08/09/10 07:45:28 fsJ7pAP3
>>441
誰でも醜いものからは目を背けて出来れば見ないで済ませたいと思うものだが、
たとえそうであったとしても、時と場合がある。改めなければならない醜い
実態を直視しないでどうして改革が出来ようか。嵯峨野教会牧師は渾身の力を
振り絞って真実を全教会員に訴えているのだ。高慢だとか頑迷だと言うのはその
表面を見ているだけに過ぎない。恐らく彼も自分の姿勢が高慢で頑迷だと批判
されることは避けられないものと承知しているのではないだろうか。自分の評判
が傷つけられるリスクを勘案して知りながらも教団指導者と雌雄を決したいのである。
その覚悟は如何ばかりのものであろうか。