08/12/12 16:28:05 1gOHQmT0
>>179
> 神との対話それ自体は一神教的内容ではないかもしれないが、
> 勝手にこれを宗教のようにしてしまい、一神教の信者のように排他的になっている馬鹿がいるんだよ。
一部のそういう人がいることは分かる。
今ここにいる人がそうだとは思わないがね。
> そして経験して自分なりに納得のいくように落とし込んでいく過程で、
> いろんな可能性について考察していくことがどうして頭でっかちになるのかね?
「いろんな可能性」は自分の中で発見すればいいの。
「モンローは...」なんて言う必要がない。
神との対話に書いてあることはなによりも経験しろと言うこと。
経験していく過程で、考察するのに必要なのは、知識ではなく経験から得た知恵。
それが分かれば神との対話はいらなくなる、その他の本も。
> 神との対話は正しい、という前提で、気に入らない意見を排除していく行為こそ
> 頭でっかちであって、まさに信念体系に雁字搦めになっているってことだね。
「私を信じるな」と神との対話には書いてあるわけだが...
ってか、
一体誰がどこで排除しようとしてるのか?
説明してくれまいか?