【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ10【信心獲得(決定)】at PSY
【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ10【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch474:あぼーん
あぼーん
あぼーん

475:298
08/09/02 10:16:22 XWQqj2/p
ちょっと前までは、法論サイトを見ても楽しかったのですが、
近頃は、距離が遠くなって、距離が遠くなると、
そこでの出来事は、振れ幅が小さく見えるので、
どちらでも良いことになってきました。

これもまた、弥陀のみはたらきによって、
自分が変わってきているのだと思い、うれしく思っています。

南无阿彌陀佛

476:神も仏も名無しさん
08/09/02 20:48:25 D1gcW82X
104 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 01:41:27 ID:twE4aj+M
917 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :04/04/20 13:06
 浄土教の先人は「先生(阿弥陀仏)」という言葉を下に創作物語を添えた。それが阿弥陀物語
だ。阿弥陀物語をなぜ作ったのか。「ああ先生」と称えることのすばらしさを伝える手段として
「先生物語」を創作したんだ。阿弥陀仏という化け物がどっかに存在するんじゃない。人は、結
婚すれば、田中さんが鈴木さんと結婚すると鈴木さんに変わる。人は、どう名前が変わってもい
い。しかし阿弥陀仏はそうじゃないんだ。阿弥陀という名前を離れてどっかに存在するんじゃない。
「ああ先生(南無阿弥陀仏)」と称えることはすばらしいことだよということを、人々に伝える
ための道具として、阿弥陀物語が作られたんだ。それが阿弥陀物語なんだ。そういうことを忘れ
ちゃいけない。阿弥陀ではなく、南無阿弥陀仏が尊いんだ。
 阿弥陀仏(先生)は、阿弥陀物語(先生物語)を通じ、南無阿弥陀仏を称賛している。こうい
う構造にこそ、創作者たち先人の知恵がある。南無阿弥陀仏は、我々が口にそれを称えるところ
で実体を持つ。南無阿弥陀仏は、座禅して称えるところに根元的な意味を持つんだ。


477:神も仏も名無しさん
08/09/02 20:49:15 D1gcW82X
105 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2008/09/01(月) 14:22:56 ID:ct1FzY1G
>>104
 これは、アラシなのか、声援なのか、ヤジなのか。趣旨がわからん。
 僕は、アラシについては一切ノーコメントとすることにしたんだ。僕を声援
するつもりでコピペしたのであれば、ありがた迷惑だ。話には常に流れある。
>> 101~103の議論は、>> 104と矛盾はしないが、微妙に温度が違う。初め
て読むんだ人の中には、矛盾を感じる人がいるかもしれない。

 話の温度差については、説明すればほとんどの人にわかってもらえるだ
ろうが、読み手が混乱するかも知れない過去のカキコは、アラシ目的でな
ければ、無闇なコピペは遠慮してほしい。

 >> 104の考えは、今でも堅持している。しかし、こちらも生身の人間であり、
考え方は激変していることがある。そういう意味でも、無意味なコピペは迷
惑する。

 なお、敵対的アラシ目的のコピペであれば、ノーコメントだ。


478:神も仏も名無しさん
08/09/02 23:24:05 bAQt9buQ
スレがちょっと停滞したからって、↑を召還しようとしないでくれwww 無駄にスレ消費されるだけw

479:298
08/09/03 14:56:36 ff9f+yC2
>>476
渡海様は、「なぜ、『南无阿彌陀佛』なのか、『阿彌陀佛』ではないのか」ということについて、
ご自分なりにお考えをすすめたのではないかと思います。

その他の佛であれば、「南无○○」であれば、「南无+○○」であって、
2つに分けることができるが、「南无阿彌陀佛」は、「南无」も含めて一体の
南无阿彌陀佛である、のようなことが、真宗では言われるからだと思います。

(もちろん、そうでありながら、善導大師の尊い六字釈でも、
2字と4字に分けて釈しておられます。)

しかし、この取り出された104の議論だけでは、やはり「なぜ、阿彌陀佛という名に
意味があるのか」がわからないと思います。

名体不二とは、何なのか。

なぜ、「九字のいわれ」ではなく、「六字のいわれ」を聞かねばならないのか。

不可思議の法である、真実の大行があるからこその、
真宗であると私は思います。

南无阿彌陀佛

480:神も仏も名無しさん
08/09/07 11:52:43 BDz+/cCA
   /⌒~~~⌒\
 / ( ゚?д?゚ )y─┛~~
(_ ノγ U  ∩_∩) 大変長らく御愛顧頂きました ┌────┐
  α___J _J      このスレッドも       (|●        ● |
  / ̄ ̄ ̄ ̄\   とうとう終了となりました。  /.| ┌▽▽▽▽┐ |
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481:神も仏も名無しさん
08/09/07 21:07:25 /lPljhF1
ん・・・復活!w

482:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 14:56:26 rZ6da2xv
 念仏宗渡海会(私怨の込もった流言飛語)について

 検索エンジンを見ると、私怨を込めた根も葉もない流言飛語に、天下の大会社が
大量のリンクを張っている。社会の誤解を解く意味で記載しておきます。

 念仏宗渡海会についてリンクを張るなら、社会の公器として社会的責任において、
同じ割合で、今回のこのかき込みについてリンクを張り、根も葉もない流言飛語と
渡海難の発言と、どちらの言い分が正しいか、公衆が判断できるようにしてほしい
ものである。

 同じような内容の記述が、随所にコピペしてあるので、流言飛語への反論の対象
として、2ちゃんねる用語サイトの記述をベースにしておく。
URLリンク(www.media-k.co.jp)

>2chが生んだカルト教団の一つ。別名「こんにちは会」。

 「念仏宗渡海会」は存在しない。「こんにちは会」も存在しない。

>心と宗教板のコテハンで親鸞ヲタの「渡海 難(とうみ かたし)」が教祖として
開いた非認証の宗教団体。

 渡海 難は教祖を名乗ったことはなく、渡海難を教祖と呼んでいる者もいない。
存在しない架空の存在であることから、認証などという問題もありえない。渡海難
は、無位無階、一介の無名の念仏者である。仏教はアマチュアである。

>本部は神奈川県横浜市保土ヶ谷区あたり。
 渡海 難住所は川崎にある。教団本部があるというのは妄想である。

483:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 14:58:14 rZ6da2xv
>2chでの布教活動を主な活動内容とするため、教団公式サイトは全く更新されて
おらず、誰もアクセスしてくれない。

 2chで布教活動は行われていない。教団などは存在しない。公式サイトなど、
そもそも存在しない。存在しないサイトに更新も何もない。
 なお、渡海難は、かつて、イーグルヘッド・親鸞庵・おはなし広場・御本典研鑽
集記などにも投稿し、一部はアーカイブされ、インターネットに残っているようで
す。
 ただし、確かに、渡海難の発言の舞台は2chが一番多い。僕は自分の仮説を提
起するが、明日は180度変わるかもしれない仮説など、布教教義などにはなりえ
ない。

>浄土真宗の教えすなわち親鸞の思想(教団用語で「親鸞仏教」と呼ぶ)を教義とし
ているが、渡海教祖の思いつきで右に左にコロコロ変わる。

 教義がコロコロ変わる宗教教団など、存在するわけがない。ばかばかしい。

>ある時はお釈迦さまの代弁者となり、ある時は親鸞思想の代弁者となる。

 お釈迦さまの代弁者となったことはない。ある時は親鸞思想の代弁となったこも
ない。
 渡海難を釈尊の生まれ変わりではないかと、ノータリンに妄想されても、それは
渡海難の責任ではない。ノータリンの勉強不足に過ぎない。
 僕は、単に仮説を述べているのに過ぎない。仮説に圧倒的迫力があるとノータリ
ンから思われ、お釈迦さまの代弁者、親鸞思想の代弁者だと妄想さても、こちらは
迷惑千万、うれしくも何ともない。

>大川隆法の「霊言」のようなものである。
     大川氏には会ったこともない。関心もない。

484:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 14:59:43 rZ6da2xv
>渡海教祖著「親鸞の思想と教行信証」が聖典

 渡海難は教祖になったことはない。教祖と仰ぐ者もいない。思っている者もいない。
聖典などを書いたこともない。

 かつて数度にわたり教行信証論を書いてネットに公開したが、全てお蔵入りとして
ある。書いた当時の思想をそのまま維持できなくなっていることによる。
 こちらは生身の人間である。考え方は時に応じて大きく変化している。書く内容は
常に試論であり、仮説である。聖典などであるはずもない。

>世界数ヶ国語に翻訳されると渡海教祖本人が称しているが、

 世界数ヶ国語に翻訳されると渡海教祖本人が称したことはない。

>翻訳者がいないため未だに翻訳されず。

 金を払えば、日本には翻訳者などいくらでもいる。翻訳者がいないのではない。試
論の公表に投資をするつもりはないというだけである。
 今は、教行信証論はお蔵入りしてある。改めて書き直す時間もない。アマチュアに
はそんな予算もないということである。

>浄土真宗のお坊さんと「浄土真宗親鸞会」という浄土真宗系カルト教団を敵視して

 浄土真宗の坊さんには、是々非々で対応している。結果としてノータリン坊主には
厳しい言葉が向かうことはある。
 念仏宗渡海会などという、ありもしない会について流言飛語をでっち上げるような
人物に優しい言葉をかけろと言われても、世の中には乗れる相談と乗れない相談と
がある。

485:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 15:08:07 rZ6da2xv
>ちょうど創価学会が日蓮正宗を「日顕宗」と呼ぶように、自分に都合の悪い者がい
ると「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」と言って決めつける。

 かつて坊さんですねと言われたことが相当悔しいことだったようだ。坊さんとい
う看板が腫れ物になっている。看板が腫れ物になっているという人は珍しい。看板
をおろしたいんだがおろせない。掲げたいんだが、掲げられない。職業がいやでい
やでたまらないんだが、その職業にべったり甘えて浸かっている。複雑な感情が絡
んで腫れ物になっている。本願寺派の世襲坊主だろう。

 僕は創価学会を知らない。日蓮正宗も日顕宗も知らない。念仏宗渡海会の流言飛
語者は、創価学会が日蓮正宗を「日顕宗」と呼ぶことには反感を抱いているようだ。
ばかばかしい。流言飛語者は、浄土真宗内の「日蓮正宗」シンパなんだろう。浄土
真宗に「日蓮正宗」シンパがいても変ではないが、そんなやつからカルト呼ばわり
される渡海難はいったい何なんだ?(苦笑)

 日蓮正宗を「日顕宗」と呼ぶことはいいことかわるいことか。僕はそんなこと知
ったこっちゃない。関心もない。

 渡海難は、「浄土真宗のお坊さんですね」と相手に聞くことはある。そう聞くこ
とが悪いこととは思っていない。
 心と宗教板で、しかも真宗を表示している掲示板では、浄土真宗の坊さんはプロ
である。あなたはここの専門家ですねと、専門家に相手を確認することは当たり前
のことではないのか。プロは匿名でもプロらしく発言すべきだろう。プロは、背負
っている看板など、隠そうにも隠せるものではないのだ。

486:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 15:09:00 rZ6da2xv
 こちらも感情の動物であり、話しには流れもある。坊さんではないと、匿名で発
言している相手を、「浄土真宗のお坊さん」と言って決めつけて話をしていくこと
もあるだろう。
 なお、「親鸞会」については、自分は親鸞会員ではないと言っている相手を、親
鸞会員として決めつけて議論をしたということは、記憶がない。

>また、浄土真宗と異なる点として「座禅念仏」という行を勧めており、

 渡海難は、「座禅念仏」という言葉を使ったことはない。着座念仏という言葉は
使うことがある。

 念仏は座禅して称えよう。これは教行信証で親鸞が勧めている。しかし、座禅念
仏という特別な念仏が存在すると言えば、これは間違いである。

  『浄土五会念仏略法事儀讃』に云わく、それ如来、教を設けたまうに、広・略、
根に随う。 ~ 父の王に謂いて曰わく、王いま座禅してただ当に念仏すべしと。

 「教行信証」の巻である。親鸞は、念仏の方法論を説明するにあたり、中国の高
僧が書いた書を引用する。浄土五会念仏略法事儀讃は、経典を引用している。釈迦
は父君にいう。父君、座禅して念仏をお称え遊ばされよ。

487:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 15:09:50 rZ6da2xv
>「ああ先生」という

 南無阿弥陀仏の南無は感嘆詞である。梵語のナーマスの音を漢字で表している。
インドの人は、道で人に会えばナーマスという。別れるときもナーマスという。こ
んにちは。さようなら。おはよう。やあ。ナーマスとはそういう意味である。
 感嘆詞には意味はない。しかし心がある。「あなたを信頼しています。あなたの
方も私を今後とも信頼してください。お互いに信頼関係を続けましょうね」そんな
心で、ひとは、こんにちは、さようなら、おはよう、やあなどという。インドの人
はナーマスという。中国の人は、これを漢字で「帰命」と書いた。命とは心である。
帰るとは寄せるという意味だ。帰は寄に通じる。寄命、寄心と書く方が、現代日本
の漢字の意味としてはふさわしいだろう。
 阿弥陀仏の阿弥陀は先生という意味だ。仏も先生という意味である。阿弥陀の阿
はインドヨーロッパ語で否定を表す。英語のunに通じる。阿弥陀は中国で無量寿、
無碍光と訳されている。

 無量寿は、限りなく継続の命を与えてくれる人という意味だ。もうだめだ。もう
続かない。そう思って絶望しても、その壁を破ってくれる人、つまり先生である。 無
碍光とは、限りない知恵を与えてくれる人という意味だ。足下が暗く、どっち
に行けばいいかわからない人に、何者にも遮られることなく足下を明るく照らして
くれるひと、つまり先生という意味だ。
 仏陀とは、優れた知恵を持った人、つまり先生という意味だ。

 かつて釈迦は人々から先生と呼ばれた。無量寿・無碍光・仏陀と呼ばれた。阿弥
陀仏と呼ばれた。阿弥陀仏とは先生という意味である。

488:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 15:21:57 rZ6da2xv
>呪文のようなもの(浄土真宗で言うところの名号「南無阿弥陀仏」か?)もある。

 念仏は誦文である。
 山家の伝教大師は 国土人民をあわれみて 七難消滅の誦文には 南無阿弥陀仏
をとなうべし   (親鸞著 現世利益和讃)

 比叡山の伝教大師は、社会のあらゆる場所で苦しんでいる人々に優しく声をかけ、
様々な苦しみを克服していくのに、南無阿弥陀仏を誦文として称えなさいとおっし
ゃった。

 親鸞が最澄のどの文書を見たのか、僕は知らない。しかし、最澄の優しい心と、
最澄のその心に寄せる親鸞の思いは伝わってくる。

>渡海教祖は基地害で電波で独善的で絶対に他人の言うことを聞かない性格で、

 なるほど。話は聞いた。念仏宗渡海会というのは、私怨を込めた流言飛語である。

>裁判の時弁護士が使うような論法で次々と質問をはぐらかす

 身に覚えはない。議論で一方的に負けたという思いがあるようだ。悔しさが晴れ
ていない。

>心と宗教板の住人から嫌われており、

 人の評価は様々だろう。渡海難に私怨が晴れない人が、少なくとも一人はいると
いうことだ。浄土真宗の坊主の看板が腫れ物になり、日蓮正宗のシンパである人か
らは、渡海難は嫌われ者ということか。

489:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 15:23:45 rZ6da2xv
>信者数は教祖を除いてゼロである(2001年12月現在)。

 信者はゼロ。教祖もゼロ。念仏宗渡海会など、最初から存在しない。

>信者には、渡海教祖に毎月4000円の布施をするよう義務付けられている。

 生活に苦しかったとき、インターネットのプロバイダー費用の一部をカンパ金で
賄おうとしたことはある。布施を求めたことはない。義務づけたこともない。毎月
などと言ったこともない。義務と思ってカンパしてくれるような人は一人もいない。

 カンパ金のお願いは、目下中止しているが、将来再会する可能性はある。

 『起信論』に曰わく、あるいは衆生ありて、善根力なければ、すなわち諸魔・外
道・鬼神のために誑惑せらる。 ~ もしは布施 ~ を説き、これ真の涅槃なり
と説かん。 ~ 知るべし、外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心を離れず、世
間の名利恭敬に貪着するがゆえなり、と。已上 (親鸞著 教行信証 化身土巻)

 親鸞は大乗起信論を引用し、布施は世間の名利恭敬に貪着するものであると言っ
て警告している。親鸞の教えに布施はない。

 無戒名字の比丘なれど 末法濁世の世となりて 舎利弗目連にひとしくて 供養
恭敬をすすめしむ(親鸞著 愚禿悲歎述懐)

490:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 15:25:28 rZ6da2xv
 流罪により受戒の効果を失い、国家公認の僧ではなくなった。親鸞は、善導大師
の教えに基づく名ばかりの私度僧である。それでも、行も証もなくなったこの現代
にあって、なお人々に念仏を勧めている。これは、釈尊の時代であれば、舎利弗尊
者、目連尊者の行ったすばらしい行為に匹敵するはずである。だからこそだからこ
そ、私はその活動を維持していくために、その目的のため、人々には心のこもった
カンパをお願いしている。

 人々が共にあつまり、共に念仏を称えようという場合、舎利弗尊者、目連尊者の
仲間として、必要最小限のカンパを求めることは、親鸞の道である。

 一瞬の言葉のやり合いで悔しさに見舞われ、私怨をいだいて流言飛語をコピペし
ている人がいる。そんな連中の発言にいちいち反応するのは不愉快なのだが、google
やgooなどともあろう検索エンジンまで、根も葉もないそのような流言飛語の尻馬
に乗り、インターネットで世界中に喧伝している。

 世界的な企業が、人類の公器として、2チャンネルのノータリンの尻馬に乗って
いるというのは実に情けない。世界企業が念仏宗渡海会などの馬鹿話を宣伝してい
る以上、googleやgooなどは相手にせざるを得ない。誤解を解く意味で、今後はこの
記載を、随所に書いていく。

491:あぼーん
あぼーん
あぼーん

492:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 18:53:55 rZ6da2xv
スレリンク(kyoto板:450番)

 流言飛語者は浄土真宗本願寺派の僧侶のようだ。

 
>●親鸞聖人が問題を解決したから、我々は世間のことに努力すれば良いと「十劫安
心」まがいのことを言う

 十劫安心などという言葉が飛び出てくる。
  教学上の専門用語である。(坊さんだろう)
  本願寺教学の言葉である(大谷派ではない)。
  まがいのことを言う (意味がわかってない)。

 本願寺派のノータリン坊主が書いているんだろうと思っている。まあ、証拠はないがね(笑)。

493:神も仏も名無しさん
08/09/09 18:57:40 4OTICdn/
955 名前: 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 04/04/24 20:32
>災害で、九死に一生を得たものの、愛する妻子や家を失い、自殺していく人も多い。
みな、信じて疑わなかったものに裏切られ、苦しみ悩んだ末の行為であろう。
 愛する妻子や家を失い、自殺していく人が多くてもいいんだよ。信じて疑わなかった者
に裏切られてもいいんだ。失敗してもいいんだ。どんなに悲劇を味わってもいいんだ。
実に我々は、まさにそういう中に生きているんだからね。
 本願を信じ、念仏すれば往生する。人には、二つの大きな仕事がある。世間道と出世間
道だ。始め無き始めから、終わり無き終わりに無限に続く膨大な時間軸をもった大問題、
これが出世間道の問題だ。もう一つが、自分の肉体の誕生で始まり、肉体の死で終わる人
生の大問題だ。
 親鸞さんは、出世間道の問題を、完璧に解決してくれた。完璧に解決してくれたということは、
もう出世間道の問題では、何一つ心配することはないということだ。
 災害で、九死に一生を得て愛する妻子や家を失って、人生が破滅しても、親鸞さん以後は、
それは世間道の問題だ。出世間道に尾を引かない。自分の肉体の誕生で始まり、肉体の死
で終わる中での問題だ。
 始め無き始めから、終わり無き終わりに無限に続く膨大な時間軸の大問題ではない。出世
間道の問題は、本願を信じ念仏すれば完璧に解決する。だから我々にとって、それは過去の
問題だ。 出世間道の問題が解決しているということは、世間道の問題まで解決しているとい
うことは意味しない。
 親鸞さんは出世間道の問題を解決してくれたんだから、さあ、我々は世間道の問題で大いに
汗をかこうじゃないか。失敗を恐れることはないんだ。既に出世間道の問題は解決しているんだ
からね。どんなに失敗しても、出世間道には尾を引かないんだ。出世間道の問題が解決してな
いと思う人がいれば、本願を信じ念仏しなさいよ。もうそれで十分だ。これで完璧に解決する。さ
あ、後顧の憂いは消えた。我々は、世間道で大いに汗をかこうじゃないか。
 学生は学生の本分を忘れるな。勉学に励め。これが世間道だ。クリーニングやさんも、パンさ
んも、お巡りさんも、みなその仕事に精励しよう。出世間道の問題は過去の問題だ。何一つ心配
することは必要ない。世間道で汗をかこう。

494:神も仏も名無しさん
08/09/09 18:58:25 4OTICdn/
977 名前: 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 04/04/24 22:02

>>969
>死の前には何物もない
   馬鹿だね。死も忘れちゃいかんが、生も大事なんだよ。

>学問も何かあらん
    学問をしなければ社会は発展しないんだよ。

>金銭も何かあらん

 金がすべてじゃないが、金も大事だ。金がどんなに大事かは、布施に群がる親鸞会が一
番知ってるんだろう。

>名利も何かあらん

  名利も大事なんだよ。見ず知らずの人を頼るとき、最初は何でスクリーニングするんだい。
  名利を否定すれば、人々は最初のスクリーニング手段が無くなるんだよ。

>毀誉褒貶も何かあらん    これも大事だ。

>希望も目的も何かあらん   これも大事だ。

 出世間道の問題が解決すれば、世間道で全力を尽くすべきなんだ。出世間道の問題が未解決
の段階では、無価値のものでも、世間道で全力を尽くすべき時には、大事なものは山ほどある。
そのことを忘れなさんなよ。


495:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 19:43:56 rZ6da2xv
>>493-494
 4OTICdn/が言いたいことがわからんという人は多いと思う。掲示板はいろいろ
な人が見ているので、意見を主張する場合には、誰がみてもできるだけわかるよ
うにすべきなんだが、4OTICdn/は表現能力がない。横からの助け船が必要なの
だ(苦笑)。

 ふつう、僕はお節介はしないのだが、今回は僕が言い出しっぺなので、例外
的に一回だけ助け船を出しておこう。


 493-494のカキコは、4OTICdn/にとって、>> 492に対するできる限りの反論
のつもりなのだ(苦笑)。

  そうだろう。ノータリンの4OTICdn/よ。!

 >> 492はいう。「十劫安心などという言葉が飛び出てくる。 ~ 意味がわかっ
てない」。この発言に対し、4OTICdn/は、間違いなく渡海は十劫安心じゃないか、
と精一杯の反論をしているつもりなのである。

 ただ、自分の言葉を出せばしっぽを捕まれそうなので、渡海の書き込みだけ
を引用している。これなら渡海も反論できないだろうと、そう思ってているのさ(笑)。

 つまり、4OTICdn/は、>>492で自分のことを言われているという意識を持って
いる。流言飛語者と同一人物と言うことだろう。

 4OTICdn/よ。おぬしのカキコに渡海難は直接反論なんかしないよ。ばかばかし
いからね。僕はおぬしの家庭教師ではない。豆腐の角で頭をかち割り、洗濯して
出直してこい!。

496:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 20:00:51 rZ6da2xv
 4OTICdn/よ。宗教板に登場するおぬしの背中には「本願寺派僧侶」という看板が
でていることを忘れるな。 (苦笑)

497:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 20:22:53 rZ6da2xv
>496
 宗教板で「本願寺派僧侶」という看板を掲げて坊主が発言すれば、
それは、教団を代表する意見となる。

 十劫安心もわからん。仏教のぶの字も知らんノータリンのおまえで
も、本願寺派の看板を出せば、2ちゃんねるでは本願寺派教団の代表者
になる。
 本願寺派は、ノータリンのおまえを輩出するようなノータリンの腐り切
った教団だということは、おまえを見ればよくわかるが、おぬしも自分の
行動の一つ一つが教団を代表し、教団に泥を塗っているという意味をす
こし考えたらどうだ。

 門主は幽霊に本を書かせたというのは、つい最近の話だそうだ。末寺の
坊主は2ちゃんねるでノータリンの恥をさらす。
 本願寺派は、親鸞会とともに、上から下まで、崩壊のカウントダウンに
入ったいうことか。

498:神も仏も名無しさん
08/09/09 20:42:53 o4eAh0gF
突然発狂した精神病の方がいると聞いてやって来ました。

499:神も仏も名無しさん
08/09/09 21:14:17 4OTICdn/
>>498
昔から精神病で、今日も発作を起こしたんだよw

500:神も仏も名無しさん
08/09/09 22:03:48 M/c+l061
>>499
>昔から精神病で、今日も発作を起こしたんだよw

でも昨日まではおとなしかったのに、今日になって突発的に発作を起こしたのは何かあるという証拠だよ。
家庭で何かあったのかな?それとも薬が切れたとか。

501:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 22:04:04 rZ6da2xv
>463
> 少なからず興味が沸くね。 やっぱりお坊さんが多い?

 498(o4eAh0gF)と499(4OTICdn/)は、お坊さんだね。
ポンチ絵はほとんどお坊さんが書いてるんだろう(笑)。


502:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/09 22:30:35 rZ6da2xv
>501
 一面識もないはずなのに、498(o4eAh0gF)と499(4OTICdn/)に親しげに
書き込みをする500(M/c+l061)も、498(o4eAh0gF)と499(4OTICdn/)
とはことのほか気心が通じるこれもお坊さんですね。

 同じ宗派、本願寺派だろう。多分。

 そういえば、幽霊に本を書かせた門主は、東京大学、インド哲学ご出身の
宗教音痴だそうだ。上から下まで、教団は腐りきっていると言うことだろう。

 上から下までポンチ絵のように、笑えない腐りきった教団の中に浸かり
きっていると、仏教のぶの字もわからん坊主は、苦言を言われると、
相手をキチガイあつかいする。

 坊主に布施する檀家はいい面の皮。

503:神も仏も名無しさん
08/09/10 00:01:36 8lEMeDIi
>>500
きっとクスリを飲み忘れて、妄想の世界にハマっているのだろう

504:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/10 00:34:56 OR6arYLa
 念仏宗渡海会について

 google、あるいはgooなどの検索エンジンの用語選定担当者に申し上げる。

 渡海難は、念仏宗渡海会などというものは存在しないという発言をしています。一方で、その
渡海難を、「キチガイである。妄想の世界にハマっている」という意見を出している人がいます。

 あなた方はどちらの意見を正しいと思いますか。渡海難を、「キチガイである。妄想の世界に
ハマっている」という意見を出している人は、浄土真宗本願寺派の若手僧侶だと思われます。十
劫安心という聞き慣れない言葉は、本願寺派の僧だけが学んでいる特異な思想です。

 なるほどその通りだ。本願寺派の坊さんの言うとおりだ。念仏宗渡海会をいう教団が存在する。
渡海難はキチガイである。そのように判断することは、あなた方の自由です。事実あなた方は、
これまで、念仏宗渡海会というものがあると信じ、それを社会の公器として、インターネット検
索エンジンのキーワードとして公開してきています。

 渡海難はキチガイではない。まともな人間である。そのように考えるのも、あなた方の自由で
す。

 あなた方の会社は、念仏宗渡海会というものを、実在の宗教教団として確信し、それを世界中
に今後も宣伝するのか。それとも、浄土真宗本願寺派の一僧侶が、私怨ででっち上げた架空の存
在であると考えるか。道は二つに一つです。

 あなた方は、今後も検索エンジンとして、社会の公器として、ノータリンボーズの尻馬に乗り、
私怨に便乗して架空の話を社会に喧伝していくか、あなた方、世界的企業の常識が問われている
ことに、気づいてほしいと思います。

505:あぼーん
あぼーん
あぼーん

506:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/10 09:28:54 OR6arYLa
 念仏宗渡海会について

 google、あるいはgooなどの検索エンジンの用語選定担当者に申し上げる。

 渡海難は、突然発狂した精神病患者である。そういう意見を述べる人がいます。いやいや、渡
海難は、昔から精神病で、今日も発作を起こしたんだという人もいます。家庭で何かあったのか
な?それとも薬が切れたんだろう。そういう人もいます。

 そうか。やはりそうだったのか。渡海難は、精神異常者だったのだ。あなた方がそのように思
うことは自由であると思います。念仏宗渡海会というものの存在も、渡海難は精神異常者である
と主張する人から主張されてきたものです。

 世界的検索機関であるgoogleなどは、渡海難は精神異常者であるという主張をする人の意見に
同調し、念仏宗渡海会というものの存在を世界に宣伝しています。どういう意見を信じるか、そ
れは検索エンジン社の自由であり、用語選定担当者の自由です。それは、何人にも批判をされる
必要のないあなた方の権利行使であるということでしょう。

 もう一つの意見があります。「渡海難は精神異常者だ」という主張をしているのは、日本を代
表するノータリン坊主であるという意見です。これは渡海難が主張しています。念仏宗渡海会と
は、「あなたはお坊さんですね」、とういう質問に逆上した本願寺派僧侶が、逆上した脳内でわ
き起こした妄想の脳内宗教教団であるということです。

 お坊さんが、「あなたはお坊さんですね」、と言われて逆上するはずがないではないか。渡海
難は精神異常者だ。日本のお坊さんはみなさん立派な方々ばかりである。そのように、検索エン
ジン社の方々が信じるなら、それはあなた方の自由です。日本のお坊さんはみなさん立派な方々
であれば、「日本を代表するノータリン坊主」などという発言をする渡海難は、まさに精神異常
者ということになるでしょう。

507:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/10 09:30:46 OR6arYLa
 念仏宗渡海会を主張する記事は言います。「ちょうど創価学会が日蓮正宗を「日顕宗」と呼ぶ
ように、自分に都合の悪い者がいると「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」と言って決めつける」。

 渡海難はいいます。浄土真宗の教義を議論している掲示板であれば、坊さんは身分を隠そうと
しても隠せるものではない、と。坊さんか坊さんでないかは、大方、見当がつく。
 十劫安心などという言葉が突然飛び出てくれば、相手が坊さんか坊さんではないか、どこの宗
派か、そんなことはすぐにわかる。一つのキーワードだけではない。キーワードとキーワードと
をつなぐ議論の流れ、勢い、それがワンパターンであればワンパターンであるほど、お里が知れ
る。そのように申し上げておきます。これを、キチガイ渡海の妄想であると思うのは、検索エン
ジン社用語選定担当者の自由です。

 浄土真宗というのは立派な宗派であり、お坊さんはみなさん立派な方々ばかりである。検索エ
ンジン社の方々が、そのように、浄土真宗本願寺派のお坊様方を尊敬し、その言葉を信じること
は、あなた方の立派な自由です。もしそうであれば、渡海難は、ここの掲示板の多くの人が言っ
ているように、渡海難はとんでもない精神異常者であることになるでしょう。あなた方がそう信
じるなら、今後も念仏宗渡海会を世界に宣伝していくことに立派な意義を感じるでしょう。

 泥棒にも三分の理といいます。しかし、仮に三分の理があれば、七分には疑いが残る。そうい
うことでしょう。念仏宗渡海会というのはやはり実在のキチガイ宗教として存在する。七分に疑
いが残ると思えば、あなた方はそう信じると言うことでしょう。もしそうであれば、念仏宗渡海
会というキーワードを検索エンジンに残すのは、あなた方に与えられている自由です。しかしそ
の場合には、いまここの妙好人スレ10の482~506まで、誰もが簡単にアクセできるよう
リンクを張り、公衆が自由な判断をできるようにしていただきたい。

508:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/10 09:35:21 OR6arYLa
 ここの妙好人スレ10の482~506を残せば、渡海難はとんでもないキチガイなんだ。精
神異常者なんだ。そのように確信を強める人々はさらに多くなるかもしれません。浄土真宗本願
寺派といえば、実に立派な既成宗教として社会的には評価が大変高い教団です。門主が、宗教な
ど全く知らない宗教音痴、仏教音痴の幽霊に本を書かせ、あたかもそれを自分が書いたかのよう
に門徒に宣伝して印税を儲けても、その門主が、東京大学インド哲学科出身であれば、本人はど
んなに宗教音痴、仏教音痴であっても、社会からは大変高い尊敬を受ける。法務省などは、喜ん
で教誨師連盟総裁という大役を任す。

 トップがノータリンなら、末寺の坊主も負けず劣らずノータリン。浄土真宗本願寺派のお坊様
方は、大変ありがたい教えを示してくださいます。「渡海難は精神異常者である」こういう話を
聞けば、googleの担当者などは、一斉にその言葉に信頼を寄せる。しかし、一部には、渡海難を
指さし、あいつは精神異常者だけど、浄土真宗の坊さんの爪のあかほど程度はまともなことをいう
こともあるんじゃないか、そんな風に思ってくれる人も出てくると思います。

509:あぼーん
あぼーん
あぼーん

510:神も仏も名無しさん
08/09/10 23:21:23 qoym0zUm
こんばんは。

スレリンク(psy板)
↑このスレから来ました。
何だか、真面目に取り合う気の起こらないレスばかりですね。

スレリンク(psy板)
↑こちらはキリスト教編です。よかったら、感想を書き込んでやってくださいね!



511:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/11 11:43:45 d7knLrX9
>>465
 うどん屋さんへ。
 月々、あるいは年ごとに、お寺にはいろいろな名目でお布施をなさっていらっしゃるんでしょ
うね。1円でも無駄にできないお金、うどんを召し上がって頂いたお客様から頂いた大事なお金、
家族を守るため、あなたが汗水流して稼いだお金ですよね。あなたはそれを、お寺にお布施する
んですよね。

 そのお金がどのように使われていると思いますか。一部のお坊様は、インターネットのプロバ
イダーに払うお金になっているんです。プロバイダーに払ってどうすると思いますか。2ちゃん
ねるで破廉恥なポンチ絵の投稿代に変わっているんです。
 破廉恥なポンチ絵も、他人が書いた絵を別の板からコピーペーストしてきて貼り付けているだ
けですよ。

 決してそんな坊さんばかりとはいいません。しかし、門主に座っている人物は、東京大学イン
ド哲学科を出、教誨師連盟総裁という地位にありながら、宗教など全く知らない宗教音痴、仏教
音痴、信心などかけらもないゴーストライタに本を書かせ、あたかもそれを自分が書いたかのよ
うに門徒に宣伝して印税を稼ぐ、そんな仏教のぶの字も知らない宗教音痴、仏教音痴だそうです。

 トップがノータリンなら、末寺も右にならってノータリン。あなたはお坊さんですねと言われ
ると、腫れ物に触られたように逆上し、何年も何年もストーカーを続けるやつもいる。まあ、上
から下までノータリンというのはこの世界のことだと思います。

 お寺にお布施するとき、次回はお坊さんに質問するといいでしょう。あなたは渡海難をどう思いま
すか、と。

 あいつはキチガイですよ。最高にアホですよ。きっとクスリを飲み忘れて、妄想の世界にハマ
っているんですよ。こういう返事が返ってくれば、その坊さんは2ちゃんねるでポンチ絵をコピ
ペしている人でしょう。お客様から頂いたお金は、プロバイダーに支払われ、あのポンチ絵に変
わっていくんだなぁと、しみじみとそのように思うといいと思います。

512:神も仏も名無しさん
08/09/11 14:24:15 JaNq2Dg+
>>511
> お寺にお布施するとき、次回はお坊さんに質問するといいでしょう。あなたは渡海難をどう思いま
>すか、と。

「渡海難?とかいなん?誰それ?何やってる人なの?聞いたことも見たこともない。」という返事が返ってくるよ。

513:うどん
08/09/11 14:48:11 o8QLE7TW
>>511
お坊さんのなかにも、いろいろな方がおられますからねえ。
正直、「え~?」てな方もいますよね。
でもまあ、私なんかは我が身を顧みたときに、まあ仕方ないかな、なんて。
もしも私がお寺に生まれていたら、そりゃもう酷いものが出来上がったと思いますものね。

うろ覚えですけれど、法華経のなかに「末法の世になれば出家の堕落は目を覆うばかりになるが、それでも敬うべきものである」というようなことが書かれてあったように記憶しています。
ですから、敬うべきものは敬えばいいではありませんか。
その僧侶が敬うに足る存在でなかった場合、恥ずべきは先方のほうなんですから。
渡海さんの場合は、どんな誹謗中傷をうけようとも、真心からの座禅念仏は変わるものではないでしょう。それでいいじゃないですか。
私は私で、いただいた信心をよろこび仏恩報謝の日送りをするだけ。ひとりひとりのお念仏です。

・・あと、うどん屋からしてみれば、税金がないというのはうらやましいなあ、って。そのくらいかな。(笑)


514:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/11 19:41:01 d7knLrX9
>>512
>「渡海難?とかいなん?誰それ?何やってる人なの?聞いたことも見たこともない。」という
返事が返ってくるよ。

 こういう返事が返ってくれば、それは2ちゃんねるの坊さんだよ。なぜなら、それはID:JaNq2Dg+
だろうからね。(笑)


>>513
>お坊さんのなかにも、いろいろな方がおられますからねえ。正直、「え~?」てな方もいますよね。

 立派な人はたくさんいますよ。実は、その立派な人が内心非常に迷っている。僕は、明治に歎
異抄を、特に坊さん達に公開したことの重大な弊害だと思っています。

>私がお寺に生まれていたら、そりゃもう酷いものが出来上がったと思いますものね。

 おもしろいことを言う正直な方ですね。

>うろ覚えですけれど、法華経のなかに「末法の世になれば出家の堕落は目を覆うばかりになるが、
それでも敬うべきものである」というようなことが書かれてあったように記憶しています。

 親鸞の教行信証でしょう。

515:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/09/11 19:42:05 d7knLrX9
>敬うべきものは敬えばいいではありませんか。

 うんうん。
 僧侶一人一人を尊重してほしいというのは、教行信証の化身土巻の末に出てくる。愚禿の名乗
りの原因になった禿の意味もそこにある。大事なところなんですよね。

>その僧侶が敬うに足る存在でなかった場合、恥ずべきは先方のほうなんですから。

 うんうん。そうですね。
 ただね。恥を知らない坊さんは困ったものだ。

>いただいた信心をよろこび仏恩報謝の日送りをするだけ。ひとりひとりのお念仏です。

 うんうん。

>うどん屋からしてみれば、税金がないというのはうらやましいなあ、って。そのくらいかな。

なるほど。なるほど。

516:あぼーん
あぼーん
あぼーん

517:神も仏も名無しさん
08/09/12 23:46:21 MwbBuX4V
僧侶が葬儀中に株取引 三人を謹慎処分
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518:298
08/09/13 12:23:57 s4QC4qjy
>>513
そうですよね、「ひとりひとりのお念仏」だと思います。

こうして歩む道が与えられたこと、感謝したいです。

南无阿彌陀佛

519:神も仏も名無しさん
08/09/13 15:29:29 b3AZZlNM
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520:うどん
08/09/14 19:41:26 nuiliSnu
>>518
たとえ自力の念仏であっても南無阿弥陀仏は尊いですね。
ましてや、たのむ衆生を十人は十人、百人は百人、みなもらさずたすけていただける他力の念仏ならばなおさらです。

521:298
08/09/14 23:10:36 6v5htCyn
>>520
南无阿彌陀佛は、ほんとうに尊いですね!
どこからどこまでも尊く、すべてを具足していらっしゃる六字。
信前から、信後まで、そして、現生から、後生まで、
すべて六字が守ってくださると思います。
南无阿彌陀佛

522:渡海 難
08/09/14 23:27:22 rqPHY7V+
ブログ親鸞仏教 更新しました。   www.しんらん.jp/


523:神も仏も名無しさん
08/09/15 00:36:22 ci/J7mEO
六字とかどうでもええ。

「阿弥陀仏」と「他力」と「神」の違いを教えてくれ。
一般人には理解し難い。同じなら同じでいいし。
字とか漢字だし、仏陀はインド(ネパール)人だし。
もし「字」や声に出す「行」としての意味合いがるとしたら、
密教的呪文的マントラ的意味合いや象徴言語としての意味合いがあるということなん?

そのあたりを分かり易く教えてちょうだい。

あと、「アーメン」と「ナマンダ」には、どれほどの深い意味での違いがあるんだ?

524:神も仏も名無しさん
08/09/15 00:42:29 ci/J7mEO
「神」とはどういう意味ですか?とか聞かんといてね。
現代人なら、物理学者ドーキンスが「神は妄想である」と言ったことぐらい知ってるでしょ?

そういう意味での「神」だよ。


525:神も仏も名無しさん
08/09/15 00:43:22 ci/J7mEO
訂正)物理学者→生物学者

526:神も仏も名無しさん
08/09/15 09:22:23 NF0WZIPN
>>523
なぜ、仏の名を称えただけで救われるのか?往生できるのか?
ってことじゃないですかね?
なぜなんでしょうねぇ?
常識的には、そんなバカな!って思いますよね。

527:神も仏も名無しさん
08/09/15 11:38:09 i1f90COB
だから信方便易行なんじゃね?

528:神も仏も名無しさん
08/09/15 17:09:44 KRlQoGqg
>>527
だから、それはどういうこと?

529:298
08/09/16 00:03:52 FCihsoSu
>>526
しかも、「ただの一度で」救われるわけですから、
信じられないことが当然だと思います。

530:神も仏も名無しさん
08/09/16 21:34:43 v86jug8G
>>529
> しかも、「ただの一度で」救われるわけですから、

「ただの一度」もお念仏を称えられなかったもの、例えば乳児・幼児は救われないのですか?

531:うどん
08/09/16 22:01:39 vHCHbcHs
乳児でも幼児でも、南無とたのめば救われるのではないでしょうか。
たとえ声にならなくても南無阿弥陀仏のすがたとなれば、それはお念仏であると思います。

532:神も仏も名無しさん
08/09/16 23:46:43 v86jug8G
>>531
> 乳児でも幼児でも、南無とたのめば救われるのではないでしょうか。

乳児・幼児が、南無とたのめるでしょうか?
南無とたのむとはどういうことでしょうか?

533:うどん
08/09/17 00:18:56 uP4z5Uwn
>>532
南無とたのむとは、本願招喚の勅命に素直にしたがうこと。
弥陀のおはからいにすべておまかせすることだと思います。

・・って、まったくあたりまえで答えになってませんよね。
よく知らんくせにテキトーなことを書いてしまったようです。
ごめんなさい。

534:神も仏も名無しさん
08/09/17 17:30:04 XywsHRUK
>>533
乳児・幼児が、本願招喚の勅命に素直にしたがう?
弥陀のおはからいにすべておまかせする?
それはどういうことでしょう?
 
うどんさんを批判しているのではなく、私の疑問です。

535:うどん
08/09/17 19:07:08 uP4z5Uwn
>>534
>それはどういうことでしょう?

私自身、いまひとつたよりないので、うまく説明できません。申し訳ないです。
ただ、「老少善悪の人をえらばず」というからには赤子であっても弥陀をたのむことはできると思います。
阿弥陀仏から見たときに、大人も赤子も年寄りも健常者も病人も、多分どれほども違わないです。
弥陀をたのむにしても、赤子では難しいのならば、大人にだって難しいのではないでしょうか。
他力の信心なればこそ、もし大人に南無阿弥陀仏を聞きひらくことができるのならば、赤子にだってできるはずだと思います。


536:7
08/09/17 21:06:41 8lWhv2uL
赤子から大人になる時、人は何を身に付けるのでしょう。経験や知識、体格やら学歴やら経済力。その他いろいろ大人になることで身に付けていきますが、

それらがはたして往生の足しになるのか?考えてみたらいかがでしょうか?赤子が救われてこそ他力ではないかと思った次第です。

537:神も仏も名無しさん
08/09/17 21:34:44 XywsHRUK
>>535
私は、幼児・乳児・赤子が救われるなら、
「弥陀をたのむ」とか、「南無阿弥陀仏を聞きひらく」とか、
「本願招喚の勅命に素直にしたがう」とか、
「弥陀のおはからいにすべておまかせする」とか、
そのような条件は存在しないのではないかと思います。
何も条件が存在しない、それが他力ではないでしょうか?

538:うどん
08/09/17 22:33:55 uP4z5Uwn
>>537
>何も条件が存在しない、それが他力ではないでしょうか?

南無阿弥陀仏という名号がある以上、それにかかわる何かがあると思うのですが・・・

何も条件が存在しないということがどういうことなのか、どうもイメージできません。
しかしまあ、「イメージする」ということ自体が自力であり、凡夫の妄念ですね。
たしかにそういう考え方もあるのかもしれません。
もしそうならば、人は生まれながらに救われているのでしょうか。


539:298
08/09/18 03:23:04 NfgRY14J
「人は生まれながらに救われている」ということも、ひとつの考え方ですし、
その考え方にやすらぐ方もいらっしゃると思います。
ひとりひとりが歩む道。
私は、私の信じるお念仏の道を歩ませていただいて、とてもうれしい。
そして、同行を得まして、さらに心強く、ますますうれしい気持ちがしております。
こうして、疑い深い自分が、ひとつの結論に辿り着けたことが、
つくづくうれしいのです。
「奇跡だなー」と、素直に思えます。
ありがたい、ありがたい、南无阿彌陀佛。
そう思えることが、うれしいのです。
南无阿彌陀佛

540:神も仏も名無しさん
08/09/18 09:02:40 AFOtE/jk
>>539
> 「人は生まれながらに救われている」ということも、ひとつの考え方ですし、
> その考え方にやすらぐ方もいらっしゃると思います。
> ひとりひとりが歩む道。
> 私は、私の信じるお念仏の道を歩ませていただいて、とてもうれしい。

ひといひとりが歩むお念仏の道が違うなら、それは阿弥陀如来よりたまわった信心ではないのではないですか?
法然上人も、親鸞聖人も、他力の信心は如来よりたまわった信心だから誰の信心も等しいとおっしゃっています。
他力の教えに、「ひとつの考え方」とか「その考え方にやすらぐ」などということが根本的にあり得ないと思いますよ。

541:神も仏も名無しさん
08/09/18 09:14:36 AFOtE/jk
>>539
> 私は、私の信じるお念仏の道を歩ませていただいて、とてもうれしい。
> そして、同行を得まして、さらに心強く、ますますうれしい気持ちがしております。
> こうして、疑い深い自分が、ひとつの結論に辿り着けたことが、
> つくづくうれしいのです。

「私の信じるお念仏の道」は、あなたが作り出したものであって、如来よりたまわった万人に共通のものではないと思います。
あなたのおっしゃる同行は、あなたと同じ考え方の人たちであって、万人ではないでしょう?
阿弥陀如来の元では万人が同行のはずです。
あなたが辿り着いた結論は、あなたがあなたの頭で作り上げ、納得した結論であって、普遍的なものではないと思いますよ。
 
思い込みが激しく信じ込んでいる時に何を指摘しても無駄でしょうけど・・・。

542:7
08/09/18 11:04:47 74jdh9wK
>>540 味わい方は人それぞれではないでしょうか?信心決定したら誰もが親鸞聖人のようになりますか?有名な同行の方のようになりますか?
    信後の味わい方も人生も、人それぞれ。不断煩悩即涅槃なのです。一人一人の煩悩はまだ断たれていませんから。
    それでも、一味同行だと分かる不思議です。

>>541 あなたが辿り着いた結論は、あなたがあなたの頭で作り上げ、納得した結論であって、普遍的なものではないと思いますよ。
    これは全ての人に対して言えると思います。


543:7
08/09/18 11:07:18 74jdh9wK

とは言え、煩悩に満ち満ちた凡夫がコレが正しいとかその考えや解釈は間違っている、ということに拘って論争ばかりしていてもねぇ・・・

「たゝ念仏して 弥陀にたすけられ まひらすへしと よきひとの おほせを かふりて 信するほか
に 別の子細なきなり」(歎異抄)

阿弥陀仏が信じられないと、苦しむ方もあるのですから、信じる身となった人にはまず「おめでとう」と言ってあげたいです。
540さんも、何か縁があって阿弥陀仏を信じていらっしゃるんでしょう?信心決定したという自信がなければ人にそれは間違いだと断言できないでしょうから。
ならば、おめでとうございます!

544:7
08/09/18 11:45:10 74jdh9wK
あ、もちろん信心決定していらっしゃらなくても、「これは間違いなく間違いだ!」と思うことは断言口調になるものだと思います。

今までの知識と経験でそう判断されたことだと思います。人それぞれ自分が信じるところにより生きていくのだなぁと思いました。

南无阿彌陀佛

545:神も仏も名無しさん
08/09/18 15:50:50 JO4B0BlK
うーん

味わいは教義より大事だと思うけど、味わいが教義を曲げたらいけないと思うよ
たかが教義、されど教義。

>阿弥陀仏が信じられないと、苦しむ方もあるのですから、
>信じる身となった人にはまず「おめでとう」と言ってあげたいです。
南無阿弥陀仏といっといた方がいいんじゃない、その方がまちがいすくないよ
蓮如は宿善めでたしというはわろしとか言ってるし

546:7
08/09/18 16:24:59 74jdh9wK
確かに南无阿彌陀佛のほうが適切で間違いが少ないかも知れないですね。

蓮如上人、仰せられ候う。「「宿善めでたし」と、云うは、わろし。
御一流には、「宿善有り難し」と、申すが、よく候う」由、仰せられ候う。
(蓮如上人御一代記聞書)

ここのことですね。なぜ蓮如上人がそのように仰られたのか、詳しく知りたいです。
信心決定した人があると聞けば、「良かったねえ、おめでとう!」と思わず言いたくなるけど、
どうなんでしょう。上記のお言葉は自身の宿善に対する態度を言われているような気がします。

547:7
08/09/18 16:35:05 74jdh9wK
ちなみに、味わいか教義か・・・両方大切ではないかと考えているのが今の自分です。

お聖教には、味わいと教義の両方が書かれていると受け止めています。
味わいだけに拘れば主観的な話になってしまい、教義だけに拘っても解釈が分かれます。
両方書き残してくださったことがとても有り難く、祖師聖人に感謝したいと思います。

南无阿彌陀佛

548:298
08/09/18 23:49:01 NfgRY14J
>>541
>思い込みが激しく信じ込んでいる時に何を指摘しても無駄でしょうけど・・・

まあ、やっぱり、そうなんだと思います。

それで、たのしくて、しあわせで、うれしいのですから、私は満足です。

南无阿彌陀佛

549:298
08/09/18 23:54:05 NfgRY14J
>>546
ほんのちょっとの宿善ですが、弥陀の強さのために、強くひかれて救われた。

なんとか、救われるだけの宿善があって、良かった。

宿善などないはずの自分であったが、弥陀のお育てにより、
なんとかこうして救いにあずかれた。

あぶないところだった。救われてよかった。

のような感慨があるような気が致します。

南无阿彌陀佛

550:7
08/09/19 18:19:06 rJqqR/bU
そうですね。何故、自分のようなものが救われたのだろう、と不思議に思うことは度々あります。

自分のようなものでも摂取不捨、救ってくださるのが阿弥陀仏と聞けば有り難く思いとりて南无阿彌陀佛。

憶念するたび、南无阿彌陀佛。何もかもが自分にこの六字を信ぜしめんがためのご方便であったと感謝して、

南无阿彌陀佛

551:298
08/09/19 20:28:51 fKHg1WDt
>>550
7様

私など、ほんとうにあさましい日暮しをしております。

身の回りのことも、まともに出来ないダメな男です。

こうして、偉そうなことを書いておりますが、その実際を知れば、
みなさまあきれて、さらに、失望することでしょう。

(失望なさらない方がいれば、その方が、「できている方」なのだと思います。)

そんな私でも、こうして救われたと思い、そして、ほんのすこしずつですが、
どうしようもなくダメであった私が、やはりすこしずつでも、変えられていることを
感じ、さらに感謝しております。

御恩報謝もとぎれてしまう、どこまでもダメな私でありますが、
弥陀の御心は、とても大きく、私を守り、包み込んでくださいます。

南无阿彌陀佛

552:神も仏も名無しさん
08/09/21 01:17:50 IxRdR2yJ
信心決定てさ

(私の)信心が決定する

(私の)信心を決定する

どっち?主語は何?

553:神も仏も名無しさん
08/09/21 01:29:07 Xy+CWX75
>>552
講話
URLリンク(www.joyus.jp)

554:7
08/09/22 19:56:09 KYkADmAg
>>552
 阿弥陀仏が 私の 信心を 決定する と読むことも出来るのではないかと、思います。

 『聖人一流の御勧化のをもむきは信心をもて本とせられ候 そのゆへはもろ~の雑行をなけすてゝ一心に弥陀に帰命すれは

 不可思議の願力として仏のかたより往生は治定せしめたまふ 

 そのくらゐを一念発起入正定之聚とも釈し そのうへの称名念仏は如来わか往生をさためたまひし
  御恩報尽の念仏とこゝろうへきなり あなかしこ~』(御文章)

>>298
 個人個人の機に向かえば、ナンじゃこりゃ!としか思えないのが人の有様ですが、
 いつでも南无阿彌陀佛と御恩報謝させていただけることが、とても有り難いです。
 南无阿彌陀佛


555:うどん
08/09/22 20:28:04 KTCgKIFi
信心決定とは関係ないですが

このところ、毎朝ウォークマンで『往生礼讃偈』を聴きながら仕込みをしています。
いいですねえ。
旋律といいご文といい、心に染みわたりますねえ。
松虫鈴虫の気持ちもわかるなあ。
なんかウルウルしてきますもんね。
・・仏法に年齢は関係ないけれど・・・やっぱ歳なのかなあ。

556:渡海 難
08/09/24 12:56:34 8Lpfb594
ブログ親鸞仏教 更新しました。   www.しんらん.jp/



557:神も仏も名無しさん
08/09/24 16:05:17 NeXJlw7y
ようつべかニコ動でみれる鬱系のオススメアニメを教えなさい!キモオタ共

558:7
08/09/29 09:57:54 FPc5awvH
>>555 うどん様

>このところ、毎朝ウォークマンで『往生礼讃偈』を聴きながら仕込みをしています。
>いいですねえ。

いいですね^^。まさに「仏法は嗜め」ですね。

559:うどん
08/09/30 14:34:56 KWiuxu+j
>>558
そうですね。仏法を味わえるのはトクですよね。

弥陀の信心をいただき、法を味わい日々喜ぶ。
そんな人が私の周囲にもいますが、ちょっとした妙好人だなあ、なんて思います。

たとえば近所のバアチャン。弥陀のご本願を大変に喜んで御恩報謝に怠りがない。
超年寄りで文字も満足に読めないけれど、ボツボツと喋る言葉は御聖教とまったくズレがないんですよね。
まあ、一流安心のとおりを聞き開けば、おどろく事ではないのかもしれないなあ。

嬉しくても嬉しくなくても信心は同じだけれど、やっぱり喜んで生きられるということはシアワセですね。
そういうプチ妙好人、案外たくさんいますよね。
できれば、そんなふうになれたらいいなと思いますが、とてもとても。。。


560:神も仏も名無しさん
08/10/04 03:12:42 BY8siVIO
「本願の名号、われらにあり」の出典をお聞きしたいのですがご存じの方おられませんか?

561:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/06 11:48:10 SG6PV8BQ
ブログ親鸞仏教 更新しました。
  www.しんらん.jp/

562:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/06 12:48:39 SG6PV8BQ
>>560
 佐木隆三の小説『復讐するは我にあり』の題名を高森さんか誰かが模倣した
のでしょう。

 映画化され、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞も受賞しているそうです。

 
 「復讐するは我にあり」
 新約聖書(ロマ書12の19節)
 「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒りに任せまつれ。録して『主いひ給ふ、
復讐するは我にあり、我これを報いん』とあり。

 近代法が被害者個人による仇討ちを禁止し、犯罪を犯した者は国家が代わって
罰を下す思想の根拠となっています。

 悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て。この一節は、そう結んでいます。

563:神も仏も名無しさん
08/10/07 01:51:03 fyzIW//y
90 名前: 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 2006/01/01(日) 09:16:20 ID:q/gXKE5R

>>76
> ロジャース教授は、著書の中で、こう書いています。

 ロジャーズというのは、心理学者のカール・ロジャーズのことか。
非指示的療法というのは、カトリックの告悔にヒントがあったとい
うことは、彼の本に書いてあった。
 。ロジャーズは、一時、プロテスタントの牧師を目指していたらし
い。非指示的療法は東洋的だというのは、東洋日本の学者の意見
だ。東洋哲学、東洋宗教には関心があったのかもしれない。非指示
的療法というのは、禅の影響を受けているんじゃないかということは、
日本の学者(複数)から、随分聞かされた話だ。ただし、そういうこと
が本当にあったかどうかは、僕は確認できない

 確かに、ロジャーズのエンカウンターグループというのは凄いも
のだ。僕は、日本では何十回も経験させて貰った。カリホルニヤ
のライホイヤキャンプにも、一回だけだが参加させてもらったこと
があった。
 しかし、ロジャーズの考えの中に真宗的なものがあるとは思えな
い。まして、インチキ宗教親鸞会のカルト教義が入っていると言え
ば、これはキチガイの戯言だ。

 ついでに書いておきたい。座禅して念仏した直後、エンカウンター
グループを開けば、宗教的な心は急速に開いていくだろう。蓮如教
団の宗教パワーは、溝という組織の中で、実質的にそうしたものが
行われ、育ったものだろうと僕は思っている。それにほとんど近いこ
とは、禅宗ではずっと古くから伝統的に行ってきている。真宗を本気
で学ぼうと思えば、座禅を忘れた本願寺カルト教義の中だけで固ま
るのではなく、現代では心理学や禅宗の中にこそ教わるものが極め
て多い。僕はそう思っている。


564:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/08 12:55:55 Uy75ilGh
>>523
 これに回答する人はいないのかねぇ。

 523も、回答する人がいなければ、そう言う人が出てくるまで、ひたすら
待つだけいか。それとも、どこかに消えてしまったか。

 時間ができたら僕が書いてみようじゃないか。阿弥陀とは何か。神とは何が違うのか。
他力と神の救いとは何が違うのか。
 浄土真宗にとっては、極めて重要な基本的な問題だ。

  「アーメン」と「ナマンダ」は何が違うのか。これも大事な問題だ。

565:あぼーん
あぼーん
あぼーん

566:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/11 10:44:05 +/nYeJrv
>>523

↓ ここで書き始めました。

 ○●Я親鸞仏教質問箱R(その4)●○
スレリンク(psy板)

567:神も仏も名無しさん
08/10/11 11:08:22 Dn4xuM4N
ここも閑散としてるね。以前の賑わいがうそのようだ。

568:神も仏も名無しさん
08/10/12 10:19:07 XZhhOAEB
ここも渡海スレになっちゃったの?

569:神も仏も名無しさん
08/10/12 10:21:13 XZhhOAEB
信心獲得後も往生に疑いが残るという説は
その後どうなりましたか?


570:神も仏も名無しさん
08/10/12 10:38:24 ldrIrff0
>>568
>ここも渡海スレになっちゃったの?

このスレは渡海が立てたスレだから。しかも>>461で名無しになって勝手に終了宣言してるし。

571:7
08/10/12 22:24:56 +5mzmYe8
ちょ・・・一応スレ建て依頼したの自分です^^; 

前半のまだ未信だった頃の書き込みを読み返すと何とも感慨深いです・・・

南无阿彌陀佛

572:神も仏も名無しさん
08/10/12 22:28:12 XZhhOAEB
7のお人は298流で獲信しはったんですね。
よろしおしたな。

573:298
08/10/15 01:25:33 6xDqL4+l
自らの考えを表明すれば、それと異なる考えの方が存在するのは、自然なことです。

そして、その異なる意見を聞いたときに、私の感情が揺れるのは、私の未熟さを示すこと。

このような未熟な私でも、凡夫の妄念とは違うところで、弥陀の真実信心により、
救われてしまうということが、この道のすごいことだと思い、感謝しております。

しかも、私の考えに価値があるかと言えば、そこに価値などありません。

結局、価値を持つのは南无阿彌陀佛。

この六字がすべてであり、この六字に尽きているところが、
真宗の真宗たる由縁であると、いただいております。

南无阿彌陀佛

574:7
08/10/15 02:28:35 Uoobjd3Q
ありがとうございます。

私は298様に出会えて本当に良かったと感謝しています。

ここで皆様に出会えたことも本当に有難いことです。

南无阿彌陀佛

575:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/15 12:23:03 NYoOk6Ea
ブログ親鸞仏教 更新しました。
  www.しんらん.jp/

576:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/15 14:07:12 NYoOk6Ea
>>573
前々住上人、法敬に対して仰せられ候う。まきたてという物、知りたるかと。法敬、御返事に、
まきたてとあって、一度まきて、手をささぬ物に候うと、申され候う。仰せに云わく、それぞ、
まきたてが、わろきなり。人になおされまじきと思う心なり。心中をば申し出だして、人になお
され候わでは、心得のなおること、あるべからず。まきたては、信をとることあるべからずと、
仰せられ候うと云々

 前々住上人、法敬に対しておっしゃった。まきたてというものを知っているか。法敬は答えた。
まきたてというから、一度巻いて、手を通してないものでしょうか、と。前々住上人はおっしゃ
った。それだ。まきたてというのはよくないことだ。他人に直されたくないと思う心、これをま
きたてという。思ったことを口にしても、それを直して貰わなければ、間違った考えは変わると
きがない。まきたてでは信心は得られないぞと。このようにおっしゃった。

577:神も仏も名無しさん
08/10/15 15:10:55 wiHF0ZPu
72 名前: 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 04/04/25 13:39

>>52
>51ですが、ちなみに私は学生ですが、もうすでに信心決定しています。

 なおなおよくよく念仏者達の信心は一定と候いしことは、みな御空事共にて候いけり。これほどに第十八
の本願を捨て参らせ合うて候人々の御言葉を、頼みまいらせて年頃候いけるこそ、浅間敷う候。
                                                             親鸞

 ご立派ですね。信心決定なさいましたか。ご立派なお方でいらっしゃいますね。信心決定遊ばされて、
何がどう変わりましたか。
 ほしい物は手に入るようになりましたか。愛する人と別れることはなくなりましたか。嫌な人とは合わずに
済むようになりましたか。苦の種になるようなものは、無くなりましたか。

 お若い方よ。信心決定して正義を掲げても、掲げても、掲げる正義は、所詮は絵に描いた餅。決定した
正義では腹の足しにはならんでしょう。腹の足しにならんものじゃだめなん。こう叫べば、絵に描く餅もな
くなる。あれも駄目、これもだめと、下手すりゃ未来永久に争いと破壊だけが続いていく。
 人間はね、得意絶頂の有頂天などは、三日と持たぬ。人は、いつでも地獄餓鬼畜生に転落する。けだもの
の心でけだものの行為をする者をけだものという。鬼の心で鬼の行為をする者を鬼という。欲望だけが天をも
焦がす炎となって燃えさかっても、身は微動もできないときを、地獄という。

> だから、これだけはっきりと断言できるのです。
                                   ああ、浅間敷う候。


578:298
08/10/15 16:28:09 6xDqL4+l
>>574
7様

不思議なご縁ですね。

私は、何が本当か、わからぬ凡夫でありますが、あくまでも感覚的なものとして、
六字を尊び、六字をよろこんでいる。

そうなれたことが、奇跡だと思います。そして、うれしいのです。

この六字を、相続してゆきたいと思っております。

南无阿彌陀佛

579:神も仏も名無しさん
08/10/18 09:19:35 olc5G6N/
>>65
ありがとうございます。南無阿弥陀仏。

580:神も仏も名無しさん
08/10/19 11:51:55 5kA7ny7K
阿弥陀仏がほめてくだされる。
よくぞ願いを聞いてくれたと喜びほめてくだされる。
うれしや、もったいなや、
本願を聞くとは、ただ大悲を頂くことであったとは。


581:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/19 13:03:36 94imIc8q
>>580
 馬鹿馬鹿しい。

 悪人のまねをすべきより、信心決定の人のまねをせよ(蓮如)
 悪人のまねをするよりはましだろうと言われ、信心決定の人のまねでもなさろうとなさってい
るんでしょうか。

 信を得ずして、よろこび候わんと、思うこと、たとえば、糸にて物をぬうに、あとをそのまま
にてぬえば、ぬけ候うように、悦び候わんとも、信をえぬは、いたずらごとなり。「よろこべ、
たすけたまわん」と、仰せられ候うことにてもなく候う。たのむ衆生をたすけたまわん、との本
願にて候う(蓮如)。

 信心などありゃしないのに、喜んで見せよう、喜んで見せようと演技するのは愚かなことだ。
糸で生地を縫っても、糸の端末に止め玉を作らないで縫えば、糸は次第に抜けていく。どん
なに喜んでみても、信心がなければ、無意味なことだ。

 喜び組を見てはしゃぐのは、北朝鮮の金正日と本願寺のノータリン坊主だけ。人間のまねし
た猿芝居を見せられても、まともに喜ぶやつなどいやしない。後ろを向いてそろばんをじき、布
施の皮算用でもしているんだろう。

582:神も仏も名無しさん
08/10/19 13:16:13 UhJ5d23V
阿弥陀が俺らをほめるんじゃなくて
俺らが阿弥陀をほめる(讃仰)んじゃねーの?

583:神も仏も名無しさん
08/10/19 20:08:20 rLrk76Qr
阿弥陀仏は、善人からではなく、先ず、念仏を唱えさせられる悪人から救う。
とすれば、阿弥陀仏は、男をではなく、女人を最初に救うことになるだろう。

584:あぼーん
あぼーん
あぼーん

585:神も仏も名無しさん
08/10/21 00:58:29 i77m0fyi
>>582
一念多念文意

また『経』(観経)にのたまはく、「若念仏者 当知此人 是人中分陀利華」とのたまへり。
「若念仏者」と申すは、もし念仏せんひとと申すなり。
「当知此人是人中分陀利華」といふは、まさにこのひとはこれ人中の分陀利華なりとしるべしとなり。
これは如来のみことに、分陀利華を念仏のひとにたとへたまへるなり。
この華は、「人中の上上華なり、好華なり、妙好華なり、希有華なり、最勝華なり」(散善義・意)とほめたまへり。
光明寺の和尚(善導)の御釈(散善義)には、念仏の人をば上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人とほめたまへり。


586:神も仏も名無しさん
08/10/21 01:17:09 i77m0fyi
>>583
信巻

おほよそ大信海を案ずれば、貴賎緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、
造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、
頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、
有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、
ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。
たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。
如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり。

587:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/10/25 15:22:30 guyLisI5
ブログ親鸞仏教 更新しました。
  www.しんらん.jp/

588:あぼーん
あぼーん
あぼーん

589:神も仏も名無しさん
08/10/30 16:43:43 UUgkDkn1
宿善は、前世から今までの阿弥陀様のお育てがあったからこそ、今生でご信心をいただけたはずです。
自分には、少ししかない宿善だったと思う事ほど傲慢な考えに思えます。
今回、こうしてご信心をいただけたのは、少ししかない宿善なんかじゃ有りません。
今の今まで、たった今まで、無始以来の阿弥陀様の働きがあったからこそでしょう。
少ない宿善しかなかったなんて、思うのももったいないことです。
自分が何様だと思っているのでしょうか・・・
もう少し、阿弥陀様のお心をよぉーく考えて発言したらどうですか?
どれだけのお力を私達はいただいているのか。

590:神も仏も名無しさん
08/10/30 16:55:01 UUgkDkn1
後念相続は、決して自分の為にあるものではありません。
相続とは、次の人に引き継ぐことでしょう。
この喜びを独りでも多くの人に繋いで行こうと言う心が大切かと思います。
この道は、決して一人しのぎではありません。
皆さん何か勘違いをしているように見受けられます。
今現在、何処でどう凡夫の浅知恵が入り込んでしまったのか、皆言っている事がばらばらです。
誰が正しいとは言いません。
一人の人間に信心をとるように働きかけているのは、阿弥陀様です。
独りでは名にも出来ないくせに、何が一人しのぎなのでしょう。
阿弥陀仏初め諸々の仏菩薩、神に至るまで私のためにどれだけのご苦労をしてくれていると思っているのでしょうか。

591:うどん
08/10/30 21:02:19 x13Tt0BE
なんとなく文面が恐いけれど、たぶん御一流の方でしょうね。
どうしてお怒りなのでしょうか。

>相続とは、次の人に引き継ぐことでしょう。

私としては、後念相続とは、第一に仏恩報謝の南無阿弥陀仏を称えることではないのかと思っています。
できるかぎりは有縁の方を勧化するよう努めることも、たいへん大事なことですよね。
しかし、私などはこれがなかなか出来ないんですよね。
何事も阿弥陀様まかせ、と甘えております。まことに申し訳ないことです。

が、先頃、ご縁がありまして知り合いを二人、お手引きすることができました。
お二人とも大変喜んでくださって、私もともに感激しておるところです。
けれども、これだって結局は、私がお手引きしたのではなくて、阿弥陀様のお育てのよるものなのだなあとつくづく感じているこの頃です。



592:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:33:00 UUgkDkn1
宿善が薄かったのに等と言う言い方自体、他力の信心をいただいたもののいう言葉ではないと思います。
是の宿善を用意してくれたのは、阿弥陀仏であることすらも忘れているとしか取れないい方をしています。
をいただくことがかたじけなくも阿弥陀仏のお心に催促されて、阿弥陀様からいただいた宿善をまるで自分で積み重ねたように、少ししか無い信心の私の宿善は薄かったと誰が判断したのでしょうか。
私などと言ってしまうのがおかしいです。
私たち、いただいた人は、菩薩の扱いになります。
菩薩の仲間入りをさせてくださった阿弥陀様のご意志は、ただひとつ、衆生済度しかありません。
阿弥陀仏が何を私たちにして欲しいかって、衆生済度のお手伝いただひとつだと思います。
口で称える南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏への感謝と賛嘆だと思います。


593:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:49:39 eZVX3jT8
「ご一流」とは298さんの法門ことですね
赤子も獲信するという例の


594:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:54:01 eZVX3jT8
でも「少ない宿善」とは>>549の「ほんのちょっとの宿善」というのを
さしているように思われますね。
ということは赤子も獲信する例の法門の方ではないのかな?
それとも例の法門にもいろいろな解釈があるということか。
あるいは今回書き込みされた方が例の法門ではなく
普通の真宗の方であるか。

595:神も仏も名無しさん
08/10/30 21:58:42 CdqbHHjL
・・・阿弥陀仏のご意思はこうである、と言うこと自体は傲慢ではないのですか?
仏様のお考えになることは菩薩様でも想像の及ばぬ世界だと聞いております。
阿弥陀仏が私たちにして欲しいこと・・・?
早く救われて欲しい、弥陀をたのんで欲しい、ということ以外には想像もつかないことです。
煩悩は死ぬまで消えず、絶えず、信後も間違いだらけの私たち、頭で考えてする衆生済度はあくまでも真似事の域を出ないと思います。
立派な心がけ、尊いこととは思いますが、十方の諸仏方からも分陀利華と褒め称えられる信心獲得者の方なら、お分かりのことと思います。
現生十種の益をよくよく考えていただければ、私たちの信後の振る舞いも分かってくるかと思います。

596:298
08/10/30 22:51:11 5TiqQe77
私に感謝が足りないのは、全くその通りであると思います。

しかしながら、

◎われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり(唯信抄)

のような御文もございます。

彌陀の広大な御恩を思えば、それは強縁であり、誠にありがたいことです。

それでありながら、ここまで流転してきてしまったのは、やはり宿善がすくなかったからであると思います。

傲慢な私です。六字を称えて参りたいと思っております。

南无阿彌陀佛

597:神も仏も名無しさん
08/11/01 23:45:10 0gu66I95
宿善が多いと思えばありがたい。
宿善が少ないと思ったらやっぱりありがたい。

598:神も仏も名無しさん
08/11/02 04:16:26 Tv7nIpg+
この世からお浄土に住まわせて頂く身になれば、
自ずから阿弥陀仏のお考えもわかるはず。

衆生済度につとめようとするのも、阿弥陀仏のお力によってのこと、
真似事と卑下するのは、逆に申し訳ないことではないかと思います。


599:7
08/11/02 20:35:10 YzBhPFrx
信心決定しても、煩悩の厚い雲は死ぬまで晴れませんから、浄土は直接見えません。
阿弥陀仏のお考えが分かるような、知能はかけらもないままのような気がします・・・。

衆生済度につとめようとすることはとても尊いことで、もちろん阿弥陀仏のお力無しには出来ませんが、心は蛇蠍のごとくなり。
親鸞聖人も「名利に人師を好むなり」と仰っておられますが、これも決して卑下されたわけではないでしょう。謙遜でもないと思います。

600:神も仏も名無しさん
08/11/02 21:51:51 Kr6Nn6lA
煩悩はいよいよ明らかですが
疑いは消滅します。

601:神も仏も名無しさん
08/11/02 21:57:51 bINYRKFG
一人しのぎという言葉は、聖典の何ページに載っているのですか?

602:7
08/11/02 22:41:11 YzBhPFrx
>>601さん

一 往生は 一人のしのきなり 一人[々々] 仏法を信して 後生を たすかる事なり よそ事のやうに 思ふ
事は 且は我身を しらぬことなりと 円如仰候ひき

蓮如上人 御一代記聞書より  (『浄土真宗聖典』P--1251)

603:神も仏も名無しさん
08/11/03 00:09:23 pK8d1vwm
>>599
もちろん、機の深信と卑下は、違います。

阿弥陀仏のお考えがわかるのは、阿弥陀仏から頂く信心によってです。

また、信心の行者は、現生十種の益を頂きますから、常行大悲の益があります。
煩悩一杯、心は蛇蝎そのものの私たちが、
阿弥陀仏のお力によって、阿弥陀仏のお手伝いができるということです。


604:7
08/11/03 00:25:33 T/ohIxWk
常行大悲の益って、本当に凄いことだと思います。常、ですから。
私のような凡夫は、やる気があっても続かない、努力も懈怠で続かない。
信後急に真人間に生まれ変わるわけでもなく、信後も疲れれば寝て過ごす日もあるわけです。
それなのに、「常行大悲の益」を与えられていますので、寝ても覚めても、自分ではサボっているつもりでも、
阿弥陀仏の大悲に叶う行いをさせていだいていることになります。常、ですから、24時間、寝ても覚めても。
これは普通に考えると、全く理解できないことです。ですが、佛語に虚妄なし、と有り難く受け止めているのです。
常行大悲の益、自分が意識的にやる気になる「時々」ではなく、「常」の益であることが本当に有り難いのです。

605:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:18:22 WevN8EPB
昔は信心をいただいた喜びをなんとか人に知ってほしいと
いろいろ話していたけどなんだかそれは自分の領解であって
他人を導くなんて思い上がりも甚だしいと思ってしまう今日
南無阿弥陀仏を称えることだけが自分にできることだと思ったりする
ここでこんなことを書いているのだから念仏称えるだけはないだろと
つっこみがきこえてきそうだけど、ここで書くのは書きたいからであって、
弥陀の恩に報うためとか高尚な考えがあってしているわけではない
自分の領解が人の救われる縁になることはうれしいことだ
思わずわしが育てたと思ってしまうこともある
よかったよかったと共によろこべればなおいい
でも、どこかではき違えて、俺が真宗だ!とならないようにつとめたい。

606:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:24:22 WCvUo+CC
宇宙時代、グローバル時代に「阿弥陀仏」に固執するのはカルトだろ

607:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:28:40 WevN8EPB
宇宙時代、グローバル時代は何をするものなんですか?

608:神も仏も名無しさん
08/11/03 02:44:32 s5e/tn9C
>>607
末法の時代。仏法は籠宮に入ってしまう。



609:7
08/11/03 02:46:11 PmeGVRCf
カルト【cult】宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

ということで、釈尊の時代からカルトです。


610:神も仏も名無しさん
08/11/03 07:57:47 nyBmT3cw
一人「の」しのぎと、一人しのぎでは、
「の」と言う言葉が付くのと付かないので意味が違って来ると思うのですが・・・
「弥陀をたのむ」と「弥陀にたのむ」だって意味が違うことを考えると、
「の」があるか無いかで意味が違ってくると思えます。


611:7
08/11/03 11:39:07 PmeGVRCf
そうですね。ただ、上記で「一人しのぎ」と言われた方が、蓮如上人の言われた「一人のしのぎ」の「の」を省略されたのか、
それは本人でないと分かりません。
真宗、一人しのぎ、で検索すれば約55,800 件(google)以上ヒットしますし、「の」もあったりなかったりしますから、
どちらも真宗においては一般的な概念かと思われます。

612:神も仏も名無しさん
08/11/03 21:53:29 pK8d1vwm
常行大悲の益は、いつのまにか、そのつもりがなくても、していることに
なっている…というようなものではありません。
常に阿弥陀仏のお心を知らせて頂き、それにかなう行いをするように
まもり育てて頂くので、大悲を行うことができるのです。

信心を頂くとは、阿弥陀仏の心光の中に包まれて生きるということですから。

私たちにできるのは、お念仏をとなえることだけ…と思うのは、
阿弥陀仏のおはたらきを過小評価しているのではないでしょうか?


613:7
08/11/03 23:57:15 PmeGVRCf
>>612さま

 なんと・・・まさか、阿弥陀仏のおはたらきを過小評価していると言われるとは、思いませんでした。
何しろ、常に大悲にかなう身にさせていただいた!と喜んでいたのですから。

それは阿弥陀仏のおはたらきの過大評価だ、常に阿弥陀仏のお心を知り、育てていただかねば急には無理だ、
そのつもりがなくても常に大悲の行が出来るような身にするお力はさすがにない、とお叱りを受けるかと思っていましたので。

予想とは真逆の意見を言われることもあるのですね。

614:神も仏も名無しさん
08/11/04 10:50:41 dTb5TOXN
阿弥陀と一味であるなら
その心も行いも、法蔵菩薩の誓われたごとくに
なっていくはずのものなんですね。

615:神も仏も名無しさん
08/11/10 11:20:37 2785941h
 こうるさいアラシはアボーンになったようです。
 2ちゃんねる専用のブラウザの場合、通常のダウンロードでは
消えませんが、スレそのものをいったん消去してリロードすると、
アボーン後のスレがダウンロードするようです。

616:7
08/11/11 01:18:34 007cgYNR
あ、あぼーんがいっぱい・・・ AAが削除されたのかな?

617:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:36:14 Hk9E181t
さて、また質問です。
善知識が相続できる人数に違いが有ります。
ある人は三人、ある人は五人、ある人は七人、
また人数に制限は無いと言う方も見受けられます。
どうしてこんなに違いが有るのでしょうが・・・
お経をよく読めば、相続出来る人数も書いてある筈ですが・・・
大体五人と言う流れでは、五念門からその人数になったと言う
推測をしていますか・・・
一人しのぎの定義と、一人のしのぎの定義を明白にした方が良いと思います。

618:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:37:02 Hk9E181t
テスト

619:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:42:09 Hk9E181t
>618
前回書き込んだものがどこかに行ってしまったので、ここのスレにきちんと送信されるか確認しただけですので意味ありません。

620:神も仏も名無しさん
08/11/12 20:49:02 osHM9dBj
赤ちゃんでも獲信できるのだから
無制限では?

621:7
08/11/12 21:19:02 ZOBNxN6G
赤ちゃんの獲信と善知識の相続はあまり関係ない気がします。
もちろん赤ちゃんの獲信について不信はありません。何しろ自分のようなものさえ獲信出来たのですから。
しかし、次第相承の善知識については、私は、その人数だとか、赤ちゃんがどうとか、分かりません。

また、一人しのぎについてですが、あなたは「の」のあるなしをどう受け止めていらっしゃいますか。
恥ずかしながら、自分は「の」のあるなしは単なる省略として受け止めてきましたし、「の」のあるなしで「一人しのぎ」の意味合いは
これだけ変わるんだよ、という話を聞いたこともないですから、分かりません。
ただ、上記で「一人しのぎ」という言葉に対して批判的だった方が、蓮如上人も「往生は一人のしのぎ」だと仰っておられたことに、
相当動揺されて、「の」のあるなしにしがみついているような気がしてなりません。

622:神も仏も名無しさん
08/11/12 21:29:05 Hk9E181t
仏の言葉とされているものに、一字一句過不足は許されていないはずです。
一つ一つの文字が仏菩薩の化身のはずです。
一人しのぎと聞いて、自分「が」というものを感じます。
一人のしのぎと言うと、一人の人の為に有るしのぎ事のように受け止めます。

623:神も仏も名無しさん
08/11/12 21:36:37 Hk9E181t
赤ちゃんの往生を問題にしていません。あしからず。
焦土真宗は、老若男女すべてに平等に与えられるものですから、
生まれたばかりの赤ちゃんだって、
善知識の下で一念帰命できなければ、
浄土真宗と言わないと思います。


624:神も仏も名無しさん
08/11/12 21:38:57 FL1Kme9Y
漢訳仏典は昔の支那周辺の人が編纂したんだけどね
サンスクリットもほぼ口承で伝えられたものだし
そこまで頭かたくしなくてもいいと思うが

昔は紙なんて媒体はほとんどなかったわけで
みんなで唱えながら暗記していた。
だんだん印刷術や図書館の個室などの整備が
宗教改革を産む土壌をつくったとか

625:7
08/11/12 21:51:21 ZOBNxN6G
サンスクリットから中国語に翻訳するときは相当苦労されたと思います。表音文字を表意文字に変えていくのですから、
意味と音を両方大切にされたことと思います。一字一句を大切にされる622さんの思いに同意いたします。
その点、日本語は相当融通が利く言語だとは思いますが、祖師上人もただ機械的に日本語に翻訳されたのではなく
相当ご苦労されたに違いないと、有難く思います。

「一人しのぎ」という言葉に、自分が、自分が、という「我」臭を感じられたのですね。自力的な。
「一人のしのぎ」だと、阿弥陀仏による私達一人一人のための、という他力の姿を感じられたのですね。
祖師上人のお言葉である「往生は一人のしのぎ」というお言葉、「の」を略したばかりに反発し謗る人が現れては申し訳ない話です。
私は今後気を付けることにいたします。

626:神も仏も名無しさん
08/11/12 22:13:03 xm5E60Hz
まともなところはまともですね。紹介しておきますね
URLリンク(www.hamq.jp)

627:神も仏も名無しさん
08/11/12 22:30:45 osHM9dBj
獲信ではなくて善知識の相続でしたね。
勘違いです。失礼しました。

628:神も仏も名無しさん
08/11/12 23:15:01 osHM9dBj
それにしても書き込みが減ってしまいましたね。
何か理由があるのでしょうか?

629:7
08/11/12 23:40:32 ZOBNxN6G
信心決定を探し求めることと、獲信者の方に信心について語ってもらうことが、このスレのスタートでした。
その当初の目的は無事達成されましたので、静かなのかも知れません。

 個人的にはその名残りを懐かしみつつ、また自分のように捜し求める人が
あるかも知れない、と思いつつ、このスレを時々見ています。信心についての話に、興味は尽きないですし。
また、信心決定したと言っても、いくつか違う見解があるものだな、と分かったことも勉強になりました。
解釈や味わいが違うだけなのか、信心そのものが違うのか。お聖教で分からない部分については答えの出ない問題ですが、
関心は尽きません。ただ、仏法の話はとても楽しい、嬉しいものだと感じます。

630:神も仏も名無しさん
08/11/13 21:14:45 G5QH34qX
結局、善知識が相続できる人数についての説明は誰も出来ないんですね。
お釈迦様も、法然上人も、親鸞聖人も、蓮如上人も
相続した人の人名を明らかにしているし、
三者とも、みな相続した人数は同じです。
お聖典を読めば明らかです。

631:神も仏も名無しさん
08/11/13 21:55:45 XW5bzFHW
そうですか、手元には真宗聖典があるので、是非どこにどのように書かれているか教えてください。勉強になります。

632:神も仏も名無しさん
08/11/14 14:53:31 4yeWi1hg
相続とは、南無阿弥陀仏が行者の上に生きていることです。
み教えが伝え受け継がれて、これまで数え切れない人々の心に
信心の華を咲かせ続け、これからも未来永劫、咲かせ続ける
ということです。

特定の技量や技術が受け継がれるのではありません…

また、赤子でも獲信できるのはまことですが、獲信させられる
というのは誤りです。
阿弥陀仏とひとりひとりの間のことですから。
これを、一人のしのぎと言われます。


633:神も仏も名無しさん
08/11/14 15:10:25 4yeWi1hg
昔は阿弥陀仏の絵像の御手のところに穴を開け、そこと
臨終に赴く人との手を紐でつないで、来迎のかたちとしたそうです。

善知識の下で一念帰命の儀式をするのは、それと同じ、
阿弥陀仏の無条件の救いを疑う心が生み出したしきたりです。

いつの時代も人は迷うので、そういうものもまた「相続」されて
今に至るのでしょうね。


634:神も仏も名無しさん
08/11/14 20:03:34 WhSTWCdt
一念帰命とは儀式?
そもそも一念帰命とは、真宗安心の絶対条件?
もしや無条件の救いと一念帰命は別のもの?

635:神も仏も名無しさん
08/11/14 20:36:14 5vb/Tpp1
儀式を経て「獲信する」グループもあるようですね・・・。


636:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:02:36 uiMRsjgJ
>>632
> また、赤子でも獲信できるのはまことですが、

赤子でも獲信できる、赤子がそう言いましたか?
赤子でも獲信できる、そう判断しているのは当人の赤子ではないでしょう?
理屈では、赤子でも救われると思いますがね。

637:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:06:07 gc7ryFQL
阿弥陀仏は霊的存在ですか?

それとも脳内信仰ですか?



638:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:19:18 4yeWi1hg
一念帰命とは真宗安心の絶対条件です。
(これがないと十劫安心になります)

無条件の救いを、無条件だったと受け取ったのが一念帰命。

誰にも言ってはならない、とか、善知識の言うとおりにしたら
信心頂けるとかいうのは、儀式であって「獲信」ではありません。

>>635
悲しいことに、そういうグループが多いようです。

>>636
同感です。
いずれにせよ阿弥陀仏と当人以外には本当のところはわかりません。

>>637
どちらでもありません。

639:神も仏も名無しさん
08/11/14 21:36:22 gc7ryFQL
阿弥陀仏は物質なのですか?
それとも偶像ですか?
脳内信仰ではない、ということは観念でも妄想でも想像でも象徴的存在でもないということですよね。
詳しく教えてください。

640:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:26:12 ouOgdV+E
>>631
この公共の場で、ここに書かれていると教える事は出来ませんが、
浄土三部経をよく読めば、
お釈迦様が誰に付属したのかが明白に書かれています。
法然上人も親鸞聖人の他に誰に相続したのかも記してあります。
親鸞聖人も然り、蓮如上人も然りです。
共通の人数が分かるはずです。
なぜ、浄土三部経で、その他のお経を選ばなかったのか・・・

>>639
阿弥陀仏は、理仏であります。
人間の知恵で考えられるような存在ではありません。
言葉には、それぞれ意味があり、色々な形で存在しています。
風を直接見ようと思っても、肌に吹き抜いた現象で、
風と云う存在が分かるようなものです。
南無阿弥陀仏が何であるのか、御文章を読めば書いてありますよ。

641:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:27:51 gc7ryFQL
理仏って何ですか?

642:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:37:26 LD4anDXg
ちょっと質問!
人間死んだら地獄or極楽浄土だそうですが、地獄・極楽からまた人間界
に戻ってくるなんてことはあるのですか?

643:神も仏も名無しさん
08/11/14 22:47:14 WhSTWCdt
>>642
あるんじゃないかなあ。
地獄に落ちても、いづれ気の遠くなるような時間を経れば出てこられるだろうし。
極楽から人間界というのは、いわゆる還相廻向ってやつかなあ。

644:神も仏も名無しさん
08/11/14 23:00:22 LD4anDXg
またまた質問!!
親鸞聖人の教えの中に、人間死んだら地獄に落ち八万劫中大苦悩。決してこの
苦しみから逃れることは出来ないとありますね。前世でろくな目に合わないの
も前世の種まきが悪いとか。
ここで疑問に思うのだが、一劫は4億3200万年、つまり八万劫という時間は
3.456×10^13(年)
宇宙の年齢は137億年。これだと前世は時間も空間もないところに存在してい
たということになり、矛盾しないかぁ?

645:神も仏も名無しさん
08/11/14 23:14:05 ouOgdV+E
理仏とは、人間の理解できない、
見る事も触る事も出来ない存在とでも言いましょうか・・・

人間の知恵の中での宇宙の年齢や、物理学・科学・医学・数学を
もってしても、解明出来る程、阿弥陀仏の世界は狭くないとも言えますね。

646:神も仏も名無しさん
08/11/14 23:35:11 LD4anDXg
しかし、人間には理解できないなんて言ってたら、宗教なんて
なんでも好き勝手いい放題だとは思わないか?

647:7
08/11/14 23:57:52 V2PiDOe0
>>633 阿弥陀仏の救いが無条件とは、機を問わないという意味でしょうか。・・・もちろん宿善は必要な条件ですよね?
    18願には、至心信楽欲生我国~とありますので、極楽浄土に生まれること、浄土に生まれることが確定する「救い」は、
    「信楽になったら」という条件がありますよね、念のため。でないと十劫安心ですから。

>>636 赤子でも獲信できるというのは、蓮如上人が仰っておられます。「男女老少」を選ばず、と。性別も年齢も関係ないと。

>>637 霊的存在の、霊の定義が一般的に共通化されていないと思います。例えば、私は霊的存在でしょうか。

     脳内信仰とは、信仰とどう違うのですか?脳外信仰が対になるとすれば、意味が分かりません。

>>638 善知識頼みを戒められるのは結構なことです。しかし五重の義を忘れたら真宗ではなくなると思います。



648:7
08/11/15 00:00:23 V2PiDOe0

>>639 阿弥陀仏とは、という疑問が何故自分に生じたか、振り返って見られたらいいと思います。
     仏教に阿弥陀仏のことが説かれているから、知る機会が生じ、そのお名前を知ったがゆえに、疑問が生じているのです。
     ならば、仏教にその答えを求める他はありません。阿弥陀仏とは、本師本佛であると、お釈迦様は説かれていますので、
     阿弥陀仏は仏さまです。そして、仏とは何か、それも仏教に全て答えがあります。いくらでもお調べください。

>>640 次第相承の善知識、と幾度もお聖教には出てまいりますね。これを無視される方が多いのも、悲しい現実です。

>>644 宇宙ってのはまだ物理学でも解明しきれてないですよね。ビッグバン説が正しいと仮定しても、この宇宙が始めての宇宙だという結論には
    至っていませんし。宇宙の年齢はだいたい計算されていますが、その宇宙を生み出した原因となる世界も計算すると、無限に辿れるのではないでしょうか・・・

>>646 実際、宗教に限らず人間は好き勝手いい放題だと思います。自分が納得出来る、信じられる道を進むことしか出来ないのが人間です。
    世間虚仮、唯佛是真、ただ念仏のみぞ真にておはします、の親鸞聖人のお言葉が有難いです。

649:神も仏も名無しさん
08/11/15 00:49:00 hZWVWpEa
阿弥陀如来は、超自然(オカルト)的な存在なのですね。
ところで、仏教には、いろんな如来(仏)がいますが、その中でも、大日如来、薬師如来が有名です。
これらと阿弥陀如来の関係を教えてください。



650:神も仏も名無しさん
08/11/15 00:57:01 5WEv5nP4
>>647
報土浄土への往生の条件は、一念帰命、信楽の身になることひとつです。
宿善は条件とは言いません。
五重の義とは、私たちが信楽の身になる過程を五つに分けてお示しくださったもの。
また、信前にははっきりとわかるということはありません。

光明にあって信心を頂いた後、ふりかえって宿善を喜び、あの方こそ
善知識であったと尊び、また報謝のお念仏称えていきます。

それなのに、もし善知識を特に重視してその言葉ばかりに従い、
阿弥陀仏の御心を省みずにいるのなら、
それはまことの信ではないのでしょうね。

善知識の言葉こそ阿弥陀仏の御心と考えるのでしたら、
それこそ善知識頼みというもので、真宗ではありません。
(信前はしかたのないことですが)

651:7
08/11/15 01:18:21 LJ/wsXPH
>>650 条件とは何か、という話になるかも知れませんね。本願を仰げば「信楽」一つなのは間違いありません。
    「宿善」の有無を条件と呼ぶのは乱暴ですか?

    光明秘事の方でしょうか。善知識と、次第相承の善知識とが説かれていますので、蔑ろには出来ないと思います。
    五重の義とは、五重であって五順ではないのですが。信前にはもちろん分からないことがあります。
    つまり信後には必ず分かることがあります。


652:7
08/11/15 01:24:39 LJ/wsXPH
また、善知識の言葉こそ阿弥陀仏の御心と考える、これは善知識が弥陀の代官である限りは間違っていないと思います。
この場合の善知識の言葉、とは、親鸞聖人、蓮如上人の書き残されたお聖教のことです。

もちろん、善知識と言えども生身の人間である限り、間違えることもあると思います。
しかし、「善知識の言葉の下に帰命の一念・・・・」のような間違いがあってはならない場面では間違いが起きないものだと素朴に信じています。
それは一人の人間としての善知識に特別な力があるわけでなく、阿弥陀仏のお力に依るが故だと、単純に思うばかりです。

653:神も仏も名無しさん
08/11/15 02:05:30 5WEv5nP4
>>652
お聖教の善知識方のお言葉から阿弥陀仏の御心を聞こうとすることは
素晴らしいですね。

けれどそのことと、善知識の言うとおりにしたら信心頂ける、というような話は
まったく別です。

>しかし、「善知識の言葉の下に帰命の一念・・・・」のような間違いがあってはならない場面では間違いが起きないものだと素朴に信じています。

場面とは、何か大切な儀式の場面のようですね。
土蔵秘事の方でしょうか。

「善知識の言葉の下に帰命の一念…」とは、本来、善知識の説く教えを、
聴聞し、やがて信心決定すればということです。
ご説法の席かもしれないし、家にいるとき、寝ているときかもしれない。
場所も、していることも、人によってまちまちです。

どこにいて、何をしていようと阿弥陀仏の光明は宿善開発した人に届き、
たちまち信心決定の身になれるのです。

654:7
08/11/15 02:32:37 LJ/wsXPH
>>653 どこにいて、何をしていようと・・・?思わず、光明秘事の方ではないかと決め付けてしまいそうになりました。
     突然、心が地獄に落ちるような経験をしてみたり、突然、心底から阿弥陀仏の声が聞こえてみたり・・・。
     なるほど、あなたは私のことを土蔵秘事の者だと決め付けているのでしょう。仕方の無いことです。

     私は、お聖教のお言葉に基づいている信心かどうかで判断するしかないと思っています。
    自分の心というものは、幻覚と現実を区別する能力を、究極的には持っていないと思うからです。
    信心決定とは真実信心頂くのだから、その南無阿弥陀仏の佛智によって分からせていただくのだ、言われるかも知れません。
    しかし、いつも真実信心は煩悩の厚い雲に覆われているのです。夜中では無く昼間にはなりますが、太陽を直接見ること叶いません。
    信心決定することを、太陽を直接見れることのように思っていると、道を間違えるのではないかと思います。
    私は疑い深い人間ですから、命続く限り、お聖教を拝読しては、我が身の信心の沙汰をしているのだと思います。
    ですから、ちょっとでも自身の信心とお聖教に書かれている信心に違和感があれば、ご同行の皆様に尋ねたいと思います。

   南无阿彌陀佛

655:神も仏も名無しさん
08/11/15 05:16:32 BDTb5V1P
>>653

どうしたら宿善開発できるのかお教え願いたい。




656:神も仏も名無しさん
08/11/15 09:08:58 5WEv5nP4
信心を頂くと言うのは、太陽に照らされるようなものです。

闇の中では、ものの姿かたちも方向も見えません。何を見ても聞いても、
それが善いものかどうか(阿弥陀仏の御心にかなうかどうか)、一切が闇の中です。
だから、人のことばにも必要以上に動揺したり、頼ったりします。

太陽に照らされたなら、たとえそれがどんな曇りの日であっても、
光がありますから、もののかたちが分別でき、方向も見えます。
それと同じように、煩悩に惑わされたままでありながら、
阿弥陀仏の御心にかなうのかどうか、知らされるのです。

>>654
>突然、心が地獄に落ちるような経験をしてみたり、突然、心底から阿弥陀仏の声が聞こえてみたり・・・。

光明秘事とはそういうものなのですか。
暗いところに閉じ込めてから外の光を見せ、「獲信」したと思わせるものかと
思っておりました。よろしければ、そうしたものについて書かれた資料をご紹介願えますか。

破闇の光明とも言われ、廻心ともいわれるように、心が翻えるのですから、
信心決定が、ある種、突然のものであることは確かです。
それを(無意識にせよ)自分の力や他人の力で、人為的にきっかけをつくって成すのか、
まったくの他力によってなさしめられるのか、表面的な違いはそれだけかもしれません。

内面的な違いは、お聖教をまるまる心の中に頂くようなものだと思ってください。
覚えるのではありません。日々体験することを通じて、分からせて頂くということです。
ご説法を聞くとき、お聖教を読むとき、より一層はっきりとわかりますが、
それ以外のときでも、常に全世界が、自分に真実を教えてくださるご縁となることが
わかってきます。

657:神も仏も名無しさん
08/11/15 09:10:08 5WEv5nP4
>ですから、ちょっとでも自身の信心とお聖教に書かれている信心に違和感があれば、ご同行の皆様に尋ねたいと思います。

尊いことですね。あらゆるお聖教をどんどん読まれたらよいと思います。
私もよく拝読します。
こう思ってはおかしいとか、ここはこう解釈すべきだ、などの先入観は交えずに読むと、
本当にたくさんのことを知らせていただくご縁ですね。

>>655
「どうしたら」が自力の親玉です。というか、これを「こうしたらいいのだ」と決めたい、
という、その心ひとつによって、たくさんの間違いが起こってきます。
それでも、常に自分の心を振り返り、お聖教と照らし合わせることが大切だ、とは言えます。

この世の全ての人、もの、ことがらを、自分のためのご説法と有難く真剣に
受け止めていくこと。
何が起きても、阿弥陀仏のご念力によって進ませて頂いているのだと信じていくことです。
その道中に、宿善開発ということがあります。


658:神も仏も名無しさん
08/11/15 09:30:05 5WEv5nP4
仏様のお心はいつも明るく、暖かく、穏やかで、慈悲に満ちています。
また、軽やかで、自由で、平等です。
自分もそうなりたいと、そうなれるのだと思って、日々暮らしていく。
また、できるだけ、そうなれるものに親しみ近づいていきます。

すると必ず、どうしてもそのようにはなれない自分がわかってきます。
仏様の心に添わない自分と知らされ、ついに完全に、正反対の自分だったと
知らされたときが、光明のお照らしにあうときです。
(しかし、このようになるのだと予定して、決め付けて進むことも、またおかしなことです。
道行きとしてはこのようですが、それを期待して「まだか、まだか」と求めることも
自力そのものであると思ってください。)

659:7
08/11/15 10:34:01 LJ/wsXPH
光明秘事の資料ですか。すいません、紙の資料は持ち合わせていないんです。確かに物理的な光を見せて光明が・・・とやる秘事がある、
とネット上で調べたことはあります。私は阿弥陀仏の光が見えた、とかもその類だと思っておりましたので。

その後の書き込みを拝見いたしますと、身調べ系の方のような気もします。罪悪観や無常観をつめていくという・・・。
観相は自力聖道ではありませんか?それに普通の人がそれをやると心が壊れるような気もします。

660:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/11/15 11:50:15 DVfR6UvN
ブログ親鸞仏教 更新しました。
  www.しんらん.jp


661:神も仏も名無しさん
08/11/15 13:01:50 44tjQJJf
>>660
宣伝荒らしはやめろキモヲタ

        /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \   パー──ン       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
      <       (☆)   〉                     /               \
       \ =======,/                  (__i|__i|__リ     ;       |
        /~`ー=、=,=ィ.                  (   ;;    ∪     |
      /    (●)ヾ'(●) \                    ,◎─ 〃⌒)         |
      |    "⌒(__人__)⌒" |    _'そ       (o,;(´   ´_'ノ     ,; ′;| ´  ;  '
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        ヾ  、__゙__il、_,ジ,イ            ヾ、__  ____-‐ー‐\
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662:神も仏も名無しさん
08/11/15 15:02:59 VThXoo0c
また盛り上がってきましたね!
私は特定の善知識と対面して儀式を通じて
信心決定する、という主張を持つグループを
ここで始めて知りました。
他のどこにも資料が出ていないので
いつも興味深く拝見しています。

663:神も仏も名無しさん
08/11/15 21:19:04 BDTb5V1P
このまま、阿弥陀仏の光明を分からずに、
私は死んでいくのかなぁ?
>>658
結局自力の考えじゃないですか?


664:神も仏も名無しさん
08/11/15 22:20:57 53OQ7Ykp
光明なんて分かりようがないなあ。
そんなことお構いなしに、有無を言わさず阿弥陀仏に引かれていってるのかも。
偶然に巡りあったような一念帰命も宿善開発も、仏の遠大な計画の末の出来事かなぁ。
逃げて逃げて、やっと今生捕まった人はおめでとう。
まだの人は逃げるのやめて、お手上げして降参したらいいのかも。


665:神も仏も名無しさん
08/11/16 00:50:30 xqtJdYSY
>>659
なるほど、お返事ありがとうございます。
物理的な光だと、光明秘事というものが疑われるのかもしれませんね。

光明は闇に対する言葉で、わからないものがわかる状態になったことを、
光明を見るとか照らされると表現しています。
(何が分かるのかと言うと、阿弥陀仏の本願がわかることを言います)

>罪悪観や無常観をつめていくという・・・。

罪悪や無常観をつめても、自分の影の頭を自分で踏もうとするようなもので、
追えば逃げますし、どこまで行ってもきりがありません。
大事なのは追うことではなく、目前に迫ってくるものから、目を逸らさないことです。

>それに普通の人がそれをやると心が壊れるような気もします。

何の支えもなしに闇雲にやろうとしたら、壊れるでしょうね。
実際は、阿弥陀仏が支えてくださいますので、壊れずにすみます。
まず阿弥陀仏に近づこう、親しもうとしていくことが、大切だと思います。

>>663
そんなことないですよ。今だって阿弥陀仏のお力は663さんにかかっています。

>結局自力の考えじゃないですか?

他力になるまでは自力しかないですからね。


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