09/05/31 04:25:26 sQ6xVmOq
はるか以前、宗教的神秘体験と思しき体験があった。そしてその時、教祖様が非常に近く感じられたものだ。残された言葉のそれぞれがそのまま入ってくるような感覚だった。
キリストや釈迦の言葉と教祖の言葉が重なって、宗教的天才たちの立ち位置がかすかに見えるような気がした。そして同時に教祖がそのような人であったことにあらためて気づかされたのであった。
しかし、幼児からの自責体質は家族をはじめとする周囲の信者の感覚の中で、日常生活でさえままならぬまで重みを増していった。
いま、残り少ない命をこの手で縮めねばならぬかも知れぬ追い詰められた思いの中で、教祖の思いと、教団組織に伝えられた信仰とがあまりにかけ離れていることを憂う。教祖と神殿と原点とに向き合っていたかった。