08/11/15 21:07:29 e31fASob
>>465
異端者はサロメだ。私は聖書信仰にたってる。
きみは創価学会の工作員じゃないなら、なぜそれを否定しない?
カトリック信者だって創価学会の工作員はいるのだよ。
違うなら違うといいなさい。聖句の時間だから聖句優先。
☆世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。もしその言葉の意味がわからないなら、
語っている人にとっては、わたしは異国人であり、語っている人も、わたしにとっては異国人である。
だから、あなたがたも、霊の賜物を熱心に求めている以上は、教会の徳を高めるために、それを豊かにいただくように励むがよい。
このようなわけであるから、異言を語る者は、自分でそれを解くことができるように祈りなさい。
もしわたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばないからである。すると、どうしたらよいのか。
わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。 そうでないと、
もしあなたが霊で祝福の言葉を唱えても、初心者の席にいる者は、あなたの感謝に対して、どうしてアァメンと言えようか。
あなたが何を言っているのか、彼には通じない。感謝するのは結構だが、それで、ほかの人の徳を高めることにはならない。
わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多く異言が語れることを、神に感謝する。
しかし教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、むしろ五つの言葉を知性によって語る方が願わしい。
(第一コリント14:10-19)口語訳