08/11/17 02:45:04 2TSew6q2
末灯鈔、親鸞聖人御消息、該当の章を拝読いたしました。紹介して下さった部分は
第六通「笠間の念仏者の疑ひとはれたる事」の中間にある、以下のところですね。
~ しかれは、恵心院の和尚は 往生要集には 本願の念仏を 信楽する ありさまを あらわせるには
行住座臥を えらはす 時処諸縁を きらわすと おほせられたり 真実の信心を えたる人は
摂取のひかりに おさめとられ まいらせたりと たしかに あらわせり しかれは~
「しかれば」に挟まれていますね。「しかれば」には「だから(理由)」と「さて(文の冒頭に置く言葉)」の二つの意味があるようですから、
前後の文章も読まないと、この「しかれば」が(理由)を意味しているのか、話題を変えているのか分かりません。
「しかれば」が二つとも(理由)であった場合、前後の文章によって挟まれた文章の意味は相当限定されてくると思います。
ですから、前後は無視出来ないのです。何度か通しで第六通を読み返してみたいと思います。