【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ10【信心獲得(決定)】at PSY
【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ10【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch317:あぼーん
あぼーん
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318:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/26 13:34:25 2c200USH
 >>315については、みんな、ダンマリ?
 間違っていてもいいから、食いついてコメントしようという人はいないのか。

 「俺は下品下生ではない」と思っている人は別だが、「俺は自分を下品下生だと
思っている」という人はいるんだろう?。

 自分は下品下生であるのか、下品下生でないのか、それもわかりません。
という人はもっと多いんだろうけどね。

 清沢満之と歎異抄が、思いもよらず、浄土真宗を根本から意味不明の混乱思
想にしてしまった。僕は全くそう思う。

319:261
08/07/27 00:43:32 ePPZJhbT
>315 貴方は下品下生では有りません。ご上人の教えを充分摂取され、弥陀の真髄やその他の仏典
も熟読され、実践されて、現在を生きていらっしゃいます。そして尚、「傲慢ですが」と謙遜され、
他の人に強じる事も有りません。

320:神も仏も名無しさん
08/07/27 01:30:03 M2Ro+ElE
917 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :04/04/20 13:06
 浄土教の先人は「先生(阿弥陀仏)」という言葉を下に創作物語を添えた。それが阿弥陀物語
だ。阿弥陀物語をなぜ作ったのか。「ああ先生」と称えることのすばらしさを伝える手段として
「先生物語」を創作したんだ。阿弥陀仏という化け物がどっかに存在するんじゃない。人は、結
婚すれば、田中さんが鈴木さんと結婚すると鈴木さんに変わる。人は、どう名前が変わってもい
い。しかし阿弥陀仏はそうじゃないんだ。阿弥陀という名前を離れてどっかに存在するんじゃない。
「ああ先生(南無阿弥陀仏)」と称えることはすばらしいことだよということを、人々に伝える
ための道具として、阿弥陀物語が作られたんだ。それが阿弥陀物語なんだ。そういうことを忘れ
ちゃいけない。阿弥陀ではなく、南無阿弥陀仏が尊いんだ。
 阿弥陀仏(先生)は、阿弥陀物語(先生物語)を通じ、南無阿弥陀仏を称賛している。こうい
う構造にこそ、創作者たち先人の知恵がある。南無阿弥陀仏は、我々が口にそれを称えるところ
で実体を持つ。南無阿弥陀仏は、座禅して称えるところに根元的な意味を持つんだ。



321:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 10:12:45 qmHWOVzL
>319
 下品下生の人から「貴方は下品下生では有りません。ご
上人の教えを充分摂取され・・」などとおだてられても、相
手は嬉しくないんじゃないか?

  下品下生の人からは「アホ・馬鹿」と言われた方が、安
心する人の方が多いと思う。
 上品上生の人から「貴方は立派な人だ」と言われれば、
これは名誉なことだろう。
                         -苦笑- 
 

322:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 11:53:58 qmHWOVzL
>321
 まあ、319を見ると、まさにこれこそが、典型的な下品下生
の見本であるということも、まあ、言えるわな。

 浄土真宗に嵌った人間には、こう奴が実に多い (苦笑

323:神も仏も名無しさん
08/07/28 13:03:31 niluCmUr
どうでもいいけど、苦笑というのは見苦しいものだね。

324:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 14:26:19 qmHWOVzL
>323
>見苦しいものだね。

僕の感情は、貴方に到達しようだね。
 >>319 のカキコを見て僕が感じた見苦しいという思いを伝えたい。苦笑にはそう
いうメッセージがある。
 
 こういうことは、へたに言葉で説明しても伝わらない。苦笑という表現なら、少なく
とも一部の人には伝わるだろうと思っていたのさ。

 苦笑にはもっと伝わって欲しい思いはあるんだが、全部伝わるとは、僕も思って
ない。貴方のカキコで、思いの5割から6割程度伝わった人がいるということがわ
かったよ。


325:神も仏も名無しさん
08/07/28 16:54:08 wkaGHQbH
まあ、どうとでもいいたまえ。(苦笑

326:風
08/07/28 21:26:31 OwwjA3Zn
 私は聞いております人は皆神佛の子であり、それは変わらないと。南無阿弥陀佛とは「貴方は神佛の子であると言う約束である」と。それ以外無いのだと。

327:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 21:30:48 qmHWOVzL
>325
<苦笑>にはTPO(時と場所と場合)が必要。
使うところを間違えると間抜けになる。

 気位の高い人は気を付けた方がいい。(苦笑)

328:あぼーん
あぼーん
あぼーん

329:神も仏も名無しさん
08/07/29 01:01:28 zCspY7+r
>>320

まあ、320を見ると、まさにこれこそが、典型的な基地外

の見本であるということも、まあ、言えるわな。


330:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/29 12:05:31 xgq8jUa5
>329
 日本人の先祖達は、「桃太郎」という架空の人物の元に創作物語を添えた。それが「桃太郎物
語だ」。
 「桃太郎物語」をなぜ作ったのか。「善を行え。悪をするな」といことの大切さを伝える手段
として「桃太郎物語」を創作したんだ。犬や猿やキジと会話するそんな化け物がどっかに存在す
るんじゃない。吉備団子を喜ぶキジがいるわけがない。人は、結婚すれば、田中さんが鈴木さん
と結婚すると鈴木さんに変わる。人は、どう名前が変わってもいい。しかし桃太郎はそうじゃない
んだ。桃太郎という名前を離れてどっかに存在するんじゃない。
 善をすることは大事なことだ。悪いことをしてはいけないんだ。こういうことを、少年少女に伝え
るための道具として、桃太郎物語が作られたんだ。それが桃太郎物語なんだ。そういうことを忘
れちゃいけない。
 桃太郎が偉いんじゃない。桃太郎は架空の人物なんだ。それよりも、桃太郎を見習って、一人
一人が善をすることが大事なんだ。悪をしないことが大事なんだ。桃太郎物語は、物語を通じ、
善を称賛し、悪を懲らしめている。こういう構造を子供達に示そうという働きにこそ、物語創作
者たち先人の知恵がある。
 善は我々がそれを実行するところで実体をもつ。悪はそれをしないことで意味を持つ。南無阿
弥陀仏は、座禅して称えるところに根元的な意味を持つんだ。


 まあ、↑を見ると、まさにこれこそが、典型的な基地外の見本であるということも、まあ、言
えるわな。(by >>329  -329の笑話-)

331:神も仏も名無しさん
08/07/29 18:34:53 zCspY7+r
>>330
923 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :04/05/03 23:44
>>877
>架空ではないだろ?

 架空でなかったら何なんだい?。架空と言っても、原型はあるんだよ。原型はもちろん釈迦だ
よ。原型は釈迦でも、阿弥陀が架空ということには変わりがない。
 あんたらは、犬に吉備団子を与え、日本一の旗を掲げて鬼退治した桃太郎を、実話と思うか。
架空と思うか?。
 阿弥陀仏が架空でなかったら何なのか。答えが出るまで、おぬし、豆腐の角に頭を休めて、坊
主を名乗るのを辞めとくといいi。

名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/06 20:33
>>354
>南無阿弥陀仏といへる行体は、すなはちわれらが浄土に往生すべきことわりを、
この六字にあらはしたまへる御すがたなり

 我々には霊魂がある。死んだら霊魂は冥界に行く。冥界には王様がいる。王様
は、存在を信じてくれた人だけ、自分の冥界に引き入れてくれる。冥界の王様を
信じると、あ~ら、不思議とばかりに、体から霊波が出て、あの世に一瞬で届く。
死ぬまで信じ固めていくと、冥界の王様を信じた霊波で、王様の世界に引き入れ
られ、霊魂は清められる。ああ、ありがたい。ありがたい。
 冥界には王様がいないという人が一人でもいると、今度は、その全員が冥界に
入れなくなる。連帯責任だ。だから、みんな信じないといけない。王様の実在を
信じ固め、死んだら王様の冥界に行きましょう。
 栗花さん。あなたが言いたいことはそういうことなんだろう?。親鸞だの信心
だの、仏教だのと言わなくても話ができるじゃないか。


332:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/29 19:34:04 xgq8jUa5
>>330
 僕は、自分が過去に2ちゃんねるで書き込んだ記事が、2ちゃんねるの中で
コピペされることはある程度我慢しているが、こうもやたら書き込むと、まるで
ここのスレッドが渡海学校の教室のようになって、不愉快に思う人もいるだろう。

 ここのスレッドは、渡海思想を学ぶところではない。僕は、自分の発言に責任
を回避するつもりはないが、掲示板の議論には流れがある。勢いもある。そうい
う背景を無視してコピペされることは、僕にとって愉快ではない。
 僕の中でも、考えには変化があり、以前の考えていた考えを今は持ってないこ
とも多い。書いた本人が忘れているものもある。

 無意味なコピペは自粛したらどうだ

333:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/29 19:35:40 xgq8jUa5
>332  m(_ _)m

誤 >> 330
正 >>331

334:神も仏も名無しさん
08/07/29 20:20:52 zCspY7+r
972 名前: 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 04/04/24 21:47

>>965
> 十分、汗かいてるよ。

 汗かいてる?。うん。それならもう心配することはない。
 十分あせかいてる人に、重ねて汗をかけなどと、僭越なことは言わないよ。
 汗を掻いていても、困ったときがくれば、座禅して念仏してみなさい。どこか
に活路は見つかるだろう。

 困ってから、急いで念仏称えても間にあわんかもしれん。そう思ったら、
困ってないときから、こまめに称える習慣をつけるといい。背筋を伸ばし
腹式呼吸しながら息を整え、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えるといい。
それだけで、もし、気づかなかった問題が見つかれば、それも儲けもんだ。

 親鸞さんも、お釈迦様も、965が幸せになること以上のことは、望んでいない。


335:神も仏も名無しさん
08/07/29 20:32:34 7ObnN2eA
>ここのスレッドは、渡海思想を学ぶところではない。

だったらこのスレに来るな。つーかこのスレの秩序を乱す渡海はこのスレに必要ないから。

336:神も仏も名無しさん
08/07/29 20:55:36 zCspY7+r
渡海は自分の書いた事も覚えてられない認知症

渡海、お願いだから来ないでね!

あ!言っても理解出来ないから、無駄なんだ・・・・・・・・・・

337:神も仏も名無しさん
08/07/30 07:00:18 tjn5AYR4
まことの信を定められてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、そらにみちみちて、
釈迦のをしへ、 弥陀の本願はひがことなりと仰せらるとも、一念も疑あるべからず

338:7
08/08/01 09:15:57 1Sk/mheD
まことの信を定められてのちには・・・・

そう、「定められて」と示されていることが本当に有り難いですね。仏の方より往生は治定せしめたもう・・・。

南无阿彌陀佛

南无阿彌陀佛

339:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/02 10:45:38 s54hCTmD
>337
>まことの信を定められてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、そらにみちみちて、
釈迦のをしへ、 弥陀の本願はひがことなりと仰せらるとも、一念も疑あるべからず。

 そうか、いいことをしなければいけないんだ。悪いことをしてはしてはいけないんだと分かる
と、非常に多くの人々が、そのような努力をされていることに気づかされてきます。

 ああ、あの人も桃太郎さんみたいだ。こっちの人も桃太郎さんみたいだな。あっ、頑張って
いる桃太郎さんは、向こうにもいるぞ。そっちの方にもいるぞ。桃太郎さんは、実にあらゆると
ころ、空に満ち満ちているように思えてくるでしょう。

 桃太郎さんの教え、つまり、 いいことをしなければいけない。悪いことをしてはしてはいけな
いという教えは、仮に間違っているという歪んだ主張をする人がいても、それに引きづられて
決して疑いを持ってはいけません。
 
念仏を称えることが大事なんだなと分かれば、弥陀のような仏、釈迦のような仏は、そらにみ
ちみちているように思えてきます。念仏を称えることが大事なんだという釈迦の教え、 弥陀
の本願は間違っていると、誰かが言っても、それに引きづられて疑いを持つべきではありま
せん。


340:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/02 18:17:03 s54hCTmD
>338
 いいことをしなければいけない。悪いことをしてはいけない。こういう確信、
認識観、世界観は、架空ではあっても、桃太郎さんが私たちに持たせてく
れる。桃太郎さんは架空だけど、本当に有り難いですね。

 そうか。念仏は大事なんだな。念仏することは大切なことなんだな。こう
いう確信は、架空ではあっても、阿弥陀物語に登場する阿弥陀仏が、時
代を超えて持たせてくれる。阿弥陀仏さんは本当に有り難いです。

 南无阿彌陀佛 南无阿彌陀佛

341:神も仏も名無しさん
08/08/03 09:44:27 55w8Wbsl
>>338

>そう、「定められて」と示されていることが本当に有り難いですね。仏の方より往生は治定せしめたもう・・・。

そやね。だから念仏行者は義なきをもって義とするんやね。
義とは行者のはからいと祖師は言われとりますがな。

まことの信には信心守護の益がありますし、阿弥陀さんの心は金剛心ですから。

342:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/03 11:29:13 OvQaSf3J
>>341   議論の結論に異議を差し挟むつもりはない。考えのプロセスに賛成しかねる。

>そやね。だから念仏行者は義なきをもって義とするんやね。義とは行者のはからいと祖師は言
われとりますがな。

 念仏行者は義なきをもって義とすると言ったのは誰?

 親鸞は言う
他力には義なきを義とす
 <尊号真像銘文末 末燈鈔 浄土三経往生文類 親鸞聖人血脈文集 如来二種回向文>

他力不思議にいりぬれば 義なきを義とすと信知せり
        <正像末和讃>
他力には義なきを義とすとしるべきなり。
        <正像末和讃>

他力と申すことは、義なきを義とすと申すなり。<消息>
如来の誓願には義なきを義とすとは、大師聖人の仰せに候いき。<消息>
このゆえに他力なり。義なきがなかの義となり。<消息>
義なきを義とすと、他力をば申すなり。<消息>
他力と申すは、行者のはからいのちりばかりもいらぬなり。かるがゆえに、義なきを義とすと申
すなり。<消息>
弥陀の本願を信じそうらいぬるうえには、義なきを義とす<消息>
他力ともうすは、仏智不思議にてそうろうなるときに、煩悩具足の凡夫の無上覚のさとりをえそ
うろうなることをば、仏と仏とのみ御はからいなり。さらに行者のはからいにあらずそうろう。
しかれば、義なきを義とすとそうろうなり。義ともうすことは、自力のひとのはからいをもうす
なり。他力には、しかれば、義なきを義とすとそうろうなり。        <消息>

343:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/03 11:31:11 OvQaSf3J
 歎異抄は言う。
 念仏には無義をもって義とす。
 念仏は、無碍の一道なり。
 念仏は行者のために、非行非善なり。

 金子大栄は言う。
 「念仏者は無碍の一道なり」。
 「念仏者は」念仏(者)は、者を「は」と訓したるものが、「者は」と連書された。(岩波文
庫 金子大栄)。

 念仏行者は義なきをもって義とすると言ったのは誰?
 これは、2ちゃんねるの341が初めてではないか?


 自説を立てることに僕は反対はしない。絶対的孤立的一人説であることは、なんの支障もない。
しかし、自説は自分の責任で立てるべきであり、祖師が言っていると誤解することは、厳重に避
けたいものだ。

 なお、ついでながら、念仏者は無碍の一道なりと読む金子大栄流の読み方に、渡海難は反対し
ている。
 「念仏には無義をもって義とす」という歎異抄の考えにも、渡海難は反対している。
 いずれも理屈に合わないと考える。

 「他力には義なきを義とす」これは正しい。親鸞の考えだから正しいのではなく、もっとも自
然で素直な分かりやすい考えだから、僕はこれに賛成する。


 自分はどのようなことを考えてもいいが、それが自分から発した説か、他人からの説かは、明
瞭に意識しておくべきでしょう。


344:神も仏も名無しさん
08/08/03 15:42:05 5RgsvS7x
座禅して自力で念仏称えるのだから、無義の義というのは理屈に合わないだろね。
でも、まったくはからわない、てのも考えてみれば無理な話に思える。
こういうところになると298さんの説なんかが、なるほどと思えてくるけどなあ。



345:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/03 16:14:01 OvQaSf3J
>>344
 「王いま座禅してただ当に念仏すべし」と。(行の巻)

 お釈迦様と法照様と親鸞様に申し上げる。あなた方の理屈では、座禅して自力で念仏称えるの
だから、無義の義というのは理屈に合わないだろね。でも、まったくはからわない、てのも考え
てみれば無理な話に思える。
 
 親鸞様に申し上げる。貴方の説は無義の義という理屈に合わない。平成時代、2ちゃんねると
いう掲示板にご登場遊ばされた298さんの考えには、なるほどと思えてくるものがある。親鸞さ
んよ。貴方の説は、298さんの考えには及ばないよ。  (by 344)


 この上は、念仏をとりて信じ奉らんとも、また捨てんとも、面々の御計らいなりと云々(親鸞)


346:神も仏も名無しさん
08/08/03 16:34:54 5RgsvS7x
なんか、親鸞さんに成り代わって説明してるみたいだ。
その姿勢は、最早すがすがしいね。
自分の信心に一片の疑念もないんだろね。
ひとえに「王いま座禅してただ当に念仏すべし」に依る、ですか。
よくそこまで解釈できたものだよね。すげーや。
おれなんか、あーでもないこーでもない、だもんなあ。
ほんとすげーです。うらやましくはないけど。


347:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/03 17:24:15 OvQaSf3J
>346
>なんか、親鸞さんに成り代わって説明してるみたいだ。
  単なる受け売りだ。僕は親鸞さんの腰巾着みたいなもんだからね。

>その姿勢は、最早すがすがしいね。
  他に能がないだけさ。

>自分の信心に一片の疑念もないんだろね。
  親鸞さんの信心に疑念がないだけさ。自分の信心は、疑いの固まり
だよ。

>ひとえに「王いま座禅してただ当に念仏すべし」に依る、ですか。
  そうだね。

>くそこまで解釈できたものだよね。すげーや。
  解釈なんかしてないだろう。親鸞さんの言っていることを、そのまま
伝えているだけだよ。述べて語らずだよ。教行信証読んでごらん。そのま
ま書いてあるだろう。本願寺発行の教行信証には墨が塗ってあるんなら、
岩波や角川のを読むといい。

>おれなんか、あーでもないこーでもない、だもんなあ。
  幸せだからだろう。

>ほんとすげーです。うらやましくはないけど。
  僕も貴方を羨ましくないよ。おあいこだな。


348:あぼーん
あぼーん
あぼーん

349:神も仏も名無しさん
08/08/04 11:42:32 fN3e3ynW
>>347

>「念仏には無義をもって義とす」という歎異抄の考えにも、渡海難は反対している。
 いずれも理屈に合わないと考える。

まあ、理屈で考えれば納得できないんだろうなぁ。

>「王いま座禅してただ当に念仏すべし」

都合に合う部分だけ納得するわけか。聖教よみの聖教しらずだわな。
観経さんもう一遍読み直してみ。では。

聞其名号 信心歓喜 乃至一念。

350:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/04 12:33:08 DM8tmBP1
>>349
> まあ、理屈で考えれば納得できないんだろうなぁ。

 それじゃ貴方は、納得しているのか?
 納得しているんじゃなく、もっと単純なんだろう。理屈で考えることができない。疑い、そして自
分で考えるということが貴方にはできないだけだろう。

 聞より生じて思より生ぜざる、このゆえに名づけて「信不具足」とす。
 超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。

 考えの結論は合っているか違っているか知らないけど、僕はこの問題について、聞き、そして
思索していると、僕は自分を信じているよ。

 信謗共にあるべし。
 「理屈を考える。聖教を妄信しない。自分の頭で考える」こういう作業を自分でするというこ
とを夢にも思ったことのない坊さんには、思いもよらないことだろう。

351:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/04 12:37:48 DM8tmBP1
>都合に合う部分だけ納得するわけか。聖教よみの聖教しらずだわな。

 妄信しない。批判的に自分で考える。批判の余地があるところと、余地のないところを峻別す
る。これは宗教だけでなく、あらゆる事で重要な姿勢だ。批判の余地あるところは、正論はなに
かを考える。
 僕の聖教の読み方は完全だなどと、自分で思ったことはないが、僕の読み方でおかしいと貴方
が思ったところはどこだい?。例が挙がるか?。挙がらないだろう(苦笑)。

 貴方は根拠もなく反発しているだけだ。聖教を思索的に読んでない人には、批判しようにも批
判ができない。思索的に読んでないから批判できないという人は、信心があるんじゃない。妄想
して、自分で自分に騙されているだけだ。
 道を歩いて虫を殺せば、鬼だ・畜生だなどと、そんなノータリンを考えていても、ノータリンを考
えている自分に気が付かない人がいた。いろんな妄想・迷想が頭の中でぐちゃぐちゃになってい
て、それで自分は信心があると妄想している。
 貴方がそうかどうかは知らないが、そんな人からなら、聖教よみの聖教しらずと言われれば、
名誉なことだ。

> 観経さんもう一遍読み直してみ。では。聞其名号 信心歓喜 乃至一念。

 これは誤記か? もしかすると、これがどこに書いてあるのかも知らないんじゃないか?。聖
教よまずの聖教しらずなんじゃないか?。貴方は、仏教のことについて発言するのは、十年早す
ぎるかも知れんぞ。もう少し勉強してこい。(苦笑)

 ブログ親鸞仏教、更新しました。 www.しんらん.jp

352:あぼーん
あぼーん
あぼーん

353:神も仏も名無しさん
08/08/04 16:12:56 fN3e3ynW
>>350-351

やはりこの程度か。わが字ぢからをもって聖教を読むとこうなる。
まあ自力のうちはそれでもよかろうさ。

しかし自流を立てるのならば真宗という字は使わない方が宜しかろう。
聖教の相伝もなきくせ法門は蓮如さんの時代からあったわけだから。

まあ、邪説である以上それを改める意味で改邪鈔があなたにはふさわしい。

「それ本願の三信心と云うは、至心・信楽・欲生これなり。
まさしく願成就したまうには、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」(大経)とらとけり。
この文について、凡夫往生の得否は乃至一念発起の時分なり。
このとき願力をもって往生決得すと云うは、すなわち摂取不捨のときなり。
もし『観経義』によらば、「安心定得」といえる御釈、これなり。
また『小経』によらば、「一心不乱」ととける、これなり。
しかれば、祖師聖人御相承弘通の一流の肝要、これにあり。
ここをしらざるをもって他門とし、これをしれるをもって御門弟のしるしとす。」

三経に安心あり。さて上記を知らざるをもって他門とするわけだ。
ではでは。

354:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/04 19:57:59 DM8tmBP1
>353
> まあ自力のうちはそれでもよかろうさ。

 貴方は、それで自分には他力の信心があると思っているのか?(苦笑)

まあ、なんでもいいよ。どうせ、仕事は坊さん業をやっているんだろう。今
度は書籍名と中身とは間違えてないようだ。気を付けたようだね。

 改邪鈔のここに書いてある内容は難しくない。貴方も、その意味くらい、
理解できるようになるといいのにね。まともに読んだことはないんだろう。
この意味が分かる人は、貴方の回りにもほとんどいないんだろう。

 観無量寿経に何が書いてあるかも分からない内は、難しいだろうね。
それともここで、貴方が詳細を解説してみるか?

 はは。冗談冗談。(笑)

355:あぼーん
あぼーん
あぼーん

356:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/07 13:51:41 5yrxdcfV
 最近、298さんが見えないね。このスレで、唯一、僕が高く買ってた
人物なんだけど、僕が少し強く言いすぎたかな?

 信心がしっかりあって、聖教もきちんと読める人で、しかも彼が尊敬
できる人に出会えると、一気に開花するんだろうけどね。そう言う人は
非常に数が少ないということなんだろう

357:神も仏も名無しさん
08/08/07 14:24:18 UbyWcG6e
>>356

なんだ、その上から目線w単純に不快なんだが。

358:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/07 14:45:04 5yrxdcfV
>357
 郷に入っては郷に従え。物事にはTPOがある。2ちゃんね
るには、2ちゃんねるの文化がある。2ちゃんねるはことのほ
か、あくが強いところだ。
 もともと気位が高く、僻みの激しい人には、耐えられない領
域だ。ここでは、面の皮に厚さが必要だ。


359:神も仏も名無しさん
08/08/07 15:19:08 CKtX/Kr+
>>356

>僕が少し強く言いすぎたかな?

心配いらないよ。問題にしていないと思う。

360:あぼーん
あぼーん
あぼーん

361:神も仏も名無しさん
08/08/08 08:12:22 uULjBeM4
>>356

君ほど暇じゃないんだろう。

>信心がしっかりあって、聖教もきちんと読める人で、しかも彼が尊敬
>できる人に出会えると、一気に開花するんだろうけどね。そう言う人は
>非常に数が少ないということなんだろう

で、君はそういう師に出会ったのかな?

362:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/08 10:32:46 jIizuwUr
>361
>君ほど暇じゃないんだろう。

 僕の環境を自分の勝手な想像で決めつけたい衝動があるようだね。僕がここに出入りしているこ
とが不愉快なんだろう。言っておくが、僕は暇で2チャンネルに来てるんじゃないよ。自分の生涯の
残り時間はわずかだと思うから必死になって、今、使命感を感じて書き込んでるんだ。

>で、君はそういう師に出会ったのかな?

 もちろんだとも。僕が師に出会ってないとでも思ったか。僕が出会ったときには、既に故人だっ
たけどね。僕の使命感は師の遺訓だと信じているよ。

 見ず知らずの人にいきなりものを尋ねる場合、「君」という二人称は言葉を使わない方がいい。
一番一般的なのは、「貴方」という表現だ。

 「君」という表現は、僕に対する不快な感情を込め、敢えて使っているんだろうが、前ぶれもなく
匿名で露骨に不快感をぶつけたくなったら、自分には相手がまともに見えなくなっていると思い、
自分の精神状態を疑うべきだろうね。

363:神も仏も名無しさん
08/08/10 16:00:46 yzHQAVvj
渡海氏のお師匠さんは800年前に故人となられた御開山ですか。
師の遺訓と信じて渡海流念仏にやよ励む。結構なことですな。


しかし298氏がこなくなって、このスレ急に静かになってしまったね。
やはり彼の発言は、寺院さんとかには見過ごしに出来ない内容だったんだろね。
書き込みにみんな気合が入っていたものね。
実際、浄土真宗の根幹にかかわることだったのかもしれんよね。


364:神も仏も名無しさん
08/08/10 21:12:25 LsV7f5rr
良いじゃ無いですか。別に御仏と御念仏と御開山様にとって、浄土真宗なんて関係ないから潰れたって困らないし。

365:神も仏も名無しさん
08/08/11 20:07:38 sJFjgwwW
>>363

>実際、浄土真宗の根幹にかかわることだったのかもしれんよね。

う~ん。そう思うよ。
真宗の理想像?みたいなもの考えさせられたからね。

366:神も仏も名無しさん
08/08/12 11:45:57 ucQolQqE
>363
 父の王にいうてのたまはく、王いま坐禅してただまさに念仏すべし。あに離念に同じて無念を求めんや。 
(行の巻)

親鸞氏のお師匠さんは親鸞氏より500年前に故人となられた中国の法照さんですか。師の遺訓と信じて
親鸞流念仏にやよ励む。親鸞さん、あなたもまあ、結構なことですな。わたしゃ、その手には乗りませんよ。

親鸞様に申し上げる。貴方の説は無義の義という理屈に合わない。平成時代、2ちゃんねるという掲示板
にご登場遊ばされた298さんの考えには、なるほどと思えてくるものがある。親鸞さんよ。貴方の説は、298
さんの考えには及ばないね。  (by >>344)

しかしニクヤ氏がこなくなって、このスレ急に静かになってしまったね。やはり彼の発言は、寺院さんとか
には見過ごしに出来ない内容だったんだろね。書き込みにみんな気合が入っていたものね。(親鸞は自力
の人・坐禅の人だが、ニクヤ氏は完全他力の人。いよいよ親鸞を超える信心の人が登場したわけでこれ
は)実際、浄土真宗の根幹にかかわることだったのかもしれんよね。

 浄土真宗も、いよいよ「2ちゃねんるニクヤ宗」に名前を変更して、ニクヤさんに他力の真実を教わる時
代に入ってきたようだ。道を歩いて虫を殺せば、鬼ケダモノだという人が登場する時代だから、何があっ
ても僕は驚かないよ。

>>365

>う~ん。そう思うよ。 真宗の理想像?みたいなもの考えさせられたからね。


親鸞聖人の思いもよらなかった珍しき教えを説くのが真宗の理想像なんだろう(笑)。


367:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/12 11:47:37 ucQolQqE
>366
 ↑
 渡海 難がカキコしました。 


368:神も仏も名無しさん
08/08/12 12:23:28 z3DuH9eV
>>366

>父の王にいうてのたまはく、王いま坐禅してただまさに念仏すべし。あに離念に同じて無念を求めんや。(行の巻)

念仏三昧を勧める場所だね。
そこで直ちに座禅念仏としては誤りだよ。

行巻の先を拝読してみよう。

『仏本行経』に依る。   法照
何者をか、これを名づけて正法とする。  

もし道理に箇らば、これ真宗なり。
好悪いまの時、須らく決択すべし。  
一一に子細朦朧することなかれ。

正法よく世間を超出す。  
持戒・座禅を正法と名づく。
念仏成仏はこれ真宗なり。  

仏言を取らざるをば、外道と名づく。

因果を撥無する見を、空とす。  
正法よく世間を超出す。

禅律いかんぞこれ正法ならん。  
念仏三昧これ真宗なり。

対にして語られてるね。
念仏三昧これ真宗なり。ここに極まるわけさ。

369:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/12 12:59:22 ucQolQqE
>368
>念仏三昧これ真宗なり。ここに極まるわけさ。

 真宗があれば正法はいらないということか? 二者択一じゃなく、道理に相応した付随的多面性
だよ。

 聞法悟道して真常を證す  何者をかこれを名づけて正法と為る 若しこの道理ならばこれ真宗
なり 好悪この時にすべからく決着すべし 一々に汝くはしく朦朧とすることなかれ
 (五会法事讃略称 親鸞作 親鸞真筆 専修寺蔵)

 持戒坐禅を正法と名づく 念仏成仏これ真宗なり 仏言を取らざるを外道と名づく 因果なしとの
見を発すれば空となす

 禅律如何これ正法なり 念仏三昧これ真宗なり 了心を見性せばすなわち是仏なり いかんぞ
道理相応せざらん

 念仏は声声に仏種を下す 坐禅持戒は真功を用いてなり 汝若し修せずしてすなわち仏になると
いはば 喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし

 
 坐禅持戒は非常に重要である。なぜそれが重要なのか。念仏に具体的な効果を具現したいか
らである。禅持戒を疎かにすれば、それは腹の空いた人が自分に向かって吹いてくる風を、腹の
中に押し込めようとするものであり、腹の足しにならないからである。念仏すれば仏になるからと
言って、腹をすかせたままの仏になって、どれだけの意味があるというのか。


 風を腹に蓄えて空腹の足しにしたいと思えば、それもいいだろう。僕は付き合いかねるね。


370:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/12 12:59:58 ucQolQqE
>369
 あげ


371:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/12 13:06:02 ucQolQqE
>369
誤 五会法事讃略称 親鸞作

正 五会法事讃略抄 親鸞見聞集

372:神も仏も名無しさん
08/08/12 14:21:29 z3DuH9eV
>>369

なるほど。正法とは何かと言いたいわけだね。
ただ、それが座禅念仏であると言えば誤りになる。

正法とはこれ念仏三昧、すなわち佛名を称するに尽きる。

また行巻を拝読してみよう。

(観経義疏)三論の祖師、嘉祥の云わく、問う、念仏三昧は何に因ってか、よくかくのごとき多罪を滅することを得るや、と。
解して云わく、仏に無量の功徳います。仏の無量の功徳を念ずるがゆえに、無量の罪を滅することを得しむ、と。已上

(大経義疏)法相の祖師、法位の云わく、諸仏はみな、徳を名に施す、名を称するは、すなわち徳を称するなり。
徳、よく罪を滅し福を生ず。名もまたかくのごとし。もし仏名を信ずれば、よく善を生じ悪を滅すること、決定して疑いなし。
称名往生、これ何の惑いかあらんや、と。已上
禅宗の飛錫の云わく、念仏三昧の善、これ最上なり。万行の元首なるがゆえに、三昧王と曰う、と。已上

個人的には渡海難さんの考え方は嫌いじゃない。
ご聖教の読み込みもそこら辺の坊さんより遥かに上だと思う。


373:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/12 16:10:46 ucQolQqE
>>372
 念仏三昧は、これ真の無上深妙の 禅門なり。  ~ 今「大無量寿経」によって五会に仏を念
ず。 ~ 五とはこれ会数なり。会とは集会なり。かの五種の音声、緩より急に至るまで、仏法
僧を准念して更に雑念なし ~ 父の王に曰く、王今坐禅してただ当に念仏すべしまた、 ~ 
また共に諸仏が定を印とすべきところなり。また如来禅と名づく、二乗外道等の禅にあらず。ま
ことに知るべし。 (五会法事讃略抄 宗祖真筆 親鸞見聞集)

 親鸞さんよ。なるほど貴方は正法とは何かと言いたいわけだね。ただ、それが座禅念仏であ
ると言えば誤りになる。念仏三昧は、禅門であると言えば、これは間違いだよ。
 個人的には親鸞さんの考え方は嫌いじゃない。ご聖教の読み込みもそこら辺の坊さんより、
親鸞さんの方が遥かに上だと思う。

 座禅念仏?知らんなぁ。??
このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々。

 親鸞さんは、最近のそこら辺の坊さんより上かどうか知らないが、すくなくとも372よりは上
だろう。

>>372さんよ。あなたは、>>365さんとともに、→ URLリンク(shinshu.in)ここで教わってくるといい。
298さんのホームページだそうだ。親鸞が足元にも及ばないびっくりするような教えを説いて
くれているぞ。教えを学ぶ相手をこっちに乗り換えた方がいいぞ。



 以後、この問題でコメントは無し。 しばらく多忙。


374:298
08/08/14 09:47:51 B1g6af96
「道を歩いて虫を殺せば、鬼ケダモノ」という見解が、それほど的外れであるとは、私は思いません。

そのようなことをしないように気をつけても、免疫系は殺生をしています。

また、自分から関わりの遠いところでも、殺生は日々起こっており、
それをとどめるために真剣な私であるわけでもありません。

これらは結局、私が自身を優先していることの現れです。

このような心を持つ私は、本来救われない自分だからこそ、
他力の有り難みを感じます。

ひどい私ではありますが、弥陀は救ってくださいました。

そこにご恩を感じております。

南无阿彌陀佛

375:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/14 14:52:30 0fxuj537
>374
 コメントするのも馬鹿馬鹿しい。

 それより、 ブログ親鸞仏教 更新しました。

 www.しんらん.jp/

 田中氏の議論の続きを書きました。

376:神も仏も名無しさん
08/08/14 14:54:27 0zH6SAld
>373
覚如、蓮如が座禅して念仏するべしと勧化した文証は未だ挙げられていませんが?
また、親鸞が仮に座禅をして念仏をすることを勧めていたならば、
和語の聖教にも多く載っているはずです。よろしければ、こちらも文証をおあげ下さい。


377:神も仏も名無しさん
08/08/14 16:25:09 HsC0L7rn
>>376

だから、渡海なんて相手にするレベルじゃねーってのw
自分の字ぢからで聖教解釈して勝手に自説を言ってるだけ。

これを信じるもの無間地獄に堕罪するものなり。

378:神も仏も名無しさん
08/08/15 13:20:52 0vJ1EclJ
>374
真実の行信を獲れば、必ず十種の益を得ると言われます。
正定聚不退転の徳の体は、法蔵菩薩の六波羅密行のお徳、自利利他行のお徳と全く変わることはない。
法蔵菩薩の行徳が、私たちにとってはこの上無い利益となるわけですね。
だから、今生きている所に必ず十種の利益があると。
今まで、蚊もぱちんと叩いて当然だったのが、当然の事じゃなくなるんだね。
その利益のあらわれの強弱は人によって異なるけれどね。


379:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 10:06:55 YIcp2nj5
>>376
>覚如、蓮如が座禅して念仏するべしと勧化した文証は未だ挙げられていませんが?
 そんなものは十年、百年待ってもでないでしょう。それがどうしたの?

>親鸞が仮に座禅をして念仏をすることを勧めていたならば、和語の聖教にも多く載っているは
ずです。

 誰一人、念仏など勧めていませんよ。誰かが勧めているとでも思っているんですか?

 このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり
(歎異抄)。

 念仏せよとか、座禅して念仏せよとか、坊主になれとか、そんなこと誰かが貴方に勧めている
んですか?。坊主になってほしいなどと、貴方に口酸っぱく懇願している人が一人でもいるんで
すか?。いないでしょ。何なら、そんな人の名を一人でも挙げてみなさいな。いるはずもないで
しょ。
 貴方には、念仏も座禅も必要ない。念仏など忘れ、坊主も捨てて、自分が一番気に入った
人生をひた走りに歩んで行ったらどうですか。

380:あぼーん
あぼーん
あぼーん

381:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 10:26:02 YIcp2nj5
>>377
>自分の字ぢからで聖教解釈して勝手に自説を言ってるだけ。これを信じるもの無間地獄に堕罪
するものなり。

 渡海難を「字ぢからで聖教を解釈している」と非難するのはいいが、少し早すぎるんじゃない
か。おぬしは、「五会法事讃略抄」という書物の名を聞いたことがあるか?。ないだろう。おぬ
しの周りでさえ、この書物の名に関心を持ったことがある人がいるか?。いないだろう。

 如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じていまだ六部を信ぜず。このゆゑに名づけて聞不
具足とす。

 聖教データベースでさえ五会法事讃略抄をはずしているんだから恐れ入る。親鸞の真筆につい
ては、明治・大正時代に外国から鑑定技術が輸入され、その結果、飛躍的に発展した。
 「五会法事讃略抄」は、歎異抄とは一見するとまっ反対のことが書いてある。読めば、これま
での理解が激変するだろう。「字ぢからで聖教を解釈している」と非難するのは、親鸞の真筆書
くらい自分の目で読んでみてからにしたらどう?。それでなければ、「字ぢからで読んでいる」
と言うのは、単に、おぬしの妄想ということになる。

 まあ、あなたは、宗祖の言葉が聞こえる耳のある人ではなさそうだ。宗祖の書き物を読める目
のある人でもなさそうだ。貴方のような人なら、僕を「字ぢから」と非難するのは勝手だ。ここは2
ちゃんねる。あなたも好きに発言すればいい。

382:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 10:29:11 YIcp2nj5
>>378
>真実の行信を獲れば、必ず十種の益を得ると言われます。
 真実の行信を獲なければ、十種の益は得られないと言われています。

>正定聚不退転の徳の体は、法蔵菩薩の六波羅密行のお徳、自利利他行のお徳と全く変わること
はない。

 邪定聚・退転・輪廻の本体は、「法蔵菩薩の六波羅密行のお徳、自利利他行のお徳」と縁もゆ
かりもあるわけがない。

>法蔵菩薩の行徳が、私たちにとってはこの上無い利益となるわけですね。
 法蔵菩薩の行徳は、邪定聚機には、全く無益となるわけですね。

>だから、今生きている所に必ず十種の利益があると。
 今生きている邪定聚機には十種の利益などがあるわけがない。

>今まで、蚊もぱちんと叩いて当然だったのが、当然の事じゃなくなるんだね。
  邪定聚機には、ときおり、神経症に見舞われる時期もある。

>その利益のあらわれの強弱は人によって異なるけれどね。
  神経症のあらわれの度合いは、邪定聚機でも、人それぞれでしょう。神経症は治る病気だ。
多少重くても気にするな。


383:あぼーん
あぼーん
あぼーん

384:神も仏も名無しさん
08/08/16 10:51:52 DvREN0gb
>>381

>おぬしは「五会法事讃略抄」という書物の名を聞いたことがあるか?。ないだろう。

だから字ぢからだっていってるのw分かる?行巻によく引用されている以上拝読しますわ。
自分だけが読んだことがあると思ったらあなたの世界はあまりに狭すぎる。

「念仏三昧は無上真妙の禅門」これをあなたは座禅と自釈したわけでしょw
残念。だから字ぢからだって言ってるの。勝手な自説は控えた方が宜しかろう。

合掌

385:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 11:05:10 YIcp2nj5
>384
 父の王にいうてのたまはく、王いま坐禅してただまさに念仏すべし。あに離念に同じて無念を
求めんや。生を離れて無生を求めんや。

 親鸞さんよ。私はだから字ぢからだっていってるのw分かる?行巻によく引用されている以上
拝読しますわ。親鸞さんよ。自分だけが読んだことがあると思ったらあなたの世界はあまりに狭
すぎる。
 親鸞さん。貴方は、「念仏三昧は無上真妙の禅門」これをあなたは座禅と自釈したわけでしょw
 残念。だから字ぢからだって言ってるの。親鸞さん。勝手な自説は控えた方が宜しかろう。合



 仏の、かねて信謗ともにあるべきむねをしろしめして、ひとの疑をあらせじと、説きおかせた
まふことを申すなり。
 まあ、どうぞお好きな説をおたてなさいな(笑)。

386:ファルコン
08/08/16 11:17:08 tNgp7fol
そんなに浄土にいきたいなら歌を教えてやるよ。

母なるー大地をー、しずかなー大地をー、
・・・・・・
あーーー、あーーー、ひーとの子ら土ぃに感謝ぁせよー。

387:神も仏も名無しさん
08/08/16 12:11:05 0p+Kml++
>379
「不退のくらいすみやかにえんとおもはんひとはみな
恭敬の心に執持して弥陀の名号称すべし」
「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」

ちゃんと勧められていますね。もちろん自力の称名は嫌われるとありますが。
蓮如上人、こちらも挙げきれないほどあります。
「ひたすら弥陀如来のやすく御たすけにあづかるべきことの
ありがたさ、またたふとさよとふかく信じて、ねてもさめても
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すべきばかりなり。」
この上は、このご勧化を採るも捨てるも
あなたのおはからいだと、『歎異抄』にはあるわけですね。


388:神も仏も名無しさん
08/08/16 12:34:08 0p+Kml++
>382
すみません、真実の行信ではなくて、
「「一念」といふは、信心ふたごころなきがゆえに、「一念」といふ。
これを「一心」と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。
金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、
かならず現生に十種の益を獲。」でした。
「現生十益」は、信心の利益と言う事でした。訂正いたします。
他力の行信ならば、同じ事になるでしょうが。
いうまでもなく、座禅して念仏申す利益ではありません。


389:神も仏も名無しさん
08/08/16 12:36:50 0p+Kml++
>386
なつかしい!厨房のとき、合唱したよ。
浄土も土だね。


390:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 13:29:33 YIcp2nj5
>>387
>「不退のくらいすみやかにえんとおもはんひとはみな恭敬の心に執持して弥陀の名号称すべし」
 ~ ちゃんと勧められていますね。

 そうですか面白い方ですね。

>蓮如上人、こちらも挙げきれないほどあります。

 なるほど。なるほど。興味深い。
 宿善の道理を分別せずして、手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、もつての
ほかの当流の掟にあひそむけり。
 仏は機を見て法を説く。親鸞聖人・蓮如上人による念仏のお勧めが、果たして貴方に向かって
いるのか、どちらでしょうねぇ。蓮如の言葉は、無宿善の機には向かっていない。貴方は、自分を
宿善の機と思っているんですね(苦笑)。

391:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 13:31:12 YIcp2nj5
>父の王にいうてのたまはく、王いま坐禅してただまさに念仏すべし。あに離念に同じて無念を
求めんや。

 それで、この言葉は、自分に向けておっしゃっているのではない。そのように思うわけですね。
聞く耳はないんでしょう。

 如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じていまだ六部を信ぜず。このゆゑに名づけて聞不
具足とす。「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」行の巻のこの正信偈は信じるが、行の巻の『浄
土五会念仏略法事儀讃』は信じないということだな。
 まあ、適宜選択し、気にいらんところには墨を塗る。字ぢからで聖教を読んではいかんという
のは384の主張だが、字ぢからでは聖教を読みたくないものだ。
 覚如、蓮如が座禅して念仏すべしと勧化した文証の問い合わせがあったが、墨を塗ろうとして
いる箇所の問いあわせをしてくる宿善の機がいるとは知らなんだ(w)

>ご勧化を採るも捨てるもあなたのおはからいだと、『歎異抄』にはあるわけですね。

 そうですよ。歎異抄のこの言葉こそ、387に向けられている言葉だ。

392:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 13:33:43 YIcp2nj5
>>388
>いうまでもなく、座禅して念仏申す利益ではありません。

 是を以て如来常に三昧海の中において、網綿の手を挙げて謂く、父の王に曰く、「王今坐禅し
てただ当に念仏すべし。(行の巻・五会法事讃略抄)
 持戒坐禅を正法と名づく(行の巻・五会法事讃略抄)
 念仏は声声に仏種を下す 坐禅持戒は真功を用いてなり 汝若し修せずしてすなわち仏になる
といはば 喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし(五会法事讃略抄)

 念仏は一声一声の中に成仏の種を宿す。その上で、なお、行の巻などで座禅・持戒を勧めるの
は、効果に実体を持たせるためである。念仏だけでも仏になる。しかし、坐禅持戒を修めないで
そのまま仏になると言えば、これはたとえば、空腹の人が、風下に立ち、吹いてくる風を腹の中
に蓄えて空腹を紛らわそうとするようなことであり、全く意味がないということだ。

 親鸞さん。貴方は何を馬鹿なことを言っているんですか?。坐禅をしなければ効果がないです
って?。貴方は馬鹿じゃないですか?。「現生十益」は、信心の利益と言う事でした。いうまで
もなく、座禅して念仏申す利益ではありません。 逆に、座禅して念仏申せば利益なんか無くな
るんですよ。

 苦笑。388よ。貴方の師僧は誰?。 光真さんか?


393:ファルコン
08/08/16 14:29:17 tNgp7fol
>>392
きっと破戒僧と噂されている彼の父から僧の資格を頂いたんでしょうね。
未成年時だったくせに。

なんか、今は無きHPの写真みたらハゲでデコで仰角27度くらいで斜め上の方
見てましたよ。

394:神も仏も名無しさん
08/08/16 16:26:50 0p+Kml++
>390
宿善という言葉は、便利ですね。自説に好意を持つものに対して、
あなたには宿善がある、と言い、自説を批判するものに対しては、
あなたには宿善がない、と言い放てばよいのですから。
自己自説防衛のためには無敵のツールですね。
このツールを用いれば、諍論は絶えないでしょう。何故なら、
自己主張を互いに繰り返し、落ち着く所がないからです。
宿善をツールとして用いれば、無諍法たる仏法に背反すると言う事です。
自分の宿善を沙汰する事、即ち、現今の自分を「果」と見、過去の自分にその「因」を探り、
未来に向けて因子を作らないように訂正していく事は出来るでしょう。
しかし、他人の宿善を沙汰する事は他心智通、宿命通等の
六神通を得た者でしかなしえません。つまり、仏智見でしかなしえない事になります。
末代の凡夫が沙汰するならば、市で虎に遇うようなもの。
眉唾どころか、微塵も信用すべきところはありません。
さて、あなたの座禅して念仏申すべきという説は、
浄土真宗祖師方の著作の上では、
『教行信証』行巻の「略法事讃」引文だけにしか拠り所がないことがわかりました。
その点をふまえて、座禅に対して、祖師方がどのように捉えておられるか、
うかがってみることにしましょう。


395:神も仏も名無しさん
08/08/16 16:46:42 0p+Kml++
>394
存覚上人『持名鈔』(本)
「おほよそ持戒・座禅のつとめも~(中略)~、その門に入りて行ぜんに、
いづれも利益むなしかるまじけれども、それはみな聖人の修行によるがゆえに、
凡夫の身には成じがたし。~(中略)~すべからく末法相応の易行に帰して、
決定往生ののぞみをとぐべしとなり」
~つづく~

396:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 19:53:30 YIcp2nj5
>395
 持戒坐禅を正法と名づく(行の巻・五会法事讃略抄)

 念仏は声声に仏種を下す 坐禅持戒は真功を用いてなり 汝若し修せずしてすなわち仏になる
といはば 喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし(五会法事讃略抄)

 親鸞さんよ。あんたが言っていることはおかしいよ。わしか?。わしは、あんたが死んで 28年後
に生まれた浄土真宗の高僧様だ。親鸞さんよ。あんたはいつから偉そうに浄土真宗に嘘教義を持
ち込むようになったんじゃい?。法照なんぞの阿呆にだまされなさんなよ。
 ようく聞きゃれ。坐禅持戒が必要じゃと?。馬鹿をいいなさい。おほよそ持戒・座禅のつとめも、そ
の門に入りて行ぜんに、いづれも利益むなしかるまじけれども、それはみな聖人の修行によるが
ゆえに、凡夫の身には成じがたし。~(中略)~すべからく末法相応の易行に帰して、決定往生の
のぞみをとぐべしとなり。

 親鸞さんよ。あんた偉そうに、持戒坐禅が必要などといいふらし、浄土真宗の尊い教えを壊すの
はやめんしゃい。
 わしゃ、あんたの後に生まれた 存覚上人様じゃ。そのくらい覚えておけ。


397:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/16 20:08:17 YIcp2nj5
>396
 >>395には、存覚さんの心など、読めるはずもない。
 見る目もない。聞く耳もないということでしょう。

398:神も仏も名無しさん
08/08/16 22:37:19 FaqSXVXB
親鸞の看板作って隠れんぼ

399:神も仏も名無しさん
08/08/17 15:38:16 ZfPBfv4S
つづきの『持名鈔』はどうなったのかな?

400:あぼーん
あぼーん
あぼーん

401:7
08/08/18 17:30:38 UgiEOWhS
信心決定・・・他力の一念。あれから何日、何週間、何ヶ月も経ちました。
難しい教学的なことは分かりませんが、お聖教を読むと何だか嬉しいのです。
読んでいない時も嬉しいですが。有り難いです。

南无阿彌陀佛

南无阿彌陀佛


402:神も仏も名無しさん
08/08/18 23:39:29 T4FsHxGP
>401
>お聖教を読むと何だか嬉しいのです。 読んでいない時も嬉しいですが。有り難いです。

 おや?
 悪人のまねをすべきより、信心決定の人のまねをせよ(蓮如)
 悪人のまねをするよりはいいだろうと言われ、信心決定の人のまねでもなさろうとなさってい
るんでしょうか。

 信を得ずして、よろこび候わんと、思うこと、たとえば、糸にて物をぬうに、あとをそのまま
にてぬえば、ぬけ候うように、悦び候わんとも、信をえぬは、いたずらごとなり。「よろこべ、
たすけたまわん」と、仰せられ候うことにてもなく候う。たのむ衆生をたすけたまわん、との本
願にて候う(蓮如)。

 信心など得ていないのに、得たような暗示をかけられ、喜ぼう、喜ぼうと思うことは愚かなこ
とだ。糸で生地を縫っても、糸の端末に止め玉を作らないで縫えば、糸は次第に抜けていく。ど
んなに喜んでみても、信心がなければ、無意味なことだ。
 喜びなさいよ、そうすれば助けますよなどと、阿弥陀仏はそんなことを言っているのではない。
阿弥陀仏の誓いを力とする人々を助けようと言うのが本意である。
 喜ぶことで阿弥陀様に助けてもらおうと思えば、愚かなことだ。

403:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/18 23:40:47 T4FsHxGP
>402

渡海難のカキコです。 


404:298
08/08/19 03:15:53 UFM0pvlo
>>401
7様。うれしいことですね。
六字の尊さを我が身に受け、娑婆の日暮らしも、ご守護のうち。
このありがたさは、自ら体験してこそのもの。
ありがたさが感じられることが、またありがたいです。
南无阿彌陀佛

405:298
08/08/19 03:19:18 UFM0pvlo
>>402
よろこぶことで助けてもらうのではなく、
弥陀をたのむことで即座にカンタンに助けていただき、
実際に助かったから、うれしいのです。

何が真実かは、ひとりひとりが感じることです。

私は、日々うれしいですし、7様がよろこんでいると聞き、
尚うれしい。

このようなよろこびは、過去ありませんでした。

深く弥陀に感謝申し上げる次第です。

南无阿彌陀佛

406:298
08/08/19 03:55:27 UFM0pvlo
自ら求めても救われない。

「それでは」と善知識を求めようとしても、どこにいるのかわからない。

知識に会えたと思ったとしても、紙一重で、知識がその姿を現してくださらないかもしれない。

すべて、微妙な成り立ちであると思います。

それでも救われるのは、弥陀の御はたらきがあるが故です。

間違いだらけの私ですが、弥陀の御はたらきには間違いがありません。

ですから、私は安心しております。

信を獲ても、はからう自らが知らされます。

何もできぬ私ならば、何も心配する必要もありません。

六字を知らされている方は、求めるならば、六字に導かれると思います。

今生において、救われる道が準備されている。

この流転に出口がある。

ありがたいことです。

南无阿彌陀佛

407:7
08/08/19 09:41:46 H//xnKN1
298様 お久しぶりです。

そうですね。何にもはからう必要がないですよね。もちろん凡夫が喜ぶも喜ばないも自由です。六字の障りにはならないですから。

何にも難しいことが分からなくても・・・一文不知の尼入道が救われる道。

信心決定したい、信心決定とは何だろう、と思っていた頃は、いろいろな想像をしていたものです。

もちろん、想像と実際は違いますし、人と心を直に比べることは出来ませんから、これが信心決定だとは、他の誰にも、本人にも分からないはずです。

なのに、あの人と自分は一味だなぁと実感できる不思議。お聖教とピタリ合う不思議。

もちろん誰かに、一生喜びの思いが溢れるような究極の暗示をかけられたのかも知れませんよね。

疑煩悩はなくならないですから、疑おうと思えばいくらでも疑うことは出来るのです。

ならば、疑えるだけ疑うのもいいかと思います。凡夫が疑うも信じるも限界があり、どちらも六字の障りにはなりません。

南无阿彌陀佛の六字に関心を持っておられる皆さんとこうして集えることも嬉しいです。

南无阿彌陀佛

408:298
08/08/19 13:27:21 UFM0pvlo
>>407
7様。「お聖教とピタリ合う」についてですが、昨日は略本を御拝読していたのです。

◎まことにこれ選択摂取の本願、無上超世の弘誓、
一乗真妙の正法、万善円修の勝行なり。

「選択摂取の本願」「無上超世の弘誓」「一乗真妙の正法」「万善円修の勝行」どの呼び名も、
うれしくなるのです。

勝他のためにお聖教を学んでも、学びになりますが、
そのような思いから離れ、ただ「ひとりよがり」の道をゆくのも、
またゆったりとした気持ちで、楽しいものです。

私がわかってもらおうとしても、それは本当に無粋なはからいであって、
ただ弥陀のお育てを信じ、ありがたく六字をお称えするのが、
私の器に合っていると思います。

南无阿彌陀佛

409:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 16:39:26 Zqg7Q72K
7  「信心決定・・・他力の一念。あれから何日、何週間、何ヶ月も経ちました。」
医者 「ほう。それでこの薬を使い続ける決心はつきましたかね。」
7  「難しい教学的なことは分かりませんが、お聖教を読むと何だか嬉しいのです。 」
医者 「ほう。あの本は私が書いたんだ。貴方のような慢性病の人は、この薬を使い続けるのが
一番いい。私はそう書いたんだ。どこまで分かってくれたか心配なんだが、そのところは理解で
きましたかね。」
7  「先生の本は読んでいない時も嬉しいですが。有り難いです。」
医者 「別に、読んでないときに嬉しいと思ってもらおうとは思ってないんだよ。この薬を使い
続ける決心はついたのか?」
7  「南无阿彌陀佛。南无阿彌陀佛」
医者 「私が勧めている薬は写経じゃないんだ。文字に書けばいいというものじゃない。薬はい
ろんな種類がある。塗り薬、貼り薬、注射剤、飲み薬、座薬等々、みんな用法が違う。座禅しな
がら自分の口で、自分の声で、繰り返し繰り返し音に発する。これがその用法だ。」
298「7様。うれしいことですね。 」
医者 「おやおや。298さんかい?。貴方は最近、あの薬を使おうという気にはなったかい。
薬は持ち帰ったようだが、胸に抱きしめて、嬉しい嬉しいと言っているだけじゃだめなんだよ。」
298「六字の尊さを我が身に受け 」
医者 「文字の尊さなどはどうでもいいんだ。口に出して称えることが大事なんだよ。」
298「娑婆の日暮らしも、ご守護のうち 」。
医者 「ご守護もあるだろうが、薬はしっかりとその用法を守らないとだめなんだよ。用法は守
っているか?」

410:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 16:40:47 Zqg7Q72K
298「このありがたさは、自ら体験してこそのもの。ありがたさが感じられることが、またあ
りがたいです。
医者 「あのね。ありがたいもいいけれど、薬には用法があるんだ。胸に抱きしめているだけじ
ゃだめなんだよ」。
298「南无阿彌陀佛 」
医者 「私が勧めている薬は写経じゃないんだ。文字に書けばいいというものじゃない。座禅し
ながら自分の口で、自分の声で、繰り返し繰り返し音に発するんだ。そこに意味があるんだよ。
ありがたいというのも結構だが、しっかりその用法を守って使用し、その効果が出たとき、あり
がたいといってほしいものだね」。
298 「よろこぶことで助けてもらうのではなく、弥陀をたのむことで即座にカンタンに助け
ていただき、」
医者  「たのむって言ってもな、用法を守って使用してもらわなければ、薬の発明者は嬉しく
ないんだよ。用法を守って使用してもらうことを予定して、その薬を発明したんだからね。用法
を守って使用しなければ、即座にカンタンに助けるなんてことはないんだよ。」
298 「実際に助かったから、うれしいのです。」
医者  「用法を守って使用しないと、助からんのよ。助かったと思っても、それは錯覚だよ」
298 「何が真実かは、ひとりひとりが感じることです。」
医者  「それじゃ、医者も薬もいらんだろう」。
298 「私は、日々うれしいですし、7様がよろこんでいると聞き、尚うれしい。」
医者  「医者の言うことを聞かず、薬も用法を守らず、それでいて嬉しい嬉しいと言っている
んなら、医者など必要ないだろう」

411:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 16:41:39 Zqg7Q72K
298 「このようなよろこびは、過去ありませんでした。深く弥陀に感謝申し上げる次第です」。
医者  「医者の話が聞けないなら、勝手したらいいだろう」
298 「南无阿彌陀佛」
医者  「私が預けた薬は、写経じゃないよ」。
298 「自ら求めても救われない。『それでは』と善知識を求めようとしても、どこにいるの
かわからない。」
医者  「私は、昔からここにおったが、話を聞く気の無い人には、語る言葉がない」。
298 「知識に会えたと思ったとしても、紙一重で、知識がその姿を現してくださらないかも
しれない。すべて、微妙な成り立ちであると思います。」
医者  「姿を現してくださらない?。私は足のない幽霊かい?」。
298 「それでも救われるのは、弥陀の御はたらきがあるが故です。」
医者  「あのなぁ。薬は用法を守らないとだめなんよ。薬は写経じゃないんだよ」
298 「間違いだらけの私ですが、弥陀の御はたらきには間違いがありません。」
医者  「あのなぁ。薬は用法を守って使ったとき働きが出るんだよ。用法を守らんでどうす
るの」
298 「ですから、私は安心しております。」
医者  「あのなぁ。安心するのは、用法を守って使うようになってからにしたらどう?」
298 「信を獲ても、はからう自らが知らされます。」
医者  「信は、用法を守って使うように決心することだ。はからいがあってもいいから、用法
を守って使うよう決心したらどう?」

412:あぼーん
あぼーん
あぼーん

413:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 16:47:53 Zqg7Q72K
298 「何もできぬ私ならば、何も心配する必要もありません。」
医者  「??意味不明??」
298 「六字を知らされている方は、求めるならば、六字に導かれると思います。」
医者  「薬は文字じゃないんだよ。私の薬は、声を出して称えることだ。導くものでもないし、
導かないものでもない。用法を守って使うように決心したらどう?」
298 「今生において、救われる道が準備されている。」
医者  「それは、用法を守って薬を使ってからの話だよ」
298 「この流転に出口がある。」
医者  「用法を守って薬を使わなければ、出口なんかないんだよ」。
298 「ありがたいことです。」
医者  「礼は、用法を守って薬を使い、効果が出てきてからにしたらどうなの」
298 「南无阿彌陀佛」
医者  「私が預けた薬は、写経じゃないよ」。
7   「298様 お久しぶりです。そうですね。何にもはからう必要がないですよね。もちろ
ん凡夫が喜ぶも喜ばないも自由です。六字の障りにはならないですから。」
医者  「まあ、喜ぶも喜ばないもいいから、用法を守って薬を使おうという決心はついたの?。
用法は、患者が自分で思案してもだめなんだよ。患者が考えることじゃないんだよ。この薬は妙
薬なんだ。きちんと用法を守れば、何も障りはない」。
7   「何にも難しいことが分からなくても・・・一文不知の尼入道が救われる道。」
医者  「一文不知の尼入道が救われるかどうかなど、そんなことはどうでもいいんだ。貴方は
別に一文不知でもない。尼でもない。入道でもないだろう。貴方は貴方が救われる道を探せばい
いんだ。この薬を、用法を守って使えば、それだけでいいんだよ」

414:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 16:49:11 Zqg7Q72K
7   「信心決定したい、信心決定とは何だろう、と思っていた頃は、いろいろな想像をして
いたものです。」
医者  「それで信心決定したんですか。この薬を、用法をきちんと守って使っていこう、そう
決心したときが信心決定だ。そう思わない内は、信心決定なんかないんだよ」
7   「もちろん、想像と実際は違いますし、人と心を直に比べることは出来ませんから、こ
れが信心決定だとは、他の誰にも、本人にも分からないはずです。」
医者  「ほらほら、それだって貴方の想像の内だろう。」
7   「なのに、あの人と自分は一味だなぁと実感できる不思議。お聖教とピタリ合う不思議。」
医者  「一味だと思われたあの人は迷惑しているだろう。お聖教と同床異夢の関係にあっても、
救いはないんだよ」
7   「もちろん誰かに、一生喜びの思いが溢れるような究極の暗示をかけられたのかも知れ
ませんよね。」
医者  「暗示をかけられたのは自分なのに、その自分の問題が他人事になっているというのは、
症状が進行していると言うことだろうね」。
7   「疑煩悩はなくならないですから、疑おうと思えばいくらでも疑うことは出来るのです。
ならば、疑えるだけ疑うのもいいかと思います。凡夫が疑うも信じるも限界があり、どちらも六
字の障りにはなりません。 」
医者  「薬も使えないで、出口のない長い長いトンネルの中に入っちゃったようだね。」
7   「南无阿彌陀佛の六字に関心を持っておられる皆さんとこうして集えることも嬉しいで
す。南无阿彌陀佛」
医者  「もう、手がつけられん」

415:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 16:52:14 Zqg7Q72K
298「7様。『お聖教とピタリ合う』についてですが、昨日は略本を御拝読していたのです。」
医者 「ほう。あの本はそんなに面白かったかい」
298「まことにこれ選択摂取の本願、無上超世の弘誓、一乗真妙の正法、万善円修の勝行なり。」
医者 「選択摂取の本願とは、298さんや7さんのような慢性病の方々を特に指定し、その方
々の慢性病を治そうというのが本意であるという意味だよ。無上超世の弘誓とは、298さんや
7さんのような慢性病の方々を特に治してあげようと言うのは、世に超えて最高の決意であると
いう意味だ。一乗真妙の正法とは、この薬を処方することこそ、唯一絶対的に正しい処方である
という意味だ。万善円修の勝行とは、この薬を正しい用法で使用することは、すばらしいことで
あるとい意味だ」
298「選択摂取の本願・無上超世の弘誓・一乗真妙の正法・万善円修の勝行、どの呼び名も、
うれしくなるのです。」
医者 「呼び名が嬉しくなるより、この薬を正しい用法で使用しようという気にはならんものか
ね?。」
298「勝他のためにお聖教を学んでも、学びになりますが、」
医者 「薬は論争ではないんだよ。自分は使うかどうかだけが問題なんだ。」
298「そのような思いから離れ、ただ『ひとりよがり』の道をゆくのも、またゆったりとした
気持ちで、楽しいものです。」
医者 「ひとりよがりの道を進んでも、治らないんだよ。」
298「私がわかってもらおうとしても、それは本当に無粋なはからいであって、ただ弥陀のお
育てを信じ、ありがたく六字をお称えするのが、私の器に合っていると思います。」
医者 「座禅して称えてほしいものだね」
298「南无阿彌陀佛」
医者  「写経じゃないよ」。

416:あぼーん
あぼーん
あぼーん

417:298
08/08/19 17:06:56 UFM0pvlo
「ああせねばならない、こうせねばならない」ということは、基本的にはないと思うのです。

それでありながら、「弥陀をたのむ」ことは必須であるという。

これは、表面的には、矛盾していることばの使い方です。

ですから、「やるべきことは、ただひとつ」と捉える方がわかりやすく、
それは、「弥陀をたのむ」ということです。

そして、これは自身ではできませんので、弥陀におまかせすることになります。

◎さてこのうへには、ねてもさめても、たつてもゐても、
南無阿弥陀仏と申す念仏は、弥陀にはやたすけられまゐらせつるかたじけなさの、
弥陀の御恩を、南無阿弥陀仏ととなへて報じまうす念仏なりとこころうべきなり(御文1-7)

南无阿彌陀佛

418:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 18:16:44 Zqg7Q72K
>>417
親鸞 「『安楽集』に云わく、『観仏三昧経』に云わく、「父の王を勧めて念仏三昧を行ぜしめた
まう。 ~ 念仏三昧は、これ真の無上深妙の門なり。 ~ 父の王に謂いて曰わく、「王いま
座禅してただ当に念仏すべし」と。
 仏の、かねて信謗ともにあるべきむねをしろしめして、ひとのうたがいをあらせじと、ときお
かせたまうことをもうすなり」

298 「親鸞さん。私は貴方の話など聞きたくありません。念仏三昧など関係ありません。念
仏三昧は、座禅して念仏することだなどと、そんな話は聞きたくありません。釈迦は、人々に謗
法が起こるだろうと予想し、人々の疑いを晴らそうと、父の王に説法していたなんて、全く関係
ありません。
 みんな自由です。ああせねばならない、こうせねばならないということは、基本的にはないと
思うのです。 だから私は、座禅して念仏するのは嫌です。やりませんそれでも、「弥陀をたの
むことは必須であるという。これは、表面的には、矛盾していることばの使い方です。でも、こ
れが今私が教わっている善知識様のみ教えです。「やるべきことは、ただひとつ」と捉える方が
わかりやすく、それは、「弥陀をたのむ」ということです。座禅して称えないと言うことです。
座禅して念仏するなどという親鸞さんの話など、聞く耳は持ちません。弥陀をたのむ」というこ
とは自身ではできませんので、弥陀におまかせすることになります。 」
親鸞「??」

419:7
08/08/19 18:17:18 H//xnKN1
298様の言われるとおりだなぁと感じます。

凡夫がどうこうすることはないのです。

ただ念仏を称えていくことになると思います。

お念仏は、信前信後かかわらず全ての人にオススメできるからいいですね。

他力の信心を求めている間も南无阿彌陀佛、そして南无阿彌陀佛に救われて、御恩報謝も南无阿彌陀佛。

南无阿彌陀佛

420:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 18:18:23 Zqg7Q72K
親鸞 「また決定して「釈迦仏、この『観経』に ~ 定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証
賛して、人をして欣慕せしむ」と深信す、 ~  次に行に就いて信を立てば、 ~ この正の
中についてまた二種あり。一つには、一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥に時節の久近を問
わず、念念に捨てざるは、これを「正定の業」と名づく、かの仏願に順ずるがゆえに。 ~ 散
善は行を顕す縁なり、と。 ~ 浄土の要逢いがたし、と。」

298「さてこのうへには、ねてもさめても、たつてもゐても、南無阿弥陀仏と申す念仏は、弥
陀にはやたすけられまゐらせつるかたじけなさの、弥陀の御恩を、南無阿弥陀仏ととなへて報じ
まうす念仏なりとこころうべきなり。
 まあ、こう心得たのですが、私はどうすればいいんでしょうね。何もしなくてもいいんでしょ
うかねぇ?。座禅は絶対に嫌ですよ。」
親鸞「??」

421:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 18:24:34 Zqg7Q72K
298 「一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥に時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、
これを『正定の業』と名づく。この正定の業では、浄土の要逢いがたしですって?。親鸞さん。
あなたはどうして私にそう逆らうんですか。私は、このうへには、ねてもさめても、たつてもゐ
ても、南無阿弥陀仏と申していきます。正定の業です。貴方の話はききません。私は、私の善知
識様の教えを守ります。」

422:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 18:40:00 Zqg7Q72K
>419
> 凡夫がどうこうすることはないのです。

 それで、高僧の説を信じないで、「座禅しては念仏しない」という、凡夫の選
択をするということですね。 

>ただ念仏を称えていくことになると思います。

 高僧の説を信じないで、座禅もしないで、闇雲に、ただいたずらに、意味もな
く称えていくことになるわけですね。

 また名号をもってなにのこころえもなくして、ただ(いたずらに)となえては
たすからざるなり(蓮如)。

423:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 18:52:29 Zqg7Q72K
>419
信前信後かかわらず全ての人にオススメできるからいいですね。

 大津近松殿に対しましまして、仰せられ候う。「信心をよく決定して、ひ
とにもとらせよ」と、仰せそうらいき。
四月九日に、仰せられ候う。「安心をとりて、ものをいわば、よし。用ない
ところをば、いうまじきなり。一心のところをば、よく、ひとにもいえ」と、空
善に御掟なり。

 7さんも、用ないところは言わないで、自分がどのようにして安心の一
心を得たのか、その瞬間の状況を秘事することなく明らかに言えば、
他の人にも貴方の信心が見えてくるでしょう。

424:298
08/08/19 19:48:13 UFM0pvlo
>>419
そうですね、信前も、信を獲るのも、信後の相続も、すべて南无阿彌陀佛。

ただ南无阿彌陀佛の六字の中に、すべてがある。

私としては、信後の相続も南无阿彌陀佛で良く、
ここにすべての行がこもっていることがありがたいです。

内心に秘めながら、社会生活を営みながら、
相続してゆくことができます。

ますますありがたいと思い、頭が下がります。

合掌。南无阿彌陀佛。

425:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/19 21:33:15 Zqg7Q72K
>>424
298「そうですね、予防も治療も養生もすべて南无阿彌陀佛。」
医者 「うん。まあ。そうだな。」
298「ただ南无阿彌陀佛の六字の中に、すべてがある。」
医者 「すべてが南无阿彌陀佛の六字の中にあると言ってもなぁ、胸に抱いてるんじゃだめなん
だよ。用法に従って使わなければ、薬は薬として機能しないんだよ」。
298「私としては、信後の相続も南无阿彌陀佛で良く、ここにすべての行がこもっていること
がありがたいです。」
医者 「治療も終わってないで、養生の話するというのは、おかしいんじゃないか?。まず用法
に従ってその薬を使おうという気を起こしたらどうなの?。胸に抱いてるだけで、ありがたいあ
りがたいなんて言っているのは、馬鹿じゃないのか?。」
298「内心に秘めながら、社会生活を営みながら、相続してゆくことができます。」
医者 「あのねぇ。薬はいくらでもあるんだ。一つ使用すれば、次にまたある。一つの薬をずっ
とそのまま内心に暖めていても、効果はないんだよ。」
298「ますますありがたいと思い、頭が下がります。」
医者 「あのなぁ。頭が下がるのは、治ってからにしたらどうよ。悪人のまねをするよりはましだと
言われたからと言って、まだ治ってない内から完治者のまねをしてどうするの?。今は、用法に
従って薬を使い、治療することが大事なんだよ。」
298「合掌。南无阿彌陀佛。」
医者 「薬は写経じゃないんだよ。」

426:神も仏も名無しさん
08/08/20 00:01:57 SYqADqVP
なあむあああみいだああんぶ

あわれあわれ
親鸞会滅亡ももうマジか
そろそろ成仏の時間でつよ県手通

あああみだああんぶ
なあむあまいいだあんぶ

427:298
08/08/20 01:48:57 6U04OVas
>>425
ひとたび弥陀をたのめば、往生治定であり、
もはや、さまたげる悪も無し。
また、超える善もありません。
そのように治定することがありがたく、
かたじけないのです。
人智を超えたはたらきを、我が身に受ける不思議さは、
言葉も絶え、ただ南无阿彌陀佛です。
南无阿彌陀佛

428:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/20 10:50:45 XmGrrZb8
>>427

<ひとたび弥陀をたのめば、往生治定であり、>
 いったん医者を信頼すれば、必ず治るんだと喜ばれてもなぁ。医者の言うことを聞かない邪定聚機
の患者には、手の施しようがない。

<もはや、さまたげる悪も無し。また、超える善もありません。>
 いったん医者を信じれば、何一つ怖いものはない、自分で何かを工夫する必要もないと、勝手に思い
こまれても困るんだよなぁ。自分の勝手な判断で、薬を胸に抱きしめ、医者の言うことを聞かない邪定
聚機の患者には、医者は手の施しようがない。

<そのように治定することがありがたく、かたじけないのです。>
 治った。治った。治ったも同然だ。ありがたい、ありがたいと言われてもなぁ。邪定聚機の患者には治
療は進んでおらんのよ。


<人智を超えたはたらきを、我が身に受ける不思議さは、>
 患者が治らんと諦めていた病気でも、医者は治せるから、不思議だと思うのは勝手だが、医者は魔
法使いじゃないんだ。医者は、道理に従って対策を立ててるんだ。
 道理に沿わせた医者の言うことを聞かないでどうするんだ?

<言葉も絶え、ただ南无阿彌陀佛です。南无阿彌陀佛>
 頭がおかしいんじゃないか?。耳を栓で塞ぎ、人の話も聞かないで、南無阿弥陀仏もないもんだ。
また名号をもって何の心得もなくして、ただ(いたずらに)称えては助からざるなり(蓮如)。


429:神も仏も名無しさん
08/08/20 13:47:48 zPf86srH
>>428

> 頭がおかしいんじゃないか?。耳を栓で塞ぎ、人の話も聞かないで、南無阿弥陀仏もないもんだ。
>また名号をもって何の心得もなくして、ただ(いたずらに)称えては助からざるなり(蓮如)。

ううむ。含蓄のある言葉だね。
どうも頭が固くなってるみたいだから、いま一度我が身を振り返ってみるのもいいね。

430:神も仏も名無しさん
08/08/20 17:31:27 xqbGEyw2
0 :神も仏も名無しさん:2008/08/20(水) 07:42:10 ID:6yoXk6bj
先生、脱税行為があるのなら懺悔して、 一からやりなおしましょうよ
若くて仏縁深い学徒も沢山ありましょうが、 それらの人が呆れたら終わりです。
一人の育成に何年かかりますか。 今の対応では、呆れる人の方が多いと思います。
会の情報を知りたい人もいるのですから、 ネットは禁止しきれないと思います。
最近の先生のお話も、ネットを見ていないと、 何言っているのか、まず分からないですしね。

募財活動は今後もしていくのでしょう。 お金のあり方は誤魔化さず修正して下さい。
今の誤魔化しが大変なことになります。
因果の道理を説かれる方が、「リークする奴が悪い」では、 m晴の時同様の禍根を残すでしょう。

あの時も、多くの学徒が「必死になって出した浄財を」と 憤慨していました。
純粋な人が多いから、仏法の為と信じて出している人ばかりです。
裏切ってはなりませんし、裏切るような事実があるのなら、
懺悔して、一から信用される努力をしなければなりません。

ネット対策をしている人も、親友部も特専部も講師部も、
荒療治も必要と感じている人もあることを期待しています。
懐かしい親鸞会ですから、対策に追われる姿は悲しいです。
とにかくお金のスキャンダルがあるならきちっと清算して下さい。

311 :神も仏も名無しさん:2008/08/20(水) 08:19:07 ID:pDz97RQf
>310
残念ながら、会長はそこまで純粋な方ではありません。 今回のアップの、最も問題なのは、

>ちなみに、真生会病院の資本金は、7億9800万円。出資者は高森一家となっており、医療法人は高森一族の資産となっているのが実態です。
>すでに、会長の娘が経営の実権を握っており、高森一家の孫たちも勤務をはじめています。

この部分です。ここに脊髄反応しているのです。
なぜか?ご自分でよく考えてください。 どうしてもわからなければ、質問ください。お答えします。

431:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/21 10:28:01 7UeipLpe
>>429

>どうも頭が固くなってるみたいだから、いま一度我が身を振り返ってみるのもいいね。

 298さんや7さんの心理状態がおかしいと言うことは、本人以外には分かるが、本人は気づけない
だろう。二人の症状は病的な洗脳カルト宗教の典型だろうと思う。催眠術を使い、考え方が動かな
いよう、枠がはめ込んであるようだ。浄土真宗を名乗る悪魔の宗教がどこかに存在する。

 鬱病患者などに精神科医が使用する催眠術を健康な人に乱用するというのはとんでもない悪行
だ。信心を決定できず彷徨うというのは、ある意味では本当はとても大事なことで、心が健康な証
拠だ。善知識を名乗って健康な人をだまし、催眠術をかけ、考え方が動かないように細工するとい
うのは、人間をロボット化する犯罪的行為だろうと思う。

 阿弥陀を頼むと言いながら、298は頼むと言う言葉の意味を知らない。医者を頼むという場合、
治療してくれようとしているその医者の決意と実力とを信頼し、医者の決意と実力を我が力に頂戴
する。医者の決意と実力を我が力として頂戴するということは、医者の言うことをよく聞いて、言葉を
守るということだ。医者の言いつけを守るということが、医者を頼むということだ。これが他力だ。医
者との信頼関係の基礎であり、宗教的にはこれを信心という。

 座禅して念仏しなさいよと医者が言えば、医者の言葉を信頼してできるだけ言うとおりに努める。
座禅して五会念仏を称えなさいよと言えば、座禅して五会念仏を称える。専一に、持続的に称え
なさいよと言えば、そのように専一に、持続的に称える。きるだけ言うとおりに努める。これが、阿
弥陀仏を頼むと言うことだ。

 嬉しい嬉しいと言えば、助けてくれるんじゃないかなどと、自分勝手に想像し、患者が我流の処
方箋をたてることは、阿弥陀を頼んでいることではない。


432:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/21 13:41:10 7UeipLpe
ブログ親鸞仏教を更新ししました。
 www.しんらん.jp/


433:神も仏も名無しさん
08/08/21 15:52:30 ESoDmXJd
>>431

>298さんや7さんの心理状態がおかしいと言うことは、本人以外には分かるが、本人は気づけない
だろう。

これは298さんや7さんだけじゃない、私にも貴君にもあてはまることなんだよね。
自分は正しいと思って他人を批判するのは簡単だけれど、我が身を点検するのは思いのほか難しいことだと思うよ。


434:298
08/08/21 16:22:03 EtY9vr4f
>>433
「よろこんでいる」と言えば、「いいなあ、私もそうなりたい」と思う方もいらっしゃるわけです。

この場合は、「よろこんでいる」というのは、プラスのイメージです。

ネガティブキャンペーンというものは、一般的に、「プラスと見なされているもの」をマイナスと捉え直す
フレームワークの書き換えをしようとします。

一所懸命信仰している方を見て、「信仰が篤いねえ」とプラスに見るのではなく、
「狂信者だ」とレッテル付けをするのも、同じようなものだと思います。

この場合、どちらの認識が適切なのか、結局は、ひとりひとりが判断して行く他ありません。

同じものでも、それをどう見るかは、各自の責任だからです。

私のことを言うならば、「他を批判する」のはなるべく避けたいところ、そのように意識では思っています。

しかし、私が未熟であるために、批判的な言動をなしてしまいます。

そのような状態であれば、「救われる」ことなどあるはずもなく、
その苦果を受けねばならないのが当然ですが、弥陀はそこに働きかけてくださり、
御徳をくださいます。

世間では、「南无阿彌陀佛」と言うだけでも、批難する方はたくさんいらっしゃると思います。

その場合、「気持ち悪い」と思われると思います。そしてもちろん、それで見捨てる彌陀ではありません。

渡海様は、とにかくさみしいのではないかと思います。

南无阿彌陀佛

435:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/21 23:59:52 qodDvA8B
>>434

>「よろこんでいる」と言えば、「いいなあ、私もそうなりたい」と思う方もいらっしゃるわけです。
  フムフム。なるほどねぇ。そうかも知れないですね。

>この場合は、「よろこんでいる」というのは、プラスのイメージです。
   ほほう。ふむふむ。

>ネガティブキャンペーンというものは、一般的に、「プラスと見なされているもの」をマイナス
と捉え直すフレームワークの書き換えをしようとします。
   ふむふむ。なるほど。なるほど。そうかも知れないですね。

>一所懸命信仰している方を見て、「信仰が篤いねえ」とプラスに見るのではなく、「狂信者だ」
とレッテル付けをするのも、同じようなものだと思います。
   ふむふむ。なるほど。なるほど。そうかも知れないですね。


>この場合、どちらの認識が適切なのか、結局は、ひとりひとりが判断して行く他ありません。
   ふむふむ。なるほど。なるほど。

>同じものでも、それをどう見るかは、各自の責任だからです。
   ふむふむ。なるほど。なるほど。そうかも知れないですね。

>私のことを言うならば、「他を批判する」のはなるべく避けたいところ、そのように意識では思っ
ています。
   ふむふむ。なるほど。なるほど。立派な心がけですね。

436:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 00:03:42 qodDvA8B
>しかし、私が未熟であるために、批判的な言動をなしてしまいます。
   ふむふむ。なるほど。なるほど。そういうこともあるかもしれませんね。

>そのような状態であれば、「救われる」ことなどあるはずもなく、
   いやいやそんなことはないんだよ。医者の処方箋をきちんと守れば、批判的な言動をする
人も、批判的な言動をしない人も、処方箋通りの効果が現れる。

>その苦果を受けねばならないのが当然ですが、
   処方箋をきちんと守れば、そのほかには、批判的な言動をしてもいいし、しなくてもいいんだ。

>弥陀はそこに働きかけてくださり、御徳をくださいます。
   批判的な言動をしているところに阿弥陀は働きかけなどはしない。邪魔もしない。
処方箋さえきちんと守ってくれていれば、それ以上は何も邪魔をしないんだよ。

>世間では、「南无阿彌陀佛」と言うだけでも、批難する方はたくさんいらっしゃると思います。
   なるほど、なるほど。

437:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 00:04:55 GYsd7S9w
>その場合、「気持ち悪い」と思われると思います。
   ふむふむ。なるほど。なるほど。そうかも知れないですね。

>そしてもちろん、それで見捨てる彌陀ではありません。
  見捨てるも何も、こっちが言い渡している処方箋の約束を患者が守ってくれれば、処方箋
通りの結果が出るだけだ。「南无阿彌陀佛」は気持ち悪いという人も、気持ち悪いと言わない
人も、そんなことは関係ないんだ。座禅して念仏すれば、どんな人にも、座禅して念仏した効
果が出る。それだけなんだよ。



>渡海様は、とにかくさみしいのではないかと思います。
  口の減らないあんなやつの言うことなどは放っておけばいい。黙らそうとしても、黙るやつ
じゃない。



>南无阿彌陀佛
   これを、座禅して声にする。それだけでいいんだよ。


438:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 00:09:11 GYsd7S9w
>433
 ご意見、承りました。

439:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 08:39:22 GYsd7S9w
>>436
誤   批判的な言動をしているところに阿弥陀は働きかけなどはしない。邪魔もしな
い。処方箋さえきちんと守ってくれていれば、それ以上は何も邪魔をしないんだよ。


正   批判的な言動には、助力をしない。邪魔もしない。賞賛もしない。咎め立ても
しない。阿弥陀は、処方箋さえきちんと守ってくれれば、それを喜ぶ。



>>437
誤   見捨てるも何も、こっちが言い渡している処方箋の約束を患者が守ってくれ
れば、処方箋通りの結果が出るだけだ。「南无阿彌陀佛」は気持ち悪いという人も、
気持ち悪いと言わない人も、そんなことは関係ないんだ。座禅して念仏すれば、ど
んな人にも、座禅して念仏した効果が出る。それだけなんだよ。

正   言い渡された処方箋の約束を患者が守れば、処方箋通りの結果が出る。南
无阿彌陀佛」は気持ち悪いという人も、気持ち悪いと言わない人も、そんなことは関
係ない。座禅して念仏すれば、どんな人も、座禅して念仏した効果が出る。それだけ
なんですよ。


440:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 09:10:51 GYsd7S9w
 「いいなあ、私もそうなりたい」と思う方も、思わない方も、座禅して念仏すれば、座禅し
て念仏した効果が出る。

 プラスのイメージであっても、マイナスのイメージであっても、座禅して念仏すれば、
座禅して念仏した効果が出る。


 フレームワークの書き換えをしようとする人も、フレームワークの書き換えをしようとし
ない人も、座禅して念仏すれば、座禅して念仏した効果が出る。

 一所懸命信仰している方も、一所懸命信仰しない人も、座禅して念仏すれば、座禅
して念仏した効果が出る。

 「信仰が篤いねえ」とプラスに見る人も、「狂信者だ」とレッテル付けをする人も、座禅
して念仏すれば、座禅して念仏した効果が出る。





441:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 09:15:09 GYsd7S9w
 どちらの認識が適切なのか判断する人も、どちらの認識が適切なのか判断しない人
も、座禅して念仏すれば、座禅して念仏した効果が出る。


 「他を批判する」のは避けたいと思う人も、「他を批判する」のは避けたいと思わない人
も、座禅して念仏すれば、座禅して念仏した効果が出る。

 
未熟な人も、未熟でない人も、座禅して念仏すれば、座禅して念仏した効果が出る。

 批判的な言動をすれば救われることなどあるはずもないと思う人も、批判的な言動
をしても救われると思う人も、、座禅して念仏すれば、座禅して念仏した効果が出る。

 さみしい渡海様も、さみしくない渡海様も、無口の渡海様も、口の減らない渡海様
も、座禅して念仏すれば、座禅して念仏した効果が出る。

 他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥
陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに


442:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 09:25:51 GYsd7S9w
 「いいなあ、私もそうなりたい」と思う方も、そう思わない方も、座禅して念仏しなければ、
座禅して念仏した効果は出ない。



 プラスのイメージであっても、マイナスのイメージであっても、座禅して念仏しなければ、
座禅して念仏した効果は出ない。



 フレームワークの書き換えをしようとする人も、フレームワークの書き換えをしようとしない
人も、座禅して念仏しなければ、座禅して念仏した効果は出ない。



 一所懸命信仰している方も、一所懸命信仰しない人も、座禅して念仏しなければ、座禅し
て念仏した効果は出ない。



 「信仰が篤いねえ」とプラスに見る人も、「狂信者だ」とレッテル付けをする人も、座禅して
念仏しなければ、座禅して念仏した効果は出ない。


443:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 09:29:28 GYsd7S9w
 どちらの認識が適切なのか判断する人も、どちらの認識が適切なのか判断しない人も、座禅して
念仏しなければ、座禅して念仏した効果は出ない。



 「他を批判する」のは避けたいと思う人も、「他を批判する」のは避けたいと思わない人も、座
禅して念仏しなければ、座禅して念仏した効果は出ない。


 
未熟な人も、未熟でない人も、座禅して念仏しなければ、座禅して念仏した効果は出ない。



 批判的な言動をすれば救われることなどあるはずもないと思う人も、批判的な言動をしても救
われると思う人も、座禅して念仏しなければ、座禅して念仏した効果は出ない。



 さみしい渡海様も、さみしくない渡海様も、無口の渡海様も、口の減らない渡海様も、座禅し
て念仏しなければ、座禅して念仏した効果は出ない。



因果応報、自因自果。

444:あぼーん
あぼーん
あぼーん

445:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 19:40:49 GYsd7S9w
>>434
>そのような状態であれば、「救われる」ことなどあるはずもなく、その苦果を受けねばならな
いのが当然ですが、弥陀はそこに働きかけてくださり、御徳をくださいます。

 仏教は魔法使いじゃないんだ。「救われる」ことなどあるはずもないとは何を根拠にしている
のだろう。その苦果を受けねばならないのが当然とは、何を根拠にしているんだろう。
 仏教は魔法ではない。腹を痛めた患者には、医者は腹薬を与える。医者の腹薬は、他人を批判
する人にも、他人を批判しない人にも効き目がある。患者には想像もつかないような、夢のよう
な治療効果が生じても、医者は魔法を使っているわけでない。
 行いの悪い人には薬効が出るべきではないのは当然だなどと言う人はいない。行いの悪い人に
薬効があっても、医者が御徳を下さったわけではない。腹を痛めても、腹薬は、科学的な道理に
よって効果を発揮する。

 座禅して念仏申せば、科学(精神医学・心理学・生理学)的な道理が背景にあって効果が生じ
るだけだ。魔法でも神秘でもない。阿弥陀仏は、自然の様を知らせるための説明上の資料である
(自然法爾抄)。手段である。方法論である。阿弥陀は、神様でも、魔法使いでもない。これは
架空の存在だ。

 298の言動を見ると、彼の背後の善知識は、催眠術を操り、仏教を魔法のように言いくるめ
て人をだますペテン師のように思えてしょうがない。


446:298
08/08/22 20:18:39 /F8ldclJ
>>445
南无阿彌陀佛に渡海様のような成果を求める方がいても、もちろん良いと思います。

一方で、永き流転をどことなく感じ、弥陀により、今度こそは救い出されたいと願う方も、
ごく少数ですがいると思います。

つまり、不可説・不可称・不可思議な救いを求める方です。

そのような方は、滅多にいないだろうと思います。

求めるものが違うのであれば、そこに至る手段も異なって来ると思います。

南无阿彌陀佛

447:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/22 21:55:16 GYsd7S9w
>>446
>弥陀により、今度こそは救い出されたいと願う方も、ごく少数ですがいると
      人の心の弱みを狙っているということか。

>永き流転 ~ 不可説・不可称・不可思議な救い

 口ほど便利なものはない。詐欺師、嘘つき、ペテン師、催眠術師には魔法の呪文がある。不思
議不思議と言えば、煙に巻いた言葉の魔力で騙されるやつがいる。
 催眠術を使える人がみんな詐欺師だといっているんじゃない。しかし、麻薬と催眠術は昔から
悪いやつが乱用してきた。そのときには、必ず「不思議・不思議」という言葉が使われた。麻薬も
催眠術も、扱いを間違うと、とても怖い結果を生む。

 背後の詐欺師も、犯罪集団としていづれ正体が暴かれる時が来るのかも知れない。

>求めるものが違うのであれば、そこに至る手段も異なって来ると思います。

 僕は、ペテン師の口車を求めるつもりは無いんだよ。

448:298
08/08/22 23:46:59 /F8ldclJ
>>447
私の発言から、あやしさを感じられるのであれば、それは私の不徳の致すところであり、
誠に仕方のないことです。

くり返し述べてきておりますように、人はひとりひとり、各自の考え方で歩んでいると思います。

今生での生育条件だけでなく、これまでの永い流転があり、ひとりひとり、
考え方から、先入観、感じ方に至るまで、差異があることと思います。

だからこそ、渡海様には渡海様の道があり、私には、私の道があると思います。

渡海様は、私(の背後)に詐欺性を感じるとのことです。

しかし、私の実感としては、直接お会いし、少ない時間とは言え、
お話させていただき、純粋なお気持ちを感じました。

また、私自身、幾人かの救いを求める方ともお会いしたことがありますが、
よろこんでいただけたこともあれば、失望させてしまったこともございます。

あくまで泥の凡夫の私ですから、私に期待しても、失望を生むだけでしょう。

尊いのは、六字であり、弥陀であります。

限られた私の表現力では、私のお伝えしたいことも、伝わることなく、
自らの非力さを知らされております。

このような非力な私をも、救ってくださる阿弥陀如来、
大きな大きな存在であると思います。

南无阿彌陀佛

449:7
08/08/23 04:58:55 EFuSKoJP
私はあやしげなこと自体はそんなに悪しきことだとは思わないのです。

疑おうと思えばいくらでも何でも疑える、その時は自分自身の防衛本能を信じているということです。

阿弥陀仏は架空の存在であるという主張をするのも、必ず存在すると主張するのも、どちらも証明のしようがありません。

いないという証明をすることほど難しいことはないですし、仏様の実在を科学的に証明したという話も聞いたことがありません。

どちらも信じているに過ぎないことで、どちらの主張もあやしむことが出来ます。

私はそもそも死んだらどうなるのだろう、そもそも自分は何故存在するのだろうという、死んでみなければ分からないような問題にぶつかって、

悩み、答えを捜し求めてきたので、人生の問題点が違う方とは話が擦れ違うのだろうと思います。

ペテン師に遭っても遭わなくても死ぬ、騙されても騙されなくても死ぬ、生まれた時点でいつ死ぬことやら、自身の存在そのものがあやしげです。

私は南无阿彌陀佛に答えがあると思うに至って、遂にその答えを得たと信じるに至ったことが有難く嬉しいのです。

それが全て南无阿彌陀佛の六字にこもっている事が不思議ですし、一味の方がみえることも不思議ですし、求める方がみえることも不思議です。

もちろん人それぞれ信じるところにしたがって生きる他はないわけですから、皆さんそれぞれの主張をなるほどと拝読しています。

私は皆さんとここで出会えたことに感謝しています。

南无阿彌陀佛

450:298
08/08/23 11:42:40 wu9xHU/E
>>449
>阿弥陀仏は架空の存在であるという主張をするのも、必ず存在すると主張するのも、どちらも証明のしようがありません。

7様、まったくその通りですね。

わかるわけではないのに信じることができるのも不思議、
そして、わからないのだから信じないというのも当然、
どちらもすべて、彌陀の大きなはたらきの中にあるものだと思います。

南无阿彌陀佛

451:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/23 14:24:13 4KaR9/H0
親鸞 「無上仏と申すは形もなくまします。形のましまさぬゆえに、自然とは申すなり。形まし
ますと示すときには、無上涅槃とは申さず。形もましまさぬ様を知らせんとて、始めて弥陀仏と
ぞ聞き習いて候う。弥陀仏は、自然の様を知らせん料なり。」

 無上仏というのは形而下の存在ではありません。無形の観念的存在、形而上の存在です。だか
らこそ自然というのです。もし、有形の形而下の存在であれば、無上涅槃とは言いません。阿弥
陀仏というのを始めて教わったとき、無形の観念的概要を明らかにするために阿弥陀仏という概
念を使用すると教わりました。阿弥陀仏というのは無形の観念を明らかにするための資料です。
手段です。道具です。人形です。

7 「(親鸞さん。あんたは私らの看板になって黙っていればいいんですよ。貴方の話なんか誰
も聞いちゃいませんよ。私らの世界には、貴方に発言権なんかありません。)阿弥陀仏は架空の
存在であるという主張をするのも、必ず存在すると主張するのも、どちらも証明のしようがあり
ませんからね。」

298「7様、まったくその通りですね。わかるわけではないのに(自然の様を知らせん料なり
なんて、よくいいますね。)信じることができるのも不思議、そして、わからないのだから信じ
ないというのも当然、どちらもすべて、彌陀の大きなはたらきの中にあるものだと思います。
(看板に口を利かれても迷惑ですねぇ(笑)。)」

渡海「嘘つき、ペテン師、催眠術師は、薄笑いを浮かべながら意味不明の呪文をあやつるという
ことか。」

452:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/23 14:31:08 4KaR9/H0
>>449

> 私はあやしげなこと自体はそんなに悪しきことだとは思わないのです。疑おうと思えばい
くらでも何でも疑える、その時は自分自身の防衛本能を信じているということです。

 つい最近まで、親鸞会に騙されたと嘆いていたのに、こんどもまたペテン師の手先にで
も成り下がったのか。コメントするのもばからしい。


453:神も仏も名無しさん
08/08/23 14:55:13 qL2s0ECE
コメントするのもばからしい
とかなんとか言いながら、すっごく丁寧にレスしてるじゃない。w


454:神も仏も名無しさん
08/08/23 15:12:21 aC4b7Bvk
べっ、べつにあんたのためにコメント書いてるわけじゃないんだからね!!

455:298
08/08/23 16:31:46 wu9xHU/E
渡海様は、「形もましまさぬ」=「存在しない」「架空の存在」との見解を
お持ちのようですが、私はそのようには、考えておりません。

456:あぼーん
あぼーん
あぼーん

457:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/23 18:53:37 4KaR9/H0
>>455
>私はそのようには、考えておりません。

 言うことはこれだけか?。まあ、なんだっていい。
 「不思議・不思議」と薄笑いを浮かべながら術をかけ、相手を煙に巻く催眠
術のペテン師にとって、阿弥陀は、魔法(他力)を発する神秘の源だ。架空と
言えば、魔法に力が入らんだろうよ。

458:神も仏も名無しさん
08/08/24 01:59:06 nU6GX5iq
女優と結構したデブ(死んだ)の宗教ってこれ?

459:神も仏も名無しさん
08/08/24 03:22:28 q2fToIGj
袈裟が全然違うから多分違うと思うぞ

460:神も仏も名無しさん
08/08/24 09:35:00 nU6GX5iq
有り難うです。
しかし、あのデブの宗教はいったい何だったんだろ。NHKのドラマ見てたら、あの女優が出て来て、かなり気になった。

461:神も仏も名無しさん
08/08/24 16:05:45 7jVSH33j
 渡海と298との論争も決着がつき、妙好人スレもこれでいよいよ事実上
終わったな。今後は、単にアラシが勝手に荒らし回るだけになるだろう。
 スレの数は十本。終わってみれば、意外に少なかった。百本近いかと思っ
たが桁が一つ少なかった。
 それにしても、真宗の教義史に残るような中身の濃い議論だったなぁ。

462:あぼーん
あぼーん
あぼーん

463:神も仏も名無しさん
08/08/24 18:32:26 +calXPCB
298氏と渡海氏は論争もなにもしていなかったと思うよ。
だってふたりの焦点がぜんぜん噛み合っていないもの。
違う土俵で相撲を取るようなもの。
粘着する渡海氏に、298氏が仕方なく応じていただけに見えたけどね。
しかし、ともかくも渡海氏の念仏に対する姿勢は、まあ立派だとは思うよ。
ただ、その考えに同調する人を探すとすれば、浄土真宗よりも浄土宗のほうがいいんじゃないかなあ。

ところでこのスレ読んだり書き込んだりしてる人は、どういう人たちなんだろうね。
少なからず興味が沸くね。 やっぱりお坊さんが多い?


464:7
08/08/24 22:51:19 4jGY+Tgq
自分は在家、普通のサラリーマンです。お坊さんは意外と少ないのでは・・・?

でも信心決定に真剣に関心がある方が集うべく建ててもらったスレなので、本業?たるお坊さんが少ないとしたら寂しいですね。


465:神も仏も名無しさん
08/08/24 23:16:26 +calXPCB
>>464

なるほどねえ。
職業人としてのお坊さんは、余暇にまで仕事を持ち込みたくないかもしれんですね。
私だって、家に帰ってまで仕事したくないものねえ。
そうすると、少数でもここに書き込みされていたお坊さんたちは、たいした方々だということになりますね。

ちなみに私も在家。うどん屋のオヤジ。(笑)

466:298
08/08/26 02:42:39 dy7IRJrL
私も在家です。
在家でありながら、罪を重ねる生活を送りながら、
それでも、弥陀は救い摂ってくださいました。
それだけの力をお持ちであり、大慈悲の如来です。
御文様を読んでいても、心に響いて参ります。
他の方のことはわかりませんが、
地獄に堕ちること当然であった自分。
今でもその生き方に、大して変わりがあるわけではありません。
未熟で傲慢である私に変わりがあるわけではないのです。
違うのは、「弥陀をたのんだ」ということ。
このひとつの理由により、私は自分の心が変化してきているのを感じます。
それは、「良く」なったというよりは、「ラク」になったという感じです。
そして、その結果、次第に良くなってきているようにも感じます。
これらのきっかけは、「弥陀をたのんだ」ということであって、
それによって、方向転換が起こったのだと思います。
私は、私がよろこべていることがうれしい。
そして、他の方は、私にはどうしようもないのだと思います。
「阿弥陀さまはすごい、すばらしい」ということを、機会があればお伝えしようと
思いつつ、六字を称える日々です。
南无阿彌陀佛

467:117
08/08/26 22:47:39 WQGLNAGP
お盆の節を過ごしました。小6年の息子毎日、仏倶様を日課に上げています。「何で阿弥陀7様
阿弥陀如来は死んだ後にしか救ってくれないの?]何と答えたら良いのでしょうか。

468:298
08/08/27 00:55:26 MUNCOiQK
>>467
もちろん、現世にて、弥陀は救ってくださると思います。
だからこその、御恩報謝であると思います。
救っていただいても、怠惰な私は、その御恩を、すぐに忘れてしまいます。
それでも、弥陀は捨てませんので、また思い出させてくださり、
六字を称えることができるのです。
ご子息の疑問は、とても良い疑問であると思います。
もちろん、弥陀は生きている間に救ってくださいますが、
「では、救われるとは、どういうことか?」と問いは発展してゆくことでしょう。
南无阿彌陀佛

469:神も仏も名無しさん
08/08/27 01:17:11 YqIv6uz3
>>467
今も未来もお救い下さっているんですよ。
弥陀にとっては、現世も来世も同じなんだよ。と言ってみてはいかがでしょうか?
人間の目で死によって現世と来世を勝手に分けているだけで、それに気づかない人間は愚かだと。

470:298
08/08/27 01:28:07 MUNCOiQK
>>469
「死んだ後にしか」という問いには、「なぜ『今』救ってくれないの?」という問いが
含まれているように感じますが、如何でしょうか。

「救われていないように感じても、実は救われていて、救われていると気付かない人間は
愚か」ということにもなるのでしょうか。

471:7
08/08/27 02:01:11 dvZ49CUt
現世にて救われるので御恩報謝のお念仏といわれるのですよね。有難いという言葉では言い尽くせません。

南无阿彌陀佛

472:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/30 16:04:25 Yv6naGEj
ブログ親鸞仏教 更新しました。

 www.しんらん.jp/

 田中氏の議論の続きを書きました。

473:神も仏も名無しさん
08/08/30 20:00:49 2jPBPJDx
スレリンク(erochara板)

474:あぼーん
あぼーん
あぼーん

475:298
08/09/02 10:16:22 XWQqj2/p
ちょっと前までは、法論サイトを見ても楽しかったのですが、
近頃は、距離が遠くなって、距離が遠くなると、
そこでの出来事は、振れ幅が小さく見えるので、
どちらでも良いことになってきました。

これもまた、弥陀のみはたらきによって、
自分が変わってきているのだと思い、うれしく思っています。

南无阿彌陀佛

476:神も仏も名無しさん
08/09/02 20:48:25 D1gcW82X
104 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 01:41:27 ID:twE4aj+M
917 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :04/04/20 13:06
 浄土教の先人は「先生(阿弥陀仏)」という言葉を下に創作物語を添えた。それが阿弥陀物語
だ。阿弥陀物語をなぜ作ったのか。「ああ先生」と称えることのすばらしさを伝える手段として
「先生物語」を創作したんだ。阿弥陀仏という化け物がどっかに存在するんじゃない。人は、結
婚すれば、田中さんが鈴木さんと結婚すると鈴木さんに変わる。人は、どう名前が変わってもい
い。しかし阿弥陀仏はそうじゃないんだ。阿弥陀という名前を離れてどっかに存在するんじゃない。
「ああ先生(南無阿弥陀仏)」と称えることはすばらしいことだよということを、人々に伝える
ための道具として、阿弥陀物語が作られたんだ。それが阿弥陀物語なんだ。そういうことを忘れ
ちゃいけない。阿弥陀ではなく、南無阿弥陀仏が尊いんだ。
 阿弥陀仏(先生)は、阿弥陀物語(先生物語)を通じ、南無阿弥陀仏を称賛している。こうい
う構造にこそ、創作者たち先人の知恵がある。南無阿弥陀仏は、我々が口にそれを称えるところ
で実体を持つ。南無阿弥陀仏は、座禅して称えるところに根元的な意味を持つんだ。


477:神も仏も名無しさん
08/09/02 20:49:15 D1gcW82X
105 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2008/09/01(月) 14:22:56 ID:ct1FzY1G
>>104
 これは、アラシなのか、声援なのか、ヤジなのか。趣旨がわからん。
 僕は、アラシについては一切ノーコメントとすることにしたんだ。僕を声援
するつもりでコピペしたのであれば、ありがた迷惑だ。話には常に流れある。
>> 101~103の議論は、>> 104と矛盾はしないが、微妙に温度が違う。初め
て読むんだ人の中には、矛盾を感じる人がいるかもしれない。

 話の温度差については、説明すればほとんどの人にわかってもらえるだ
ろうが、読み手が混乱するかも知れない過去のカキコは、アラシ目的でな
ければ、無闇なコピペは遠慮してほしい。

 >> 104の考えは、今でも堅持している。しかし、こちらも生身の人間であり、
考え方は激変していることがある。そういう意味でも、無意味なコピペは迷
惑する。

 なお、敵対的アラシ目的のコピペであれば、ノーコメントだ。



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