09/04/27 18:52:14 fQz4/wp+
「選ばれし者の恍惚て不安我にあり…。」
この言葉を知ったのはUWFが東京ドームの挨拶で前田日明が言ってたからですが…。
ずっと前、別スレで、天理教の選民意識は元初りの時の道具衆のたましいと、どじょうの種としてのたましいから始まっているっていってました。
そんな見方は今までしたことがありませんでしたから、ホォ~!って感じがありました。
たましいの存在の有無はともかくとしまして、天理教内的には たましいが違う、とくがある。
と言う表現はよく用いられています。
問題なのは、それを喜び、感謝につながらず、立場の差を諦めに近い納得をする時に使われることでしょう。
教内から出られ、自分の信ずるところの信仰をされてる野良さんには、頑張ってもらいたいと思います。