08/11/15 02:05:30 5WEv5nP4
>>652
お聖教の善知識方のお言葉から阿弥陀仏の御心を聞こうとすることは
素晴らしいですね。
けれどそのことと、善知識の言うとおりにしたら信心頂ける、というような話は
まったく別です。
>しかし、「善知識の言葉の下に帰命の一念・・・・」のような間違いがあってはならない場面では間違いが起きないものだと素朴に信じています。
場面とは、何か大切な儀式の場面のようですね。
土蔵秘事の方でしょうか。
「善知識の言葉の下に帰命の一念…」とは、本来、善知識の説く教えを、
聴聞し、やがて信心決定すればということです。
ご説法の席かもしれないし、家にいるとき、寝ているときかもしれない。
場所も、していることも、人によってまちまちです。
どこにいて、何をしていようと阿弥陀仏の光明は宿善開発した人に届き、
たちまち信心決定の身になれるのです。