08/12/13 18:50:42 F9a+sYG+
人間は、あくまでも論理的であると同時に、実証的なもの、すなわち科学的なものでなければ、真に認識
するということはできないので、結局、宗教も科学的なものでない限り、よく知ってそれから信ずるとい
うことが不可能となり、宗教の目的を達成することはできないという結論に到達するのである。
このように、内的真理にも論証的な解明が必要となり、宗教は長い歴史の期間を通じて、それ自体が科学
的に解明できる時代を追求してきたのである。
このように、宗教と科学とは、人生の両面の無知を打開するための使命を、各々分担して出発したがゆえ
に、その過程においては、それらが互いに衝突して、妥協し難い様相を呈したのであるが、人間がこの両
面の無知を完全に克服して、本心の要求する善の目的を完全に成就するためには、いつかは、科学を探し
求めてきた宗教と、宗教を探し求めてきた科学とを、統一された一つの課題として解決することのできる、
新しい真理が現れなければならないのである。
(原理講論 総序より)
原理講論は非実証的なもの、すなわち非科学的なものであるから真に認識するということはできない。
結局、原理講論は非科学的なものなので、よく知ってそれから信ずるということは不可能であり、原理講
論の目的を達成することはできないという結論に到達するのである。