08/11/04 17:48:31 lANBaHNN
>>48
*Ⅰテモテ3:1-7。
「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正し
い言葉である。さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自ら
を制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、酒
を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、自分の家を
よく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければなら
ない。自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かる
ことができようか。彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。
そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。さらに
また、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、
そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう」
*簡単にまとめると、
①男性であること(できれば結婚してゐること)。
②結婚してゐる男性であれば、家庭をよく治めてゐる者。
③キリスト者として、高い品性を有する者。
④信仰が円熟してゐる者。
⑤教会外の人にも、よく思はれてゐる者。
*女性牧師が増えている今日だが、残念ながら、聖書をそのまま適用するならば、
女性牧師の存在は聖書内では認められてゐないのが分かるでせう。
それは女性蔑視といふ浅はかなものなのではなく、
「 しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリスト
であり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である」(Ⅰコリ11:3)
といふ神が人間を創造したときの秩序に基づくものであるから。
*SDAは、Internationalとして見れば、これを肯定(黙認)してゐるところと、
Conserva.的に否定してゐるところがあるやうですな。