいんだが。
仏陀は輪廻や死後の世界を説いてない!などという虚偽はよくないな。



129:神も仏も名無しさん
08/12/09 12:53:20 kpGEviMF
>>71
>私が~ではなく、経典に繰り返し書かれていることをいっているまで。

だから、宝珠愚者さんの主張は、聖書を神の啓示で書かれた真実で絶対
誤りがないと信じているクリ達と、発想が同じでしょう→(聖書=経典)

■ 経典を真実で絶対誤りがないと信じてるのですからw ■

☆★ まづ、それを自ら、証明しないとねン ★☆


>>70氏と同じになりますね! ↓

■ 現代人が、時代も異なる2500年前の釈迦を無批判に追いかけることは誤り。
若し、釈迦に誤りがあれば、それを正してあげるのが、現代の弟子たちの義務です。

優れた教師であった釈迦が、自分に対する無批判な盲信、狂信や、自分を利用
した他者への脅迫を、喜ぶでしょうか。よーく考えてみてください。 ■


★宝珠愚者さんにはクリの臭いが当然、プンプンしてま~す(笑

ヽ(^。^)ノ 




130:神も仏も名無しさん
08/12/09 12:54:35 Cut0+kaz
1の背後の論理はよーするに

  『色即是色』でしかない。

>>128
俺は唯物論者ではない。
ブッダの教えは信仰を中心とするいわゆる「宗教」ではない。

>輪廻や死後の世界  などという観念は広義の「色」であって、
            世俗的俗物妄想論理に過ぎず、
           ブッダ本懐たる四聖諦コンセプト→勝義諦と矛盾する。
『色即是色』は還滅してもあくまで『色即是色』であって、
『色即是空』⇔『空即是色』にはならない。




131:神も仏も名無しさん
08/12/09 13:09:44 kpGEviMF
>>70
>これは脅迫ではなく、自己の行為に責任を持ち正しい行動を呼びかける、
人間同士の正しい関係について学ばせる倫理的な教えです。

それは、仏教団体=宗教者達の人々への<精神的な支配・独裁・・>になり
人間同士の正しい関係に果たしてなるのでしょうか? ★
キリスト教の悲惨な宗教戦争の歴史と比べましょうw
URLリンク(www.hpo.net)


■ 一番得するのは、聖者と称する○●○を引き連れた宗教団体・宗教者達です

■ 聖者とは、何をもってそれを証明するのですか?

人々は、最終解脱者と自己申告しているアサハラとダライ・ラマ、仏陀・・
等の違いを何処で何を基準に判断したら良いのでしょうか?★☆

アングリマーラの話もオウムで同じように言ってたし、確か、そういう名前を
付けた人もいましたねw・・今は、刑に服しているんだった?


132:神も仏も名無しさん
08/12/09 13:21:47 bpMr+URb
無自覚な唯物論者が自称仏教者には多いようだ。

唯物論

「精神に対する物質の根源性を主張する立場。
従って物質から離れた霊魂・精神・意識を認めず、意識は高度に組織された物質(脳髄)の所産と考え、
認識は客観的実在の脳髄による反映であるとする。
唯物論は古くインド・中国にも見られ、西洋では古代ギリシャ初期の哲学者たち以来、
近世の機械的唯物論(特に18世紀のイギリス・フランスの唯物論)やマルクス主義の弁証法的唯物論を経て、
脳科学に基礎を置く現代の創発的唯物論に至るまでさまざまな形態をとって、哲学史上絶えず現れている。」 

広辞苑 第5版より


133:神も仏も名無しさん
08/12/09 13:30:34 kpGEviMF
>>91
>人々は皆んな心からの仏教信者であり、輪廻転生の思想の中で生活している。
仏教の説く慈悲の心と実践。・・・あのような仏教国家では盗賊や殺人が考えられますか?

確か以前、NHKで放送された記憶がありますが、仏教国では貧しい人達から
のお布施をもらい、そのままトンズラする悪い僧侶が結構いるらしい。
本末転倒でしょうw(笑
それと、お布施の徳が徹底してるので貧しいのにわずかな蓄えもすぐ捧げてしまう
から、一向に人々は貧困から抜けられないと言ってましたw

仏教団体や僧侶にとっては天国かもしれませんがw(笑
金銀・財宝・・・何でも集まり、大金持ち? 仏像も豪華みたいですねw


134:神も仏も名無しさん
08/12/09 13:40:04 kpGEviMF
>>92
>ゴータマは違う。

どこが違うのか具体的にドゾー☆★

>人間には人を正しく裁く力はない。どっちがより悪だといった判断など、人間が正確に見定めること
などは不可能です。人間が勝手に作った裁きではなく業(カルマ)の法が人を公正に裁くのです。

↑ では、司法に行って抗議してきて下さいなw 見えない力の<威力>発揮!!★

そんな大言壮語を吐くなら、サリン被害者の救済や後始末、他の沢山の宗教被害は、(天から)
からふってきた宗教団体の<お布施・献金>でど~ぞ、まかなって下さいなw (怒

◆ 『言葉』は、誰でも簡単に作り言えるもの。迷惑ですねン、ホントにw ◆ (*^。^*)

疲れたw オチ


135:神も仏も名無しさん
08/12/09 13:54:40 Cut0+kaz
オカルト×カルト志向=宝珠愚者

 しかし特養老人ホーム待ち暇人さんたちは、遊び上手だなw

136:神も仏も名無しさん
08/12/09 15:05:57 Cut0+kaz
>>132
コラッ!俺を誤解するなって言うてるやないか。
俺は一元論はもちろん、西欧近代主義的な二元論的思考(サブジェクト/オブジェクト)を
乗り越える地平に立つことが必要だと思っている。

137:神も仏も名無しさん
08/12/09 16:21:25 gT8Byvih
>>136
では、仏教とはどのように向き合うべきと考えますか?

少なくとも、仏教は一般人の認識が根本的に誤っていて、
それが苦の原因と考えていると思いますが

138:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/09 19:07:52 O7Cd5+VB
(つづき)
>人間が仏陀になると何がどう変われるか?その解説をしてみせて頂きたい!

☆これは仏陀というより阿羅漢ですね。

釈尊在世当時というのは、バラモン教も殆ど形骸化してきた。
(つまり、今の日本の伝統仏教のようなもんだろう?)
そんな時代ですから、
それとは全く違った思想(宗教・哲学)を希求する動きが出てきた。
(六師外道を含む独覚者の流れ)

結論から言いますと、釈尊は自由思想を打ち立てたのです。

一休宗純は、こういうことを言ってる↓
「釈迦という いたずら者が世に出でて 多くの者を迷わするかな .... 」。

「せっかく釈尊が“自由”という流れを築いたのに、
仏教の歴史は混沌として、迷いの歴史であった」。
と、一休はメッセージを送ってるんだね。
(これは、一休の生き方にもマッチングしている)

「人は神において奴隷になる」。
これはニーチェの言葉だが、
そもそも人間は、奴隷になって悦びを感じるのかもしれんね。
(自虐嗜好といってもいい)

じつは、ロシア革命が成功したのは、
ツンドラの厳しい気候に、自由より奴隷を選んだ。
ってのが理由らしい。
(嗜好は、気候・風土に大きく左右されるらしい)

139:神も仏も名無しさん
08/12/09 20:08:08 bLAjVlMy

<お詫びと訂正> ↓

>>123は、レス内容の1氏を前スレ主の宝珠愚者と勘違いして
ましたので、意味不明となり削除をお願い致します。 m(_ _)m


140:宝珠愚者
08/12/09 22:42:16 GR+wWdYD
-----前5さんへ
>>105
>しかし歴史的事実に関する事柄を実証するにおいては恣意的
>な主観はできるだけ排除するのが常識です。主観に基づき取捨選択するのなら
>それなりの客観的合理性がなければなりません。

 おっしゃる意味は理解しますが、それは私の仕事(任務)ではないでしょう!
--この私はすでに道にある者です。私はジャーナリストでも科学者でもない。

>六道輪廻を方便とした理由に「人間は人間のみに輪廻する。」というご自身の
>信念以外に合理的理由があるのであれば、お聞かせください。

 輪廻転生は意識の進化のための自然法則なのです。下等生命への生まれ変わりはない。仏典に
動物への転生の話はごく少ない--それは戒め程度の方便ということです。ゴータマの輪廻に言及する
説法をみても、基本的に人間としての生まれ変わりの話で満ちていることが理解される筈です。その
他に理由はありません。


>>107
>「過去の業により、現世において起こるいくつかのイベントが決まっている?」
>これは「自己選択により新しい未来を切り開く」 と明らかに矛盾しますね。
>そのイベントが起こる以前に自己選択で死を選んだ場合、イベントは起こりようもありません。

 必要な受けるべき果報は避けられない。その前に死んで避けるということはできない。死ぬ前にイ
ベントが起きて避けられないか、もしくは仮に死んで逃げたとしても無駄であり、次の転生の機会には
再びイベントの機会が巡ってきて確実に逃げることはできない。ですから、この避けられないのが業
報の作用なのです。これはゲームではないのです。

141:宝珠愚者
08/12/09 22:43:28 GR+wWdYD
>過去の業によって、その肉体が規定されるのならば、重度の障害をもって生まれて
>くる子は、その原因は過去世における悪行である。 このような結論になりますね。

基本的にはそうです。
しかし、例外としては「試練」というのもある。>>55

>そして、この「過去世の業によって規定される条件」 とやらが上記の
>ようなものであるとする根拠は? いったい誰の説なんですか?

 過去世の業に拠って生を受けるということは、つまりそういうことです。過去世の業に拠って悪し
きイベントや良いイベントが起こるということはこういうこと。説明は私による言葉でしたが、過去世
の業による輪廻で転生し業果を受けるとはこういうことです。経典による直接的な記述がどこにあ
るのかは、すみませんが今は確認できません(ご存知の方が見てましたらご教示願います)。


>>108
>釈迦は空中を飛行していたのですか。まして、それが常識だったとは。
>解脱した人は、もう何でもありなんですね。

 はい。一般的には不可能といわれていることの殆ど全てが可能。こんなことは当たり前の常識
の大大常識です!(世間が無知で非常識なのです)。

142:宝珠愚者
08/12/09 22:44:18 GR+wWdYD
>宝珠愚者さんは、釈迦以外にも何人か解脱した人を知っていると言って
>おられましたが(ここでは言わないといってましたね)  やはり
>その方々も空中を飛行したり、海底まで潜ったりしておられるのですか?

 海底に潜った話は聞いてませんが--はい、そんなことなど全く容易いです。誤解してはいけない
のは、神秘能力=解脱者ではないということ。
 では、サービスして5さんにお話します。物質界の制約から解放された存在は、その気になれば肉
体上の不死も可能。
 私が知っている存在の一人は、この恐らくはもう3万年以上もの間、今もこうして同じ若き青年の肉
体をそのままに保持し続けています。数百年~数千年という存在ならばもっと数名います。彼らは肉
体に執着しているわけではなく、必要に応じて保持したり或いは好きに捨てるのです。彼らが肉体死
をする場合には自ら捨てているのです。
通常の転生方法ではなく、自分の意志力で肉体を想像し、そうして創りあげた肉体に入っていく方法
をとっている方も数名います。しかし、見た目はごく普通の人生を過ごされ、一定の時期がきたら肉体
を捨てるという方は多いです。
 私はそのようなことを結婚すべき大切な女性に話していたら、その結果として破談になりました(爆)

 また、解脱した存在で輪廻転生の否定を説く方は完全に皆無です。全員、例外なしにそのことを重
要視して説かれます。否定を説いた方の存在を私は一例も知らない。


>>110-112
 個々のケースについて判定することは我々(解脱者でなければ)には不可能です。しかし、地域の大
災害の場合、その死傷者の多くは過去世の業ではない場合が多いと思います。一つは当人にとっての
試験の機会として、そこに巡り合わせられます。
 また、自然災害の場合には、人類全体としての悪しき想念が自然界に作用したものであるケースが
多いでしょう。

 重要なことは、必ず全員が理由あってそこに居合わせているということ。偶然ということは在り得ないの
です。全ての出来事の背後には必ず理由が存在します。

143:宝珠愚者
08/12/09 23:22:30 GR+wWdYD
>>109
>あなたは、「輪廻転生を信じなければ、人間は必ず悪を犯す」と主張している
>ものと解します。ならば、「すべての人間は、生まれながらに、アダムの原罪
>を背負った罪人である」というキリスト教の罪の思想と同じではありませんか。

必ずということではない。
犯しやすいといっているのです。ゴータマが述べた通りです。
当然のこと、死んで終わりならば得した者価値という理論を停める術はありません。
原罪思想は認めません。ただ似てるものとしては人間に内在する本能(煩悩)がそれです。

>「正しい」 「正しくない」を判断する、すべての人間に適用できる、普遍的な基準は何ですか。

人間の霊的な成長を促すものは正しく、霊的な成長を阻害するものは正しくない。


>>113
>「空」→本来、善悪というもんはない。という意味。→無差別相
>「色」→人間の都合で善悪が決まる。同じ行為が悪であたり、善になったりする。→差別相

般若心経に拠らなくても分っています。
カルマの法則が正しく作用するだけです。
我々には見た目でも簡単に何が良いことか分らない場合も多い。
しかし、善意を尽くせば道は開かれると思います。

144:宝珠愚者
08/12/09 23:24:50 GR+wWdYD
>>129
>だから、宝珠愚者さんの主張は、聖書を神の啓示で書かれた真実で絶対
>誤りがないと信じているクリ達と、発想が同じでしょう→(聖書=経典)
>■ 経典を真実で絶対誤りがないと信じてるのですからw ■

 聖書の記述は改ざんが多い。それは数回に渡る宗教者会議によるもの。また、聖書の記述は
象徴的な物語が多く、文字通り受けるべきではない部分が非常に多い。聖書系の原理主義は悲
惨な状況になります。
 原始経典はその書かれている内容に矛盾がなく理路整然と納得のできるものです。殆どにおい
て余計な解釈も不要なくらいストレートです。


>>134
>どこが違うのか具体的にドゾー☆★

 ゴータマには教団の長であるという意識すらなかった。また、「実はこれこれは方便でした
---真義はこうです」のような秘密の教えはない、全ては説き明かした通りであると明言しました。

 「アーナンダよ、修行僧らはわたしに何を待望するのであるか? わたくしは内外の区別なしに
(ことごとく)法を説いた。完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳[にぎりこぶ
し]は、存在しない。『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまは
わたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上につとめた人は『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のな
かまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何
を語るであろうか。」(マハーパリニッバーナ・スッタンタ/旅に病む―ベールヴァ村にて)

>↑ では、司法に行って抗議してきて下さいなw 見えない力の<威力>発揮!!★

 私なりのレベルで法務省には抗議しています。どうしても死刑を続けるなら、TVでゴールデンタイ
ムで生放送せよ!といった。私は徹底した死刑廃止論者です。

145:宝珠愚者
08/12/09 23:30:24 GR+wWdYD
>>142訂正
×一つは当人にとっての試験の機会として、そこに巡り合わせられます。
○一つは当人にとっての「試練」の機会として、そこに巡り合わせられます。


146:宝珠愚者
08/12/09 23:41:19 GR+wWdYD
>>129
>優れた教師であった釈迦が、自分に対する無批判な盲信、狂信や、自分を利用
>した他者への脅迫を、喜ぶでしょうか。よーく考えてみてください。 ■

喜ばれるわけはないでしょ!あ・な・た

一生涯、(仏を想い)五体投地して過ごす一部の人々とかは、嬉しくないでしょうね。
苦行としての本人の心の浄化には役立ってるでしょうが・・。
ゴータマは聖者に対する尊崇の念と敬意を推奨されますが、
過剰な崇拝行為は望まれていないし、それを制するでしょう!

147:神も仏も名無しさん
08/12/09 23:55:38 iqlujzlu
>>143
>人間の霊的な成長を促すものは正しく、霊的な成長を阻害するものは
>正しくない。

「霊的」「霊的な成長」とは、具合的にはどういうことですか。現実
に立脚して説明してください。抽象語、観念語の内容は、百人百様
ですから、説明にはなりません。

それから、「霊的」とは、英語では"spiritual"。即ち「精神的」と
いう意味です。「霊」と言う言葉は「幽霊」と混同されるから、「精神」
「精神的」という言葉を使うべきです。この世界の実在さえ否定した釈迦
が、「神や霊」の実在など語ったら、全く矛盾してしまいますね。

148:神も仏も名無しさん
08/12/10 00:08:11 iyib1J5G
>>149
>ただ似てるものとしては人間に内在する本能(煩悩)がそれです。

それはおかしい。本能は、人間の生存と種属の維持のために「創造主」
が人間に与えた「最大の恩寵」のはず。「人間」がそれを否定すること
は、「創造主」の真っ向からの否定と冒涜ではありませんか。

149:前スレ5
08/12/10 00:24:16 mmTh0gjV
え~とですね、 >>140  >>141 での宝珠愚者さんの回答は自説に都合の
良いように「物語」を述べているだけで、なんの論拠も示されてはおりませんね。
すなわち「私は、このように信じている。」 というだけですね。

>>釈迦は空中を飛行していたのですか。まして、それが常識だったとは。
>解脱した人は、もう何でもありなんですね。

 はい。一般的には不可能といわれていることの殆ど全てが可能。こんなことは当たり前の常識
の大大常識です!(世間が無知で非常識なのです)。

はい、わかりました。

>私が知っている存在の一人は、この恐らくはもう3万年以上もの間、今もこうして同じ若き青年の肉
体をそのままに保持し続けています。数百年~数千年という存在ならばもっと数名います。

3万年以上、青年のままで生き続けている方がおられるのですか。
数百年~数千年という存在ならばもっといるわけですか。

なんと言って良いか、まさに言葉を失います。

>私はそのようなことを結婚すべき大切な女性に話していたら、その結果として破談になりました

失礼ですが、私には、その女性のかたは、極めて健全な理性の持ち主のように
思われます。

150:前スレ5
08/12/10 00:25:38 mmTh0gjV
>自然災害の場合には、人類全体としての悪しき想念が自然界に作用したものであるケースが
多いでしょう。

わかりました。人類が清い心をもてば自然災害は起こらないわけですね?


私の今の率直な感想は、宝珠愚者さんの言ってることは、どれも甚だしく
仏教から逸脱しているように思われます。

これは以前にも書きましたが、「輪廻肯定論者」と言う人たちは、このような
見解に賛同、もしくは近い見解をもっておられるわけですか?
このスレにも少数ながら宝珠愚者さん以外の「輪廻肯定論者」の方がおられる
ようですので、ぜひともご意見をお聞かせください。

151:神も仏も名無しさん
08/12/10 00:49:57 iyib1J5G
>>149
>>150
ずばり言って、キリスト教の影響ですね。

精神医学的には、仏陀はうつ病だったと思われるが、うつ病は「感情障害」で
あり、人格の崩壊はない。イエスは、完全な統合失調症。人格そのものが崩壊
しています。キリスト教とは、イエスの精神病の集団的一大感染以外の何物
でもありません。精神病は感染します(感応精神病)。

他の宗教でも、キリスト教の影響があると、例外なくカルト化します。信者の
嵌り込みと狂気の程度が、特に甚だしい。この板のキリスト教スレでも、信者
たちは、もはや狂乱状態です。

麻原も、キリスト教の影響がなければ、あそこまでは絶対にならなかったはず
です。

152:前スレ5
08/12/10 02:02:50 mmTh0gjV
改めて宝珠愚者さんのレスを読み返してみましたが「重度の障害をもって
生まれてくる子は、前世で悪業をなしたからだ。」
宝珠愚者さんは、このように言いますが御自身のこの意見は本当に正常である
と思っておられるのでしょうか?  私には、とてもひどいことを言ってるように
おもえるのですが?  我が子に、このようなことを言われたご両親は、いったい
どういう気持ちになるか  考えたことはありますか?

「大災害で命を失うことが試練?」  これも全く意味がわかりませんね。
「重要なことは、必ず全員が理由あってそこに居合わせているということ。偶然ということは在り得ないの
です。全ての出来事の背後には必ず理由が存在します。」と言っていますが

大災害で命を失った人たちは皆、そうなるべく理由があった。
広島の原爆で命を失った多くの人たち。あるいは
ヒトラーによって命を奪われた多くのユダヤの人たち。
彼らに、殺されなければならない、どのような理由があったのですか?

彼らは前世において悪業をつんだために、その命を奪われたわけですか?

153:前スレ5
08/12/10 02:44:09 mmTh0gjV
そして、宝珠愚者さんが、よく使われる「試練」
これがよくわかりません。 >>142 でも使っていましたが
命を奪われることが、なぜ試練なのですか?

もしかして「死後、より霊性の高い存在として来世に生まれ変わるための
試練。」  このような意味で言われているのでしたら、それは、とんでも
なく危険な思想です。  まさにオームの麻原の思想そのままです。
彼は「被害者を殺してあげることによって、その魂を救うのだ。」
と言って自己の殺人の正当化を図りました。現世の死を来世における
より良い存在への架け橋   のような解釈は絶対にしてはならないこと
です。それこそ、生命軽視へと繋がります。(まあ、そのような考えではないと思いますが)

改めて お尋ねします。
「命を奪われることが、なぜ試練なのですか?」

  


154:神も仏も名無しさん
08/12/10 02:45:10 6+HcuKOz
>>152
原爆を落したのも、ホロコーストをやったのも、クリスチャンです。彼らには、
「イエスを信じないものは、殺してもよい」という、十分な理由があったのです。

キリスト教の中心教義は、「(自分が)人にして欲しいことを、人にもなせ」
です。イエスを熱心に信じるクリスチャンたちは、「自分が人にして欲しい
こと(イエス信仰)を人にもなす」ために、他国を侵略し、異教徒に強制改宗
を迫り、従わない者は皆殺しにしたのです。

東洋では、「己の欲せざるところを、人に施すことなかれ」と否定形を用います。
ユダヤ教でも、否定形です。この肯定形と否定形との間の、巨大な意味の相違に
思い至らなければなりません。

155:神も仏も名無しさん
08/12/10 06:52:10 KtfctFJk
宝珠愚者さん。あなたは業論(因果律)をどうも他律的に
捉えているような気がします。私は「悪しき業論」と呼んでいますが。

業論(因果律)は、自分の苦の解体のために、あくまで現在より過去に
遡及して苦の因を分析し、世界と私の在り方を説明する「手だて」ですよ。

少し引用→Web上のこの連載?読んでみて。内田樹氏と釈徹宗氏のやりとり。
URLリンク(www.tatsuru.com)




URLリンク(www.tatsuru.com)


156:神も仏も名無しさん
08/12/10 07:04:56 KtfctFJk
155のリンク先から貼り付け。

レヴィナス先生によれば、他者を語ることがそもそも暴力(先生にはシャカに説法ですね)です。
なぜなら、理解不能だからです。

因果律や業思想を他者に<投影>することはまさに暴力です。 ←ここが肝心ね。

157:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/10 08:07:27 zYLPcvUx
>>143
>般若心経に拠らなくても分っています。

そうでしたか。
一連の貴殿の書込みを、興味深く読ませて頂きました。

>我々には見た目でも簡単に何が良いことか分らない場合も多い。
>しかし、善意を尽くせば道は開かれると思います。

なるほど。
結論から言いますと、>>156氏の書いたのに禿同です。
>因果律や業思想を他者に<投影>することはまさに暴力です。 ←ここが肝心ね。
これに↑尽きるのですが。
まあ、はっきり言ってリアルで貴殿と関わるとロクなことはない。
ネットの言説空間においては・・・そこは安心ですけど^m^

>私はそのようなことを結婚すべき大切な女性に話していたら、その結果として破談になりました(爆

まだ夢をみているうちはイイのですが、
そのうち夢も覚めてくる。

ちなみに、統一教会の草創期の頃は団塊の世代の青春期です。
それらの食口(信者)は今、60歳以上くらいになって、
殆どが脱退しているらしい。
(もちろん、残って統一二世もいる。という方もいますけど)
彼ら(彼女ら)が異口同音に言うのが、
「私の青春を返してほすい」。
非常に悲惨なことになってます。

どうか、今ある縁こそ大切になさってくださいませ。
                (かしこ)

158:神も仏も名無しさん
08/12/10 09:22:40 KtfctFJk
宝珠愚者さんへ。

私自身、輪廻、業報などでは混迷を窮めた時期もありましたので、あなたの
認識も理解できなくもないのです。また、因果応報を倫理の基礎付けをするものと
みる向きもありますが、まさにその逆。倫理を破壊するものです。詳しくは
リンク先をお読み下さい。


以下、156と内容は重複しますが大事なことなので書いておきます。

他者に「それは自業自得だね」などとは、仏教の因果律からは言い得ないの
です。ここを、取り違えてる者は仏教者と言われる人の中にもいるわけです。

苦を抱えているという果<現在の私>を問題としないで生きている人も、実際に
いるのですから、その人には「苦の因」などあるわけないのです。苦しみのない人に
人間とは「苦的な存在」であるから、道を求めよ云々と説いても「余計なお世話」と
なりかねません。宗教者が、気を付けなければならない点ですね。

他律的ということ

法律では、犯罪者の法の認知に無関係に、法を犯したことが露呈すれば、適用されますね。
これは、法律が他律的だからですね。他者に因果律(仏教でいうところの)は適用できません。
他者に適用させようという心象を私は「カルト的」と呼ぶことにしています。



159:神も仏も名無しさん
08/12/10 10:28:09 fAvLs6TA
仏教虚無派(フランス派)を立宗すれば良いでしょう。

あらゆる仏典において業報輪廻が説かれていることは厳然たる事実です。

160:神も仏も名無しさん
08/12/10 10:39:01 tCapn5hI
>>150
基本的に似てますが、宝珠愚者さんの説はスマナサーラさんの教えをベースに
色々な私見が入っているように思います。

根本的認識誤りである素朴実在論や自我意識といった無明によって、
行為を行うことが業といわれます。業は無明という煩悩に基づく行為と、
その結果としての潜在的エネルギーのようなものです。
その業が、縁と結びついて異なった形(異熟)で苦として縁起する。
苦が新たな煩悩を呼び、業をなし苦として縁起する。
この円環運動が輪廻と呼ばれ、始まりもなく解脱するまで終わらないと説かれます。

その意味で、どんな縁起・現象も過去の行為に基づくと考えます。
以下は、宝珠愚者さんとの違いです。

>>140
> 輪廻転生は意識の進化のための自然法則なのです。下等生命への生まれ変わりはない。仏典に
>動物への転生の話はごく少ない--それは戒め程度の方便ということです。ゴータマの輪廻に言及する
>説法をみても、基本的に人間としての生まれ変わりの話で満ちていることが理解される筈です。その
>他に理由はありません。

「輪廻転生は意識の進化のための自然法則」という説は、私が知る限り仏教に存在しないし、古典的インドの見解にもありません。
 仏教では人間に生まれることが希有とされます。
 それはジャータカでも、律でも説かれますし、
 『勧戒王頌』『入菩提行論』『往生要集』『修証義』などでも説かれます。


161:神も仏も名無しさん
08/12/10 10:39:34 tCapn5hI
>>142
> 私が知っている存在の一人は、この恐らくはもう3万年以上もの間、今もこうして同じ若き青年の肉
>体をそのままに保持し続けています。数百年~数千年という存在ならばもっと数名います。彼らは肉
>体に執着しているわけではなく、必要に応じて保持したり或いは好きに捨てるのです。彼らが肉体死
>をする場合には自ら捨てているのです。

確かに禅定状態で何年も生き続けたという話は、よくあります。
例えば『大唐西域記』、弘法大師の入定など。
また、釈尊も懇願によって寿命を延ばされたと説かれます。
ですが、一般に解脱者も成就者も無常なので死をまぬがれない、
と説かれます。こちらの方が強調さえます。

>>145
>○一つは当人にとっての「試練」の機会として、そこに巡り合わせられます。

>>146
>一生涯、(仏を想い)五体投地して過ごす一部の人々とかは、嬉しくないでしょうね。

この二つも仏教で説かれないでしょう。


162:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/10 11:02:14 zYLPcvUx
>>159
死んだら終わり。ってのは世俗諦の説明だけど、
勝義諦では<全否定⇔全肯定>という意味あいになってくる。

こうなると、論理性とか考察とかの段階じゃなくて・・・
それを超克せんと意味不明なんですが、
ここで書込みしている論客においては、拙者の書込みは理解してもらえるかと思う。

つまり、仏教は虚無(ニヒリズム)ではない。
断滅論(世俗諦)であっても、
それは業報輪廻を超えて、人類を救済する。
法(ダルマ)というのは普遍である。ということが大前程でありますが、
業報論のように可変なものは法ではない。
ただ人類を迷わすもの。

163:神も仏も名無しさん
08/12/10 11:02:39 tCapn5hI
>>158

リンク先を読みました。釈さんの仏教は、どうも西洋近代思想が基盤のようです。
なぜ、ヒュームの因果論やレヴィナスが根拠となるのでしょうか。
たしかに以前ヒュームを読んだ時、縁起にかなり近い印象は持った記憶はあります。
レヴィナスは、ほとんど知りませんが、現代の倫理を考える基盤とはなっても
仏教を判定する根拠にはなりえないでしょう。

>私自身、輪廻、業報などでは混迷を窮めた時期もありましたので、あなたの
>認識も理解できなくもないのです。また、因果応報を倫理の基礎付けをするものと
>みる向きもありますが、まさにその逆。倫理を破壊するものです。

仏教とエチカ、エシックスと呼ばれるものは別のものです。
仏教の戒律は、苦を除く、意識の散乱を防ぐということを主に目指していると思います。
大乗ではここに利他が加わります。
それら全ての根拠が、業であり縁起でしょう。
業や輪廻という前提なしに仏教はありえないでしょう。

>他者に「それは自業自得だね」などとは、仏教の因果律からは言い得ないの
>です。ここを、取り違えてる者は仏教者と言われる人の中にもいるわけです。

>苦を抱えているという果<現在の私>を問題としないで生きている人も、実際に
>いるのですから、その人には「苦の因」などあるわけないのです。苦しみのない人に
>人間とは「苦的な存在」であるから、道を求めよ云々と説いても「余計なお世話」と
>なりかねません。宗教者が、気を付けなければならない点ですね。

上の二つの考えは、多分レヴィナスなどの思想に基づくもので、仏教を根拠にしたものではありませんね。
仏教では一切皆苦で、縁起しているものなら全て苦でしょう。
現在、苦を感じていないのは、無自覚な凡夫だからと説かれます。
確かに、求めていな人に無理矢理、法を説くのは釈尊の方法ではないと思います。


164:神も仏も名無しさん
08/12/10 12:28:59 KtfctFJk
>>163
釈氏はヒュームの因果論を退けているのが、仏教の因果論と言及してる
ではないですか。再読してみて下さいね。





165:神も仏も名無しさん
08/12/10 12:43:11 7GVRngt4

>>155-156-157氏のレスに納得~! ありが㌧☆♪ ~ヽ(´∇`)ノ

■ レヴィナス先生によれば、他者を語ることがそもそも <暴力> です。

なぜなら、「理解不能」 だからです。☆★

■ 因果律や業思想を他者に<投影>することはまさに<暴力>です。 ☆★


人格心理学を提唱したオルポートは、宗教的人間を「内発型」と「外発型」に分類しました。☆
彼は、「外発的に動機づけられた人は宗教を利用するが、内発的に動機づけられた人は宗教を実践する」
と述べています。「宗教を利用する人」とは、全能の神さまを簡単に信じると同じように、実に簡単に信仰を
棄ててしまう幼児たちのことだと思います。・・・・・・(ry


166:神も仏も名無しさん
08/12/10 13:23:50 7GVRngt4


■ キリスト教は、宗教戦争・紛争で沢山の残忍な殺戮を繰り返しているのに
勢力拡大して、世界最大宗教にまで発展してるではないですか?  ■


     人
    (_)
   (__)    
   (・∀・ ∩ ))   ☆★ 勿論、<カルマや輪廻>なんてあるわけないでしょw ★☆
 ((  (⊃ 丿
    (__)し'



「教会は最大の犯罪組織」 URLリンク(www.hpo.net)
「魔女狩りの時代」 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
「十字軍の実体」 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
キリスト教 URLリンク(www6.plala.or.jp)
聖バルテルミーの大虐殺 URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)




167:神も仏も名無しさん
08/12/10 13:44:38 tCapn5hI
>>164
一読して仏教的でないから、あまり精読してません。なんでこんなものが根拠になるのか分かりかねます。

> そして仏教の因果論は(他のインド思想とは違って)相互依存的ですので、「因があるから果があると同時
> に果があるから因がある」といった調子です。「因果同時」などという言葉もあります。
>
> シャカが説いた瞑想法においては、自己の苦悩を解体するために、どこまでも現在に立脚して、過去の
> 原因を遡及します。「この苦しみの原因はどこにあるのか」という分析的手法です。結果をもとに原因を
> 抽出する感じですね。ですから、結果は原因を創り出しているわけです。また現在の結果は未来の原因
> でもあるわけで、原因と結果は相即として語られたりします。例えば、親という存在が子という存在を生
> み出す原因である、と考えてみてください。親は子の因でありながら、子という果が成立した瞬間に初
> めて親という概念が成立します。親という「因」と、子という「果」、概念の誕生は同時なんですね。

まず、ここら辺が問題ですね。縁起を「相互依存」とするのは宇井伯寿等の解釈ですが、
現在では月称菩薩以降の解釈とされてます。つまり、縁起に対する根本的理解がどうも怪しいです。
それは以下を読むにつれ確信に変わります。


168:神も仏も名無しさん
08/12/10 13:45:54 tCapn5hI
a > 仏教では、ヒュームがいうような因果性は、苦悩のもと(=執着や無明)であると考えます。その落とし穴
 > を避けるためにこそ仏教の因果律という認識手法はあるのです。

b > つまり「月光仮面などいない」と知るためこそ活用すべきなのです。

c > つまり、仏教で説こうとしている因果・縁起という認識は、おのれの執着・無明を相対化
> するためにこそある、と言えそうです。

a だけを読めばそう変ではありません。b が問題です。
世俗でいう妄想を断つために縁起があると、なると全ての意味が変わります。
無明も b の意味なのでしょう。これでは全く仏教ではない。

無明というのは、精神病者が見る妄想やただの思い込みといった意味ではなく。
今、自分や諸物が存在していると認識する素朴実在論のことです。
戒律によって悪い行動を断ち、意識を集中させる習慣をつける。
ある程度集中してきたら、禅定・三昧によって極めて集中させる。
その状態で、諸物が確固として存在していないことが体験できます。
これが、サマタ、シャマタ、止という状態。

この状態の中で縁起を観ずることで、自我意識がないことが体験できる。
これがヴィパサナ、ヴィパシャナー、観ということです。これが無明を断つことでしょう。
だから「因果・縁起という認識は、おのれの執着・無明を相対化するためにこそある」
のと言ってもいいですが、この意味でであって「月光仮面などいない」と知るためではなく、
他ならぬ我や諸物が実在しない、ただ縁起して仮設していることを知るためにあるんです。

つまり、凡夫の意識で論理的に縁起を理解しても決して無明はなくらなないのです。
こういった基本的な認識がないので仏教と現実とに矛盾を感じる釈さんは、
レヴィナスとかを持ち出して現代思想との折衷を図ってなんとか折り合いを付けてるのでしょうが、
それは全く苦の解放に繋がる悟りへの道ではなく、現代への阿りでしょう。


169:神も仏も名無しさん
08/12/10 15:03:04 Il1G2oH1
机さんはじめ「不落因果」ばかり・・・・

>168
おっしゃるように仏教は仏教のコンテクストで読むべきですよね。

170:前スレ5
08/12/10 15:54:26 mmTh0gjV
>>150  における、私の疑問にお答えくださった多くの方々に
ここでお礼を申し上げておきます。

 164さん 168さんの見解は夜にもう一度、よく吟味して私見を述べさせて
いただきます。

よろしければ、IDが変わりましても識別可能なようにコテまたは
ナンバーをふっていただけるとありがたいのですが。

171:神も仏も名無しさん
08/12/10 15:59:20 fldZXnBi
>>166
関連URLもっと紹介してくれ。

172:神も仏も名無しさん
08/12/10 16:13:03 tCapn5hI
>>169
仰る通りです。不落因果、ああこんなことでした。
URLリンク(zenken.aichi-gakuin.ac.jp)

机さんは、机節ですから。

重要なことを忘れてました。 縁起も上のように定に入った観の意味もあるし、
そうでない凡夫にとって縁起は、まず因果関係を示すものです。
それを凡夫の立場で否定してはどうしようもないということを言いたかったのです。

縁起にしても仏教の概念は重層的に用いられていますから、どのような状態・境地で、
説かれているかを考えて読まないと誤読すると思います。

加えて禅で「教外別伝・不立文字」と強調されるように最も重要な部分は
覚った師から弟子へと教えなければ伝わらないのが仏教です。
これは原始仏教からずっとそうだったわけで、だから伝授・法灯が重視されるのです。

現代でもアメリカの大学では、伝統的な師と文献研究を融合した形で学ばれているそうです。
自分が変化した実感をもってから、仏教が効果的であることを確信し、
それから伝統的な師について学ぶとともに文献研究も行うと聞いています。
日本ではとりあえず本から入るのが一般的ですよね。
ずいぶん、違うしアメリカの方が正しいでしょう。
なぜなら、他の仏教国では日本人が仏教を学ぶのに本から入ると聞くと少なからず驚くからです。
なぜ、師から学ばないのか?と。


173:999
08/12/10 16:25:13 tCapn5hI
>>170

ご参考になれば、幸いです。

174:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/10 16:31:07 zYLPcvUx
>>169
拙者は「縁起と因果は別もん」ていうのは一環してまふよ。
前のスレでも書込みしましたし。

縁起は第一義(勝義諦)ですから揺るぎはない。
因果は世俗諦。
全く別もんです。

175:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/10 16:47:41 zYLPcvUx
【因果について再度考察】
因果といふのは、当然でありますが時系列的意味あいを含みます。
不去不来においては、こういった概念(時系列)は論理的整合性はありません。
このことは>>4を参照してください。

【不去不来とは】
これは、過去・現在・未来の否定。という意です。

176:神も仏も名無しさん
08/12/10 17:55:20 auWYPXDZ
>>160
> 仏教では人間に生まれることが希有とされます。

オウムも↑ と同じと推察してます。
人間に生まれることが希有だから、今生、出家して真理の求道者となり解脱しなさいとオウムでは説いていたようです。

↑ は、宝珠愚者さんと異なる点でしょう。キリスト教は、明確に動物と人間を区別していますから・・

やはり彼からは、クリの臭いがします。↓☆

>あなたがそれほど輪廻転生に「執着」するのは、キリスト教の「罪の概念」を、仏教に持ち込みたいからではありませんか。


177:神も仏も名無しさん
08/12/10 18:54:03 auWYPXDZ
>>142
>私が知っている存在の一人は、この恐らくはもう3万年以上もの間、今もこうして同じ若き青年の肉
体をそのままに保持し続けています。数百年~数千年という存在ならばもっと数名います。・・・

↑ 言葉なら誰でも言えますから、知っている存在の証明をして下さい。

>また、解脱した存在で輪廻転生の否定を説く方は完全に皆無です。全員、例外なしにそのことを重
要視して説かれます。否定を説いた方の存在を私は一例も知らない。

↑ 言葉だけでなく、言われたことの証明をして下さい。

>>161
>確かに禅定状態で何年も生き続けたという話は、よくあります。例えば『大唐西域記』、弘法大師の入定など。
また、釈尊も懇願によって寿命を延ばされたと説かれます。

近い年代には、どのような人がいますか?



178:神も仏も名無しさん
08/12/10 20:28:29 HMfcJLSE
>>156
スマナサーラ長老も同じようなことを書いてたような・・・

179:999
08/12/10 21:21:28 tCapn5hI
>>176
オウムは困りますね。

>人間に生まれることが希有だから、今生、出家して真理の求道者となり解脱しなさい

これは仏教でも全く同じです。テーラワーダ、チベット、日本みな同じです。
最も現代日本仏教では、あまりそう言う方はいませんが。

オウムの問題は、私の理解では二点あります。
一つは、伝統を尊重しなかったこと。
もう一つは、観(ヴィパシャナー)を行わなかったこと。
以上から、無我・空を体験できなかった。
伝授なしに密教を実践したので、狂った。
と考えています。



180:999
08/12/10 21:31:07 tCapn5hI
>>177
つまり、物証を見せろってことですよね。
信じないなら、それでいいし、私自身はこういう物証は重要視していないので、
よく知らないのです。こういう面より縁起や無常、苦という誰でも実感できる点から
出発する方が重要だと思ってます。
それにこれを出すとドンビキする方が多いと思うのですが、出してみました。

全く同じものは知りません。
ですが、死ぬときに禅定に入って死んだ方は二人知っています。
自分の眼で観ましたが、そう言っても信じてもらえないでしょう。
ですから、眼で確認できるものをご紹介します。

成就者が、仏舎利(リンセル)を残すことも知られています。
以下の仏舎利(リンセル)展が日本でも開かれます。
URLリンク(www.fpmt-japan.org)

ゾクチェンでは、虹身を成就すると髪と爪以外は、元素に融け入ると言われます。
そして、完全な虹身を成就できなかった方でも、途中まで元素に融け入って、
身体が小さくなることが度々あります。以下、その事例を写真入りで紹介し、
最後の部分は、近年の事例を列挙しています。
また、成就者は、物質に妨げられなくなると言われています。
その証拠として石に手型や足型を残しています。
URLリンク(namofo.com)

さて、いかがでしょう? 

181:宝珠愚者
08/12/10 23:28:34 QE+RBZlm
>>147
>「霊的」「霊的な成長」とは、具合的にはどういうことですか。
>「霊」と言う言葉は「幽霊」と混同されるから、

はい、すみませんでした。
これは心霊関係の意味ではなく、高い精神性のことです。
しかし、そこにあるものとは唯物主義の観点でみた精神レベルではありません。
物質(への執着意識)レベルから遠ざかっていく方向性での精神性です。


>>148
>それはおかしい。本能は、人間の生存と種属の維持のために「創造主」
>が人間に与えた「最大の恩寵」のはず。「人間」がそれを否定すること
>は、「創造主」の真っ向からの否定と冒涜ではありませんか。

 もちろんそうですが(それは与えられるものです)、
 もう少し詳しく述べると、人間の脳の活動には本能・情緒活動を司る「大脳辺縁系」と、倫理的で知
性的な創造性を営むような活動を司るところの「新皮質脳」という二大活動がインプットされています。
 一方は生存本能そのものであり、他を排除してでも自己の生存を最優先する意識です。そこには慈
悲的な活動はなく、あくまでも他を排除してでも自己が勝利しようとする利己的遺伝子のような非常に
冷酷な意識です。対する新皮質脳の働きは、他との協調性と慈悲心を働かせ、よりよく生きることを考
えます。
 大脳辺縁系からくる意識活動は弱肉強食時代からの遺伝的意識であり、つまりは当時の野生的な
名残りなのです。これは食うか食われるかの生存本能です。人類もこれのお陰で生き残れてきたので
すが、弱肉強食の必要が終ったにも関わらず、この意識はそういう判断しかできないのです。

 この弱肉強食の食物連鎖から外れた人類にいまだに残るその時代からの名残り。そこからくる潜在
的な本能意識--これが仏教での悪しき煩悩と呼ばれるものになっている。ヘタな説明ですみませんが、
なんとなく分かるでしょうか?

182:宝珠愚者
08/12/10 23:30:36 QE+RBZlm
---5さんへ
>>149-150
>失礼ですが、私には、その女性のかたは、極めて健全な理性の持ち主のように思われます。

 別に嫌われたわけではありません。自分でいうのもなんですが、とても好かれていたと思います。
ただ、「あなたにはついていくことができない!!」と言われましたw (まっ、当然ですね--彼女は宗教も
何も知らないごく普通人のひとでしたからね)

>わかりました。人類が清い心をもてば自然災害は起こらないわけですね?

 そうです。地球それ自体の生体活動もあるので完全になくなる話ではありませんが、必要以上に発生
している分の自然災害については激減するでしょう。
 人類全体としての想念波動/想念形態は一つのエネルギーであり、この自然界とも密接に絡み合って
います。科学がそれに気付けるのはまだまだ遙か先のことでしょう。人類がそのことに気付くようになれ
ば、自然災害による悲劇の悲しみが低減できるようになるのです。

>私の今の率直な感想は、宝珠愚者さんの言ってることは、どれも甚だしく
>仏教から逸脱しているように思われます。

 経典に書かれていない話をしたからです。しかし、経典に矛盾してる内容でもありません。

183:宝珠愚者
08/12/10 23:31:57 QE+RBZlm
>>152
>御自身のこの意見は本当に正常であると思っておられるのでしょうか?  
>私には、とてもひどいことを言ってるようにおもえるのですが?  
>我が子に、このようなことを言われたご両親は、いったい
>どういう気持ちになるか考えたことはありますか?

 5さんがいいたいことは、もちろん分っています。
 ここの反対論者の殆ど全員があなたと同じ理由で反対しています。つまり、仏教だからではなく、また
それは経典に書かれてあるないに全く関係がないのです。「我が子に、このようなことを言われたご両
親は、いったいどういう気持ちになるか考えたことはありますか?」という、この言葉に全て集約されてい
ます。

 いいでしょうか!そのような感情論や感情的反応によっては人類が救われることはないのです(救う、
救われるという言葉は嫌いですが、ここでは便宜上として使いました)。そのことに人類が気付くまでは
この悲劇は繰り返すのです。それが無明輪廻の恐ろしさなのです。
 可哀想ということではなくて、二度とそのような生まれ(境涯)とならないように、輪廻について知り、そ
して学び、己れの行為に責任ある人生を歩んでいく・・そのことで自らが救われるのです。

>彼らに、殺されなければならない、どのような理由があったのですか?
>彼らは前世において悪業をつんだために、その命を奪われたわけですか?

 私には個別の事例を判別する力はありません。しかし、そこに居合わせる理由なくして巻き込まれる
筈がないでしょう!何故、Aさんではなくて自分だったのか?仏教(真理)には偶然という逃げはありませ
ん。全ては必ず理由があって起こるべくして必然にて起こっています。人間はそれを知らないだけです。

>あるいはヒトラーによって命を奪われた多くのユダヤの人たち。
>彼らに、殺されなければならない、どのような理由があったのですか?

 業(カルマ)には大きな民族としての業、国家としての業といった大きな流れもあります。人々は互いに
関係性の中で責任を分け合い責任を共有しています。

184:宝珠愚者
08/12/10 23:32:51 QE+RBZlm
>命を奪われることが、なぜ試練なのですか?

 私にもそれは分りません。本人にとって必要な、本人がより成長できる体験になるからでしょう。

>彼は「被害者を殺してあげることによって、その魂を救うのだ。」
>と言って自己の殺人の正当化を図りました。現世の死を来世における
>より良い存在への架け橋   のような解釈は絶対にしてはならないこと
>です。それこそ、生命軽視へと繋がります。(まあ、そのような考えではないと思いますが)

 もう、いい加減にして下さい!
 そういういい方は、もう子供の駄々っ子と同じレベルです。5さんは何歳ですか??ですから、1番重
要なのは他を害さないことが自己の行為/行動になる。アヒンサーが最重要な教えですよ。人を殺すく
らいなら殺されるほうがより良いに決まっている。なのにどうして相手を殺害する教えになるのです?
気が狂ったどこかの新興宗教の教祖などとは一緒にしないで下さい。もっと理性的な思考をして下さい。

 ゴータマの教えや私の説明のどこに殺人思想が在るのか?もう、あなたとの会話はこれで辞めても
いいのですよ!

>「命を奪われることが、なぜ試練なのですか?」

 肉体生命よりも重視するものを宗教は説くのです。そんなこと当たり前のことですよ。もうお願いします。
5さんはまず、「宗教」とは何か?辞書を開くことからやり直すべきです。どこかの仏教徒のそれ--断滅論
は宗教とはいいません。それは、ただの哲学レベルの範疇です。

185:宝珠愚者
08/12/10 23:33:45 QE+RBZlm
「最古層仏典には業に関する記述は皆無である。」
>>51
>はい、すみませんでした。
>これについては経文を再読してから意見を述べたいと思います。時間を貰います。

 はい、約束通り、疲れた意識でなんとか目を通しました。見逃しがある可能性もありますが、取り合え
ずは1経、ついに見つけ出しました。「前世に宿善を植えた」ということから、これは間違いなく業報思想
ですね。はい、しっかりとここに在りました! 尚、最古層ということで確認したのは4-5章だけです。

 「かれらはすべて、それぞれ衆徒を率い、全世界に命名があり、瞑想を行い、瞑想を楽しむ者で、しっか 
りと落ち着いていて、前世に宿善を植えた人々であった。」(スッタニパータ1009)

186:宝珠愚者
08/12/10 23:35:43 QE+RBZlm
>>151
仏陀が鬱病でイエスは統合失調症ね。はい、わかりました。
もう、あなたとは会話しません。別にあなたが分る必要もない--ご自由にどうぞ!


>>155-156
 読みましたが、だから何?って感じでした。こんなもの何の説明にもなっていません。相手が可哀想と
いう次元の会話だけで、何の理論もありませんでしたね。

 因果応報は真理でしょう!そうではない、というのならば、それについての納得いく説明が必要です。そ
れがないなら話にならない。期待してリンクを開いたが、何の役にも立ちませんでした。そこに何の説明
があったか??? >>152の5さんと同じだけでした(もう100万回、そんな言葉は聞かされてきています)。

>>158
>他者に適用させようという心象を私は「カルト的」と呼ぶことにしています。

 意味不明です。チベット国はカルト国家ですか?仏教的な意味では理想国の事例でしょう!チベット民
族の誰がいちいち、「私の子供は自業自得といわれました。悔しいです。酷いです」などといい、激怒し嘆
いていますか?


187:宝珠愚者
08/12/10 23:36:17 QE+RBZlm
>>160
>基本的に似てますが、宝珠愚者さんの説はスマナサーラさんの教えをベースに
>色々な私見が入っているように思います。

 テーラワーダの教えなど私は知りません。

>仏教では人間に生まれることが希有とされます。
>それはジャータカでも、律でも説かれますし、
>『勧戒王頌』『入菩提行論』『往生要集』『修証義』などでも説かれます。

 それは人間として生きる喜びと有難さから、より自ら精進するように仕向けさせるための倫理的な方
便です。確かにそう信じたい人はすればいいのです。私は別に止めはしません。また弊害となるべき話
でもない。

 あなたのお話は私は理解します!

188:宝珠愚者
08/12/10 23:38:27 QE+RBZlm
>>165
>なぜなら、「理解不能」 だからです。☆★

 だから理解して意識的に歩んで輪廻から脱しない限りは、永久にそのような苦の人生を繰り返し
続けるのです。そのためにこの輪廻転生(業報思想)の教えは説かれている。相手が気分を害する
だろうから、やっぱり悪いからいわない・・そんなレベルの教えではない!!


>>166
>■ キリスト教は、宗教戦争・紛争で沢山の残忍な殺戮を繰り返しているのに
>勢力拡大して、世界最大宗教にまで発展してるではないですか?  ■
>☆★ 勿論、<カルマや輪廻>なんてあるわけないでしょw ★☆

 酷いことをした個人が苦しみの生を受けていくのです。また、現在のキリスト教がこのまま存続できる
筈もない。いずれは反省して中身が換わるか、でなければ消滅していくだけです。その二つに一つです。


>>177
 証明などと・・そんな簡単にできる筈がないことくらい、あなたもわかってるでしょう!ただ私は、ゴータマ
以外の教えも知っており、それを学んで受け入れてきたのです。また私は、そのような驚異的な存在に直
に出会った体験を実際に1度だけ持っています(相手は肉体でした)。

189:神も仏も名無しさん
08/12/10 23:50:10 fAvLs6TA
唯物論者は必死なのです。

コピペ
ゴータマ・ブッダ考 並川孝儀  

[評者]宮崎哲弥氏 「朝日新聞・書評」2006/02/05 掲載
文献学というのは一見地味だが,実は刺戟的な学問分野だ。とくに「仏教とはどのような教えか」を考えるとき,文献学的教養は不可欠といってよい。
何故なら,あらゆる経典が,開祖ゴータマ・ブッダの著作ではないことが明らかになっているため,
ブッダ自身が一体何を説いたのかは,文献学による遡及を介して推知する他ないからだ。
本書には,文献学という世界の面白さ,楽しさが詰まっている。それはまるで考古学や探偵小説を思わせる。
著者は,まず先学に倣って初期仏典の韻文経典を最古層と古層とに分類し,それらに徹底的な批判を加え,最古層から古層への記述の変化の流れを検出する。
そして,その流れの方向性を逆に辿ることで,最古層以前の「歴史的ブッダ」の説いた思想が推定できるというのだ。
これはとても妥当な方法だ。昨今の啓蒙書のなかには,仏典成立時期の目安となる韻文,散文の区別を無視し,
語形の変化もお構いなしに,悉くブッダの真説とみなす,まったく乱暴な説述が見受けられる。
対照的に,本書の視座は客観的であり,実証性に富む。然るに,その手堅い推論の帰結は新鮮ですらある。
例えば「ブッダ」という呼称,「渡す」という語の用例の変化から,救済者の性質が開祖に付加されていったことがわかる。
また「涅槃」の語源やブッダの息子,ラーフラの命名をめぐる推理と考察などは本当に探偵小説顔負けだ。
では,ブッダは輪廻をどう捉えていたか。古層の経典では,確かに輪廻は業報と結びつけられ,積極的に説かれる。
だが著者は文献を精査し,最古層の経典には輪廻(サムサーラ)という語は見出せず,「来世」や「再生」などの表現はみえるものの,
いずれも否定的な文脈に限られている事実を突き止める。
ブッダ自身の輪廻観は飽くまで否定的であったと推すことができるのだ。
「無我なのにどうして輪廻という生死を超えた我の存続を認めるのか」との疑問が氷解するとともに,
当時から流布していた輪廻という観念の因襲を,無我の思想を立てて解体しようとしたブッダの姿を,本書は見せてくれる。

190:神も仏も名無しさん
08/12/10 23:54:05 Nw9MEq3d
>>181
> 一方は生存本能そのものであり、他を排除してでも自己の生存を最優先す
>る意識

君は、神が創った人間を勝手に改造して「人造人間」を造る積りなのかね。
それが、創造に対する冒涜なのだよ。

その生存本能から、自他の死への恐れや他者への憐れみが生じる。人間は、
独りでは絶対に生存できないことを、これも本能的に知ってるからだ。

「情けは人のためならず」という諺が、そのことを如実に教えているではないか。

191:神も仏も名無しさん
08/12/11 00:21:50 t7areZ62
愚昧で傲慢な奴は救いがたい

192:前スレ5
08/12/11 00:38:08 RXrRojey
宝珠愚者さん  あなたは自説を受け入れない相手に、しばしば
ヒステリックに反応しますが、その癖はお止めになったほうがよろしい
と思います。

宝珠愚者さん自身、以前、相手への誹謗、中傷などは好ましくない と
書かれておられたように記憶しておりましたが記憶違いでしたか?
>そういういい方は、もう子供の駄々っ子と同じレベルです。5さんは何歳ですか??

これは?

193:前スレ5
08/12/11 00:40:09 RXrRojey
>もう、あなたとの会話はこれで辞めても
いいのですよ!

この言い方は何なのでしょうか?  「私はあなたと会話してあげてる
のだ。」  という気持ちが言外に滲みでておりますね。
今まで私は宝珠愚者さん  と会話「させていただいていた」のですか?

>>命を奪われることが、なぜ試練なのですか?

 私にもそれは分りません。本人にとって必要な、本人がより成長できる体験になるからでしょう。

「本人にとって必要な、本人がより成長できる体験」 とは当然、死後に
おいてですね。 つまり明らかに、あなたは現世で命を奪われることを
死後のより良い存在と結びつけて考えておられます。

それではお聞きしましょう。地下鉄サリン事件の被害者の方々は
1.過去世において殺されなければならないほどの悪業をおこなった
2.麻原の言うように来世で救われる(より良い存在になる)ための
 試練として殺された
宝珠愚者さん  の見解からすれば、以上2つのどちらか(あるいは
両方)が その因となりますが、そのようにお考えなのですか?



194:前スレ5
08/12/11 00:43:18 RXrRojey
>>「命を奪われることが、なぜ試練なのですか?」

 肉体生命よりも重視するものを宗教は説くのです。そんなこと当たり前のことですよ

それでは、お聞きしますが生命よりも大切なものとは何ですか?
その宗教の教義? その宗教の説く真理? そのようなものですか?

195:神も仏も名無しさん
08/12/11 00:59:07 3Dq3UmTj
横スレ失礼つかまつります。

不滅のスピリットにきまっておりましょう。肉体はいつかは滅びるのです。


精神上より不滅を語るは、必ず意識以外の細微なる精神を説きて後に語るべきものたり。

 一、仏教をもって霊魂不滅説なり、というものあらば、
    その霊魂とは普通にいう(生前)意識にあらずして、
    阿頼耶識のことかまたは、業力のことならざるべからず。

 二、意識は消滅すべし、業力は不滅なり。

妻木直良「霊魂論」より

196:前スレ5
08/12/11 01:20:15 RXrRojey
>>わかりました。人類が清い心をもてば自然災害は起こらないわけですね?

 そうです。地球それ自体の生体活動もあるので完全になくなる話ではありませんが、必要以上に発生
している分の自然災害については激減するでしょう。
 人類全体としての想念波動/想念形態は一つのエネルギーであり、この自然界とも密接に絡み合って
います。科学がそれに気付けるのはまだまだ遙か先のことでしょう。人類がそのことに気付くようになれ
ば、自然災害による悲劇の悲しみが低減できるようになるのです。


仏教とは全く関係のないオカルト話にしか、きこえません。


>経典に書かれていない話をしたからです。しかし、経典に矛盾してる内容でもありません。

他の惑星に転生したり、3万年以上生きてる青年の話が経典と矛盾していない?
そうなんですか?

>>あるいはヒトラーによって命を奪われた多くのユダヤの人たち。
>彼らに、殺されなければならない、どのような理由があったのですか?

 業(カルマ)には大きな民族としての業、国家としての業といった大きな流れもあります

なるほど。ユダヤ民族は虐殺されるべき業を背負った民族であると言われる
わけですね。


>もっと理性的な思考をして下さい。


宝珠愚者さんよりも。理性的に思考しているつもりですが。


197:宝珠愚者
08/12/11 01:49:38 hAAHbxBj
>>192-194>>196

>それではお聞きしましょう。地下鉄サリン事件の被害者の方々は
>1.過去世において殺されなければならないほどの悪業をおこなった
>2.麻原の言うように来世で救われる(より良い存在になる)ための
> 試練として殺された
>宝珠愚者さん  の見解からすれば、以上2つのどちらか(あるいは
>両方)が その因となりますが、そのようにお考えなのですか?

すでに答えました!
だからといって、クソタレ麻原/自称-最終解脱者の無差別殺人テロが正当化されるわけではない。
彼は無限地獄で100万年苦しむことになる。そうでなければ彼は分らないのです--当たり前の結果です。

>それでは、お聞きしますが生命よりも大切なものとは何ですか?
>その宗教の教義? その宗教の説く真理? そのようなものですか?

辞書にちゃんと書いてあります(恐らくどんな辞書にも)。

>なるほど。ユダヤ民族は虐殺されるべき業を背負った民族であると言われるわけですね。

何度、聞いても同じことです。
そこに居合わせる原因や理由なくして、その人がそこへと巻き込まれる道理(摂理)はない。
5さんからの同じ問いにはもう答えません(5さんが認める必要はありません。)

198:前スレ5
08/12/11 01:50:26 RXrRojey
あと、175において 机さんの述べられていた見解、これは、
どうなんですか?  中観派における主流な考えなのでしょうか?
それとも机さん独自の見解なのですか?

私、個人としては非常にうなづけるところが、あるのですが。
999さんは、おそらく違う見解をおもちでしょうから、よろしければ
お聞かせください。

199:前スレ5
08/12/11 02:11:34 RXrRojey
>>197  結局、最後は自分に不利な質問には言葉を濁して、回答拒否
    ですか?

>すでに答えました!   明確な回答はもらっておりませんが、

その下の書き込みから推察しますと、2の見解でよろしいわけですね?

>>それでは、お聞きしますが生命よりも大切なものとは何ですか?
>その宗教の教義? その宗教の説く真理? そのようなものですか?

辞書にちゃんと書いてあります(恐らくどんな辞書にも)。

辞書にかいてある?いったい何という辞書ですか?

>>なるほど。ユダヤ民族は虐殺されるべき業を背負った民族であると言われるわけですね。

なぜ「そうです」  「違います」 のように答えられないのですか?
「そうです」 と答えることによって批判されることを恐れているのですか?

>(5さんが認める必要はありません。)

今までもそうでしたが、御自分の意見がいれられないと、最後には
「~さんに信じてもらう必要はありません。」
「~さんにわかってもらう必要はありません」 と一方的に終了させて
いましたね?  

宝珠愚者さんは、御自分の意見に賛同してくれる人たちだけ集めて
馴れ合いの場にしたいのですか?

200:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/11 07:34:31 T+LzvJvs
【縁起と因果について】

例えで説明してみます。
縁起といふのは、映画フィルムの一コマのようなもんです。
因果というのは、この一コマを繋ぎ合わせたような概念。

一コマを繋ぎ合わせてストーリー性を作り上げるのが、五蘊による心作用です。
ここで重要なのが、
このストーリー性を作りあげる・・・そのストーリー自体に法則的なものがあるのか?
ってことですね。

人が勝手に作りあげる心作用というのは法という訳ではない。
単なる現象に過ぎないわけです。

勝義諦といふのは、こういった“現象ならしめる理”のことです。→これが縁起(空)
現象(ストーリー)、つまり因果の概念は世俗諦ということになります。

ストーリーは定置一点の視座になりますが、
(これは単純な因果関係です)
縁起は複合的相依性において、視座は可変であります。→つまり複合である。ということ。
(複合的相依性においては、この単純性が崩壊してしまう)
どうかそこのとこを熟考してくらさい。

前者がニュートン力学の視座だとすると、
後者はアインシュタインの相対性理論の視座ということになる。

201:神も仏も名無しさん
08/12/11 09:15:44 0xlrJEVN
>>200
>一コマを繋ぎ合わせてストーリー性を作り上げるのが、五蘊による心作用です。

つまり、これが 「輪廻転生」説ですね →ストーリー性

■このストーリー性を作りあげる・・・そのストーリー自体に法則的なものがあるのか?■

人が勝手に作りあげる心作用というのは法という訳ではない。単なる現象に過ぎないわけです。


★ 机氏の論は、淡々としていいなぁ~、勉強になるし、♪サンキュッ (v^-^v)♪ ★☆

前スレ>6
>どこのスレにおいても、せっかく良い議論に発展しながら
結果的に全部、途中で放置され、または議題が逸れていって中途半端に終るのです。

↑ 既にそれが<観念>であることの証明でしょう。






202:神も仏も名無しさん
08/12/11 09:20:38 0xlrJEVN
>>144
■ <釈尊入滅後100年を経て> 経典は編纂されたそうです。 ■

80歳で入滅した時に、20歳の直弟子ならば、120歳の時に経典が編纂されたという
ことで、アーリア人というのは記憶力が抜群で、一回聞けば記憶に残っているらしいと
言っても、口誦文化(口伝え)で記録に残さなければ、老いてボケたりすれば・・・?・・

忙しい現代でも、人間が忘れることは本能ですからねw(笑
他の理由でも、やはり、大昔の経典は盲信・狂信することなく疑う必要ありでしょう
それが科学が発達した現代人の使命・智慧→盲信をエスカレートするより真実を究明するべき

>私なりのレベルで法務省には抗議しています。どうしても死刑を続けるなら、TVでゴールデンタイ
ムで生放送せよ!といった。私は徹底した死刑廃止論者です。

どうも、レスから推察すると宗教家独特の理想・野望・エゴ・冷たさ・狂気・・・のようなものが感じ
られますが「徹底した死刑廃止論者です」とも言われる・・・・??誰でも、死刑は勿論、嫌ですがw
フセインの死刑も勿論反対だったわけですね?


203:前スレ5
08/12/11 10:58:47 RXrRojey
まず、机さんに詳しい解説のお礼をもうしあげます。

映画のフィルムの一コマですか。 なるほど。  すると、

フィルムの一コマを取り出し、その中の特定のものに視点をあてる。
例えばAさんとしましょうか。 このAさんは通常「個」の意識を
もって暮らしております。「自分はAであって、Bさんではない。」
このような意識ですね。しかし、これは誤認識であり、本来、単独で
存在しうるものなどない(無自性)。 全ては相互依存においてのみ
成り立つものであり、その関係性の中にのみ存在しうる。
Aさんは、このことが理解できてない(無明)

このようなことを縁起という。

そして、この一コマを時系列のなかで考え、例えば D-11 というコマと
D-12 というコマの間に原因と結果という関係性を見出し、物語を作り
あげていく。   これが因果である。

甚だ簡略ではありますが、このような理解でよろしいのでしょうか?
机さんを初め、「お前、そりゃ全く違うよ。そんなのは、中観派とは
全く違う視点だ。」  というご意見をお持ちの方は、よろしくご指導
お願いします。





204:神も仏も名無しさん
08/12/11 12:02:41 t7areZ62
福田康雄元首相曰く
  『私はあなたとは違うんです!』

205:神も仏も名無しさん
08/12/11 12:42:21 t7areZ62
〇 福田康夫
× 福田康雄 

206:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/11 12:58:36 T+LzvJvs
>>203
>「自分はAであって、Bさんではない。

そうですね。
A(主体)、B(客体)といふ二項における単純な関係性においての因果なら、
それはそれで成り立つのですが、
ところが、
そのフィルムには、CとかDとか複雑な相互依存の関係がありますし、
(関係性は単純ではない)
そもそもAを立脚点とするところが、既に相対概念ですね。
(論理性は相対で成り立ちますから、相対(世俗諦)を否定している訳ではない)

勝義諦ですと立脚点はないです。→主客といふ相対がそもそもない。
(ここのとこが最も重要ですね)

他は、だいたい
貴殿の書込みと、意とするところは同じです。

>コマの間に原因と結果という関係性を見出し、物語を作り
>あげていく。   これが因果である。

そのとおりです。

>>201
>既にそれが<観念>であることの証明でしょう。

そうですね。
観念論を脱した論考を希求いたしとう思ひまふ。

207:前スレ5
08/12/11 15:46:48 RXrRojey
机さん  レスのお礼を申し上げます。

「勝義諦」ですか。  これが難しい。


203でも書きましたが、
「お前、そりゃ全く違うよ。そんなのは、中観派とは
全く違う視点だ。」  というご意見をお持ちの方も、よろしくご指導
お願いします。


208:神も仏も名無しさん
08/12/11 17:09:31 D+5/WWZc
>>179
ご丁寧な返レス有難うございました。

>もう一つは、観(ヴィパシャナー)を行わなかったこと。

言われてることは、↓で宜しいのでしょうか?元々、アンチで宗教に詳しくなくって・・すみません。

『縁起観』
URLリンク(park22.wakwak.com)

生きるということは、客観的には我々は「生かされている」、主観的には「生きている」ということ、
本質的には「生き抜いていく」ということ。「生きる」と言うことは、我々に生活を任されている。

「阿難よ、あなた方は、ただ自らを燈明とし、自らを依りどころとするのです。他人を依りどころとしてはならない。
また法を燈明とし、法を依りどころとするのです。他(他人、神)を依りどころとしてはならない。」・・自燈明・法燈明

確かにオウムでは、「生かされている」とか言うことは、余り説いていない気がします。現世否定ばかりでw

>>180
>また、成就者は、物質に妨げられなくなると言われています。

う~ん。不思議な体験はあるのですが、>>189氏のように、判断は、専門家に検証してもらってからですね(笑
彼らは、人々に敬われお布施をされ成仏?して、現実に生きている人達にどのようなメリットを残しているのでしょうか?


209:神も仏も名無しさん
08/12/11 18:26:56 3Dq3UmTj
スレの趣旨に戻りましょう。

仏陀は転生を説いたのです。これは覆すことのできない事実です。


何れの宗教も霊魂の不滅を説かざるはなし。
哲学上よりいうときは、無霊魂の意識など称して、無霊魂を説きつつ、心的作用を説明せんと企てるものあれど、宗教に於ては殆んど有霊魂説なり、霊魂不滅論なり。
印度古代の婆羅門教は、霊魂の不滅を説く。基督教も不滅説なり。仏教の殆ど全部も、また不滅論なり。されどその不滅を説くにも、説明の模様は大に異なる所あり。
婆羅門教は、死後の転生をいえども、その新に生ぜし時には、以前生活せし所の『我れ』なる自覚がありしや否や詳かならず。
基督教は、自己の意識、即ち今日の自覚を以てそのまま天堂に生まるべしと教える。
佛教には、菩薩及び佛の如き人間以上の地位に到れば、幾度その形骸を変えるとも、明かに自己の自覚的意識ありとすれど、普通の人類に在りては、
すべて形骸を変えるとき、自己前身の意識を失うものとし、名づけて隔生即忘(法華玄義)といえり、生時の苦痛により自覚を失うの意なり。

妻木直良「霊魂論」



210:神も仏も名無しさん
08/12/11 18:34:31 vqFXjgoB
>>208
>あなた方は、ただ自らを燈明とし、自らを依りどころとするのです

これは、釈迦でなくては言えないすごい言葉だと思う。

「自ら」とは、「現在の自分」のこと。「現在の自分」を拠りどころに
するのだから、「現在の自分」ではない輪廻転生など出てくる訳がない。

211:前スレ7
08/12/11 18:38:00 U8onoCnU
>>209
仏典に記述があることは事実だろう。
また、「輪廻」が前提の語りではあったろう。
が、「転生」を説いたかどうかは定かではない。(おそらく確認は不可能だろう)
また、「輪廻」自体に関しても、「【どのような説かれ方】であったか?」は考察されていいだろう。

その上で、(→結果がどうであれ)、
『自分は、このように読み、このように理解し、自身の深い頷きの上で、このように受け止める』
というスタンスを採るべきだろうし、また、それしかないだろうと思っている。

212:神も仏も名無しさん
08/12/11 18:42:57 vqFXjgoB
>>209
>何れの宗教も霊魂の不滅を説かざるはなし。

仏教は異なる。すべては「無」であり、「自性は無い」ことを見出した
のが釈迦の悟りであり、比類の無い偉大さである。

213:神も仏も名無しさん
08/12/11 18:44:14 BdCJx7hv
韓国の朝鮮日報の報道によると、韓国の成均館大学の歴史学科が中国やアフガニスタン、インド、
ネパール等の古代資料をつぶさに研究したところ、仏教を編み出した釈迦は
実は韓国の血筋を引いていたという。

成均館大学のスポークスマンが述べたところによると、韓国南端、現在の済州島付近に住んでいた
人々は紀元前700年前ころにはすでに大規模な航海活動を行なっていたという。彼らの一部は
日本へ渡り、日本文化の一つを形成したほか、もう一部分は東南アジアへ渡っていったという。
現地の発掘調査の結果、当時の韓国人たちは紀元前650年頃にはマラッカ海峡を越えていた
証拠も確認されていると話す。

さらに、スポークスマンが語ったところでは、マラッカ海峡を越えた当時の韓国人たちは現地で
季節風というものを知り、その季節風を利用してインド洋を横断、今日のバングラディッシュへ
到達したという。韓国人学者がバングラディッシュで紀元前650年頃のものと見られる、
明らかに当時朝鮮半島で栄えていた文化の特徴を有した器物を発見したとも話した。

インド北部にあった王国の貴族であるとされている釈迦だが、遺跡調査によると釈迦一族は
インド文化とは明らかに異なる、東南アジア風の生活を送っていたらしい。また、仏教が
編み出されたばかりの頃の経典の中には古朝鮮文字と見られる外来文字も記載されて
いるという。以上から釈迦が韓国血統であることが十分なほど説明できると語った。

12月8日14時14分配信 サーチナ
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
URLリンク(ca.c.yimg.jp)

214:某ピカ
08/12/11 18:46:52 v4khWfEy
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | <  死後の世界や霊魂はあるのですか?と問われたら、
 (〇 ~  〇 |  \  ①ある(と思う)
 /       |    ②ない(と思う)  
 |     |_/ |     ③わからない
             のどれかで答えるのがまともな人間ではなかろうか?
             しかるに、頭のおかしい糞教祖は何と答えたか知ってる?

215:神も仏も名無しさん
08/12/11 20:06:47 t7areZ62
>>214
そもそも中道で調えば、そういう判断の枠組みを問題としない。

>のどれかで答えるのがまともな人間ではなかろうか?
 どうやら俺はまともな人間ではないらしいw

216:宝珠愚者
08/12/11 20:26:38 hAAHbxBj
>>202
>フセインの死刑も勿論反対だったわけですね?

 当たり前です---私は死刑廃止論者だといいました。それは誰それならいいというものではない!
 ただ、法務省に文句をいってもダメなのは明白ではある(苦情/意見は届けているが・・)。そのことを
支持している国民が変わらない限りは絶対に無くせないからです。

死刑とはつまり、
 『元気に生きている五体満足の人間を引きずり出して、ウンコが飛び散らないように革の褌を締め
させ、恐怖に脅えて嫌がる人の首に無理矢理、 ロープを巻き付け、高いところから足場の板をバタ
ンと落とし、数メートル墜ちて瞬間、頸骨が脱臼し、苦しみあえぎ、口、鼻や目から鮮血がほとばしり
出て、糞尿をまき散らし、数分間も苦悶の叫びをあげ続け、やがて痙攣して動かなくなる。「死刑が
執行されました、検死をお願します」と冷たい乾いた声が刑場に響き渡る。これが死刑の現実だ。』
(転載文)

 処刑というのは殺人行為それ以外の何者でもない。「人を殺してはいけない!」と教えるべき筈の司
法が自らが殺人を行うなどとはどういう論理なのか?
 恐らく皆んな、どこか遠い宇宙の彼方の出来事ような感覚でいるからこれを平気で支持するのです。
もしも死刑に犯罪抑止力があるというのなら、どうしてTV放送のゴールデンタイムで生で執行しないのか?
それができないのならば、こんな野蛮人の行為たるものは即刻、廃止すべきです。
---死刑制度を存続支持する国家に未来の繁栄はない!

217:神も仏も名無しさん
08/12/11 20:53:53 pPoOAnUr
>>216
決して、死刑賛成論者ではありませんが・・宝珠愚者氏のレスでは
輪廻転生では殺したらいつか必ず殺されるのでは?
今生バレナクテモ、自殺してもいつかの来世で必ず返ってくるのでしょw

言うことがバラバラみた~い。統合されていませんね。等質ですか?

被害者達も又、人知れず無抵抗に殺されているか、理不尽に殺されているのです。

「神」・「法則」の名前なら良いのですか?・・。「人を殺してはいけない!」と教えるべき筈
の宗教が自らが殺人を行うなどとはどういう論理なのか?(笑

キリスト教も沢山、歴史上で異教徒を残虐に殺してま~すw★☆
URLリンク(www.hpo.net)

もう少し、詳しく説明が必要では?

218:神も仏も名無しさん
08/12/11 20:58:39 pPoOAnUr
>>210
>現在の自分」を拠りどころにするのだから、「現在の自分」ではない輪廻転生など出てくる訳がない。

そう言われれば確かにそうですね。言葉は、受け取り方が360度あるから、解釈がむづかしいw

イエスでも仏陀でも、意識が比類なき状態に達したのなら万人に分からせる力位持てなかったのかとオモw(笑

オウムも→「生きるということは、客観的には我々は「生かされている」、主観的には「生きている」ということ、
本質的には「生き抜いていく」ということ。「生きる」と言うことは、我々に生活を任されている。」★☆

と説いていれば、出家する必要も無く、生かされていることに感謝して現実肯定で働いて生き抜くこと=社会に
貢献することが出来、事件も起きなかった筈です。アサハラの言うこと等、鵜呑みにすることはなかったのです。

今からでも、是非、解散してほしいですねン、上祐さん!お願いしますょw

では、お先に、おやすみん~☆♪~


219:宝珠愚者
08/12/11 21:34:02 hAAHbxBj
>>217
因果の道理から、人を殺せば自分が同じ目に合うのだろうから、
殺させて(死刑にさせて)よいのだ、という話にはならない。
詳しい説明などは不要--あなたには無理なようです。

>キリスト教も沢山、歴史上で異教徒を残虐に殺してま~すw★☆

宗教の名だろうと、神の名によってであろうと殺人行為は最大の害悪です。
全員、地獄の業火に叩き込まれるのです。
あなたは小学からやり直しです。何も学習してきてないようです。

220:神も仏も名無しさん
08/12/11 21:43:22 dF3CrE3S
現象に意味を見出だすな。
これが仏教です。

221:前スレ7
08/12/11 22:15:35 U8onoCnU
>>216
「死刑」とは、世俗の事象であり、世俗のルールであり、世俗の(=人の心の)要請だ。
それを「よくないこと」「避けるべきこと」であると表明するのは、聖なるレベルである宗教の大切な役割だろう。
だが、それはあくまで表明にとどめられねばならない。
少なくとも仏教は、それ以上の働きかけを(その本質の内に)含んではいない。
釈迦国滅亡時のエピ、アングリマーラが行政の追及を逃れ得た理由、等は吟味されていい。
だが、世俗を離れては何ものも存在し得ない。この原則を忘れてはならない。
これを忘れた時、宗教は暴走を始めるのかもしれない・・・。


貴方のような人が裁判員に選ばれたら、議論が紛糾しそうですね・・・w

222:神も仏も名無しさん
08/12/11 22:31:23 LClJ/yhE
「他者の生命を理由なく奪えば、自分の生命も捧げなければならない。」

これはむしろ、犯人の人間としての尊厳を認めていることである。

残りの一生を矯正施設で送らせることは、彼を人間として遇していることには
ならない。

勿論、誤判のないように細心の注意を払うべきであるが、裁判も人間の行為
だから、誤判皆無などは望めない。

万一、不幸にして誤判により死刑に処せられたとしても、それは人間の尊厳
を維持するための、尊い犠牲者、殉教者と看做すべきである。

死刑廃止論者の思考は浅薄である。

223:某ピカ
08/12/11 22:39:52 v4khWfEy
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | <  >>215 中道がどうのこうのというのではなく、
 (〇 ~  〇 |  \   死後生はあるのか、あんたはどう思う?という話ピカ。
 /       |      ④お前なんぞに答えたくない
 |     |_/ |     というのでもまともな人間ピカ。
              キチガイは質問に答えずに
              「毒矢を射た者のことを詳しく知りたがってどうする?
               毒矢を抜くことこそが先決である。この生を真摯に生きなさい」
               などと説教かますピカよwww

224:999
08/12/11 22:46:45 z5LmcDMw
前スレ、読みました。前スレ1さんと卵さんがいいですね。

前スレ #652 で優秀な名無しさんが、下の論文を引いて『勝義空性経』を説明してます。
URLリンク(ci.nii.ac.jp)

上の論文で 楠本氏は、結論でこう述べています。好論文なので読んでみてください。

> 我々は、現代的な考え方から、仏教は輪廻を説くものではないと考え
> がちであるが、それは「現代的な解釈」にすぎない。我々は、例えば
> 世親が生きていた時代における「縁起説」を解釈するとき、当時彼らが
> 所持していた経典は、有部所伝とはいえ、実は阿含段階ですでに解釈
> されたものであったことを考慮する必要がある。

当然の発言ですが、逆に言うとこのような発言を要求される日本仏教学会は
情けないと思います。原因は前スレで卵さんが述べてるように木村先生が急死したことで、
和辻哲郎の「現代的な解釈」が定説となってしまったことにあります。


225:999
08/12/11 22:47:53 z5LmcDMw
>>198
え~机さんは、机節でしょ。勝義はなんもない。世俗は因果で、二諦バラバラ。
私は中観と釈説はほぼ同じと見てます。次に近いのが経量部、アビダルマと唯識はかなり違う。
アビダルマにテーラワーダも入ります。そして中観と般若心経は矛盾しないと思ってます。

縁起、因果、空についての中観の見解は、難しいのですが現在は私の理解では、
まず、『中論頌』24-18でこう述べられます。

> 何か諸因に依って生成(縁起)するものは虚ろなもの(空性)と説かれる。
> それは諸因に依って仮設することであり、それこそ中道である。

 これを『明句論』は注釈して、

> 「何か空であるもの、それは諸因に依って仮設すること」とは、空
> であるものこそが諸因に依って仮設することだと定義される。
> 例えば車輪など車の部品に諸因に依って車と仮設する。
> それ自体の要素に基づいて仮設されたものである
> ... それ故、空性、依因仮設、中道というこれらは、縁起の特殊概念である。

 というように空性、仮設、中道は、縁起のある特性を強調した概念・名称だとしています。

『入中自註』対6-150偈 では、
> 「これに依ってこれが起こる」というこれだけは世俗の真偽体系を
> 断絶させないために認めるが、無因などを生起でないと[否定]
> するように、ここでも[諸質料因に基づいて形づける]依因仮設に正しく
> 依拠するなら、上述の欠点ある形相を除いて「諸蘊に依って仮設する」
> というこれだけは、世間の言語習慣を安定させるために認めるべきである。
> なぜなら「我」と言語習慣が仮設されることが見られるからである。


226:999
08/12/11 22:48:28 z5LmcDMw
「これに依ってこれが起こる」とは依因仮設と同じことが分かるでしょうか?
これは此縁性とも呼ばれ、縁起と同じことです。当然、因果関係です。
ですから、世俗の縁起・因果関係は日常の真偽体系を破壊しないために認めるが、
勝義の自・他・両方・無因から生起するのではない、不生と否定するように、
因果関係は日常社会の習慣を安定させるために認めるべきだということです。
その根拠となるのが『勝義空性経』と『縁経』です。
『勝義空性経』は、中観、唯識、経量部、有部では重要なところに引用される伝承ですが、
パーリ仏教には伝承されていないようです。これはパーリ仏教の限界を示しているように思われます。

以上の縁起・空と輪廻は全く矛盾しませんよ。空なる業から空なる果が縁起して、輪廻していく。
それは死をもって断絶しない。もし死をもって断絶する、来世がないとするなら断見です。
主体となるものは、識とか、自相続とか仮設されるが、もとよりそれは空です。
だから、色即是空 空即是色なんです。逆に色即是空 空即是色じゃないと破綻します。

以上で、ご理解いただけましたでしょうか?


227:999
08/12/11 22:49:15 z5LmcDMw
>>208
ご参考になれば嬉しいかぎりです。

URLリンク(park22.wakwak.com)
示していただいた上は全くいただけません。「生かされている」というのは現代への追従でしょう。
オウムが観(ヴィパシャナー)を行わなかったという意味は、
サマタや三昧といった意識を集中させる行は行ったけど、縁起や空という観行を行わなかったという意味です。
釈尊は縁起で悟ったと言われますが、縁起を論理的に理解するだけではなく、
三昧の状態で縁起を観じるから悟るのです。文献学者は凡夫の状態で縁起を考察するので凡夫のままです。
オウムは三昧は、深めましたが観行を行わなかったので色界か無色界の状態を悟りと勘違いしたのだと思います。
なので、シヴァのような唯一神、実体観を持ったので、無我も空も体験してないと思います。
これが、一つの欠点。ですが、これは悟れないだけで破壊的な問題にはなりません。

>>189 で評されている並川さんの論考も全くいただけません。
釈尊は「現世に力点を置く」としたいために意図的に最古層が輪廻に対して消極的だと解釈しているだけです。
和辻哲郎の方が並川さんより数倍うまい詭弁を弄していますよ。詳しくは以下を参照してください。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

228:神も仏も名無しさん
08/12/11 22:53:45 LClJ/yhE
>>224
現代人なら、現代的に解釈すべきのは当たり前。

社会情勢も思想も異なる大昔の解釈に固執することに、一体どんな意味がある
のかね。釈迦は、そんなことを望んだだろうか。

229:前スレ7
08/12/11 22:59:44 U8onoCnU
《“無時間的な”“相互依存”としての「縁起」》人気は根強いな・・・w

別にそれを(全て)否定するわけではないが、少々食傷気味だ・・。

230:999
08/12/11 23:24:50 z5LmcDMw
>>228
確かに習慣も無常ですから、その部分は時代に合わせて説くべき解釈すべきでしょう。
しかし、釈尊はこのように述べております。

「無明を縁として行がある」というのは諸如来が出現されても出現されなくても
これが法則(法性)で、諸物事(法)の決まった性質は定まっている。
それを如来自身がありありと理解されて現等覚されて説かれ、仮設なさり、
決定され、弁別なさり、解釈され、解明なさり、教えられ、
極めて正しく教を説かれたことである。いわく「無明を縁として行がある」である。

これが重要な『縁経』です。つまり、縁起するという法則、何を原因として何が生ずるか、
火は熱いと言った諸物の性質は決まっている。ということです。

それと文献研究、原典解読においてテクストの読みに現代的解釈を持ち込むのは研究者としていかがなものでしょう?

231:神も仏も名無しさん
08/12/11 23:32:07 LClJ/yhE
>>230
文献学は、あくまで学問(科学)。宗教は、現実の生に生かすべきもの。
両者は区別すべきである。

232:999
08/12/11 23:48:50 z5LmcDMw
>>231
学問だからこそ、読みは厳密中正であるべきではないのですか?

そして学問も現実の生に寄与すべきでしょう。


233:前スレ7
08/12/11 23:53:45 U8onoCnU
>>230
勿論、(翻訳は言わずもがなだが)、テキストの「読み方」と「自身がどう受け止めるか」は違っていい。
が、
或る思想(宗教・哲学・理論・人生訓等etc.)に触れた時、採るべき態度は幾つかある。
・テキスト(≒師・先人の言葉)を一言一句遵守する。
・テキストの内、自身に利用可能なものを重点的にチョイスし受け止める。(座右の銘的)
・テキストが描き出す“核(コア)”に目を向け、それを受け止める。
・テキストの時代性を考慮し、神話性(虚飾・詩的文学的表現)を削ぎ落として受け止める。
・テキストが描き出す“核(コア)”を外れないよう、恣意的に利用する。(座右の銘的)
など。(複数選択許可w)


さて、貴方は、
テキストに相対する姿勢として、これらのうち「一種類しか認めない」ということでしょうか?

(´ー`)y━~~

234:神も仏も名無しさん
08/12/11 23:56:46 LClJ/yhE
>>232
科学だから、厳密中正であるべきことは当然だが、その厳密中立は、時
代も異なる現代の生には直接関係ない。それでは、現代人が古代人の思想
に縛られてしまうことになる。

文献学で解明するのは、あくまで、当時の状況における、当時の人々に
とっての意味である。誤解してはならない。

時代は常に変化している。宗教は、考古学ではないはず。

235:前スレ7
08/12/12 00:01:14 U8onoCnU
>>234
>当時の状況における、当時の人々にとっての意味

いい台詞(適切な言い回し)ですね。頂きました。 m(_ _)m

236:前スレ5
08/12/12 00:47:46 WQdWYt2a
少しよくわからないところが、あるのでお聞きしますが

>>226  >主体となるものは、識とか、自相続とか仮設されるが、もとよりそれは空です。

ここのところですね。具体的に輪廻するものとは何なんですか?
霊魂という人もいるし、不滅のスピリチュアルとかいう人もいるし
スマさんは、「心」が輪廻すると言ってたし、表現は様々ですが
言ってることは皆、肉体が滅んだあとも消滅しない「何ものか」
を想定してますよね。999さんもやはり、そのような「何か」を
想定した上での話しなのですか?
また、999さんも、やはり前世における行為が現世を制約する、
すなわち、前世で人を殺したら今世において殺されることになる。
障害をもって生まれてくる子は、前世の悪業が原因であるという
説の賛同者なのでしょうか?

237:前スレ5
08/12/12 01:23:57 WQdWYt2a
さらに999さんが >>227 であげられていた

>並川さんの論考も全くいただけません。
釈尊は「現世に力点を置く」としたいために意図的に最古層が輪廻に対して消極的だと解釈しているだけです。
和辻哲郎の方が並川さんより数倍うまい詭弁を弄していますよ。詳しくは以下を参照してください。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

の部分は賛同しかねます。 このリンク先の論評も全く論点がずれていて
本当に読んでいるのかどうか、疑いたくなるような内容でした。

宮元啓一氏の著作をその論拠のひとつとして、リンクさせていましたが
かの氏の説は、中村元博士をはじめとする多くの学者による文献学を
批判し、ジャータカ以外の経典は全て釈迦の真実の言葉とし、後の
仏弟子の創作および個人的解釈などは全くないものとみなすべきである
というものです。  これは、かなり???となります。

238:brown
08/12/12 02:12:25 hE8uGabi
輪廻する者は誰も居ないんですね。あえて言えば,「不在者」が輪廻する
訳です。

ある生において,人とは,肉体と感覚と感情と思考とそれらを知る働きとを
持っています。持っている者は誰も居ないですけどね。でも持っています。

次の生において,人は,やはり肉体と感覚と感情と思考とそれらを知る
働きとを持ちます。それらを持つことになる者もやはり出現しませんけどね。
でも持つようになります。

前の生と,次の生を結びつけるのは何かというと,それぞれの命の根源に
いる「所有者」や「主体」ではなく,「我あり」と思うその思いですね。
その思いが,「居住者」を支持するので,その思考が「居住者」となって,
前の生から次の生へと転生することになります。つまり,転生とは思考の
ことですね。

239:brown
08/12/12 02:19:53 hE8uGabi
より具体的に言うと,「居住者」たる思考とは,「記憶」のことなんですね。
前から「私」が続いているという記憶です。

例えばここに私が生きていて,前の瞬間と今の瞬間で同じ人間として生きて
います。それは確かな事実ですね。
というのは,前の瞬間と今の瞬間で人を取り違えるとすると,私がお腹が
空いたときに,他人がご飯を食べると私のお腹が膨れることになってしまい
ますね。そんなことは無いですね。だから,前の私と今の私は同一人物
ですね。その同一性,それが「主体」です。

しかし,厳密に考えていくと,前の私と今の私を同一とする根拠は何も
ないことになってしまいます。その厳密な論理過程は措くとして,
その同一性はどのように根拠付けられるかというと,結局は,記憶によって
根拠付けられる訳ですね。厳密な根拠はないけれど,記憶上,前の私を
今の私が引き継いでいる訳です。昨日の私を覚えていますね。
これは他の人と会話しても,「そうそう,昨日の君はこうこうだったよ」
と,正常な意識があれば,意見が一致するので,その程度の確からしさとして
真実だと認定できるわけです。厳密じゃないけど。

240:前スレ5
08/12/12 02:27:03 WQdWYt2a
記憶が輪廻して引き継がれると?  こう言われるわけですか?

241:brown
08/12/12 02:27:55 hE8uGabi
輪廻転生がどのように,あるいは誰によって起きるかといえば,まさに
この記憶の連続によって起きる訳ですね。起きるというより,確かめられる
ということですね。

だからその範囲で,その確からしさで,真実と認定できる訳です。

ただ,普通覚えていないですね。今の命の間でも,より昔のことはより
覚えていないですね。より時間が経つとより他人ですね。
もう10年も20年も昔の自分って,完全に他人ですね。
なぜそれが同じ人物だと思うかというと,10年前の自分は他人でも,
1年前の自分なら,多少は同一性がある。記憶がある。その10倍だからですね。
同一性があるものをつないでいくと,10年でも20年でもなるから,やっぱ,
そんな昔でも,実の記憶や類似性からするとはっきり言って他人だけど,
自分の連続なんだなあ,と推測しますね。皆そう思いますね。
だから,時効でもこない限り,昔犯した罪の追及は何年経っても責められ
ますね。同一人物だからですね。厳密には,同一人物だと世間の見識ある
意見が一致するからですね。

242:神も仏も名無しさん
08/12/12 02:35:10 LLeHkcEv
>>235
>>当時の状況における、当時の人々にとっての意味

そこが、宗教者が一番陥りやすい陥穽ですね。大昔の開祖・教祖が、
現在の状況における、現在の人々に語りかけていると錯覚してしまう。
とんでもない過ちを犯すことになります。

243:brown
08/12/12 02:35:55 hE8uGabi
これは毎日,睡眠で意識の断絶があっても同様ですね。目覚めると,
記憶が戻ってきて連続していく。

前の生から,今の生でも同じですね。でも大分程度が違いますね。
はっきりいって全然覚えていない。はっきり言って他人。前生で犯した罪
といっても,そんなことは覚えていないですね。その責任を今取らされている
といわれても,そんな意識は無いですね。
また,同じ世に生きている他人も,「あなたの前生はやはり一緒に生きて
きましたが,確かにこんな罪を犯しましたね。だから,この責めを受ける
べきですね。」と見識ある意見が一致するなどということはないですね。

厳密な洞察によって同一性は全くありえず,今生の短時間の経過に見られる
ような記憶の同一性,継続性,世間の見識の一致という程度の確からしさ
でも確かめられず,それ以下の確からしさの連続だということですね。

要するに,確からしさとして,知識として,真実として,かなり程度の
低い事実だということですね。

244:前スレ5
08/12/12 02:42:08 WQdWYt2a
>>242  全く、そのとおりであると思いますね。

245:brown
08/12/12 02:44:42 hE8uGabi
実際に,生命が繰り返し,生態系の循環はもちろん,無生物系とも循環して
次々に,前の生から次の生へと引き継がれていくのは事実であって,この
「私」が死んでも,世界はなくならないですね。次の命が生まれてきますね。
中には,「私」が死んでから,49日以内に生まれる命もありますね。
それは人間かもしれないし,動物かもしれないし,あるいは天や地獄の
住民のような,私たちの直接知らない命かもしれませんね。

そのどれでもいいのですが,そのうちの一つが,実は,「私」の生まれ変わり
なんですね。後は,その生まれた命が,「ああ,私は何かの生まれ変わりだ」
「前の生ではこうだった」「こんなことをしでかしたから,今はこんな境遇
にいる」「こんないいことをしたのでこんな幸せだ」と思考したとすると,
かなり低い確からしさであるが,現にある生から,次の生に転生したこと
になりますね。

輪廻転生とは,簡単に言うとこういうことです。
それは「無い」ということはできないし,転生する「主」が有るということ
もできない。ようするに,前の生と後の生の間の関係性は,「我あり」と
いう思考,及びそれがもたらす記憶の一致,そしてそのあいまいさが
結びつけて有らしめている現象ですね。

これは,実は,今生の人つながりの時間の中の,前の瞬間の「私」と
今の瞬間の「私」との関係性と,本質的には同じものがあるんですね。

246:神も仏も名無しさん
08/12/12 06:24:12 MsqMpNEj
輪廻転生がはじめから、あるものと仮定すれば、そうなのかもしれません。
しかし、輪廻転生が「我あり」という思考がもたらした、
錯覚だと仮定したらどうするのですか?

求められなければいけないのは、輪廻転生が実在することを証明することです。
でも、できないのでしょう。

247:神も仏も名無しさん
08/12/12 07:11:07 RNXalKBw
古代人の妄想に取り憑かれるオカルトビリーバーに何を言っても無駄。
こいつらに根拠なんて必要ないから、何処まで行っても平行線。
味気ない真実より、物語の主人公になれる夢を見ていられれば満足なんだよ。
夢のためなら、輪廻転生やカルマ思想で人が差別されようが殺されようが関係無い自己中なんだよ。

248:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
08/12/12 07:37:59 atlTWZbq
>>227
>三昧の状態で縁起を観じるから悟るのです。
>文献学者は凡夫の状態で縁起を考察するので凡夫のままです。

白隠の見性体験といふのは、まさしく観なんでしょうけど、
(縁起との関連性は全くない)
これはあまり問題にしないのが禅ですね。
また、縁起を考察するもんでもない。
それを超える。といふことですね。直覚とかいふ。
(これは非論理です)
>>246
輪廻思想といふのは、子供が成人になるにしたがって
ある時期に植え付けられら概念ですね。
(生得的ではない。ってとこを注視すべきでしょう)→これが重要
本来無為であった。
こういふことになろうかと思ひまふ。

249:神も仏も名無しさん
08/12/12 11:17:32 jhDCOBcr
逆ですよ。

コピペ
今、体内記憶を覚えている子供たちが大勢いる!

生まれる前から伝えてる「ママのおなかの中は暗くてあったかかった」。
ここ数年話題になっている「胎内記憶」だが、いぶかしむ人は多いだろう。
しかし、横浜市内の産婦人科医、池川明さんが行った調査では、
約3割の子供が胎内記憶をもち、2割は誕生時の記憶をもっていたという。
さらに、「生まれる前はお空にいたよ」と、胎内に入る前の記憶について語る子供も少なくない。
池川さんは「生まれる前から赤ちゃんはさまざまなことを訴えかけている」と話す。
池川さんは平成14年から15年にかけて、長野県諏訪市内と塩尻市内の保育園、幼稚園に通う子供の親、計3600人を対象にアンケート調査を行った。
「おなかの中にいた時のことを、子供は覚えていますか」と、胎内記憶の有無を尋ねたところ、「ある」が33%にのぼった。
ちなみに「ない」は40.1%。
また生まれた時の記憶の有無についても、20.7%が「ある」と答えた。
記憶のあった年齢は、「2歳」「3歳」が圧倒的に多く、4歳になると激減した。
記憶の内容は「おなかの中は暗くてあったかかった」(二歳八ヶ月ごろ)、
「お母さんのおなかをけった。早く出たかったのになかなか出られなかった」(三歳ごろ)など。
さらに、連絡先がわかった人に話を聞いたところ、子供たちが語った、胎内に入る前の記憶についても知ることができた。
「私は女優になりたかったからママをえらんだの。ママなら女優にしてくれると思ったの」(五歳)
 「知らないおじさんと空中に浮いていたら、家の中から笑い声が聞こえてきて、そのおじさんがこの家でいいかと聞いたので、ぼくはいいですってこたえた」(三歳)
池川さんは体内記憶の内容を『おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと』、
胎内に入る以前の記憶を 『ママのおなかをえらんできたよ。』(いずれもリヨン社)にまとめて出版した。

産経新聞 平成17年3月22日より


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