08/09/21 16:21:13 4c53EN77
>>124
何度も書いてることだけど、「主観相対主義」に走ってしまうのは
素朴なんだよ。
無論、主観性を完全に排除できる人間などいない。
感覚器から脳に至る刺激受け入れ経路のどこかで、あるいは
言葉を用いたcommunicationにおいて、情報は加工されるからね。
しかし、この世界も、我々も、物理的実体で形成され、それから
逃れられない以上、我々は段階的に物理的実体の内実に近接し、
情報の精緻化・収斂が進んでいくことになる。
同時に、その物理的実体性に由来する「被害可能性の予期」により、
社会関係、社会秩序も、一定の型に収まることになる。
これまでもそうだったし、これからもそう。
カントは「物自体」という概念で、ヘーゲルは「絶対精神」という
概念でその収斂先を示そうとしたけど、その概念の裏付けの無さ
から相対化されるに至った。
だから、そんなまどろっこしい曖昧な概念を持ち出さず、
「物理的実体」を直接持ち出して依拠しつつ、
かと言って、マルクス主義の下部構造決定論的な暗黙の前提、
願望混じりの偏狭な唯物論に回収されず、「調整」に身を晒したまま、
カントのように「現象界/観念界」的な「世界の分割」を持ち出さずとも
功利的に倫理は (究極的には人類主義という目的論的な形で) 設定
されることを示すのが、このPMというわけです。