08/09/15 09:22:23 NF0WZIPN
>>523
なぜ、仏の名を称えただけで救われるのか?往生できるのか?
ってことじゃないですかね?
なぜなんでしょうねぇ?
常識的には、そんなバカな!って思いますよね。
527:神も仏も名無しさん
08/09/15 11:38:09 i1f90COB
だから信方便易行なんじゃね?
528:神も仏も名無しさん
08/09/15 17:09:44 KRlQoGqg
>>527
だから、それはどういうこと?
529:298
08/09/16 00:03:52 FCihsoSu
>>526
しかも、「ただの一度で」救われるわけですから、
信じられないことが当然だと思います。
530:神も仏も名無しさん
08/09/16 21:34:43 v86jug8G
>>529
> しかも、「ただの一度で」救われるわけですから、
「ただの一度」もお念仏を称えられなかったもの、例えば乳児・幼児は救われないのですか?
531:うどん
08/09/16 22:01:39 vHCHbcHs
乳児でも幼児でも、南無とたのめば救われるのではないでしょうか。
たとえ声にならなくても南無阿弥陀仏のすがたとなれば、それはお念仏であると思います。
532:神も仏も名無しさん
08/09/16 23:46:43 v86jug8G
>>531
> 乳児でも幼児でも、南無とたのめば救われるのではないでしょうか。
乳児・幼児が、南無とたのめるでしょうか?
南無とたのむとはどういうことでしょうか?
533:うどん
08/09/17 00:18:56 uP4z5Uwn
>>532
南無とたのむとは、本願招喚の勅命に素直にしたがうこと。
弥陀のおはからいにすべておまかせすることだと思います。
・・って、まったくあたりまえで答えになってませんよね。
よく知らんくせにテキトーなことを書いてしまったようです。
ごめんなさい。
534:神も仏も名無しさん
08/09/17 17:30:04 XywsHRUK
>>533
乳児・幼児が、本願招喚の勅命に素直にしたがう?
弥陀のおはからいにすべておまかせする?
それはどういうことでしょう?
うどんさんを批判しているのではなく、私の疑問です。
535:うどん
08/09/17 19:07:08 uP4z5Uwn
>>534
>それはどういうことでしょう?
私自身、いまひとつたよりないので、うまく説明できません。申し訳ないです。
ただ、「老少善悪の人をえらばず」というからには赤子であっても弥陀をたのむことはできると思います。
阿弥陀仏から見たときに、大人も赤子も年寄りも健常者も病人も、多分どれほども違わないです。
弥陀をたのむにしても、赤子では難しいのならば、大人にだって難しいのではないでしょうか。
他力の信心なればこそ、もし大人に南無阿弥陀仏を聞きひらくことができるのならば、赤子にだってできるはずだと思います。
536:7
08/09/17 21:06:41 8lWhv2uL
赤子から大人になる時、人は何を身に付けるのでしょう。経験や知識、体格やら学歴やら経済力。その他いろいろ大人になることで身に付けていきますが、
それらがはたして往生の足しになるのか?考えてみたらいかがでしょうか?赤子が救われてこそ他力ではないかと思った次第です。
537:神も仏も名無しさん
08/09/17 21:34:44 XywsHRUK
>>535
私は、幼児・乳児・赤子が救われるなら、
「弥陀をたのむ」とか、「南無阿弥陀仏を聞きひらく」とか、
「本願招喚の勅命に素直にしたがう」とか、
「弥陀のおはからいにすべておまかせする」とか、
そのような条件は存在しないのではないかと思います。
何も条件が存在しない、それが他力ではないでしょうか?
538:うどん
08/09/17 22:33:55 uP4z5Uwn
>>537
>何も条件が存在しない、それが他力ではないでしょうか?
南無阿弥陀仏という名号がある以上、それにかかわる何かがあると思うのですが・・・
何も条件が存在しないということがどういうことなのか、どうもイメージできません。
しかしまあ、「イメージする」ということ自体が自力であり、凡夫の妄念ですね。
たしかにそういう考え方もあるのかもしれません。
もしそうならば、人は生まれながらに救われているのでしょうか。
539:298
08/09/18 03:23:04 NfgRY14J
「人は生まれながらに救われている」ということも、ひとつの考え方ですし、
その考え方にやすらぐ方もいらっしゃると思います。
ひとりひとりが歩む道。
私は、私の信じるお念仏の道を歩ませていただいて、とてもうれしい。
そして、同行を得まして、さらに心強く、ますますうれしい気持ちがしております。
こうして、疑い深い自分が、ひとつの結論に辿り着けたことが、
つくづくうれしいのです。
「奇跡だなー」と、素直に思えます。
ありがたい、ありがたい、南无阿彌陀佛。
そう思えることが、うれしいのです。
南无阿彌陀佛
540:神も仏も名無しさん
08/09/18 09:02:40 AFOtE/jk
>>539
> 「人は生まれながらに救われている」ということも、ひとつの考え方ですし、
> その考え方にやすらぐ方もいらっしゃると思います。
> ひとりひとりが歩む道。
> 私は、私の信じるお念仏の道を歩ませていただいて、とてもうれしい。
ひといひとりが歩むお念仏の道が違うなら、それは阿弥陀如来よりたまわった信心ではないのではないですか?
法然上人も、親鸞聖人も、他力の信心は如来よりたまわった信心だから誰の信心も等しいとおっしゃっています。
他力の教えに、「ひとつの考え方」とか「その考え方にやすらぐ」などということが根本的にあり得ないと思いますよ。
541:神も仏も名無しさん
08/09/18 09:14:36 AFOtE/jk
>>539
> 私は、私の信じるお念仏の道を歩ませていただいて、とてもうれしい。
> そして、同行を得まして、さらに心強く、ますますうれしい気持ちがしております。
> こうして、疑い深い自分が、ひとつの結論に辿り着けたことが、
> つくづくうれしいのです。
「私の信じるお念仏の道」は、あなたが作り出したものであって、如来よりたまわった万人に共通のものではないと思います。
あなたのおっしゃる同行は、あなたと同じ考え方の人たちであって、万人ではないでしょう?
阿弥陀如来の元では万人が同行のはずです。
あなたが辿り着いた結論は、あなたがあなたの頭で作り上げ、納得した結論であって、普遍的なものではないと思いますよ。
思い込みが激しく信じ込んでいる時に何を指摘しても無駄でしょうけど・・・。
542:7
08/09/18 11:04:47 74jdh9wK
>>540 味わい方は人それぞれではないでしょうか?信心決定したら誰もが親鸞聖人のようになりますか?有名な同行の方のようになりますか?
信後の味わい方も人生も、人それぞれ。不断煩悩即涅槃なのです。一人一人の煩悩はまだ断たれていませんから。
それでも、一味同行だと分かる不思議です。
>>541 あなたが辿り着いた結論は、あなたがあなたの頭で作り上げ、納得した結論であって、普遍的なものではないと思いますよ。
これは全ての人に対して言えると思います。
543:7
08/09/18 11:07:18 74jdh9wK
とは言え、煩悩に満ち満ちた凡夫がコレが正しいとかその考えや解釈は間違っている、ということに拘って論争ばかりしていてもねぇ・・・
「たゝ念仏して 弥陀にたすけられ まひらすへしと よきひとの おほせを かふりて 信するほか
に 別の子細なきなり」(歎異抄)
阿弥陀仏が信じられないと、苦しむ方もあるのですから、信じる身となった人にはまず「おめでとう」と言ってあげたいです。
540さんも、何か縁があって阿弥陀仏を信じていらっしゃるんでしょう?信心決定したという自信がなければ人にそれは間違いだと断言できないでしょうから。
ならば、おめでとうございます!
544:7
08/09/18 11:45:10 74jdh9wK
あ、もちろん信心決定していらっしゃらなくても、「これは間違いなく間違いだ!」と思うことは断言口調になるものだと思います。
今までの知識と経験でそう判断されたことだと思います。人それぞれ自分が信じるところにより生きていくのだなぁと思いました。
南无阿彌陀佛
545:神も仏も名無しさん
08/09/18 15:50:50 JO4B0BlK
うーん
味わいは教義より大事だと思うけど、味わいが教義を曲げたらいけないと思うよ
たかが教義、されど教義。
>阿弥陀仏が信じられないと、苦しむ方もあるのですから、
>信じる身となった人にはまず「おめでとう」と言ってあげたいです。
南無阿弥陀仏といっといた方がいいんじゃない、その方がまちがいすくないよ
蓮如は宿善めでたしというはわろしとか言ってるし
546:7
08/09/18 16:24:59 74jdh9wK
確かに南无阿彌陀佛のほうが適切で間違いが少ないかも知れないですね。
蓮如上人、仰せられ候う。「「宿善めでたし」と、云うは、わろし。
御一流には、「宿善有り難し」と、申すが、よく候う」由、仰せられ候う。
(蓮如上人御一代記聞書)
ここのことですね。なぜ蓮如上人がそのように仰られたのか、詳しく知りたいです。
信心決定した人があると聞けば、「良かったねえ、おめでとう!」と思わず言いたくなるけど、
どうなんでしょう。上記のお言葉は自身の宿善に対する態度を言われているような気がします。
547:7
08/09/18 16:35:05 74jdh9wK
ちなみに、味わいか教義か・・・両方大切ではないかと考えているのが今の自分です。
お聖教には、味わいと教義の両方が書かれていると受け止めています。
味わいだけに拘れば主観的な話になってしまい、教義だけに拘っても解釈が分かれます。
両方書き残してくださったことがとても有り難く、祖師聖人に感謝したいと思います。
南无阿彌陀佛
548:298
08/09/18 23:49:01 NfgRY14J
>>541
>思い込みが激しく信じ込んでいる時に何を指摘しても無駄でしょうけど・・・
まあ、やっぱり、そうなんだと思います。
それで、たのしくて、しあわせで、うれしいのですから、私は満足です。
南无阿彌陀佛
549:298
08/09/18 23:54:05 NfgRY14J
>>546
ほんのちょっとの宿善ですが、弥陀の強さのために、強くひかれて救われた。
なんとか、救われるだけの宿善があって、良かった。
宿善などないはずの自分であったが、弥陀のお育てにより、
なんとかこうして救いにあずかれた。
あぶないところだった。救われてよかった。
のような感慨があるような気が致します。
南无阿彌陀佛
550:7
08/09/19 18:19:06 rJqqR/bU
そうですね。何故、自分のようなものが救われたのだろう、と不思議に思うことは度々あります。
自分のようなものでも摂取不捨、救ってくださるのが阿弥陀仏と聞けば有り難く思いとりて南无阿彌陀佛。
憶念するたび、南无阿彌陀佛。何もかもが自分にこの六字を信ぜしめんがためのご方便であったと感謝して、
南无阿彌陀佛
551:298
08/09/19 20:28:51 fKHg1WDt
>>550
7様
私など、ほんとうにあさましい日暮しをしております。
身の回りのことも、まともに出来ないダメな男です。
こうして、偉そうなことを書いておりますが、その実際を知れば、
みなさまあきれて、さらに、失望することでしょう。
(失望なさらない方がいれば、その方が、「できている方」なのだと思います。)
そんな私でも、こうして救われたと思い、そして、ほんのすこしずつですが、
どうしようもなくダメであった私が、やはりすこしずつでも、変えられていることを
感じ、さらに感謝しております。
御恩報謝もとぎれてしまう、どこまでもダメな私でありますが、
弥陀の御心は、とても大きく、私を守り、包み込んでくださいます。
南无阿彌陀佛
552:神も仏も名無しさん
08/09/21 01:17:50 IxRdR2yJ
信心決定てさ
(私の)信心が決定する
(私の)信心を決定する
どっち?主語は何?
553:神も仏も名無しさん
08/09/21 01:29:07 Xy+CWX75
>>552
講話
URLリンク(www.joyus.jp)
554:7
08/09/22 19:56:09 KYkADmAg
>>552様
阿弥陀仏が 私の 信心を 決定する と読むことも出来るのではないかと、思います。
『聖人一流の御勧化のをもむきは信心をもて本とせられ候 そのゆへはもろ~の雑行をなけすてゝ一心に弥陀に帰命すれは
不可思議の願力として仏のかたより往生は治定せしめたまふ
そのくらゐを一念発起入正定之聚とも釈し そのうへの称名念仏は如来わか往生をさためたまひし
御恩報尽の念仏とこゝろうへきなり あなかしこ~』(御文章)
>>298様
個人個人の機に向かえば、ナンじゃこりゃ!としか思えないのが人の有様ですが、
いつでも南无阿彌陀佛と御恩報謝させていただけることが、とても有り難いです。
南无阿彌陀佛
555:うどん
08/09/22 20:28:04 KTCgKIFi
信心決定とは関係ないですが
このところ、毎朝ウォークマンで『往生礼讃偈』を聴きながら仕込みをしています。
いいですねえ。
旋律といいご文といい、心に染みわたりますねえ。
松虫鈴虫の気持ちもわかるなあ。
なんかウルウルしてきますもんね。
・・仏法に年齢は関係ないけれど・・・やっぱ歳なのかなあ。
556:渡海 難
08/09/24 12:56:34 8Lpfb594
ブログ親鸞仏教 更新しました。 www.しんらん.jp/
557:神も仏も名無しさん
08/09/24 16:05:17 NeXJlw7y
ようつべかニコ動でみれる鬱系のオススメアニメを教えなさい!キモオタ共
558:7
08/09/29 09:57:54 FPc5awvH
>>555 うどん様
>このところ、毎朝ウォークマンで『往生礼讃偈』を聴きながら仕込みをしています。
>いいですねえ。
いいですね^^。まさに「仏法は嗜め」ですね。
559:うどん
08/09/30 14:34:56 KWiuxu+j
>>558
そうですね。仏法を味わえるのはトクですよね。
弥陀の信心をいただき、法を味わい日々喜ぶ。
そんな人が私の周囲にもいますが、ちょっとした妙好人だなあ、なんて思います。
たとえば近所のバアチャン。弥陀のご本願を大変に喜んで御恩報謝に怠りがない。
超年寄りで文字も満足に読めないけれど、ボツボツと喋る言葉は御聖教とまったくズレがないんですよね。
まあ、一流安心のとおりを聞き開けば、おどろく事ではないのかもしれないなあ。
嬉しくても嬉しくなくても信心は同じだけれど、やっぱり喜んで生きられるということはシアワセですね。
そういうプチ妙好人、案外たくさんいますよね。
できれば、そんなふうになれたらいいなと思いますが、とてもとても。。。
560:神も仏も名無しさん
08/10/04 03:12:42 BY8siVIO
「本願の名号、われらにあり」の出典をお聞きしたいのですがご存じの方おられませんか?
561:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/06 11:48:10 SG6PV8BQ
ブログ親鸞仏教 更新しました。
www.しんらん.jp/
562:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/06 12:48:39 SG6PV8BQ
>>560
佐木隆三の小説『復讐するは我にあり』の題名を高森さんか誰かが模倣した
のでしょう。
映画化され、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞も受賞しているそうです。
「復讐するは我にあり」
新約聖書(ロマ書12の19節)
「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒りに任せまつれ。録して『主いひ給ふ、
復讐するは我にあり、我これを報いん』とあり。
近代法が被害者個人による仇討ちを禁止し、犯罪を犯した者は国家が代わって
罰を下す思想の根拠となっています。
悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て。この一節は、そう結んでいます。
563:神も仏も名無しさん
08/10/07 01:51:03 fyzIW//y
90 名前: 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 2006/01/01(日) 09:16:20 ID:q/gXKE5R
>>76
> ロジャース教授は、著書の中で、こう書いています。
ロジャーズというのは、心理学者のカール・ロジャーズのことか。
非指示的療法というのは、カトリックの告悔にヒントがあったとい
うことは、彼の本に書いてあった。
。ロジャーズは、一時、プロテスタントの牧師を目指していたらし
い。非指示的療法は東洋的だというのは、東洋日本の学者の意見
だ。東洋哲学、東洋宗教には関心があったのかもしれない。非指示
的療法というのは、禅の影響を受けているんじゃないかということは、
日本の学者(複数)から、随分聞かされた話だ。ただし、そういうこと
が本当にあったかどうかは、僕は確認できない
確かに、ロジャーズのエンカウンターグループというのは凄いも
のだ。僕は、日本では何十回も経験させて貰った。カリホルニヤ
のライホイヤキャンプにも、一回だけだが参加させてもらったこと
があった。
しかし、ロジャーズの考えの中に真宗的なものがあるとは思えな
い。まして、インチキ宗教親鸞会のカルト教義が入っていると言え
ば、これはキチガイの戯言だ。
ついでに書いておきたい。座禅して念仏した直後、エンカウンター
グループを開けば、宗教的な心は急速に開いていくだろう。蓮如教
団の宗教パワーは、溝という組織の中で、実質的にそうしたものが
行われ、育ったものだろうと僕は思っている。それにほとんど近いこ
とは、禅宗ではずっと古くから伝統的に行ってきている。真宗を本気
で学ぼうと思えば、座禅を忘れた本願寺カルト教義の中だけで固ま
るのではなく、現代では心理学や禅宗の中にこそ教わるものが極め
て多い。僕はそう思っている。
564:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/08 12:55:55 Uy75ilGh
>>523
これに回答する人はいないのかねぇ。
523も、回答する人がいなければ、そう言う人が出てくるまで、ひたすら
待つだけいか。それとも、どこかに消えてしまったか。
時間ができたら僕が書いてみようじゃないか。阿弥陀とは何か。神とは何が違うのか。
他力と神の救いとは何が違うのか。
浄土真宗にとっては、極めて重要な基本的な問題だ。
「アーメン」と「ナマンダ」は何が違うのか。これも大事な問題だ。
565:あぼーん
あぼーん
あぼーん
566:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/11 10:44:05 +/nYeJrv
>>523
↓ ここで書き始めました。
○●Я親鸞仏教質問箱R(その4)●○
スレリンク(psy板)
567:神も仏も名無しさん
08/10/11 11:08:22 Dn4xuM4N
ここも閑散としてるね。以前の賑わいがうそのようだ。
568:神も仏も名無しさん
08/10/12 10:19:07 XZhhOAEB
ここも渡海スレになっちゃったの?
569:神も仏も名無しさん
08/10/12 10:21:13 XZhhOAEB
信心獲得後も往生に疑いが残るという説は
その後どうなりましたか?
570:神も仏も名無しさん
08/10/12 10:38:24 ldrIrff0
>>568
>ここも渡海スレになっちゃったの?
このスレは渡海が立てたスレだから。しかも>>461で名無しになって勝手に終了宣言してるし。
571:7
08/10/12 22:24:56 +5mzmYe8
ちょ・・・一応スレ建て依頼したの自分です^^;
前半のまだ未信だった頃の書き込みを読み返すと何とも感慨深いです・・・
南无阿彌陀佛
572:神も仏も名無しさん
08/10/12 22:28:12 XZhhOAEB
7のお人は298流で獲信しはったんですね。
よろしおしたな。
573:298
08/10/15 01:25:33 6xDqL4+l
自らの考えを表明すれば、それと異なる考えの方が存在するのは、自然なことです。
そして、その異なる意見を聞いたときに、私の感情が揺れるのは、私の未熟さを示すこと。
このような未熟な私でも、凡夫の妄念とは違うところで、弥陀の真実信心により、
救われてしまうということが、この道のすごいことだと思い、感謝しております。
しかも、私の考えに価値があるかと言えば、そこに価値などありません。
結局、価値を持つのは南无阿彌陀佛。
この六字がすべてであり、この六字に尽きているところが、
真宗の真宗たる由縁であると、いただいております。
南无阿彌陀佛
574:7
08/10/15 02:28:35 Uoobjd3Q
ありがとうございます。
私は298様に出会えて本当に良かったと感謝しています。
ここで皆様に出会えたことも本当に有難いことです。
南无阿彌陀佛
575:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/15 12:23:03 NYoOk6Ea
ブログ親鸞仏教 更新しました。
www.しんらん.jp/
576:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/15 14:07:12 NYoOk6Ea
>>573
前々住上人、法敬に対して仰せられ候う。まきたてという物、知りたるかと。法敬、御返事に、
まきたてとあって、一度まきて、手をささぬ物に候うと、申され候う。仰せに云わく、それぞ、
まきたてが、わろきなり。人になおされまじきと思う心なり。心中をば申し出だして、人になお
され候わでは、心得のなおること、あるべからず。まきたては、信をとることあるべからずと、
仰せられ候うと云々
前々住上人、法敬に対しておっしゃった。まきたてというものを知っているか。法敬は答えた。
まきたてというから、一度巻いて、手を通してないものでしょうか、と。前々住上人はおっしゃ
った。それだ。まきたてというのはよくないことだ。他人に直されたくないと思う心、これをま
きたてという。思ったことを口にしても、それを直して貰わなければ、間違った考えは変わると
きがない。まきたてでは信心は得られないぞと。このようにおっしゃった。
577:神も仏も名無しさん
08/10/15 15:10:55 wiHF0ZPu
72 名前: 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 04/04/25 13:39
>>52
>51ですが、ちなみに私は学生ですが、もうすでに信心決定しています。
なおなおよくよく念仏者達の信心は一定と候いしことは、みな御空事共にて候いけり。これほどに第十八
の本願を捨て参らせ合うて候人々の御言葉を、頼みまいらせて年頃候いけるこそ、浅間敷う候。
親鸞
ご立派ですね。信心決定なさいましたか。ご立派なお方でいらっしゃいますね。信心決定遊ばされて、
何がどう変わりましたか。
ほしい物は手に入るようになりましたか。愛する人と別れることはなくなりましたか。嫌な人とは合わずに
済むようになりましたか。苦の種になるようなものは、無くなりましたか。
お若い方よ。信心決定して正義を掲げても、掲げても、掲げる正義は、所詮は絵に描いた餅。決定した
正義では腹の足しにはならんでしょう。腹の足しにならんものじゃだめなん。こう叫べば、絵に描く餅もな
くなる。あれも駄目、これもだめと、下手すりゃ未来永久に争いと破壊だけが続いていく。
人間はね、得意絶頂の有頂天などは、三日と持たぬ。人は、いつでも地獄餓鬼畜生に転落する。けだもの
の心でけだものの行為をする者をけだものという。鬼の心で鬼の行為をする者を鬼という。欲望だけが天をも
焦がす炎となって燃えさかっても、身は微動もできないときを、地獄という。
> だから、これだけはっきりと断言できるのです。
ああ、浅間敷う候。
578:298
08/10/15 16:28:09 6xDqL4+l
>>574
7様
不思議なご縁ですね。
私は、何が本当か、わからぬ凡夫でありますが、あくまでも感覚的なものとして、
六字を尊び、六字をよろこんでいる。
そうなれたことが、奇跡だと思います。そして、うれしいのです。
この六字を、相続してゆきたいと思っております。
南无阿彌陀佛
579:神も仏も名無しさん
08/10/18 09:19:35 olc5G6N/
>>65
ありがとうございます。南無阿弥陀仏。
580:神も仏も名無しさん
08/10/19 11:51:55 5kA7ny7K
阿弥陀仏がほめてくだされる。
よくぞ願いを聞いてくれたと喜びほめてくだされる。
うれしや、もったいなや、
本願を聞くとは、ただ大悲を頂くことであったとは。
581:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/19 13:03:36 94imIc8q
>>580
馬鹿馬鹿しい。
悪人のまねをすべきより、信心決定の人のまねをせよ(蓮如)
悪人のまねをするよりはましだろうと言われ、信心決定の人のまねでもなさろうとなさってい
るんでしょうか。
信を得ずして、よろこび候わんと、思うこと、たとえば、糸にて物をぬうに、あとをそのまま
にてぬえば、ぬけ候うように、悦び候わんとも、信をえぬは、いたずらごとなり。「よろこべ、
たすけたまわん」と、仰せられ候うことにてもなく候う。たのむ衆生をたすけたまわん、との本
願にて候う(蓮如)。
信心などありゃしないのに、喜んで見せよう、喜んで見せようと演技するのは愚かなことだ。
糸で生地を縫っても、糸の端末に止め玉を作らないで縫えば、糸は次第に抜けていく。どん
なに喜んでみても、信心がなければ、無意味なことだ。
喜び組を見てはしゃぐのは、北朝鮮の金正日と本願寺のノータリン坊主だけ。人間のまねし
た猿芝居を見せられても、まともに喜ぶやつなどいやしない。後ろを向いてそろばんをじき、布
施の皮算用でもしているんだろう。
582:神も仏も名無しさん
08/10/19 13:16:13 UhJ5d23V
阿弥陀が俺らをほめるんじゃなくて
俺らが阿弥陀をほめる(讃仰)んじゃねーの?
583:神も仏も名無しさん
08/10/19 20:08:20 rLrk76Qr
阿弥陀仏は、善人からではなく、先ず、念仏を唱えさせられる悪人から救う。
とすれば、阿弥陀仏は、男をではなく、女人を最初に救うことになるだろう。
584:あぼーん
あぼーん
あぼーん
585:神も仏も名無しさん
08/10/21 00:58:29 i77m0fyi
>>582
一念多念文意
また『経』(観経)にのたまはく、「若念仏者 当知此人 是人中分陀利華」とのたまへり。
「若念仏者」と申すは、もし念仏せんひとと申すなり。
「当知此人是人中分陀利華」といふは、まさにこのひとはこれ人中の分陀利華なりとしるべしとなり。
これは如来のみことに、分陀利華を念仏のひとにたとへたまへるなり。
この華は、「人中の上上華なり、好華なり、妙好華なり、希有華なり、最勝華なり」(散善義・意)とほめたまへり。
光明寺の和尚(善導)の御釈(散善義)には、念仏の人をば上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人とほめたまへり。
586:神も仏も名無しさん
08/10/21 01:17:09 i77m0fyi
>>583
信巻
おほよそ大信海を案ずれば、貴賎緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、
造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、
頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、
有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、
ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。
たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。
如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり。
587:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/10/25 15:22:30 guyLisI5
ブログ親鸞仏教 更新しました。
www.しんらん.jp/
588:あぼーん
あぼーん
あぼーん
589:神も仏も名無しさん
08/10/30 16:43:43 UUgkDkn1
宿善は、前世から今までの阿弥陀様のお育てがあったからこそ、今生でご信心をいただけたはずです。
自分には、少ししかない宿善だったと思う事ほど傲慢な考えに思えます。
今回、こうしてご信心をいただけたのは、少ししかない宿善なんかじゃ有りません。
今の今まで、たった今まで、無始以来の阿弥陀様の働きがあったからこそでしょう。
少ない宿善しかなかったなんて、思うのももったいないことです。
自分が何様だと思っているのでしょうか・・・
もう少し、阿弥陀様のお心をよぉーく考えて発言したらどうですか?
どれだけのお力を私達はいただいているのか。
590:神も仏も名無しさん
08/10/30 16:55:01 UUgkDkn1
後念相続は、決して自分の為にあるものではありません。
相続とは、次の人に引き継ぐことでしょう。
この喜びを独りでも多くの人に繋いで行こうと言う心が大切かと思います。
この道は、決して一人しのぎではありません。
皆さん何か勘違いをしているように見受けられます。
今現在、何処でどう凡夫の浅知恵が入り込んでしまったのか、皆言っている事がばらばらです。
誰が正しいとは言いません。
一人の人間に信心をとるように働きかけているのは、阿弥陀様です。
独りでは名にも出来ないくせに、何が一人しのぎなのでしょう。
阿弥陀仏初め諸々の仏菩薩、神に至るまで私のためにどれだけのご苦労をしてくれていると思っているのでしょうか。
591:うどん
08/10/30 21:02:19 x13Tt0BE
なんとなく文面が恐いけれど、たぶん御一流の方でしょうね。
どうしてお怒りなのでしょうか。
>相続とは、次の人に引き継ぐことでしょう。
私としては、後念相続とは、第一に仏恩報謝の南無阿弥陀仏を称えることではないのかと思っています。
できるかぎりは有縁の方を勧化するよう努めることも、たいへん大事なことですよね。
しかし、私などはこれがなかなか出来ないんですよね。
何事も阿弥陀様まかせ、と甘えております。まことに申し訳ないことです。
が、先頃、ご縁がありまして知り合いを二人、お手引きすることができました。
お二人とも大変喜んでくださって、私もともに感激しておるところです。
けれども、これだって結局は、私がお手引きしたのではなくて、阿弥陀様のお育てのよるものなのだなあとつくづく感じているこの頃です。
592:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:33:00 UUgkDkn1
宿善が薄かったのに等と言う言い方自体、他力の信心をいただいたもののいう言葉ではないと思います。
是の宿善を用意してくれたのは、阿弥陀仏であることすらも忘れているとしか取れないい方をしています。
をいただくことがかたじけなくも阿弥陀仏のお心に催促されて、阿弥陀様からいただいた宿善をまるで自分で積み重ねたように、少ししか無い信心の私の宿善は薄かったと誰が判断したのでしょうか。
私などと言ってしまうのがおかしいです。
私たち、いただいた人は、菩薩の扱いになります。
菩薩の仲間入りをさせてくださった阿弥陀様のご意志は、ただひとつ、衆生済度しかありません。
阿弥陀仏が何を私たちにして欲しいかって、衆生済度のお手伝いただひとつだと思います。
口で称える南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏への感謝と賛嘆だと思います。
593:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:49:39 eZVX3jT8
「ご一流」とは298さんの法門ことですね
赤子も獲信するという例の
594:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:54:01 eZVX3jT8
でも「少ない宿善」とは>>549の「ほんのちょっとの宿善」というのを
さしているように思われますね。
ということは赤子も獲信する例の法門の方ではないのかな?
それとも例の法門にもいろいろな解釈があるということか。
あるいは今回書き込みされた方が例の法門ではなく
普通の真宗の方であるか。
595:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:58:42 CdqbHHjL
・・・阿弥陀仏のご意思はこうである、と言うこと自体は傲慢ではないのですか?
仏様のお考えになることは菩薩様でも想像の及ばぬ世界だと聞いております。
阿弥陀仏が私たちにして欲しいこと・・・?
早く救われて欲しい、弥陀をたのんで欲しい、ということ以外には想像もつかないことです。
煩悩は死ぬまで消えず、絶えず、信後も間違いだらけの私たち、頭で考えてする衆生済度はあくまでも真似事の域を出ないと思います。
立派な心がけ、尊いこととは思いますが、十方の諸仏方からも分陀利華と褒め称えられる信心獲得者の方なら、お分かりのことと思います。
現生十種の益をよくよく考えていただければ、私たちの信後の振る舞いも分かってくるかと思います。
596:298
08/10/30 22:51:11 5TiqQe77
私に感謝が足りないのは、全くその通りであると思います。
しかしながら、
◎われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり(唯信抄)
のような御文もございます。
彌陀の広大な御恩を思えば、それは強縁であり、誠にありがたいことです。
それでありながら、ここまで流転してきてしまったのは、やはり宿善がすくなかったからであると思います。
傲慢な私です。六字を称えて参りたいと思っております。
南无阿彌陀佛
597:神も仏も名無しさん
08/11/01 23:45:10 0gu66I95
宿善が多いと思えばありがたい。
宿善が少ないと思ったらやっぱりありがたい。
598:神も仏も名無しさん
08/11/02 04:16:26 Tv7nIpg+
この世からお浄土に住まわせて頂く身になれば、
自ずから阿弥陀仏のお考えもわかるはず。
衆生済度につとめようとするのも、阿弥陀仏のお力によってのこと、
真似事と卑下するのは、逆に申し訳ないことではないかと思います。
599:7
08/11/02 20:35:10 YzBhPFrx
信心決定しても、煩悩の厚い雲は死ぬまで晴れませんから、浄土は直接見えません。
阿弥陀仏のお考えが分かるような、知能はかけらもないままのような気がします・・・。
衆生済度につとめようとすることはとても尊いことで、もちろん阿弥陀仏のお力無しには出来ませんが、心は蛇蠍のごとくなり。
親鸞聖人も「名利に人師を好むなり」と仰っておられますが、これも決して卑下されたわけではないでしょう。謙遜でもないと思います。
600:神も仏も名無しさん
08/11/02 21:51:51 Kr6Nn6lA
煩悩はいよいよ明らかですが
疑いは消滅します。
601:神も仏も名無しさん
08/11/02 21:57:51 bINYRKFG
一人しのぎという言葉は、聖典の何ページに載っているのですか?
602:7
08/11/02 22:41:11 YzBhPFrx
>>601さん
一 往生は 一人のしのきなり 一人[々々] 仏法を信して 後生を たすかる事なり よそ事のやうに 思ふ
事は 且は我身を しらぬことなりと 円如仰候ひき
蓮如上人 御一代記聞書より (『浄土真宗聖典』P--1251)
603:神も仏も名無しさん
08/11/03 00:09:23 pK8d1vwm
>>599
もちろん、機の深信と卑下は、違います。
阿弥陀仏のお考えがわかるのは、阿弥陀仏から頂く信心によってです。
また、信心の行者は、現生十種の益を頂きますから、常行大悲の益があります。
煩悩一杯、心は蛇蝎そのものの私たちが、
阿弥陀仏のお力によって、阿弥陀仏のお手伝いができるということです。
604:7
08/11/03 00:25:33 T/ohIxWk
常行大悲の益って、本当に凄いことだと思います。常、ですから。
私のような凡夫は、やる気があっても続かない、努力も懈怠で続かない。
信後急に真人間に生まれ変わるわけでもなく、信後も疲れれば寝て過ごす日もあるわけです。
それなのに、「常行大悲の益」を与えられていますので、寝ても覚めても、自分ではサボっているつもりでも、
阿弥陀仏の大悲に叶う行いをさせていだいていることになります。常、ですから、24時間、寝ても覚めても。
これは普通に考えると、全く理解できないことです。ですが、佛語に虚妄なし、と有り難く受け止めているのです。
常行大悲の益、自分が意識的にやる気になる「時々」ではなく、「常」の益であることが本当に有り難いのです。
605:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:18:22 WevN8EPB
昔は信心をいただいた喜びをなんとか人に知ってほしいと
いろいろ話していたけどなんだかそれは自分の領解であって
他人を導くなんて思い上がりも甚だしいと思ってしまう今日
南無阿弥陀仏を称えることだけが自分にできることだと思ったりする
ここでこんなことを書いているのだから念仏称えるだけはないだろと
つっこみがきこえてきそうだけど、ここで書くのは書きたいからであって、
弥陀の恩に報うためとか高尚な考えがあってしているわけではない
自分の領解が人の救われる縁になることはうれしいことだ
思わずわしが育てたと思ってしまうこともある
よかったよかったと共によろこべればなおいい
でも、どこかではき違えて、俺が真宗だ!とならないようにつとめたい。
606:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:24:22 WCvUo+CC
宇宙時代、グローバル時代に「阿弥陀仏」に固執するのはカルトだろ
607:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:28:40 WevN8EPB
宇宙時代、グローバル時代は何をするものなんですか?
608:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:44:32 s5e/tn9C
>>607
末法の時代。仏法は籠宮に入ってしまう。
609:7
08/11/03 02:46:11 PmeGVRCf
カルト【cult】宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
ということで、釈尊の時代からカルトです。
610:神も仏も名無しさん
08/11/03 07:57:47 nyBmT3cw
一人「の」しのぎと、一人しのぎでは、
「の」と言う言葉が付くのと付かないので意味が違って来ると思うのですが・・・
「弥陀をたのむ」と「弥陀にたのむ」だって意味が違うことを考えると、
「の」があるか無いかで意味が違ってくると思えます。
611:7
08/11/03 11:39:07 PmeGVRCf
そうですね。ただ、上記で「一人しのぎ」と言われた方が、蓮如上人の言われた「一人のしのぎ」の「の」を省略されたのか、
それは本人でないと分かりません。
真宗、一人しのぎ、で検索すれば約55,800 件(google)以上ヒットしますし、「の」もあったりなかったりしますから、
どちらも真宗においては一般的な概念かと思われます。
612:神も仏も名無しさん
08/11/03 21:53:29 pK8d1vwm
常行大悲の益は、いつのまにか、そのつもりがなくても、していることに
なっている…というようなものではありません。
常に阿弥陀仏のお心を知らせて頂き、それにかなう行いをするように
まもり育てて頂くので、大悲を行うことができるのです。
信心を頂くとは、阿弥陀仏の心光の中に包まれて生きるということですから。
私たちにできるのは、お念仏をとなえることだけ…と思うのは、
阿弥陀仏のおはたらきを過小評価しているのではないでしょうか?
613:7
08/11/03 23:57:15 PmeGVRCf
>>612さま
なんと・・・まさか、阿弥陀仏のおはたらきを過小評価していると言われるとは、思いませんでした。
何しろ、常に大悲にかなう身にさせていただいた!と喜んでいたのですから。
それは阿弥陀仏のおはたらきの過大評価だ、常に阿弥陀仏のお心を知り、育てていただかねば急には無理だ、
そのつもりがなくても常に大悲の行が出来るような身にするお力はさすがにない、とお叱りを受けるかと思っていましたので。
予想とは真逆の意見を言われることもあるのですね。
614:神も仏も名無しさん
08/11/04 10:50:41 dTb5TOXN
阿弥陀と一味であるなら
その心も行いも、法蔵菩薩の誓われたごとくに
なっていくはずのものなんですね。
615:神も仏も名無しさん
08/11/10 11:20:37 2785941h
こうるさいアラシはアボーンになったようです。
2ちゃんねる専用のブラウザの場合、通常のダウンロードでは
消えませんが、スレそのものをいったん消去してリロードすると、
アボーン後のスレがダウンロードするようです。
616:7
08/11/11 01:18:34 007cgYNR
あ、あぼーんがいっぱい・・・ AAが削除されたのかな?
617:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:36:14 Hk9E181t
さて、また質問です。
善知識が相続できる人数に違いが有ります。
ある人は三人、ある人は五人、ある人は七人、
また人数に制限は無いと言う方も見受けられます。
どうしてこんなに違いが有るのでしょうが・・・
お経をよく読めば、相続出来る人数も書いてある筈ですが・・・
大体五人と言う流れでは、五念門からその人数になったと言う
推測をしていますか・・・
一人しのぎの定義と、一人のしのぎの定義を明白にした方が良いと思います。
618:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:37:02 Hk9E181t
テスト
619:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:42:09 Hk9E181t
>618
前回書き込んだものがどこかに行ってしまったので、ここのスレにきちんと送信されるか確認しただけですので意味ありません。
620:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:49:02 osHM9dBj
赤ちゃんでも獲信できるのだから
無制限では?
621:7
08/11/12 21:19:02 ZOBNxN6G
赤ちゃんの獲信と善知識の相続はあまり関係ない気がします。
もちろん赤ちゃんの獲信について不信はありません。何しろ自分のようなものさえ獲信出来たのですから。
しかし、次第相承の善知識については、私は、その人数だとか、赤ちゃんがどうとか、分かりません。
また、一人しのぎについてですが、あなたは「の」のあるなしをどう受け止めていらっしゃいますか。
恥ずかしながら、自分は「の」のあるなしは単なる省略として受け止めてきましたし、「の」のあるなしで「一人しのぎ」の意味合いは
これだけ変わるんだよ、という話を聞いたこともないですから、分かりません。
ただ、上記で「一人しのぎ」という言葉に対して批判的だった方が、蓮如上人も「往生は一人のしのぎ」だと仰っておられたことに、
相当動揺されて、「の」のあるなしにしがみついているような気がしてなりません。
622:神も仏も名無しさん
08/11/12 21:29:05 Hk9E181t
仏の言葉とされているものに、一字一句過不足は許されていないはずです。
一つ一つの文字が仏菩薩の化身のはずです。
一人しのぎと聞いて、自分「が」というものを感じます。
一人のしのぎと言うと、一人の人の為に有るしのぎ事のように受け止めます。
623:神も仏も名無しさん
08/11/12 21:36:37 Hk9E181t
赤ちゃんの往生を問題にしていません。あしからず。
焦土真宗は、老若男女すべてに平等に与えられるものですから、
生まれたばかりの赤ちゃんだって、
善知識の下で一念帰命できなければ、
浄土真宗と言わないと思います。
624:神も仏も名無しさん
08/11/12 21:38:57 FL1Kme9Y
漢訳仏典は昔の支那周辺の人が編纂したんだけどね
サンスクリットもほぼ口承で伝えられたものだし
そこまで頭かたくしなくてもいいと思うが
昔は紙なんて媒体はほとんどなかったわけで
みんなで唱えながら暗記していた。
だんだん印刷術や図書館の個室などの整備が
宗教改革を産む土壌をつくったとか
625:7
08/11/12 21:51:21 ZOBNxN6G
サンスクリットから中国語に翻訳するときは相当苦労されたと思います。表音文字を表意文字に変えていくのですから、
意味と音を両方大切にされたことと思います。一字一句を大切にされる622さんの思いに同意いたします。
その点、日本語は相当融通が利く言語だとは思いますが、祖師上人もただ機械的に日本語に翻訳されたのではなく
相当ご苦労されたに違いないと、有難く思います。
「一人しのぎ」という言葉に、自分が、自分が、という「我」臭を感じられたのですね。自力的な。
「一人のしのぎ」だと、阿弥陀仏による私達一人一人のための、という他力の姿を感じられたのですね。
祖師上人のお言葉である「往生は一人のしのぎ」というお言葉、「の」を略したばかりに反発し謗る人が現れては申し訳ない話です。
私は今後気を付けることにいたします。
626:神も仏も名無しさん
08/11/12 22:13:03 xm5E60Hz
まともなところはまともですね。紹介しておきますね
URLリンク(www.hamq.jp)
627:神も仏も名無しさん
08/11/12 22:30:45 osHM9dBj
獲信ではなくて善知識の相続でしたね。
勘違いです。失礼しました。
628:神も仏も名無しさん
08/11/12 23:15:01 osHM9dBj
それにしても書き込みが減ってしまいましたね。
何か理由があるのでしょうか?
629:7
08/11/12 23:40:32 ZOBNxN6G
信心決定を探し求めることと、獲信者の方に信心について語ってもらうことが、このスレのスタートでした。
その当初の目的は無事達成されましたので、静かなのかも知れません。
個人的にはその名残りを懐かしみつつ、また自分のように捜し求める人が
あるかも知れない、と思いつつ、このスレを時々見ています。信心についての話に、興味は尽きないですし。
また、信心決定したと言っても、いくつか違う見解があるものだな、と分かったことも勉強になりました。
解釈や味わいが違うだけなのか、信心そのものが違うのか。お聖教で分からない部分については答えの出ない問題ですが、
関心は尽きません。ただ、仏法の話はとても楽しい、嬉しいものだと感じます。
630:神も仏も名無しさん
08/11/13 21:14:45 G5QH34qX
結局、善知識が相続できる人数についての説明は誰も出来ないんですね。
お釈迦様も、法然上人も、親鸞聖人も、蓮如上人も
相続した人の人名を明らかにしているし、
三者とも、みな相続した人数は同じです。
お聖典を読めば明らかです。
631:神も仏も名無しさん
08/11/13 21:55:45 XW5bzFHW
そうですか、手元には真宗聖典があるので、是非どこにどのように書かれているか教えてください。勉強になります。
632:神も仏も名無しさん
08/11/14 14:53:31 4yeWi1hg
相続とは、南無阿弥陀仏が行者の上に生きていることです。
み教えが伝え受け継がれて、これまで数え切れない人々の心に
信心の華を咲かせ続け、これからも未来永劫、咲かせ続ける
ということです。
特定の技量や技術が受け継がれるのではありません…
また、赤子でも獲信できるのはまことですが、獲信させられる
というのは誤りです。
阿弥陀仏とひとりひとりの間のことですから。
これを、一人のしのぎと言われます。
633:神も仏も名無しさん
08/11/14 15:10:25 4yeWi1hg
昔は阿弥陀仏の絵像の御手のところに穴を開け、そこと
臨終に赴く人との手を紐でつないで、来迎のかたちとしたそうです。
善知識の下で一念帰命の儀式をするのは、それと同じ、
阿弥陀仏の無条件の救いを疑う心が生み出したしきたりです。
いつの時代も人は迷うので、そういうものもまた「相続」されて
今に至るのでしょうね。
634:神も仏も名無しさん
08/11/14 20:03:34 WhSTWCdt
一念帰命とは儀式?
そもそも一念帰命とは、真宗安心の絶対条件?
もしや無条件の救いと一念帰命は別のもの?
635:神も仏も名無しさん
08/11/14 20:36:14 5vb/Tpp1
儀式を経て「獲信する」グループもあるようですね・・・。
636:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:02:36 uiMRsjgJ
>>632
> また、赤子でも獲信できるのはまことですが、
赤子でも獲信できる、赤子がそう言いましたか?
赤子でも獲信できる、そう判断しているのは当人の赤子ではないでしょう?
理屈では、赤子でも救われると思いますがね。
637:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:06:07 gc7ryFQL
阿弥陀仏は霊的存在ですか?
それとも脳内信仰ですか?
638:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:19:18 4yeWi1hg
一念帰命とは真宗安心の絶対条件です。
(これがないと十劫安心になります)
無条件の救いを、無条件だったと受け取ったのが一念帰命。
誰にも言ってはならない、とか、善知識の言うとおりにしたら
信心頂けるとかいうのは、儀式であって「獲信」ではありません。
>>635
悲しいことに、そういうグループが多いようです。
>>636
同感です。
いずれにせよ阿弥陀仏と当人以外には本当のところはわかりません。
>>637
どちらでもありません。
639:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:36:22 gc7ryFQL
阿弥陀仏は物質なのですか?
それとも偶像ですか?
脳内信仰ではない、ということは観念でも妄想でも想像でも象徴的存在でもないということですよね。
詳しく教えてください。
640:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:26:12 ouOgdV+E
>>631
この公共の場で、ここに書かれていると教える事は出来ませんが、
浄土三部経をよく読めば、
お釈迦様が誰に付属したのかが明白に書かれています。
法然上人も親鸞聖人の他に誰に相続したのかも記してあります。
親鸞聖人も然り、蓮如上人も然りです。
共通の人数が分かるはずです。
なぜ、浄土三部経で、その他のお経を選ばなかったのか・・・
>>639
阿弥陀仏は、理仏であります。
人間の知恵で考えられるような存在ではありません。
言葉には、それぞれ意味があり、色々な形で存在しています。
風を直接見ようと思っても、肌に吹き抜いた現象で、
風と云う存在が分かるようなものです。
南無阿弥陀仏が何であるのか、御文章を読めば書いてありますよ。
641:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:27:51 gc7ryFQL
理仏って何ですか?
642:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:37:26 LD4anDXg
ちょっと質問!
人間死んだら地獄or極楽浄土だそうですが、地獄・極楽からまた人間界
に戻ってくるなんてことはあるのですか?
643:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:47:14 WhSTWCdt
>>642
あるんじゃないかなあ。
地獄に落ちても、いづれ気の遠くなるような時間を経れば出てこられるだろうし。
極楽から人間界というのは、いわゆる還相廻向ってやつかなあ。
644:神も仏も名無しさん
08/11/14 23:00:22 LD4anDXg
またまた質問!!
親鸞聖人の教えの中に、人間死んだら地獄に落ち八万劫中大苦悩。決してこの
苦しみから逃れることは出来ないとありますね。前世でろくな目に合わないの
も前世の種まきが悪いとか。
ここで疑問に思うのだが、一劫は4億3200万年、つまり八万劫という時間は
3.456×10^13(年)
宇宙の年齢は137億年。これだと前世は時間も空間もないところに存在してい
たということになり、矛盾しないかぁ?
645:神も仏も名無しさん
08/11/14 23:14:05 ouOgdV+E
理仏とは、人間の理解できない、
見る事も触る事も出来ない存在とでも言いましょうか・・・
人間の知恵の中での宇宙の年齢や、物理学・科学・医学・数学を
もってしても、解明出来る程、阿弥陀仏の世界は狭くないとも言えますね。
646:神も仏も名無しさん
08/11/14 23:35:11 LD4anDXg
しかし、人間には理解できないなんて言ってたら、宗教なんて
なんでも好き勝手いい放題だとは思わないか?
647:7
08/11/14 23:57:52 V2PiDOe0
>>633 阿弥陀仏の救いが無条件とは、機を問わないという意味でしょうか。・・・もちろん宿善は必要な条件ですよね?
18願には、至心信楽欲生我国~とありますので、極楽浄土に生まれること、浄土に生まれることが確定する「救い」は、
「信楽になったら」という条件がありますよね、念のため。でないと十劫安心ですから。
>>636 赤子でも獲信できるというのは、蓮如上人が仰っておられます。「男女老少」を選ばず、と。性別も年齢も関係ないと。
>>637 霊的存在の、霊の定義が一般的に共通化されていないと思います。例えば、私は霊的存在でしょうか。
脳内信仰とは、信仰とどう違うのですか?脳外信仰が対になるとすれば、意味が分かりません。
>>638 善知識頼みを戒められるのは結構なことです。しかし五重の義を忘れたら真宗ではなくなると思います。
648:7
08/11/15 00:00:23 V2PiDOe0
>>639 阿弥陀仏とは、という疑問が何故自分に生じたか、振り返って見られたらいいと思います。
仏教に阿弥陀仏のことが説かれているから、知る機会が生じ、そのお名前を知ったがゆえに、疑問が生じているのです。
ならば、仏教にその答えを求める他はありません。阿弥陀仏とは、本師本佛であると、お釈迦様は説かれていますので、
阿弥陀仏は仏さまです。そして、仏とは何か、それも仏教に全て答えがあります。いくらでもお調べください。
>>640 次第相承の善知識、と幾度もお聖教には出てまいりますね。これを無視される方が多いのも、悲しい現実です。
>>644 宇宙ってのはまだ物理学でも解明しきれてないですよね。ビッグバン説が正しいと仮定しても、この宇宙が始めての宇宙だという結論には
至っていませんし。宇宙の年齢はだいたい計算されていますが、その宇宙を生み出した原因となる世界も計算すると、無限に辿れるのではないでしょうか・・・
>>646 実際、宗教に限らず人間は好き勝手いい放題だと思います。自分が納得出来る、信じられる道を進むことしか出来ないのが人間です。
世間虚仮、唯佛是真、ただ念仏のみぞ真にておはします、の親鸞聖人のお言葉が有難いです。
649:神も仏も名無しさん
08/11/15 00:49:00 hZWVWpEa
阿弥陀如来は、超自然(オカルト)的な存在なのですね。
ところで、仏教には、いろんな如来(仏)がいますが、その中でも、大日如来、薬師如来が有名です。
これらと阿弥陀如来の関係を教えてください。
650:神も仏も名無しさん
08/11/15 00:57:01 5WEv5nP4
>>647
報土浄土への往生の条件は、一念帰命、信楽の身になることひとつです。
宿善は条件とは言いません。
五重の義とは、私たちが信楽の身になる過程を五つに分けてお示しくださったもの。
また、信前にははっきりとわかるということはありません。
光明にあって信心を頂いた後、ふりかえって宿善を喜び、あの方こそ
善知識であったと尊び、また報謝のお念仏称えていきます。
それなのに、もし善知識を特に重視してその言葉ばかりに従い、
阿弥陀仏の御心を省みずにいるのなら、
それはまことの信ではないのでしょうね。
善知識の言葉こそ阿弥陀仏の御心と考えるのでしたら、
それこそ善知識頼みというもので、真宗ではありません。
(信前はしかたのないことですが)
651:7
08/11/15 01:18:21 LJ/wsXPH
>>650 条件とは何か、という話になるかも知れませんね。本願を仰げば「信楽」一つなのは間違いありません。
「宿善」の有無を条件と呼ぶのは乱暴ですか?
光明秘事の方でしょうか。善知識と、次第相承の善知識とが説かれていますので、蔑ろには出来ないと思います。
五重の義とは、五重であって五順ではないのですが。信前にはもちろん分からないことがあります。
つまり信後には必ず分かることがあります。
652:7
08/11/15 01:24:39 LJ/wsXPH
また、善知識の言葉こそ阿弥陀仏の御心と考える、これは善知識が弥陀の代官である限りは間違っていないと思います。
この場合の善知識の言葉、とは、親鸞聖人、蓮如上人の書き残されたお聖教のことです。
もちろん、善知識と言えども生身の人間である限り、間違えることもあると思います。
しかし、「善知識の言葉の下に帰命の一念・・・・」のような間違いがあってはならない場面では間違いが起きないものだと素朴に信じています。
それは一人の人間としての善知識に特別な力があるわけでなく、阿弥陀仏のお力に依るが故だと、単純に思うばかりです。
653:神も仏も名無しさん
08/11/15 02:05:30 5WEv5nP4
>>652
お聖教の善知識方のお言葉から阿弥陀仏の御心を聞こうとすることは
素晴らしいですね。
けれどそのことと、善知識の言うとおりにしたら信心頂ける、というような話は
まったく別です。
>しかし、「善知識の言葉の下に帰命の一念・・・・」のような間違いがあってはならない場面では間違いが起きないものだと素朴に信じています。
場面とは、何か大切な儀式の場面のようですね。
土蔵秘事の方でしょうか。
「善知識の言葉の下に帰命の一念…」とは、本来、善知識の説く教えを、
聴聞し、やがて信心決定すればということです。
ご説法の席かもしれないし、家にいるとき、寝ているときかもしれない。
場所も、していることも、人によってまちまちです。
どこにいて、何をしていようと阿弥陀仏の光明は宿善開発した人に届き、
たちまち信心決定の身になれるのです。
654:7
08/11/15 02:32:37 LJ/wsXPH
>>653 どこにいて、何をしていようと・・・?思わず、光明秘事の方ではないかと決め付けてしまいそうになりました。
突然、心が地獄に落ちるような経験をしてみたり、突然、心底から阿弥陀仏の声が聞こえてみたり・・・。
なるほど、あなたは私のことを土蔵秘事の者だと決め付けているのでしょう。仕方の無いことです。
私は、お聖教のお言葉に基づいている信心かどうかで判断するしかないと思っています。
自分の心というものは、幻覚と現実を区別する能力を、究極的には持っていないと思うからです。
信心決定とは真実信心頂くのだから、その南無阿弥陀仏の佛智によって分からせていただくのだ、言われるかも知れません。
しかし、いつも真実信心は煩悩の厚い雲に覆われているのです。夜中では無く昼間にはなりますが、太陽を直接見ること叶いません。
信心決定することを、太陽を直接見れることのように思っていると、道を間違えるのではないかと思います。
私は疑い深い人間ですから、命続く限り、お聖教を拝読しては、我が身の信心の沙汰をしているのだと思います。
ですから、ちょっとでも自身の信心とお聖教に書かれている信心に違和感があれば、ご同行の皆様に尋ねたいと思います。
南无阿彌陀佛
655:神も仏も名無しさん
08/11/15 05:16:32 BDTb5V1P
>>653
どうしたら宿善開発できるのかお教え願いたい。
656:神も仏も名無しさん
08/11/15 09:08:58 5WEv5nP4
信心を頂くと言うのは、太陽に照らされるようなものです。
闇の中では、ものの姿かたちも方向も見えません。何を見ても聞いても、
それが善いものかどうか(阿弥陀仏の御心にかなうかどうか)、一切が闇の中です。
だから、人のことばにも必要以上に動揺したり、頼ったりします。
太陽に照らされたなら、たとえそれがどんな曇りの日であっても、
光がありますから、もののかたちが分別でき、方向も見えます。
それと同じように、煩悩に惑わされたままでありながら、
阿弥陀仏の御心にかなうのかどうか、知らされるのです。
>>654
>突然、心が地獄に落ちるような経験をしてみたり、突然、心底から阿弥陀仏の声が聞こえてみたり・・・。
光明秘事とはそういうものなのですか。
暗いところに閉じ込めてから外の光を見せ、「獲信」したと思わせるものかと
思っておりました。よろしければ、そうしたものについて書かれた資料をご紹介願えますか。
破闇の光明とも言われ、廻心ともいわれるように、心が翻えるのですから、
信心決定が、ある種、突然のものであることは確かです。
それを(無意識にせよ)自分の力や他人の力で、人為的にきっかけをつくって成すのか、
まったくの他力によってなさしめられるのか、表面的な違いはそれだけかもしれません。
内面的な違いは、お聖教をまるまる心の中に頂くようなものだと思ってください。
覚えるのではありません。日々体験することを通じて、分からせて頂くということです。
ご説法を聞くとき、お聖教を読むとき、より一層はっきりとわかりますが、
それ以外のときでも、常に全世界が、自分に真実を教えてくださるご縁となることが
わかってきます。
657:神も仏も名無しさん
08/11/15 09:10:08 5WEv5nP4
>ですから、ちょっとでも自身の信心とお聖教に書かれている信心に違和感があれば、ご同行の皆様に尋ねたいと思います。
尊いことですね。あらゆるお聖教をどんどん読まれたらよいと思います。
私もよく拝読します。
こう思ってはおかしいとか、ここはこう解釈すべきだ、などの先入観は交えずに読むと、
本当にたくさんのことを知らせていただくご縁ですね。
>>655
「どうしたら」が自力の親玉です。というか、これを「こうしたらいいのだ」と決めたい、
という、その心ひとつによって、たくさんの間違いが起こってきます。
それでも、常に自分の心を振り返り、お聖教と照らし合わせることが大切だ、とは言えます。
この世の全ての人、もの、ことがらを、自分のためのご説法と有難く真剣に
受け止めていくこと。
何が起きても、阿弥陀仏のご念力によって進ませて頂いているのだと信じていくことです。
その道中に、宿善開発ということがあります。
658:神も仏も名無しさん
08/11/15 09:30:05 5WEv5nP4
仏様のお心はいつも明るく、暖かく、穏やかで、慈悲に満ちています。
また、軽やかで、自由で、平等です。
自分もそうなりたいと、そうなれるのだと思って、日々暮らしていく。
また、できるだけ、そうなれるものに親しみ近づいていきます。
すると必ず、どうしてもそのようにはなれない自分がわかってきます。
仏様の心に添わない自分と知らされ、ついに完全に、正反対の自分だったと
知らされたときが、光明のお照らしにあうときです。
(しかし、このようになるのだと予定して、決め付けて進むことも、またおかしなことです。
道行きとしてはこのようですが、それを期待して「まだか、まだか」と求めることも
自力そのものであると思ってください。)
659:7
08/11/15 10:34:01 LJ/wsXPH
光明秘事の資料ですか。すいません、紙の資料は持ち合わせていないんです。確かに物理的な光を見せて光明が・・・とやる秘事がある、
とネット上で調べたことはあります。私は阿弥陀仏の光が見えた、とかもその類だと思っておりましたので。
その後の書き込みを拝見いたしますと、身調べ系の方のような気もします。罪悪観や無常観をつめていくという・・・。
観相は自力聖道ではありませんか?それに普通の人がそれをやると心が壊れるような気もします。
660:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/11/15 11:50:15 DVfR6UvN
ブログ親鸞仏教 更新しました。
www.しんらん.jp
661:神も仏も名無しさん
08/11/15 13:01:50 44tjQJJf
>>660
宣伝荒らしはやめろキモヲタ
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. | o| .| / | |
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662:神も仏も名無しさん
08/11/15 15:02:59 VThXoo0c
また盛り上がってきましたね!
私は特定の善知識と対面して儀式を通じて
信心決定する、という主張を持つグループを
ここで始めて知りました。
他のどこにも資料が出ていないので
いつも興味深く拝見しています。
663:神も仏も名無しさん
08/11/15 21:19:04 BDTb5V1P
このまま、阿弥陀仏の光明を分からずに、
私は死んでいくのかなぁ?
>>658
結局自力の考えじゃないですか?
664:神も仏も名無しさん
08/11/15 22:20:57 53OQ7Ykp
光明なんて分かりようがないなあ。
そんなことお構いなしに、有無を言わさず阿弥陀仏に引かれていってるのかも。
偶然に巡りあったような一念帰命も宿善開発も、仏の遠大な計画の末の出来事かなぁ。
逃げて逃げて、やっと今生捕まった人はおめでとう。
まだの人は逃げるのやめて、お手上げして降参したらいいのかも。
665:神も仏も名無しさん
08/11/16 00:50:30 xqtJdYSY
>>659
なるほど、お返事ありがとうございます。
物理的な光だと、光明秘事というものが疑われるのかもしれませんね。
光明は闇に対する言葉で、わからないものがわかる状態になったことを、
光明を見るとか照らされると表現しています。
(何が分かるのかと言うと、阿弥陀仏の本願がわかることを言います)
>罪悪観や無常観をつめていくという・・・。
罪悪や無常観をつめても、自分の影の頭を自分で踏もうとするようなもので、
追えば逃げますし、どこまで行ってもきりがありません。
大事なのは追うことではなく、目前に迫ってくるものから、目を逸らさないことです。
>それに普通の人がそれをやると心が壊れるような気もします。
何の支えもなしに闇雲にやろうとしたら、壊れるでしょうね。
実際は、阿弥陀仏が支えてくださいますので、壊れずにすみます。
まず阿弥陀仏に近づこう、親しもうとしていくことが、大切だと思います。
>>663
そんなことないですよ。今だって阿弥陀仏のお力は663さんにかかっています。
>結局自力の考えじゃないですか?
他力になるまでは自力しかないですからね。
666:7
08/11/16 01:23:24 hQ4okuLs
そうなんです。物理的な光を用いた光明秘事があると聞いたことがあります。
それに加えて、心に見える光や心にだけ聞こえてくる声もどうなのかしら、と思うわけです。
何が見えようと何が聞こえようと、人間の心なんてあてにならん、と思うわけです。
そう書くと、お聖教と真実信心、南无阿彌陀佛をあてにしているじゃないか、と言われるかもしれません。
お聖教は人間が書いたものではないか。南无阿彌陀佛、真実信心だ、と思って喜んでいるのは人間の心じゃないのか、と。
それでも、ただ念仏のみ真にておはします、の親鸞聖人のお言葉に深く肯くばかりです。
お聖教は仏教であり、仏様の教えそのものであり、仏様のお言葉であると有難く思うばかりです。
我が身の変化など、心の変化など、信心が真実であることの保証にも証拠にもなりませんが、
そのように信じている、それだけのことに、素直に驚き、有難く尊く思うのです。
667:7
08/11/16 01:27:19 hQ4okuLs
さて、どれだけそう書いても、否、お前は違う、それは秘事である、とか、思い込みだ、とか、思う人はあると思います。
お聖教の根拠をいくら示しても、自分に都合のいいところばかり拾い出して、都合のいい解釈をしている、とやるわけです。
ならばいくらでも都合の悪いところを拾い出して、都合の悪い解釈をしてみせていただければいいと思うのです。
そのように根拠を示しあっていけることは、とてもいいことだと思うのです。
分からないことだらけ、知らないことだらけですから、いろんなお聖教のお言葉を示して頂ける事は本当に有難いのです。
お聖教のお言葉に触れる機会が増えること自体が、実はとても楽しく嬉しいのです。
みなさま、よろしくお願いします。
668:神も仏も名無しさん
08/11/16 11:41:38 ZpFBHqnT
7さん、よろしくおねがいします
> みなさま、よろしくお願いします。
とありましたので、素人の私もいいのかな?と思い
横レスさせて頂きます
>> 666-667について、私は以下のように理解しました
①人間の心なんてあてにならん
↓
②お聖教は仏教であり、仏様の教えそのものであり、仏様のお言葉であると有難く思うばかり
↓
③我が身の変化など、心の変化など、信心が真実であることの保証にも証拠にもなりません
↓
④そのように信じている、それだけのこと
↓
⑤お前は違う、それは秘事である、とか、思い込みだ、とか、思う人はあると思います
↓
⑥いろんなお聖教のお言葉を示して
↓
⑦お聖教のお言葉に触れる機会が増えること自体が、実はとても楽しく嬉しい
669:神も仏も名無しさん
08/11/16 11:42:13 ZpFBHqnT
>>668のつづきです
私の理解が適切であるなら
7さんは、①~⑤の解決方法として、⑥を挙げていらっしゃいます
しかし、御聖教は②のように評価されていますから
④の結論になってしまうと思います
その理由は③にあたります
ですから、結局⑤に戻り、その解決方法として⑥が提示される
これでは①~⑥の無限ループとなるのではないでしょうか?
つまり、①~⑤の解決方法としての⑥を提案しながら
実際は⑦が目的でいらっしゃるというように思いましたが
誤解ありますでしょうか?
670:神も仏も名無しさん
08/11/16 11:50:07 xqtJdYSY
>>666
書かれていることに何ひとつ、異議はありません。
ただ、「儀式によって信心を得た」という事実さえなければ。
心などあてにならないと仰りながら、儀式と、「次第相承の善知識」をあてにして
おられるように見えるのが気がかりです。
結局のところ、阿弥陀仏の本願以外、この身この世界は何ひとつあてになる
ものではありませんが、それでも何かをあてにしようとする心の現われが、
来迎の儀式であり、各種の秘事なんでしょうね。
671:神も仏も名無しさん
08/11/16 11:51:03 xqtJdYSY
>>667
>お聖教のお言葉に触れる機会が増えること自体が、実はとても楽しく嬉しいのです。
このように言われること、まことに尊いことだと思います。ありがとうございます。
それでは、真実の信心を得るすがたは、どこにいて、何をしているかは関係ないと
いうことについて、お聖教から引用しますね。
「それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の
時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。」(教行信証 信巻)
信楽には一念ということがあると言われています。その信楽は、
「恵心院の和尚は、『往生要集』には、本願の念仏を信楽するありさまをあらはせるには、
〈行住座臥を簡ばず、時処諸縁をきらはず〉と仰せられたり」(末灯鈔)
行動も場所も時節も問わないと言われています。また、これを、
「「行住座臥不問時節久近」というは、「行」は、あるくなり。「住」は、たたるなり。
「座」は、いるなり。「臥」は、ふすなり。「不問」は、とわずというなり。「時」は、ときなり、
十二時なり。「節」は、ときなり、十二月、四季なり。「久」は、ひさしき、「近」は、
ちかしとなり。ときをえらばざれば、不浄のときをへだてず、よろずのことをきらわざれば、
不問というなり。「是名正定之業 順彼仏願故」というは、弘誓を信ずるを
報土の業因とさだまるを、正定の業となづくという。仏の願にしたがうがゆえにと、
もうす文なり。」(一念多念文意)
弘誓を信ずることによって報土の業因と定まると言われ、上記の信楽の一念を、
詳しく説明されています。
これによって、真実の信心(信楽)とは、儀式(時、場所、動作、相手などが
定められたものをいいます)によって得られるものではない、とわかります。
672:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/11/16 15:12:44 UV41kDWT
新年会の予定
東京新宿で新年会を予定します。
来年1月25日 午後五時頃から。
詳細は後日、再度、公表します。
673:神も仏も名無しさん
08/11/16 15:46:09 5gIS7gyX
称名念仏は正定の業だから、時や所や状態を選ばなくてよい、ということなのかな。
一念帰命もこれと同じように時所諸縁をきらわない、という理解でいい?
ただ、これに「五重の義が成就したうえで」という条件が必要か否か。。。
どうなんだろ
674:神も仏も名無しさん
08/11/16 16:40:34 HZEcWQOI
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{_親●鸞___| )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ )
◎-○一( * * ヽミ |. |
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|__|. 海 ≡ ;;; )_l .| |
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675:7
08/11/16 23:13:43 +iVosD2M
書き込みありがとうございます。さっそく該当部分の原典にあたります。
676:神も仏も名無しさん
08/11/17 00:50:46 2MRquiIX
>>673
その通りです。
一念帰命と称名念仏は離れてあるものではありませんから。
五重の義は、真実信心であるかどうかの一つの判断基準として示されているので、
順番が違っても、一つが欠けても、誤った信心であるということですね。
(ただし、「じゃあこれが揃えばいいのか」と考えて、人間がお膳立てして
信心得たことにするのは、もちろん誤り。この代表が土蔵秘事ですね)
>675
はい、ありがとうございます。
677:7
08/11/17 02:45:04 2TSew6q2
末灯鈔、親鸞聖人御消息、該当の章を拝読いたしました。紹介して下さった部分は
第六通「笠間の念仏者の疑ひとはれたる事」の中間にある、以下のところですね。
~ しかれは、恵心院の和尚は 往生要集には 本願の念仏を 信楽する ありさまを あらわせるには
行住座臥を えらはす 時処諸縁を きらわすと おほせられたり 真実の信心を えたる人は
摂取のひかりに おさめとられ まいらせたりと たしかに あらわせり しかれは~
「しかれば」に挟まれていますね。「しかれば」には「だから(理由)」と「さて(文の冒頭に置く言葉)」の二つの意味があるようですから、
前後の文章も読まないと、この「しかれば」が(理由)を意味しているのか、話題を変えているのか分かりません。
「しかれば」が二つとも(理由)であった場合、前後の文章によって挟まれた文章の意味は相当限定されてくると思います。
ですから、前後は無視出来ないのです。何度か通しで第六通を読み返してみたいと思います。
678:神も仏も名無しさん
08/11/22 01:47:14 lKKFPKyw
お聖教を、先入観を持たずに読ませて頂くのは素晴らしいご縁ですね。
信心頂くとは、阿弥陀仏の本願をそのまま聞くことです。
御名号を成就してくださったのはまことに私のためでした、
ありがとうございます、と頂いてお念仏することです。
これは、阿弥陀仏が現在只今、私を助けてくださることを信知することです。
本当に聞かせて頂いたなら、何の文句も出ようがないのですが、信の一念までは、
それが信じられない故に、どうしても何かつけくわえようとしてしまいます。
679:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/11/28 12:09:37 DopWDjCA
ぶろぐ 親鸞仏教 更新しました。
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680:神も仏も名無しさん
08/11/28 12:24:07 gF7IMk1i
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681:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/05 12:18:59 exoGQnEV
ブログ親鸞仏教 更新しました。
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682:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/08 08:45:12 21yK3pdD
念仏を称えるとはどういうことか。
スレリンク(psy板:210-217番) に書きました。
683:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/11 14:05:10 V6lLC4nb
2ちゃんねる「親鸞仏教質問箱」で書いてきました「阿弥陀仏と神との違い」・「念仏をい
ただくとはどういうことか」、この二つについて、アラシが激しいので、ブログにアーカイブ
を作りました。
なお、今後も2ちゃんねるで進めますが、適宜、ブログにアーカイブを転記していきます。
URLリンク(www.propatent.jp)
URLリンク(www.propatent.jp)
684:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/14 16:25:06 Vje7uUbo
「親鸞仏教質問箱」 の続きを書きました。神と阿弥陀仏の違いを問題にしています。
アラシが入ってわかりにくくなっています。
スレリンク(psy板:245番)
に整理を入れました。
IEでは区別できませんが、2ちゃんねる専用ブラウザを使うと、論筋レスとアボーンレストの区別が簡
単になります。
685:神も仏も名無しさん
08/12/15 01:04:58 lbdZ/JC6
用事があるので、郵送で、投票しようと思ったので、そこんとこを読んでみた。
病気の所の項目?っていうのかな。ここに公示日?より前3ヵ月以内
の証明書云々て、書いてたんだが?意味がよくわからない。
オレの思った通りの意味だと、国政選挙の不在者投票なんかとは
比べものにならないぐらい、やりにくい。旅行の所にも、領収書を出せと書いてある。
泊る前に、ホテルに領収書をもらって、それを願書?に添付して認められたら郵送で
受け付けるってことだと思うのだが。。。これも変だと思う。できるだけ郵送でさせないための
手段なのだろうか?
686:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/17 13:27:32 /lzqZYUt
ブログ親鸞仏教更新しました。
しんらん.jp
「辺地に生じて、疑いの罪を償のいて後、報土の証を開く」。
極楽浄土の構造から往生という概念の議論を進めています。
687:神も仏も名無しさん
08/12/17 13:36:33 fg1h66ER
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688:神も仏も名無しさん
08/12/19 03:21:52 VHuCJ6Dx
岡田屋事件について批判する、匿名掲示板での無責任な騒ぎが続いている。
水の息遣いを感じていれば
腐乱死体の存在に気づいたはず。
客にも責任の一端はあるのだ。
確かに悲惨な事件だった。
だがちょっと待ってほしい。
心配のしすぎではないか。
腐乱死体の腐汁や繁殖した細菌を飲んだ事にはなるが、
なあに、かえって免疫力がつく。
そんな事より、麻生の読み間違いのほうが重要かつ喫緊の問題なのだ。
689:神も仏も名無しさん
08/12/19 20:45:34 Hn+dl3JW
>>686
ときどき読ませてもらってます。
歎異抄が入門書とされてしまっている現状とか、
親鸞の「矛盾」とかとても興味深いテーマですね。
690:神も仏も名無しさん
08/12/20 03:52:27 QYiEl+0W
日曜日か。
大山鳴動して鼠一匹の風情だと拍子抜けだな。
だからといってオオゴトになって自分が世話になった人が深く傷つくのも心配。
ソフトランディングを望みつつ
対岸の火事として楽しみたい野次馬根性もある。
聴聞にふらっと行った後、現在の住所がバレて、会員が顕正に押しかけてくる・・
・・なんて悪夢でいまだにうなされたりするもんな。
青春時代をすごした会が今こんなことになってるなんて・・なんてエキサイティングだ!
日曜まで待ちきれんな。
691:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/24 09:41:56 wWg+X7LI
>>689
>ときどき読ませてもらってます。
ありがとう。うれしいです。
>歎異抄が入門書とされてしまっている現状
現代浄土真宗の混乱の致命傷になっているのが歎異抄だと思います。
歎異抄は、記載内容にも間違いがある。しかし最大の間違いは、その使
い方です。歎異抄は入門書ではない。歎異抄を社会に広く公開したのは
明治の清沢満之の一生の不覚でしょう。それに追随した教学者も万死に
値する。彼等は、浄土真宗は何かが全く分かっていない。
親鸞・唯円・蓮如は、声を挙げなくても、非常に残念がっているでしょう。
>親鸞の「矛盾」とかとても興味深いテーマですね。
現代の真宗教学はでたらめだらけです。現代真宗教学の主張と、親鸞
の肉声との間に矛盾があることを恐れず、向き合える人は、自分に嘘をつか
ないで、真摯に向き合っていってほしいものです。
692:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/24 11:27:55 wWg+X7LI
ブログ親鸞仏教更新しました。
しんらん.jp
693:神も仏も名無しさん
08/12/25 16:56:18 a4yDmwCD
606 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 16:07:31 ID:a4yDmwCD
>>604
渡海を精神秒呼ばわりすることは、精神病患者への差別です。
渡海は善良な精神病患者とは比べものにならない最悪の下劣な奴です。
607 名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2008/12/25(木) 16:51:35 ID:5fsit5Cx
>>606
> 渡海は善良な精神病患者とは比べものにならない最悪の下劣な奴です。
あなたの発言は不法行為(民法709条)の不法行為に当たると思うんですよ。
一度、裁判所でゆっくりお会いしましょうか?。
損害賠償金の支払いをお願いをすることはないと思いますが、貴方の住所・氏
名・職業を公開して、2ちゃんねるの宗教板に、公式に謝罪文を掲載させて貰うと
いうお願いをするようになるかもしれませんね。
実際には、裁判所の許可を貰い、貴方の名前で、渡海難が渡海難宛に書くので
すが、確定判決後ですから、法的・社会的には、貴方が僕に実名で謝罪したこと
になります。
これを強制執行と言います。 ひとつ、考えてみましょう。
694:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/12/29 16:56:27 mVMgs1UA
親鸞仏教質問箱を書き足しました。
スレリンク(psy板:291-294番)
695:7
08/12/29 18:21:46 PMmBjo/J
ようやく仕事納め・・・皆様それでは良いお年を~!
696:神も仏も名無しさん
08/12/29 19:21:03 fGlgRIpS
親鸞仏教質問箱を書き足しました。
スレリンク(psy板:295-296番)
697:神も仏も名無しさん
08/12/30 19:28:48 X9oKRnqa
309 名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2008/12/30(火) 16:52:30 ID:6qUB+sV4
現代の浄土真宗は、脅迫に屈し、愚痴の煙に巻かれ、まんまと脅迫の術中に嵌って恐れおの
のき、寺に隷属するようにマインドコントロールされるようになった人を、信心のある人と誤認して
いるんじゃないか。
証拠を出せと言われても困るけど、親鸞会や華光会の噂を漏れ聞いていると、そんな気がす
る。これは僕の誤解か?
脅迫するな。愚痴を聞かせるな。愚痴と脅迫を聞かせて耳にたこを作らせれば相手は信心決定
するなど、そんな馬鹿な話は無い。これが渡海難の主張です。
698:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
09/01/01 10:19:11 ZrG/t51l
ブログ親鸞仏教を更新しました。
しんらん.jp
お正月で不釣り合いかも知れませんが、重要な問題ですので「死」を
扱いました。
699:神も仏も名無しさん
09/01/01 12:45:18 7DN9vacN
|\__/ハ__
{_____」
\\ ∧_∧
◎ ≫〃vミー‐w へ (´<_` ) >>698新年早々宣伝荒らしかキモヲタ
\ 彡_____彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒ \
{_親●鸞___| )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ )
◎-○一( * * ヽミ |. |
((_ _ (( ( ;;;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ.〉 | |
‘,'.∴・,‘・(ε (( ヽ:: -=_二__ ̄ . \_ | |
,'.・∵ ヽ_____ ノ  ̄\ / /
( ) 渡 ≡ ;;; ) ) .\__/_丿
|__|. 海 ≡ ;;; )_l .| |
_| | 難 ≡ ;;;; ) ( | |
| \.._\. 入 \, | |
|ハルヒ(_る~~~~~wv) \ ヽ
|___||:::::::::::::/::::::::::/ \ |
.|;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;/ / ノ
(___|)__|)
700:神も仏も名無しさん
09/01/02 23:48:57 3F1i5KTU
606 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2008/12/25(木) 16:07:31 ID:a4yDmwCD
>>604
渡海を精神秒呼ばわりすることは、精神病患者への差別です。
渡海は善良な精神病患者とは比べものにならない最悪の下劣な奴です。
607 名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2008/12/25(木) 16:51:35 ID:5fsit5Cx
>>606
> 渡海は善良な精神病患者とは比べものにならない最悪の下劣な奴です。
あなたの発言は不法行為(民法709条)の不法行為に当たると思うんですよ。
一度、裁判所でゆっくりお会いしましょうか?。
損害賠償金の支払いをお願いをすることはないと思いますが、貴方の住所・氏
名・職業を公開して、2ちゃんねるの宗教板に、公式に謝罪文を掲載させて貰うと
いうお願いをするようになるかもしれませんね。
実際には、裁判所の許可を貰い、貴方の名前で、渡海難が渡海難宛に書くので
すが、確定判決後ですから、法的・社会的には、貴方が僕に実名で謝罪したこと
になります。
これを強制執行と言います。 ひとつ、考えてみましょう。
701:神も仏も名無しさん
09/01/08 18:43:25 Ezp/jiAo
新年会の予定
東京新宿で新年会を予定します。
1月25日 午後五時頃から。
参加を希望してくださる方、yahooメールをお待ちします。
v065l9wa4@yahoo.co.jp
なお、このyahooメールはスパムメール防止上、新年会用で、2月以降は使用しません。
新年会以外の一般的なメールは↓これでお願いします。 (渡海 難)
URLリンク(www.propatent.jp)
702:神も仏も名無しさん
09/01/08 20:33:12 HuFKHTCT
>>701
宣伝荒らしはやめろキモヲタ
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \ パー──ン / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
< (☆) 〉 / \
\ =======,/ (__i|__i|__リ ; |
/~`ー=、=,=ィ. ( ;; ∪ |
/ (●)ヾ'(●) \ ,◎─ 〃⌒) |
| "⌒(__人__)⌒" | _'そ (o,;(´ ´_'ノ ,; ′;| ´ ; '
. \ `ヾ┬ノ´ ,/〔ニ二【@】 ゝ u. ゞ ,●";`‘,`・ ;
/⌒ ̄ ̄〃 ̄ ̄〆⌒'ニ)ソ  ̄ Y ` `i ーーーーrーゝ
ヾ 、__゙__il、_,ジ,イ ヾ、__ ____-‐ー‐\
| o| = |_ノ /´ ̄ ̄ ヽ
. | | | / ゙ヽ 渡海 難 |
. | o| .| / | |
| === | ==| / | |
703:神も仏も名無しさん
09/01/08 23:58:04 2gqBBKSc
316 名前:名無し検定1級さん[] 投稿日:2007/01/23(火) 21:06:53
弁理士の国家試験を廃止し、
能力のない人も弁理士になったら、
不完全な明細書により、出願人の財産権たる「特許を受ける権利」が特許権とならず、
そのまま却下・拒絶・見做取下げ等により消滅してしまうかもしれません。
これは出願人の財産権を害していることになります。
なので、出願人の財産権を守るべく、職業選択の自由は一定限度の制限を受けるのです。
317 名前:名無し検定1級さん[] 投稿日:2007/01/23(火) 21:34:21
渡海よ、この意見に対してはどう反論するのだ。
いまだにまともな反論ができていないのだが、この意見を承服するのだね。
医師の国家試験を廃止し、能力のない人も医者になったら、
患者さんにいつ被害が出るかわかりません。
これは患者さんの生存権を害していることになります。
なので、患者さんの権利を守るべく、
職業選択の自由は一定限度の制限を受けるのです。
704:神も仏も名無しさん
09/01/09 10:46:18 5+nbLPAy
ぶろぐ親鸞仏教の更新をしました。
しんらん.jp
新年会の予定
東京新宿で新年会を予定します。
1月25日 午後五時頃から。
参加を希望してくださる方、yahooメールをお待ちします。
v065l9wa4@yahoo.co.jp
なお、このyahooメールはスパムメール防止上、新年会用で、2月以降は使用しません。
新年会以外の一般的なメールは↓これでお願いします。 (渡海 難)
URLリンク(www.propatent.jp)
705:神も仏も名無しさん
09/01/10 00:49:14 2GI5G9IY
361 名前:名無し検定1級さん[] 投稿日:2007/05/19(土) 21:32:03
やっぱり基地外はどこへ行っても基地外だなw
遂にコテハンの使い分けもできなくなった
スレリンク(psy板)
451 :渡海 堅 ◆Fe19/y1.mI :2007/05/19(土) 00:34:09 ID:QmgtySWY
>>450
> 5/18だけで何十回書き込んでるんだw
いま、彼は、全身全霊をかけて親鸞聖人の教えに向かっているんだよ。
こういう精神を、真の求道というんだ。嘘つき勧誘することが求道じゃない。
自分が今抱いている疑問に真正面から立ち向かうことが求道だ。dMUBatP
Kは、親鸞学徒の鏡と言うべきだろうね。
466 :渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2007/05/19(土) 09:00:42 ID:QmgtySWY
>>455
「難」の変換ミスです。m(_ _)m
706:神も仏も名無しさん
09/01/10 18:56:04 Hu7b8lQl
親鸞聖人や蓮如上人の時代に「妙好人」という言葉はあったのですか?
707:7
09/01/12 14:04:57 lbRswuDi
wikiより
妙好人(みょうこうにん)とは、浄土系仏教などで、信仰心が篤い在家念仏信者を称賛して言う言葉。
語源は、サンスクリット語の白蓮華を意味する漢訳「妙好」から採られており、言葉として使われるようになったのは1753年に編纂された、
石見国浄泉寺(島根県邑南町市木)の僧侶・仰誓(履善の父)が編纂した『新聞妙好人伝』からと伝わっている。
以後、江戸期から明治初期にかけて何篇かの妙好人伝が編まれた。
妙好人を最初に取り上げた知識人は、禅の研究者として名高い鈴木大拙であった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
708:7
09/01/12 14:08:20 lbRswuDi
庄松同行は妙好人として有名ですけど、以下のエピソードを、wikiより。
同行5,6人と一緒に本山興正寺に参り、帰敬式を受けるとき。本寂上人がお出ましになり、庄松の「おかみそり」をすませ、次の人に移ろうとしたとき、
ご門主の袖を引き止めて「あにき覚悟はよいか」といった。ご門主は振り返って庄松をごらんになり、そのまま続けた。
式が終わると、奥から使いの僧がきて「いまご門主さまの法衣の袖を引いた同行はどこにおるか、ご前に出られよ」と。
庄松は礼儀作法も知らないので、ご前であぐらをかいて座りこみました。
709:7
09/01/12 14:09:06 lbRswuDi
ご門主「先ほど私の法衣を引っ張ったのはその方か」
庄松 「ヘエ、おらであった」
ご門主「何と思って引っぱったのだ」
庄松 「ヘエ それは、そんな立派な赤い衣を着ていても、赤い衣で地獄を逃れることならぬで、後生の覚悟はよいかと思うて聞いてみたんじゃ」
ご門主「ほほう 赤い衣を着ても地獄は逃れぬかの 私もそれが聞きたいためにそなたを呼んだのじゃ。私を敬うてくれる人はたくさんいるが、
親身になって後生の意見をしてくれたのは、そなた一人じゃ、よう意見してくれた。しかしそなたはどうじゃ、信をいただいたか」
710:7
09/01/12 14:10:45 lbRswuDi
庄松 「ヘエ、いただきました」
ご門主「その信をいただいた姿を一言もうしてみよ」
庄松 「何ともない」
ご門主「それで後生の覚悟はよいのか」
庄松 「そりゃわからぬ」
ご門主「わからぬで浄土へ参れると思うのか」
庄松 「そりゃ親分に聞いてもろたらようわかる」
ご門主「親分とは誰のことか」
庄松 「ご本堂におられる阿弥陀様のことじゃ、お浄土参りはわしの仕事じゃないし、わしに聞いたとてわかるものか」
ご門主「おお よく申した。往生の一定は弥陀のはからいである。我が機のはからいではない。
おまえはまことに正直な男じゃ、今日は兄弟の杯をするぞよ」
ご門主は非常に喜ばれて、兄弟分の杯をかわしたそうである
URLリンク(ja.wikipedia.org)
711:7
09/01/12 14:23:20 lbRswuDi
庄松さんは 江戸末期から明治まで生きられた方ですけれど、こうしたエピソードが残り伝わっていることが有り難いです。
信心決定とは何か、信後の姿がよく分かると思います。これこそ信心の沙汰だなぁと思いました。時代も人格も超えて、ピタリピタリと合う不思議。
南无阿彌陀佛
712:7
09/01/12 21:31:16 YwQJIiuf
とはいえ、誰それが信心決定している、っていうことが分かる能力なんてハナから持ち合わせてはおりませんけれども。
南无阿彌陀佛
713:神も仏も名無しさん
09/01/12 22:03:05 lO0gXpC1
土蔵秘事でもらったつもり信心の人がまた来ましたね。
妙好人のことばに自分の心境を合わせて喜んでいては、まだまだですよ~。
714:7
09/01/13 08:19:54 HOxISnPb
お、最後に母音を伸ばすのが好きな人が来ましたね。おはようございます。本年も皆さまよろしくお願いします(*´∀`)
715:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
09/01/13 11:33:42 R9W9xUFx
>>707
間違ってるんじゃないか?
>>708-710
全く意味のない、くだらん馬鹿話と思うのは、僕だけか?
716:7
09/01/13 12:37:30 BTC3kQ7I
間違ってるかもしれませんよ。どうやって正しいと証明するんでしょう。また、正しいと証明できたとしても、信じられるかどうかはまた別問題ですよね。
717:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
09/01/13 16:38:39 R9W9xUFx
>>716
> どうやって正しいと証明するんでしょう。また、正しいと証明できたとしても、信じ
られるかどうかはまた別問題ですよね。
もし念仏の者は、すなわちこれ人中の好人なり。人中の妙好人なり、人中
の上上人なり、人中の希有人なり(教行信証 信の巻)
親鸞の時代に「妙好人」という言葉があったのは、明らかでしょう。
無物可以方之故引分陀利為喩言分陀利者名人中好華亦名希有華亦名人中上上
華亦名人中妙好華此華相伝名蔡華是若念仏者即是人中好人人中妙好人
観経玄義分 沙門善導集記
妙好人は善導大師の言葉です。日本では飛鳥時代に当たります。
妙好という言葉は論註に出てきます。善導大師はこの論註を受けたとすれば、さら
に150年もさかのぼります。
718:7
09/01/13 16:55:13 BTC3kQ7I
そういう意味ですとwikiは間違ってますよね。1753年どころか、由来はサンスクリット語の時代、原始仏教の時代からあったという訳ですから。
渡海さん、わざわざ根拠を引いていただいて有難うございます。
719:神も仏も名無しさん
09/01/13 18:49:41 8jkuv7nf
319 名前:渡海 堅 ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/01/24(水) 09:10:43
>>316
職業選択の自由は一定限度の制限を受けるからどうなんだ。おぬしは何が言いたいんだ?。お
ぬしの頭の中はパーマン状態なんじゃないか。弁理士制度は、既に人道に反する段階なんじゃな
いのか?。
A 職業選択の自由は一定限度の制限を受けるんだから、 → 受験生から受験権を奪い、問題
解読権を奪い、答案解答権を奪い、訂正権を奪い、茶番の国家試験を行い、国民を愚弄し、騙し、
無数の頭脳達、才能達、意欲溢れる精神達を引きつけ、全財産を喪失させ、その人生を人生の登
竜門で再起不能状態で社会のゴミにして永久に社会から抹殺する憲法違反の行政は、実に愉快で
楽しい行政だ、と言いたいのか?
B 職業選択の自由は一定限度の制限を受けるんだから、 → 受験生から受験権を奪い、問題
解読権を奪い、答案解答権を奪い、訂正権を奪い、茶番の国家試験を行い、国民を愚弄し、騙し、
無数の頭脳達、才能達、意欲溢れる精神達を引きつけ、全財産を喪失させ、その人生を人生の登
竜門で再起不能状態で社会のゴミにして永久に社会から抹殺する行政は、特許界から競争をなく
し、ノータリン弁理士を大量に温存し、どんなノータリンでも、いったん既得権を確保した弁理
士には、死ぬまでラクチン生活を保護するので、なんと素晴らしい行政でしょうね、と言いたい
のか?
C 職業選択の自由は一定限度の制限を受けるんだから、 → 受験生から受験権を奪い、問題
解読権を奪い、答案解答権を奪い、訂正権を奪い、茶番の国家試験を行い、国民を愚弄し、騙し、
無数の頭脳達、才能達、意欲溢れる精神達を引きつけ、全財産を喪失させ、その人生を人生の登
竜門で再起不能状態で社会のゴミにして永久に社会から抹殺する行政を、憲法はこれを無効だと
いう。そんな糞みたいな憲法は一日も早く改正し、弁理士法を社会の最高の憲法とし、既得権を
確保した弁理士は社会の特権階級とし、特許庁を国権の最高執行機関とする社会を作りましょう。
こう言いたいのか?
D ・・・
720:神も仏も名無しさん
09/01/13 18:50:26 8jkuv7nf
173 名前:氏名黙秘[sage] 投稿日:2007/01/17(水) 07:19:20 ID:???
渡海 堅 よ。
>1 時期は、明日来るかも知れないけど、10年後かも知れない。永久に来ないかもしれない。そ
んなものだ。
>2 世論が味方についてくれないところで単身で挑んでも、風車に飛び込んでいったドンキホーテ
になるだけだと思っているからね。
1→ 時間がありそうだな。司法試験にさっさと合格してみろ。
2→ そして、弁護士になって、「私は、違憲の制度の下で司法試験に合格し、
皆様の権利義務に関するマターを取り扱ってしまいました。心からお詫び申し上げます。」
と全国紙を初め、大手放送局、インターネット、そして、世界中に発表しろ。
そうしたら、世間も少しは関心を持ってくれるかもしれんぞ。
どうだ。根性と能力があるなら、やってみろ。どうせ・・・・・
721:神も仏も名無しさん
09/01/13 18:50:57 8jkuv7nf
174 名前:氏名黙秘[ ] 投稿日:2007/01/17(水) 10:03:51 ID:???
人
(::::::) 渡海 堅 ◆Fe19/y1.mIの正体
(:::::::::::::)
(:::::::::::::::::::::) 小中高といじめられてきた。その扱いはまさに虫けら以下だった。
(:::::::::::::::::::::::::::) 高校を中退してからは、一日中家の中に引き篭もっている。
/:::::::::::::::::::::::::::::::\ 50歳過ぎた今でも無職。友達も恋人もなし。PCだけが俺の世界。
(:::::::::::::::::|_|_|_|_) 更に、肥満、腋臭、禿、脂症、ニキビ面、インキン、真性包茎・・・
|;;;;;;;;;;ノ \,, ,,/ ヽ どうして俺だけがこのような惨めな境遇なのか・・・。
|::( 6 ー─◎─◎ )
|ノ (∵∴ ( o o)∴)
/| < ∵ 3 ∵>
::::::\ ヽ ノ\
:::::::::::::\_____ノ:::::::::::
722:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
09/01/13 19:43:36 R9W9xUFx
>>721
最近、僕は被害妄想の傾向が強まっているんだ。念仏者の僕を、クソを頭に載せた虫
けら以下とか、真性包茎とか(w)、思っている人が、もしかしているんじゃないかとね。よ
もや、そんな人はおらんと思うが、ひょっとしてということだ。 (w)
釈迦如来のみことには、念仏のひとをそしるものをば、「名無眼人」ととき、「名無耳人」
とおおせおかれたることにそうろう。
お釈迦様は仰った。渡海難のような念仏の人、このような念仏の人を悪く言う人は、物
事を正しく見る眼の無い人、正しいことを聞き分ける耳の無い人である。そのように仰っ
ているところがある。
善導和尚は、「五濁増時多疑謗 道俗相嫌不用聞 見有修行起瞋毒 方便破壊競生
怨」(法事讃)と、たしかに釈しおかせたまいたり。
善導大師は、お釈迦様の言葉を受け、社会で五つの濁りがますます盛んになると、
インターネットの2ちゃんねるなどでは特に、念仏を疑い、そしる人が増える。坊さんも、
在家の人も、正しく聞くことを嫌うようになる。渡海難のように念仏を修行している人を見
たりすると、ID:8jkuv7nfのように怒りの心を起こす。さまざまな手段を使い、坊さん同士
が競い合い、渡海難に恨みを生みだし、親鸞聖人の念仏を破壊しようとする。このように
解説して下さっておりました。
この世のならいにて、念仏をさまたげんひとは、そのところの領家・地頭・名主のようあ
ることにてこそそうらわめ。
723:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
09/01/13 19:44:37 R9W9xUFx
世間によくあることだが、念仏を妨害しようとするID:8jkuv7nfのようなノータリンは、各地
各地の有力者であることが多い。西本願寺という大きな組織の中で、ひょっとして高い地
位でも占めている人かも知れん。
とかくもうすべきにあらず。
このようなことは、とやかく言うべきではない。
念仏せんひとびとは、かのさまたげをなさんひとをば、あわれみをなし、不便におもう
て、念仏をもねんごろにもうして、さまたげなさんを、たすけさせたまうべしとこそ、ふるき
ひとはもうされそうらいしか。
渡海難に倣い、自分も念仏を称えようと思う人々は、念仏者の渡海難を謗り妨害する
そんなID:8jkuv7nfを哀れに思い、心を込め、自分こそは念仏を真剣に称え、それによっ
て念仏を妨害するID:8jkuv7nfも助けてあげようと、そのように思うといいでしょう。たしか、
このように昔の人は言っていたように思い出されてきます。
親鸞
724:神も仏も名無しさん
09/01/13 19:49:37 8jkuv7nf
名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/05/04 00:01
923 名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :04/05/03 23:44
>>877
>架空ではないだろ?
架空でなかったら何なんだい?。架空と言っても、原型はあるんだよ。原型はもちろん釈迦だ
よ。原型は釈迦でも、阿弥陀が架空ということには変わりがない。
あんたらは、犬に吉備団子を与え、日本一の旗を掲げて鬼退治した桃太郎を、実話と思うか。
架空と思うか?。
阿弥陀仏が架空でなかったら何なのか。答えが出るまで、おぬし、豆腐の角に頭を休めて、坊
主を名乗るのを辞めとくといいi。
名前:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/06 20:33
>>354
>南無阿弥陀仏といへる行体は、すなはちわれらが浄土に往生すべきことわりを、
この六字にあらはしたまへる御すがたなり
我々には霊魂がある。死んだら霊魂は冥界に行く。冥界には王様がいる。王様
は、存在を信じてくれた人だけ、自分の冥界に引き入れてくれる。冥界の王様を
信じると、あ~ら、不思議とばかりに、体から霊波が出て、あの世に一瞬で届く。
死ぬまで信じ固めていくと、冥界の王様を信じた霊波で、王様の世界に引き入れ
られ、霊魂は清められる。ああ、ありがたい。ありがたい。
冥界には王様がいないという人が一人でもいると、今度は、その全員が冥界に
入れなくなる。連帯責任だ。だから、みんな信じないといけない。王様の実在を
信じ固め、死んだら王様の冥界に行きましょう。
栗花さん。あなたが言いたいことはそういうことなんだろう?。親鸞だの信心
だの、仏教だのと言わなくても話ができるじゃないか。