【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ10【信心獲得(決定)】at PSY
【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ10【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch161:あぼーん
あぼーん
あぼーん

162:神も仏も名無しさん
08/07/12 18:03:59 8zsjkhTI
>158
言い切っていいんですよ。
そうじゃなければ、体験に依っているのではないと言う義が立たない。
あと、南無阿弥陀仏は称えるべきと勧められるけど、
称えた事は往生の正因じゃないよね。そうであれば、
極端な話、たとえ称名を称える事が出来なかったとしても、善知識のもと、
摂取不捨の誓いを聞いて、信楽開発すれば、往生治定と言う事。清浄之因唯信心と言う言葉に従えば。


163:神も仏も名無しさん
08/07/12 18:23:59 8zsjkhTI
>162蛇足
多分、真実信心必具名号と言う言葉が、反論として考えられるけど、
そしたら、清浄之因唯信心との言葉と矛盾なく、称名と信心との関係性を顕らかにしなければ、
親鸞聖人は、片や必具名号と言って、片や唯信と言ってる二枚舌の人って事になっちゃう。
どうする、どうする。

164:神も仏も名無しさん
08/07/12 18:27:25 v2Tb1W3Z
よく体験って言葉がつかわれてますが、皆さんの言うところの体験とは具体的に何なんですか?
あと、お念仏は感謝であって、往生とは関係ありません。
往生の因はあくまでも信心。
今更言うまでもないのでしょうが、信心正因称名報恩です。

165:神も仏も名無しさん
08/07/12 18:44:22 v2Tb1W3Z
真実信心必具名号。これはあくまでも信心の体は名号であるという意味ですね。
教学的に?言うなら、阿弥陀仏の名号が私に届き、その名号が私の上に信心となってあらわれる。とでも言えばいいでしょうか?

したがって、この名号は称名念仏とはわけて捉えるべきでしょうね。

166:神も仏も名無しさん
08/07/12 19:01:43 kg2KWTeL
>>165
>教学的に?言うなら、阿弥陀仏の名号が私に届き、その名号が私の上に信心となってあらわれる。とでも言えばいいでしょうか?

それじゃ信心の体が名号であるとは言わないな。名号とあなたの信心が別物だから。自力やね。

名体不離の名号だからだよ。分かるかな?

167:神も仏も名無しさん
08/07/12 19:08:51 v2Tb1W3Z
残念ながら分かりませんね。
何をもって自力だと仰ってるのか分かりません。
だからと言って説明して頂かなくても結構ですよ。おそらく何の説明もなく「それすら分からないとは話にならないね。」とでも言われるだけでしょうから。
それに別にあなたにどう思われようが構いませんし。

168:神も仏も名無しさん
08/07/12 21:29:16 vFQOR4KR
>>162

>そうじゃなければ、体験に依っているのではないと言う義が立たない。

そういう義があるのは知りませんでした。
それに私は体験に依っているのではないとは言っていません。
肉体を持って生きていくうえで、あらゆる感覚器官から受ける刺激や、身口意のはたらきを通した体験を抜きにしては、なにも成り立たないのではないかと思います。
信心も称名も体験としてとらえるのは間違いなんでしょうか。


169:神も仏も名無しさん
08/07/12 21:30:12 vFQOR4KR
>>163

そういう難しいことをおっしゃられてもよく分からないので、「どうする、どうする。」と言われてもどうもできません。

少し呆れはしましたけれど。

170:神も仏も名無しさん
08/07/12 22:15:31 8zsjkhTI
>165
それは違いますね。行巻には、
「しかれば、名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、
よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなわちこれ最勝真妙の正業なり。
正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり~」と言われています。
さすれば、弥陀の仏名を称えるという行為は、正しくこの世界において、
最も尊い業と言わねばなりません。煩悩の発生源である無明を破す、とまで言われるのですから。
膨大な功徳利益をもたらす最勝の行いと言わねばなりません。
そののちに、六字釈によって、この称えている南無阿弥陀仏の本質は何か?
と言うところに行き当たるわけです。
称名と言うも、その本体は南無阿弥陀仏であって、
さらに南無阿弥陀仏の本体は何かと突き詰めれば、
「如来すでに発願して衆生の行を回施したまふのこころなり」
即ち、本願力回向、本願他力なんだって事です。これは信巻へのプロローグと考えていいでしょう。
信から行へが、普通一般の仏道修行のプロセスでしょう。
何故なら、信じたから、行ずる、というのが至極当然だからです。
この人の言っている事は本当だ、信用に値する、と信じ、
それに準じて行動を起こすのが、我々の常の姿だからです。
この商品はなるほど信頼できる素晴らしいと信じてから、
買うという行為が起きる。この方程式にあてはめるなら、
「教信行証」と言う構成になっていなければ、
おかしい。でも、親鸞聖人は「教行信証」と語られるんですね。
~つづく~

171:神も仏も名無しさん
08/07/12 22:26:36 8zsjkhTI
>169
ごめんなさい。
体験すると言った時、体験したのは、誰が体験したのかと問われれば、
私以外にありませんよね。ところが、私達は、末代無痴の凡夫と言われます。
その煩悩具足の私が体験したことが真実だと言えますかって事です。
それが、救われたでもいいし、気分がよくなったでもいいのですが、
その体験をもって浄土往生が叶うと言えるか、
即ち親鸞聖人が言われる真実信心と言えるだろうか?ということです。


172:神も仏も名無しさん
08/07/12 22:58:35 auo6aKJt
>>171

>その煩悩具足の私が体験したことが真実だと言えますかって事です。

言えるかどうかはわかりません。
しかし、体験してみないことには何もわからないのもまた事実だと思います。
念仏為本、信心為先とは、そういうことではないのかなと思うのです。

ここを読んでいるうちに、教学というものはたいへん膠着したものだなあという思いがしたので、素人考えについ変な書き込みをしてしまいました。お許しください。


173:298
08/07/13 01:58:40 gcoAGi+V
>>172
教学で助かるわけではないですからね。
言いたい人には、言わせておけばいいと思っています。
理屈では助かりません。
一文不知の方も助かる教え。
素朴な感覚が大切だと思います。
南无阿彌陀佛

174:神も仏も名無しさん
08/07/13 02:08:49 5lVRVBHW
>>158

ちょっと無茶な質問だったかも。ごめん。

大切なのは、今現在、本願を信知して南無阿弥陀仏を称える身であること。
それに比べたら、過去の特定の体験は、あってもなくても同じようなもの。

信心開発というのは、何かの免許をもらうようなものじゃなくて、
阿弥陀仏の本願に対する信が起こさしめられる、一番最初。
その後は、その一念と同じ信が、他力によって起こされ続ける。


175:298
08/07/13 10:35:25 0Fn9N9Cb
>>174
因があって、果があるのですから、過去の特定の体験が異なれば、
現在の状況は、異なるのではないでしょうか。
現在は、過去から独立しているのでしょうか。
「宿縁」を、忘れてしまってはいませんか。
ましてや、光明のご縁を忘れることがあって、良いのでしょうか。
無記になるかもしれぬ私たちですが、意識ある間は、
御恩を感じ、お念仏申したいものであると思っております。
南无阿彌陀佛

176:神も仏も名無しさん
08/07/13 12:54:47 ftkobyih
>172
現代は、体験という執着が強化されたんです。これは近代自我主義を選択し、
それに基づいて教育されてきたのだから、当然の結果でしょう。
しかし、仏教は「それは真実か否か」を問います。
さて、
弥陀の救済、本願力即ち「必ず浄土に生ぜしめん」「必ず仏と成さしめん」
が働いている、という表現と、弥陀の救済を私が体験する、
ここには雲泥の差があります。片や、弥陀にまかせたすがたであり、
片や、弥陀にまかせた自分の体験を重視するすがたです。
ためしに、妙好人と呼ばれた方々が「私は信心開発という体験をしました」
と言われている所を探してみるといいですよ。
まず無いと言っていいんじゃないかな。
私の体験より、弥陀が必ず助けると誓われた事が最重要事であるからです。
そして、弥陀の本願が働いているのは、有限の存在である無常の私にとっては、
「ただ今」しかありえません。過去は過ぎ去り、未来は未だ来ない。
杞憂や体験を真実絶対だとし、そこに基を置くのならば、
結局、無常をたよりにしていくだけの生き方になり、
無常であるがゆえに迷惑も苦悩も消滅する事が無いってことです。


177:神も仏も名無しさん
08/07/13 12:56:12 +h/I8Z15
>170
何を仰りたいのかイマイチ分からないのですが、何が違うんでしょうか?
名号とは即ち私を救わんとする弥陀の本願力そのもの。その名号が私に届き、私をして信心獲得せしめ、その後には報恩感謝の称名となりてあらわれる。
私はそうお聞かせ頂きましたが、何か間違ってますでしょうか?

178:298
08/07/13 13:03:52 0Fn9N9Cb
>>177
私は、177様と同意見だと思います。
六字こそが、信の体です。
自分で塗り固めた信など、たよりにならないと思っております。
南无阿彌陀佛

179:神も仏も名無しさん
08/07/13 14:26:01 ftkobyih
>177
ごめんなさい。書きかけのままでした。
信巻の「真実信心は必ず名号を具す」で言われる名号は、南無阿弥陀仏のお働き、
いわゆる法体名号を指すのではなく、私たちが称える称名と言わねばならない。
結論から言えば、以上です。


180:神も仏も名無しさん
08/07/13 17:30:45 +h/I8Z15
なるほど。必具名号の名号の部分でしたか。
今あらためて調べましたら、確かに私が間違っていました。申し訳ありませんでした。

298さん、ご意見どうもです。

181:神も仏も名無しさん
08/07/14 00:07:14 +ZbO+dBu
>>175
>因があって、果があるのですから、過去の特定の体験が異なれば、
>現在の状況は、異なるのではないでしょうか。

私たちの過去の特定の経験は、往生の因とはなりえませんよ。

>ましてや、光明のご縁を忘れることがあって、良いのでしょうか。

今現在の光明のご縁を、過去のものとして、良いのでしょうか?


182:神も仏も名無しさん
08/07/14 14:38:53 SYPL6V+E
過去の特定の経験にこだわるべきではないのなら
面授口訣とか次第相承とかはかならずしも、というか、
まったく必要ではない?
かならず助けるという弥陀の本願を、自分なりに信じると
いうことでOKなのかなあ。



183:神も仏も名無しさん
08/07/14 14:41:07 k+VXVtli
顔面評価スレで「はっきりいいます。生理的に無理です。私みたいになんとなくそう思う女性は多いと思います。」って言われました。俺は何を思って生きたらいいんでしょう。晒しまくったら何十回も生理的に受け付けない顔と言われました。みなきゃよかったと…

184:神も仏も名無しさん
08/07/14 16:32:09 35rqlNdA
>182
他力信心に、面授口決だろうとも、次第相承だろうとも、
何物も一切差し挟めないでしょう。
一心一向に弥陀をたのめと言うみ教えにしたがって(このことを
私に教えてくれた方が「私にとっては」善知識ね)、
弥陀を一心一向にたのむ生活をおくる。
弥陀の悟りの功徳を頂戴しながら生きるから、
自ずと現生十益に言われるように、ご利益多き人生を歩む事になると。
平生業成ですね。


185:神も仏も名無しさん
08/07/14 16:37:59 35rqlNdA
>183
人形は顔がいのちかもしれないけど、人間は人生がいのちさ。
くよくよばかりしてると、くよくよ人生になっちゃう。
そっちの方が問題じゃん。気にはなっても、気にすんなって。
ドンマイ、ドンマイ!


186:神も仏も名無しさん
08/07/14 17:31:27 ZS7BknvQ
>>184

たのむ一念の時、往生は一定と存じるものなのでは?
平生業成は一念で定まるものなのでは?
あなたは一心一向になったつもりで日々生活されているのですね。
達者な内はそれでもいいでしょう。しかし明日も分からぬ身で、一心一向に日々弥陀をたのむ生活などあり得ない話。
所詮は自力の域を抜けていない。

往生一定の一念に全てが籠っているから、いかに己が生活しようが、
どんな死に様になろうが関係がない。四種の往生はそれを教えている。


187:神も仏も名無しさん
08/07/14 21:57:27 35rqlNdA
>186
どんな死にようになるかなんて、逆立ちしたってわからないのに。
未来は未だ来ないんだから。
病気になって、親の顔もわからなくなって、自分の名前もわからなくなって、
ま、そういう風に終わってしまうかもしれないけど、
口に世事を交えず、高声念仏で、感謝に満ちあふれて終わるかもよ。
脳内麻薬が分泌されて、二十五菩薩が紫雲に乗ってお迎えにくるのが見えちゃうかも。
想定不可能のものを想定するのはナンセンスって事。
そんな不定な事ばかり、気にして生きてるなんて、生ける屍みたいなもんだ。
つもりも何も、今、若不生者の誓いを聞くだけ。それに基づいて念仏申し、生活するだけ。
別になんたることもないやね。


188:神も仏も名無しさん
08/07/14 22:45:46 h62jk7CX
なるほど。
よく分からないけど、なにも心配せずに念仏しろってことかな。
で、187さんの往生は治定ですか?

189:神も仏も名無しさん
08/07/15 00:11:41 A2EJqFxt
>>188

残念ながら20願止まり。

190:神も仏も名無しさん
08/07/15 00:15:07 s06U12RN
>188
それじゃあ、阿弥陀さまに聞いてみようか?
ぴっぽっぱっぽっぴっ。
「もしもし、如来さま。若不生者のお誓いは、真のお心で起こされたのですか?」
「そうですよ、あなたに真の心が無いからね。それではあなたは浄土往生は言うにおよばず、
ずーっと迷い続けちゃうからね。」
「そうでしたか。じゃあ、その真のお心をたよりに生きていきます」
「いつも護ってるからね、みんな見てるからね」
「ありがとうございます」
信心決定したか否かを凡夫の心に聞いたって、土台、真の心などありゃしない。
聞くだけムダな話じゃないか。若存若亡の凡心、信外の軽毛。吹けばどっかに飛んでくよ。
いつでも、間違いない仏に聞く。聞其名号は信心歓喜。
摂取不捨の真言まことなるかな。


191:神も仏も名無しさん
08/07/15 00:29:48 s06U12RN
>188
何も心配せず念仏称えるなんて出来んの?スゲーなあ。定善の人?
末法濁世にそんな人いるんだ。築地市場の中に、虎が歩いてるより珍しいわあ。
私には出来そうもないよ、明日のことさえわからないのにさ。
私は、何の心配もせずに念仏称えなさいなんて書いた覚えはないんだけど。
弥陀の「必ず浄土に往生させる」この誓願ひとつをたのめって
勧めさせていただいてるだけなんだけど。
さすれば、必ず現生に十種の利益を得るよって事。
入正定聚の利益があるんだから、死は解決だよね。
必ず浄土に生まれるに退転しない仲間が、正定聚なんだから。

192:神も仏も名無しさん
08/07/15 01:07:25 0wkI5Gxa
>>186
>しかし明日も分からぬ身で、一心一向に日々弥陀をたのむ生活などあり得ない話。

有り得ちゃうんだよね。これが誓願不思議。凡夫の智恵で理解できる範囲を超えてる。

日々、一心一向に弥陀をたのむ心が、他力によって起こされ続ける。
これが信心決定したるすがた。

むしろ過去の特定の体験をよりどころとしている人こそ、自力。


193:神も仏も名無しさん
08/07/15 13:56:57 QxpazYNt
たぶん効能書きを読んでるだけなんだろうなあ
と思ってしまうオレは邪見のカタマリ。

おどろかす甲斐こそなけれ村雀耳慣れぬれば鳴子にぞのる

194:神も仏も名無しさん
08/07/15 14:33:37 QxpazYNt
しかし御伝鈔なんか読んでると、体験とかたくさん出てくるような気がするし

195:神も仏も名無しさん
08/07/15 14:46:05 A2EJqFxt
>>192

ブッブー。誤りでしゅ。それでは他力誓願不思議の言葉に酔ってるだけ。

口伝鈔読んでみ。

「さればいくたびも、先達よりうけたまわり、つたえしがごとくに、他力の信をば、一念に即得往生ととりさだめて、
そのとき、いのちおわらざらん機は、いのちあらんほどは、念仏すべし。これすなわち、上尽一形の釈にかなえり。
しかるに、世の人つねにおもえらく、上尽一形の多念も、宗の本意とおもいて、それにかなわざらん機の、すてがてらの一念とこころうるか。
これすでに、弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆえは、如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。
もし多念をもって、本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。
されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす。」

以上終了。

196:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/15 16:56:02 Tiz1tx0/
>>195
 195よ。往生をもたらすその一念の念仏とはどんな念仏なんですか?。一度称えたら、金輪
際二度と念仏を称えないという、そういう種類の念仏なんですか?
 それとも、一度称えたら、次にも、次にも、命ある限り繰り返し、繰り返し南無阿弥陀仏が重
ねられていくことが、当然のようにして予定されている、そういう念仏なんですか?。
 貴方は、一念の念仏で往生が決まったら、二度と念仏を称えないのか?それとも、当然のこと
として、次にも、次にもひたすら称え続けていくのか?。どっちなんでしょうね。

 貴方の一念の念仏は、二度と称えないでいい、そういう念仏なんですか?一念の念仏が、念仏
を称えないでいいことのいいわけに使われている気がしますよ。

 「要するに、自分は念仏を称えたくないんだ」と、あなたは言っているんでしょう。貴方は、念仏が
好きですか、嫌いですか?

 自分は念仏が嫌いなんだ。念仏なんか称えたくない。そう思うなら、屁理屈はいらない。堂々と腹
を決めたらどうですか?
 貴方に、念仏を称えてくれなどと、そんなことを頼む人も、勧めている人もいないんですよ。その
ことをしっかりと認識しようよ。念仏なんか頭から忘れるといいでしょう。

197:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/15 17:08:59 Tiz1tx0/
>196
 195を考える分かりやすいたとえ話に気が付いたよ。

 一度称えたら、もう二度と称えないでいい。なぜならそれで往生は決定したのだから。つまり称
名念仏が、極楽往生取引の交換条件になっているんだね。お金を払えばディズニーランドに入
場できる。入場すれば、もう入場料は払う必要がない。金を払ったか払わないかで入場の可否が
決まる。念仏を称えたか称えないかで、往生できるかどうかがきまる。一念の念仏とは、往生極
楽の通行料なんだろうね。
 入場料は一回払えばいい。これが阿弥陀の本願である。御伝抄の教える195の考えた往生極
楽のノウハウのようだな。


198:神も仏も名無しさん
08/07/15 18:08:21 Tiz1tx0/
 一人の人物が、ディスニーランドの正門から、大手を振って中に入っていった。

警備員「お客さん。お客さん。入場料を払って下さい」
客 「む?。入場料? そんなものは、10年前に一度払ったわい。」
                                         <誤伝笑>

199:あぼーん
あぼーん
あぼーん

200:神も仏も名無しさん
08/07/15 19:07:44 A2EJqFxt
>>196-198

ブーブー。新興宗教開祖の外道はお呼びでないずら。
口伝鈔を引いただけで勝手な妄想しない方がいいぞい。
これを否定すればお前さんが外道確定だぞ。

以上終了

201:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/15 19:49:11 Tiz1tx0/
>200
>新興宗教開祖の外道はお呼びでないずら。

 まあ、新興宗教開祖の外道は呼ばなくてもいいが、先人の真意は正確に理解しておきたいものだ。

>これを否定すればお前さんが外道確定だぞ。

 僕が口伝鈔を否定した?。心当たりがないな。まあ、覚如の書き物なんかは、僕は嫌いだけどね。

 僕はA2EJqFxt>>195を否定したんだよ。A2EJqFxtは、自分が否定されると、口伝抄が否定された
ように錯覚するのか?。
 A2EJqFxtは、教祖になって口伝抄で新興宗教でも起こそうというのか?

 自分と口伝抄との区別が付かないというのは、いささけ幼稚じゃないか?それでおぬしは、自分が
20願を越えて18願に入っていると(>>189)、錯覚しているんか。
 おぬしの新興宗教は、三日と持たんぞ。

              以上終了   -笑-

202:神も仏も名無しさん
08/07/15 20:12:19 s06U12RN
>194
例えば?
>195
善知識に遇って、仏願の生起本末を聞き、信心決定するも、
僕らはすぐ死んじゃうような短命なものだから、
南無阿弥陀仏の南も言わないうちに息絶えるかもしれない。
阿弥陀さまはそれをよくご存知だから、信心決定をもって浄土往生の因とされたと。
でも、信の一念は相続心であります。あながちにブ、ブーとは言えないんじゃないかな?


203:神も仏も名無しさん
08/07/15 20:13:13 A2EJqFxt
>>201

釣れたずらw

全部そっくりおぬしに返しますわ。
十八願は遠いのぉ。

以上釣り終了

204:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/15 21:03:05 Tiz1tx0/
>203
 釣りごっこだったの?
 大きい餌だったな。自分の体そっくりそのままを釣り糸の先にくくりつけ、
私を食べて下さいと獲物に餌として我が身を差し出すとは、お主もたい
そう愉快だな。

 これじゃ18願など、夢のまた夢。 -笑- 

205:神も仏も名無しさん
08/07/15 21:45:49 IpDpdFUq
たのむ心が他力によっておこされ続ける念仏 と 御恩報謝の念仏
これって同じもの?


206:神も仏も名無しさん
08/07/15 22:53:16 0wkI5Gxa
>>193
せめて効能書きを照らし合わせないとね。
御六字と違うものを、飲まされてるひともいるかもしれないから。

>>195
前後をよく読んでね。これは、多念の功をもって往生しようとするのは自力だよ、ってこと。

「一念は多念のはじめたり、多念は一念のつもりたり。ともにもつてあひはなれずといへども、
おもてとしうらとなるところを、人みなまぎらかすものか。」(口伝抄)

最初の一念で往生治定したらその先は、命ある限りその状態が念々に続くわけ(多念)。
いずれにしても、「今助かっている」こと=今、信の一念があることが大切。

>>205
他力によって信が起こされるから、口に称える御恩報謝のお念仏がある。
でも、口に称える御恩報謝の(つもりの)お念仏があっても、信があるとは限らない。


207:神も仏も名無しさん
08/07/16 01:01:07 x3+pqiWg
名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/10 19:39
>>508
さてその信仰といふはいかやうなることぞといへば、ただ「南無死に神様」なり。この南無死に神様の六
つの字のこころをくはしくしりたるが、すなはち信仰のすがたなり。
 されば、南無死に神様といふ六字の体をよくよくこころうべし。まづ「南無」といふ二字はいかなる
こころぞといへば、理屈を抜きに死に神様がいるのだと信じたてまつりて、霊魂を天国に導いてください
とふたごころなく、死に神様の存在を信じまゐらするこころを、すなはち南無とは申すなり。

つぎに「死に神様」といふ四字はいかなるこころぞといへば、いまのごとくに死に神様の存在を一心に
信じ、疑いのこころのなき人を、かならず死に神の御身より、あーら不思議に光明を放ちて、照らして
くださいます。そのひかりのうちに摂めおきたまひて、さて死ぬときにはかの死に神様は、霊魂を天国
におくりたまへるこころを、すなはち死に神様とは申したてまつるなり。

 いいことをすることは雑行、自力です。悪いことをしてもいいんですよ。所詮、この世は意味がない
ところです。大事なことは天国に行くことです。さあ、死に神様の天国に一緒に行きましょう。


208:神も仏も名無しさん
08/07/16 08:28:28 ziRGd0vA
パロディにしていいものと悪いものがあるんじゃないかな

209:神も仏も名無しさん
08/07/17 11:57:41 h1nOygaa
仏願力にはからわれながら、日々時々をおくる。
煩悩中心の私が、仏願力に帰る。
真実は「必ずたすける」と誓われた仏心だけ。
この御心に順ずる生活は、真実心のもたらす落ち着きがあり、歓喜心がもたらす楽しみがある。
苦に苦を重ねる生活が、摂取不捨の大益によって、日々転ぜられていく。


210:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/17 13:07:11 jhW5LtvS
>209
 浄土真宗では、新手の呪文が発明されたようですね。
 意味不明の怪電波は、インターネットに乗せない方がいいだろう。
宇宙人が誤解する。

211:あぼーん
あぼーん
あぼーん

212:神も仏も名無しさん
08/07/17 15:19:09 I9tPfJIW
>>210

ってか、この人ある意味おもしれー!!
怪電波是非俺にも飛ばしてくれ!!座禅しながら発するのか??

213:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/17 20:05:43 jhW5LtvS
>212
>この人ある意味おもしれー!!

      ある意味?。どういう意味だね?

>怪電波是非俺にも飛ばしてくれ!!座禅しながら発するのか??

 電波をとばせ?。難しいな。 電波には同調する波長が大事なんだよ。
 おぬし、親鸞さんと同調しているようには見えないな。親鸞さんと波長が合わ
ないおぬしの電波に合うような電波を送るというのは、並大抵ではない。

214:神も仏も名無しさん
08/07/17 22:00:51 h1nOygaa
他力というは本願力なり。他力信心と言うならば、本願力回向の信心と言わねばならない。
我執によってこしらえられた信心ならば、本願力回向の信心とは言われない。
真実信心の人は、この本願力回向の奴隷である。
自力信心の人は、自力の見解と感覚の奴隷である。
本願力回向の奴隷の足枷は、弥陀の本願だけである。「必ずたすける」これだけ。
自力信心の人は煩悩の奴隷である。我が感覚を信じ、我が感覚を主人とし、
他者と対峙する。他者も、また我が感覚を信じ、我が感覚を主人とするものである。
何度輪廻を繰り返しても争いは絶えることがない。自力の迷妄の失である。



215:神も仏も名無しさん
08/07/17 22:24:17 VQCS9vIf
>>214

>自力信心の人は煩悩の奴隷である。我が感覚を信じ、我が感覚を主人とし、
>他者と対峙する。他者も、また我が感覚を信じ、我が感覚を主人とするものである。
>何度輪廻を繰り返しても争いは絶えることがない。自力の迷妄の失である。

このスレには真実信心の人は一人もいないということ?

216:神も仏も名無しさん
08/07/17 22:26:58 LTd6QGdw
>>215
>このスレには真実信心の人は一人もいないということ?

そういうこと。
このスレには渡海難とか298のようにちょっと変な人はいるけど、真実信心の人はいない。

217:神も仏も名無しさん
08/07/17 22:49:56 h1nOygaa
他者に真実信心の人をもとめる事に意味はない。それを判断する私が、
判断できるほどの力が無いからである。弥陀の本願においては、
末代の凡夫に、判断力を期待しない。智者も愚者も、弥陀の救済対象は、
ともに凡夫でしかありえない。世間で智者と言われようが、自分で判断しようが、
自身を智者と思っている者は、弥陀の本願をたのまず、
自身の積み上げてきた経験、それによる見解という名の作品に生きる。
有限の自己解釈、欠陥の自己感覚の奴隷は、争いを好む。
自分の正当性を主張して、同じく欠陥の他者と対峙するからである。
欠陥同士が争っても、出た答えはいつでも欠陥品なのは言うまでもない。
「俺は正しい」と死ぬまで言い続ける人の生きざまに
時として、人はそれに信心を見、信用するが、皆自力信心、欠陥品である。
見るべき場所を間違えているのである。


218:神も仏も名無しさん
08/07/17 23:56:46 VQCS9vIf
つまらん。

座禅して念仏したりする人が出てくるのも、仕方ないかもしれんね。

219:神も仏も名無しさん
08/07/18 00:22:06 yEG5RrMS
本当に、念仏の無い生活なんてつまらない、むなしいもの。

如来の本願を忘れて刹那的に享楽的に生きるものの行く手にあるのは、
やみばかり。
間に合わなくなってから気づくよりも、今気づくべきだと思う。

生のどん底にある地獄…死に出会うときが、誰にでも必ずある。
言葉も思いも絶え果てる絶望に出会うときが。
そのときに、如来の本願に一切をまかせて逝けるかどうかは、今、平生に決まる。


220:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/18 01:04:03 V2pONTuy
>218
顕浄土真実行文類二 愚禿釈親鸞集 浄土五会念仏略法事儀讃に云わ
く、 ~ 王いま座禅してただ当に念仏すべしと。

 座禅して念仏することを勧めている人 → 親鸞

>>218
>つまらん。
>座禅して念仏したりする人(つまり親鸞なんかが)が出てくるのも、仕方な
いかもしれんね。

 つまらん親鸞なんか相手にするの、やめたらどう?。人生には面白い道は
他にもいっぱいあるぞ。

>219
 信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし
 信心の人は当然のこととして、称名念仏はげんでおるぞ。


221:神も仏も名無しさん
08/07/18 13:23:25 5i9KLgb5
>>219
>生のどん底にある地獄…死に出会うときが、誰にでも必ずある。
>言葉も思いも絶え果てる絶望に出会うときが。
>そのときに、如来の本願に一切をまかせて逝けるかどうかは、今、平生に決まる

これはもっともだね。
つまるつまらん関係なしに死はやってくる。
たぶんオレは、ぶっちゃけ死に臨んだとき、如来の本願を疑うと思うなあ。

さておき、
真実信心の行者なら、それでも往生間違いなし?
それとも、疑いなど塵ほども思わないのが本当?

222:神も仏も名無しさん
08/07/18 20:51:39 FTfmqNNe
>>221

愚禿悲歎述懐第一首にこうある。

浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし

横川法語にはこうある。

妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。

改邪鈔にはこうある。

そのゆえは、まず「金剛心成就」という、金剛はこれたとえなり。
凡夫の迷心において金剛に類同すべき謂なし。凡情はきわめて不成なり。
されば大師の御釈には、「たとい清心をおこすといえども、みずに画せるがごとし」(序分義)と云々 
不成の義、これをもってしるべし。

223:神も仏も名無しさん
08/07/18 23:41:11 myXlYJXW
>221
考えすぎじゃないのかな。未来の事は予測に過ぎない。
その予測に過ぎない事に捉われる必要はないよね。
信用に値するのは、必ず浄土に参らせると言う、
無上覚者の誓いでしょ。予測よりも、中心にすべき事は何か?
自ずと知れるよね。


224:神も仏も名無しさん
08/07/19 00:52:16 1CMgiKhK
>>221
正直だよね。それは凄いと思う。

それはともかく、平均寿命からすれば、死に臨むのは何十年先と思うかも知れないけど、
突然の病に倒れるかもしれない。実は明日にでも、通り魔にやられるかもしれない。
いやいや10分後には、心臓が止まってるかもしれない。
死の縁はどこにでも転がってる。

だから先のことと考えないで、今、疑っているかどうかを考えるほうがいいんじゃないかな。
本願に疑いあるままでは、真実信心の行者とは言わないし、報土往生は叶わない。

真宗門徒としては、釈尊、諸仏方、善智識方が示してくださる道をいくだけ。
疑い晴れるまで本願を聞き抜いて、お念仏称え抜くことだけ。


225:神も仏も名無しさん
08/07/19 08:50:50 Z/Ha/nES
>>223

「若不生者 不取正覚」だけ見つめても意味がない。願文・成就文をもう一度見てみよう。
それだけでは十劫安心・無帰命安心と呼ばれる。佛因がない状態で助かる助かると喜んでいる状態。
「至心・信楽・欲生」の三信、「聞其名号信心歓喜乃至一念」を具足したものに対するお誓い。即ち信心正因だね。

未来の予測は私たちにはできない。それは確かだが、だからこそ只今、往生一定の身にさせて頂かねばならない。
今というのはいつまで経っても今でしかないが、その今という時間には限りがある。これは確かなこと。
平生業成こそ真宗の大事。

>>224

>真宗門徒としては、釈尊、諸仏方、善智識方が示してくださる道をいくだけ。
>疑い晴れるまで本願を聞き抜いて、お念仏称え抜くことだけ。

聞きぬいてみなさい。聞きぬけない自分が分かるから。


226:神も仏も名無しさん
08/07/19 09:11:35 /I3rXVNA
>225
違うよ。若不生者の誓いを好ましく信ずるのが信楽。
三不三心との懇ろなお示しがあるのに、
誓願不思議が?願成就の名号か?みたいに人を惑わすような事を言ってはダメ。
僕もかつてそうだったけど、領解心をあてにすると、
誓願成就の南無阿弥陀仏六字中の帰命とは言えなくなっちゃうのさ。
つまり自力帰命だね。聞きぬいた心をあてにしちゃうんだよね。
仏智不思議を疑う罪は、ホント根深いなって思う。


227:神も仏も名無しさん
08/07/19 10:41:53 /I3rXVNA
おまけ
「十悪五逆の罪人をわれたすけんという大願をおこしたまひて、阿弥陀仏となりたまへり。」
阿弥陀仏の救済対象は、十悪五逆のわたしって事。
その誓願を疑いなく慮りなくたのめとのお勧めだよ。
法話をたくさん聞いたり、仏書をたくさん読む事は、
知恵もつく。理解力も深まる、感動も多い。
この土で、生きていく上での大きな楽しみの一つだね。
でも、生死の拠り所にはならない。
人よりものを多く知ってる。彼より、領解が深い。
あいつより俺は聞きぬいている、なんて思ってる。
まるで一念多念のひがごと、そっくりじゃん。
そんな比較を気にして生きてても、仏恩報謝にはならないし。
世の中、上には上がいるのにね。ま、その頂点は阿弥陀さまの本願なんだけどね。
必ず浄土に生まれさせていただくと信じ、念仏申すのが肝要だね。

228:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/19 10:58:47 EwoTg050
>>224
>疑い晴れるまで本願を聞き抜いて、お念仏称え抜くことだけ。

 称え抜かなくていい。南無阿弥陀仏と称えたら、称えた念仏はさらにその上にもう一度南無阿
弥陀仏が重なることを待っている。南無阿弥陀仏と称えたら、その上にまた南無阿弥陀仏を重ね
る。繰り返し、繰り返し称えていく。
 称名念仏は、疑いが晴れても称えていく。疑いが晴れなくても称えていく。

 正式には結跏趺坐し、あるいは半跏趺坐であしを組む。蓮華座は極楽浄土の正式な着座法だ。
自分一人の時は、胡座でも、正座でも、いいだろう。胡座・正座は略式だ。
 腹式呼吸で息を整え、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とゆっくりと称える。僕は南無阿弥陀仏の
ナからツまで8秒かかる。念仏は座禅して称えるのが親鸞流だ。

 自分は歩きながら称えたいという人は、歩きながら称えるといい。歩幅は踵から爪先までの長
さが丁度いいようだ。正面を見据え、普通の速さで南無阿弥陀仏と称える。称え終わったら右足
を一歩進める。また南無阿弥陀仏と称える。終わったら左足を一歩進める。歩行禅のやりかたに
南無阿弥陀仏を重ねるといい。渡海難がお勧めの方法だ。

 自分は寝ながら称えたいという人は、楽な気持ちで大の字になる。腹式呼吸で、ゆっくり南無
阿弥陀仏を称えていく。
 自分は速く称えたいんだという人は、速く称えるのもいいだろう。南無阿弥陀仏はいやだ。自
分は帰命尽十方無碍光如来と称えたいという人は、それもいいだろう。

 信心の人に劣らじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩を知り 称名念仏励むべし

 称名念仏の励みで、疑い晴れた信心の人が、疑心自力の行者に負けたら残念だ。
 信心の人も、疑信自力の行者に劣らじと、如来大悲の恩を知り 称名念仏励むべし。

229:あぼーん
あぼーん
あぼーん

230:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/19 13:36:55 EwoTg050
ブログ 親鸞仏教 歎異抄論 更新しました。

 www.しんらん.jp/


231:神も仏も名無しさん
08/07/19 13:56:53 tpKF83+0
>>230
見てる人っているの?

232:神も仏も名無しさん
08/07/19 13:59:05 8/c04u+A
みんなオレとそんなには変わらないのが、よく判った。
知識の多寡に差はあっても、そんなもの、とことんのところでは関係ないだろうし。
信心を、実感として語れる人はおらんですか。

そう言いながら、そんな人が出てきたら、たぶん眉に唾をぬるのだろうけど。


233:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/19 15:32:05 EwoTg050
>232
>信心を、実感として語れる人はおらんですか。
>そう言いながら、そんな人が出てきたら、たぶん眉に唾をぬるのだろうけど。

 僕は信心を実感として語っているつもりだけどね。そうは感じないかね?
僕が何を言っても信じない連中が多い。僕も信心を看板にするつもりはない。
しかし、信心を実感として語ろうと努力はしているんだよ。まあ、努力は足りないか
も知れないけどね。

 僕のカキコを見て、眉につばどころか、親鸞の顔に泥を塗っている連中は腐るほ
どいる。宗祖の顔は、幸いにも、泥を塗られても、ぴくともしない堂々たるものだ。

234:神も仏も名無しさん
08/07/19 15:43:23 8/c04u+A
>>233

ごめん。 渡海さんのはいつもの癖で、つい読み飛ばしてました。

235:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/19 15:47:47 EwoTg050
>234
 いやはや、こういうカキコが返ってくるとは予想していなかった。
 釣りのつもりで書いたんだが、とんでもないものを釣ってしまった。

 穴があったら入りたい感じだ。(→o←)ゞあちゃー

236:神も仏も名無しさん
08/07/19 16:10:45 8/c04u+A
>>235
いや、そういうつもりでもなかったんだけど・・・申し訳ない。

237:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/19 17:09:53 EwoTg050
> いや、そういうつもりでもなかったんだけど・・・申し訳ない。

 いやいや。ここは謝って貰う所じゃないんだ。僕は非常に書きにくいんだけど、考えにすれ違
いがあると嫌なんで気持ちの裏話をしておきたい。

 2ちゃんねるには、反渡海のような空気があり、実を言うと僕はそれを楽しみにしている。反
渡海のような空気とぶつかると、弁証法的に僕には第三の真実が見えてくることがある。実際、
僕はそれで随分勉強させてもらってきた。

 >>233 は、いわば「さあ、向かってこい」というような意気込みで書いたんです。但し、その
立場は驕慢の位置にある。驕慢の位置は守りが弱い。守りの弱いところで「さあ、かかってこ
い」というようなポーズを取ったわけです。こっちが驕慢の位置にたてば、相手もそれを映して
驕慢の位置からどうせへっぴり腰で攻撃してくるだろう。へっぴり腰に反撃する二の太刀は用意
していました。もともと広げた大風呂敷は驕慢の位置にあるから、立場は不利。まあ結果はどう
なってもいい。ゲーム感覚だったわけです。二の太刀、三の太刀を返せば、たとえゲームでも、
見えなかったものが弁証法論的に何か見えるようになるだろうと思ったわけです。

 ところが、へっぴり腰ではなく、正攻法で真正面を向いた反応がきた。>>233 はゲーム感覚の
驕慢という非常に弱いところに立っている。だから、真正面からの言葉には返す太刀を用意して
いなかったわけです。こちらは返す言葉が無く、全滅したわけです。

 この勝負は渡海の負け。 (→o←)ゞあちゃー   苦笑。

 遊びすぎたので、しばらくカキコ不能。

238:神も仏も名無しさん
08/07/19 20:01:37 /I3rXVNA
>232
信心を実感として語る人がいないなんて言うのはどうなんだろうね。
自分の感覚にピッタリ来る言葉を誰かに期待しても、意味ないし。
そんな人は、テレビ観て、コメンテーターや芸人の批評やってるのと大差ないんじゃないかな。
LIVE YOUR LIFE
人に期待するな、弥陀法を灯火とし、犀の角のように独り歩め。
期待する者はまがい物を掴まされる。世の中、お人好しばかりじゃないからね。
期待する以前に、自ら考え、自ら実践すべきでしょ。

239:神も仏も名無しさん
08/07/19 22:18:19 Z/Ha/nES
>>238

>期待する者はまがい物を掴まされる。世の中、お人好しばかりじゃないからね。
>期待する以前に、自ら考え、自ら実践すべきでしょ。

まがい物を掴ませられるか。あんたはそれがまがい物か見分ける目を持ってると主張するのかね?
自ら考え自ら実践する。いい響きだね。でもね。盲目には変わりがないからね。真実なんて分かりはしない。

南無阿弥陀仏の六字だけは真実である。ただそれだけだけだわ。

240:神も仏も名無しさん
08/07/20 00:28:08 tpEtySCt
南無阿弥陀仏だけが真実であるなんて、わかりきった事を
金科玉条のように唱えてても、親鸞聖人のお示しは顕らかにならないよね。
親鸞聖人は多くの著作を残しておられるのは、どうして?
「聞思」して遅慮することなかれと言われるのはどうしてなのかな?
疑問も持たず、信心正因称名報恩ですからなんて、
○○のひとつ覚えを繰り返してても、意味ないよね。
それは、親鸞聖人が身をとして伝えようとした事を、
死に物にしちゃう事だと思う。他力の信は、数式じゃない。
逆に、凝り固まった自力執心をぶっこわす力じゃないのかな。
活動しない信心は、死に物。そういう人の仏さまは、多分座ってる。
本願力は力、力は作用を生む。その作用に動かされる。
私は今生きてる、活動してる。悪業をつくる。
ならば、摂取不捨の善巧方便も、生きてる。活動してる。
悪業を消滅させ、浄土に必ず往生させんがために。

241:神も仏も名無しさん
08/07/20 00:37:09 tpEtySCt
>239
もうひとつだけ。
見分けられますよ。なぜなら、南無阿弥陀仏だけが真実で、あとは嘘ものだからです。
お前を必ずたすけるという弥陀の誓願だけが本物ならば、
必ずたすけるをたよりに生きていく。それに反する自業を恥じ、
日々お育てをいただきながら。これが楽しみ、南無阿弥陀仏。
それを教えて下さったのが善知識。数限りない善知識がいらっしゃる。
ありがたいな。

242:神も仏も名無しさん
08/07/20 08:19:41 7TvUonx9
>>241

239や。

>見分けられますよ。なぜなら、南無阿弥陀仏だけが真実で、あとは嘘ものだからです。

だからそう言ってるじゃない。能書き垂れてもしょうがない。
あれかい。お前さん本山系の坊さんじゃねーよな?
かつて2chで騒いでた。違ったらごめんね。許してね。
あの坊主と言ってること同じなだからさぁ。

信心正因を馬鹿の一つ覚えってw
んなこと言われてもそれは真実だもんなぁ。
その信心の体は南無阿弥陀仏なんだなぁ。
これも君のいう数多聖教に見られるなぁ。
お前さんが信じた、間違いないという心が信心じゃねーぞ。

243:神も仏も名無しさん
08/07/20 09:15:42 tpEtySCt
>242
南無阿弥陀仏が助けてくれるだからいいんだ。
だからいいんだという納得が根底にある信心を
他力信心と言えるのかな?無上覚の仏心が回向されてきた
信心って言えるのかなって事。
そうした信心には護持養育の利益がない。堕落のはじまりであり、
腐敗の原因になる。何故なら、弥陀の本願をたのんでいるのではなく、
だからいいんだ、これでいいんだと言う心が
その人を動かす力になっているからです。
「絶えず」「常に」煩悩が起こるという事は、
それを療治しようという弥陀の本願力も、また「常に」「絶えず」
働いているという事。つまり、いつも「今」って事です。
南無阿弥陀仏が真実、それしかないって、お名号を飾って眺めてても、
南無阿弥陀仏の本懐は全うされない。
つまり、功徳利益もものにならない。絵に書いた餅になってしまうわけ。
領解心にまかせず、弥陀の本願にまかせようよ。


244:神も仏も名無しさん
08/07/20 10:52:38 7TvUonx9
>>243

いいこと言うなぁ。あんた。大事なことだわね。
言いたいことよーく分かるよ。ありがとうね。

弥陀の本願にまかせる。まあ、蓮如さんでいえば「たのむ」ということになるわな。

お前さんとちーとばかり解釈が違っているんだわ。わしがだよ。
お前さんが間違ってるとは言わん。わしには正邪は分からんのよ。そういう目は持ち合わせてないからなぁ。

>>237

あんた面白い人やなぁ。
最近人間的に面白い面が出るようになったん?
しばらくしたらまたおいでな。

245:神も仏も名無しさん
08/07/20 11:08:44 7TvUonx9
>>243

ちょっと真似して続きね。

今、名号法が働きづめなのは分かるよ。ってか長時の行だからなぁ。
今、今、今、只今常に絶えず。よく分かるわ。

ではお前さん、今晩寝るやろ。縁あって脳血管詰まってまった。
薬石効なく、無記になってもうた。もう何も考えられん。感じられん。しゃべれん。称えられん。
それでもなお、何年か生きながらえるやろ。

あんた。その間何もできんよ。今の今。そんなんも分からんなるよ。
いや、それでもあんたは本願に任せたから往生できる言うんやったら、
所詮、過去の己の本願に任せたという領解心が体になるんやないの。
あんたさんの否定する過去の体験云々になるで。

他人事や架空の話なんぞ知るかいな。と言うてきそうじゃけど、
他人事じゃないで。皆同じや。

そのあたりのあんたさんのお心聞かせて下さりませんか。

246:神も仏も名無しさん
08/07/20 17:45:44 tpEtySCt
>245
明日、巨大隕石が落ちてきて、地球が宇宙の藻屑になる。
そんなこと考えて今を送るのか、如来の大悲を思って念仏申し、
自分のなりわいに出来る限り力尽くして今を送るのか、
時間の使い方の問題でもあるね。今に、IFは無いって事ね。


247:神も仏も名無しさん
08/07/20 18:13:05 qOxkzWWl
「今」に「IF」はない、ですか。
でも、私なんかはどうしても、IFを考えてしまうけど。

IFはない、と言い切れる人って、正直いったいどういう神経してるのかと。
っていうか、もしかして、すでに決定してそういう境地に入ってしまってるわけ?
それとも、理詰めに考えたらそうなるのかな。
よくわからん。

248:神も仏も名無しさん
08/07/20 23:24:30 uyr7NMVw
>243 南無阿弥陀仏が助けてくれるだからいいんだ。
だからいいんだという納得が根底にある信心を
他力信心と言えるのかな?

本当に、心底其処に気付いたら、それはそれで「信心」でいいのでは?何故いけないの?
 何か努力をしなければ駄目なの。その為の「努力」って何?

249:神も仏も名無しさん
08/07/21 08:14:46 jnevPlX+
>247
お釈迦様の言葉にあるでしょ。過去は過ぎ去った、未来は未だ来ない。
過去を追うな。未来を願うな。今、なすべきことをなせって。
覚者による真実の言葉でしょう。
浄土真宗の信心が、真実信心と言われるのは、
覚りの真実に基づいた信心だからじゃないでしょうか。
未来も憶測に過ぎないし、覆水も盆にはかえらない。
現生正定聚は、覚りの理にかなってますよね。即得往生の利益は今と言う事だから。
いつか信心決定するだろうも、未来に対する憶測に過ぎないから、定まってない。
だから、不定聚の機と言われるんじゃないかな。
逆に過去信心決定しましたと言うのも、過ぎ去っていく。
その時の体験も、様々な縁にさらされて劣化していく。
劣化していくものを頑なに護ろうとし、それにひしとすがっても、
諸行無常の理があるから、ほころびは免れない。


250:神も仏も名無しさん
08/07/21 08:22:06 jnevPlX+
>248
いけない、と言うより自力でしょ。「それでいいんじゃないですか」と言うのは。
努力したくないなら、努力しなければいいし。そんなの面々の御はからいです。
浄土真宗のスレだから、今、弥陀をたのめと言ってるだけですよ。
聞思して遅慮することなかれ、親鸞聖人のお勧めだよ。


251:神も仏も名無しさん
08/07/21 11:01:31 jsod8HEu
>>249
そりゃあそうだろうけどさあ。。。
そういうふうに理がわかる人はいいよね。
みんな、すごく物分りがいいんですね。
ジタバタしてる人なんかいないみたいだ。
立派といや立派だけどね・・・



252:神も仏も名無しさん
08/07/21 12:21:53 7HOf+nPi
>250
何をもって自力だと言っているんでしょうか?
僕には自力と他力の違いがイマイチ分かりません。
あなたにとって、具体的に自力とはどういうもので、他力とはどういうものなのですか?
良ければ参考までに教えてもらえますか?

253:神も仏も名無しさん
08/07/21 13:31:33 7HOf+nPi
それと、いつかは分かりませんが、誰もが皆等しく往生するのは間違いない訳で。つまり、私もあなたもいつかは信心獲得せしめられるのは定かですよね。

過去がどうのこうのと(何を言いたいのかはよく分かりませんが。)言われますが、まさか宿世の仏縁をありがたく感じる事すら否定なさるおつもりですか?


254:神も仏も名無しさん
08/07/21 18:27:22 jnevPlX+
>251
じたばたしようとしまいと、面々の御はからいですよ。
浄土真宗において大事なのは、一心一向に弥陀をたのむことでしょう。
いつかじたばたするのがおさまるのか、じたばたするのか、
どっちでもかまわないんじゃない?
>252
自力とは、我が身をたのみ、我が心をたのむ「一念多念文意」だよ。


255:神も仏も名無しさん
08/07/21 19:46:36 odeXfEY/
だめだこりゃ

256:神も仏も名無しさん
08/07/21 22:23:00 jnevPlX+
>253
>間違いない訳で
いや、そんなことは言えないよ。どんな浄土真宗?


257:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/21 22:34:56 I35Hdb93
>253
「いやだねぇ」
「何がいやだって?」
「きまってんじゃねぇか。とうとうあいつまで信心獲得しちまったよ。他人が困っていても、見
向きもしない。馬鹿にしてせせら笑う。他人が喜んでいれば、すぐ僻む。何かと言うと突っかか
ってくる。平気で嘘をつく。そんなあいつが、とうとう死んだら極楽浄土に行くことが決まった
んだってよ。」
「しょうがねぇだろうよ。なんたって悪人正機、信心正因なんだ。誰もこれには反対できねぇだろ。」
「そうだよな。なんで信心正因なんかになっちゃったんだろうね。嫌だね。おれは寒気がするぞ。
あいつの腹は真っ黒だよ。とうとう信心決定してその日に、のぞき見痴漢して警察に追われてい
たぞ。高校生の女の子が、目を真っ赤に腫らしていた。腹立たしいね。俺はあいつの背中に唾ひ
っかけてやりたいよ」
「そうだよな。あいつは町のダニだからな。ゆすり、たかりで生活してるんだろう。」
「そうだよ。それで、とうとう極楽行きだってよ。俺は、もうなさけねぇぞ」。
「信心正因なんだよ、阿弥陀さんも今は後悔しているという話だぞ」
「いくらなんでもそうだろう。あんな奴が極楽行きになるなんて、予想もしてなかったろう。で
も、阿弥陀さんでもどうしようもねぇんだってよ。」
「極楽行き決まったんで、あいつはますます鼻息が荒くなって威張りちらしているというじゃね
ぇか。そりゃそうなるだろう。なんたって信心獲得したんだから、もう大いばいりだよ。いやな
話だな。」
「信心正因で信心を得たのは、宿世の仏縁なんだってよ。『おれはこんなに感謝しているぞ』と、
回りにつばっひかけながら威張り散らしているぞ。誰も手がでねぇ。しょうがねぇよな。宿世の
仏縁ならばな。みんなもう、がっかりしてるぞ。あいつを見ていると、俺たちお先真っ暗だな」。

258:神も仏も名無しさん
08/07/21 23:06:01 7HOf+nPi
どんなも何もありませんけど?浄土真宗ですよ?
誰一人もらさず救うという誓いが本願ですよ?現世で救われるのか、もしくは来世以降に救われるのかは分かりませんが、皆等しく本願によって往生させて頂けます。それを否定されるのですか?
そうであるならば、それこそ本願を疑っているという事になりますけど・・・。

259:神も仏も名無しさん
08/07/21 23:45:20 jnevPlX+
>258
仏号むねと修すれども
現世をいのる行者をば
これも雑修となづけてぞ
千中無一ときらわるる
雑修の人は千が一にも、真実報土に往生することはないとのお示しです。
「みんな浄土に往生するんだよ、よかったね。よくわかんないけど、
そういうシステムになってるんです。」そんなことを言わせるための教えじゃないって事です。
私がこのたび往生成仏する教えだから、意味があるんであって、
「みんな浄土に往生するんですよね、間違いないですよね」
などと、答えが出る訳もない不定な事を、沙汰して何の得があるのかって事です。
まず自身が成仏すれば、そんな事は仏智によって顕らかになるし、
迷いの人も、完成した慈悲によっておもいのままに救う事だって出来るでしょ。
意味の無い沙汰をするよりも、自身がまず往生決定する事が肝要です。


260:神も仏も名無しさん
08/07/21 23:45:34 pfzGDPeF
>>251

本当は物分りが悪くてジタバタしてるのが、
弥陀の正客なんだよね。
浄土真宗は、立派になって救われる教えじゃないし。

ただ、お釈迦様の教えすべてが詰まっているのが六字の名号だから、
それを頂いたあとは、ジタバタしつつ理がわかっているという、不思議な状態になる。

>>253

往生を未来に期待したり、過去の仏縁があるからとたのみにしたりするのは
自力だってことじゃないの?


261:神も仏も名無しさん
08/07/22 00:44:13 aJPv5Avx
下品下生者、或有衆生、作不善業、五逆十悪、具諸不善。如比愚人、以悪業故、応堕悪道、経歴多劫、受苦
無窮。~ 「仏説観無量経」
 阿弥陀如来は、救いに条件なんて(平気でうそをつく人も、町のダニと言われる人も)憑けていないと思うの
ですが?

262:神も仏も名無しさん
08/07/22 10:01:31 OkRpkfWL
>259
答えが出ない?答えは出てます。誰もが皆、必ず本願によって救われる。僕もあなたも一人残らず救われる。それが答えです。
今現在、信のない人も、いつしか必ず本願力によって信心獲得せしめられ、往生させて頂けます。それが本願です。

263:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/22 10:13:47 YTBsCTEN
>261
>阿弥陀如来は、救いに条件なんて(平気でうそをつく人も、町のダニと言われる人も)憑けていないと
思うのですが?

 貴方は、浄土宗の真の底(親鸞消息)が分かってないということでしょう。

なにごとよりは、聖教の教えをも知らず、また、浄土宗の真の底をも知らずして、不可思議の放逸
無慚の者共のなかに、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、あるべくも候
らわず。(親鸞)

 どんな場合でも、聖教の教えも知らないで、また、浄土宗の真底も分からないまま、身勝手で自己
中心、放逸に振る舞い、我が身を全く恥じることもない者共に、自由に悪を振る舞っていいんだと言
うようなことは、どんな場合でも許されることはありません。


 それ、国にあらば守護方、ところにあらば地頭方において、我は仏法を崇め信心を得たる身なりと
言いて、疎略の義、ゆめゆめあるべからず。いよいよ公事を専らにすべきものなり。かくのごとく心
得たる人を指して、信心発得して後生を願う念仏行者の振る舞いの本とぞ言うべし。これ即ち仏法・
王法を旨と守れる非とと名づくべきものなり。穴賢、あなかしこ。(蓮如)

 国や社会で指導的地位にある人に対し、非礼があってはならない。仏法を信じていれば、国家社会
の秩序を混乱させてよいということではない。仏法者であっても、まず公益を尊重せよ。国家社会の
秩序を重んじよう。信心を得て、後生を願う念仏者の基本は、国家社会の秩序を重んじ、公益を尊重
するということである。仏法とともに、社会の倫理・道徳・憲法秩序を守れる人とは、そういう人を
指す。

 仁義礼智信を守りて王法をもって先とし、内心には深く本願他力の信心を本とすべき」よしを、懇
ろに仰せ定め置かれし(蓮如)

264:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/22 10:14:26 YTBsCTEN
 博愛・正義・礼儀・知識・信頼、こういうものを守り、人間社会の秩序を守り、倫理道徳を仏法に
優先して尊重し、その上で心の中には仏法の価値観を維持する。このように、言葉を砕いて詳しく分
かりやすく仰せになっておられた。

 まず王法をもって本とし、仁義を先として、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心に深く貯え
て、外相に法流の姿を他宗他家に見えぬように振る舞うべし。(蓮如)

 仏法より、社会の法・倫理・道徳を優先して大事にせよ。博愛と正義をもっとも優先せよ。世間の
常識的正義に従い、(悪苦しからずと言うような)浄土真宗の教えを正面に出すな。自分の心の中に
深く潜め、(悪苦しからずと言うような)浄土真宗の教えを他人からは見えないようにせよ。

 そのほか仁義をもって本とし、また後生のためには、内心に阿弥陀如来を一心一向に頼みたてまつ
りて、自余の雑行雑善に心をば止めずして、一念も疑心なく信じまいらせば、必ず真実の極楽浄土に
往生すべし。(蓮如)

 社会的には、通常は博愛と正義をもって基本とせよ。これまでの考えでは通用しなくなる人生の危
機あたっては、内心に阿弥陀如来を拠り所とせよ。自分の勝手な判断で行動をするな。念仏を称えよ
と言ってくれているんだから、その言葉を疑いなく信じ、危機管理は、ひたすら念仏を称え、先人の
知恵をもって危機を必ず乗り切るようにせよ。

 王法は額にあてよ。仏法は内心に深く蓄えよ(蓮如聞き書き)

 通常の価値判断は、社会の法・倫理・道徳・常識をもって価値判断の基準にせよ。仏法は人生の危
機に備え、いつでも使えるように心の中にしまっておけ。

正法能超出世間   正法楽  持戒坐禅を正法と名づく 念仏成仏これ真宗なり 仏言を取らざる
を外道と名づく 因果なしとの見を発すれば空となす(親鸞)

265:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/22 10:16:29 YTBsCTEN
 正法こそ、世の中を正しく生きていくあり方である。正法を大事にしよう。戒律を守り、座禅をす
ること、これが正法である。成仏は念仏で果たすのが真宗である。これを無視し、仏の言葉に耳を貸
さないのは外道である。結果を恐れず、道理を外れた行動をしてもいいんだと思えば、これは間違っ
た考えである。

 正法能超出世間 正法楽 禅律如何これ正法なり 念仏三昧これ真宗なり 了心を見性せばすなわ
ち是仏なり いかんぞ道理相応せざらん (親鸞)

 正法こそ、世の中を正しく生きていくあり方である。正法を大事にしよう。禅定と戒律がどうして
正法であるのか。座禅してひたすら五会念仏を称える念仏三昧が真宗である。悟った心を見極めるこ
とができれば、これは仏である。 禅定・戒律と念仏三昧との間にはなんら矛盾はない。

 正法能超出世間 念仏は声声に仏種を下す 坐禅持戒は真功を用いてなり 汝若し修せずてすなわ
ち仏になるといはば 喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし(親鸞)

 正法こそ、世の中を正しく生きていくあり方である。念仏は、一声一声で仏になる原因が積まれる。
成仏の原因は念仏にある。しかし、これに加えて座禅と持戒を勧めるのは、その効果に実体を持たせ
るためである。座禅もなく、戒律もなく、私は仏になりますと言えば、それは空腹の人が風下に立ち、
吹いてくる風を腹一杯に飲み込もうとするもので、腹の足しにはならん。 


 悪苦しからずと言う教えを、あなたは学んではいけない段階で浄土真宗のその教えを学んでしまっ
たので、混乱しているのでしょう。
 悪苦しからずと言う教えは、いまは忘れることが大事です。

 座禅しながらしっかりと五会念仏を称えつつ、王法を額にあて、社会の倫理・道徳・正義を博愛心
を持ち実現に努力していくことが大事だと思います。悪苦しからずと言う教えを学ぶのは、余りにも
早すぎる。

266:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/22 10:28:07 YTBsCTEN
>262
> 今現在、信のない人も、いつしか必ず本願力によって信心獲得せしめられ、
往生させて頂けます。それが本願です。

 仁義礼智信を守りて王法をもって先とし、内心には深く本願他力の信心を本
とすべき

 社会の道徳・倫理・正義・使命・責任・博愛心、人間のもっとも大事な核心部
分の重要性を深く認識し、それを実践している上でそういう話をするなのならい
いだろう。

 いつしか必ず本願力によって信心獲得できるということが、反道徳、反倫理、
反正義、反責任、反博愛の屁理屈として使われるなら、残念なことだ。

 大事なことは、仏法よりも王法を先とし、本願他力の信心は深く内心に秘め
るということだ。王法を無視し、仏法を屁理屈の盾にするなら、それは外道で
ある。

267:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/22 10:34:47 YTBsCTEN
たとい我、仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ。(大経)

 阿弥陀仏はケダモノを救うとは言ってない。鬼の心で鬼の行為をする者を鬼
という。ケダモノの心で、ケダモノの行為をする者はケダモノという。

 善人でも悪人でも救うとは言っても、鬼・ケダモノを救うとは言ってない。人は
人であることが救いの原点である。鬼・ケダモノのままで救って貰えると思ったら
大間違いだろう。

 仁義礼智信をまもれとは、まず、人であれということだ。仏である必要はないが
人間でなければ、阿弥陀の救いにあずかることはありえない。

268:あぼーん
あぼーん
あぼーん

269:神も仏も名無しさん
08/07/22 14:22:58 OkRpkfWL
残念ながら、やはりここではまともな話し合いなんて出来ないようですね。
渡海さんですか?何やら自分は偉いんだとでも勘違いしてるのか知りませんが、実のところは何も分かっていないみたいですね。
まぁ、何も分かっていないからこそ、あの態度なんでしょうけど。
その割には訳の分からない御託をならべて、品性の欠片もない。見苦しい限りです。

ケダモノ?鬼?そんなものは救われない?
一体何を聴聞されてきたんでしょうか?
縁があれば誰もがケダモノにも鬼にもなります。逆に、ケダモノや鬼のようにならずにすんでいるのは、そうなる縁がなかったからに過ぎません。
決してあなたが聖者だからとか、そういう事などではありませんよ。
そんな事すら分からないのでは、自らのお粗末さや仏縁のありがたさなど、まだまだ分かるはずもないでしょうね。
しかし、それが本来の我々凡夫の姿です。あなたも僕も本来は何も違わないんです。

でもご安心を。阿弥陀仏のお育てにより、いつしかあなたにも分からせて頂ける時が来ますから。

その時が一刻も早く来るといいですね。

270:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/22 14:39:59 YTBsCTEN
>269
> 縁があれば誰もがケダモノにも鬼にもなります。逆に、ケダモノや鬼の
ようにならずにすんでいるのは、そうなる縁がなかったからに過ぎません。

ケダモノや鬼になる可能性があると言うことと、今、いま、ケダモノや鬼であ
るということとは別の問題だ。誰でもケダモノや鬼になる可能性がある。だ
から、おれは今、ケダモノでいい、鬼でいいというのは別の問題だ。将来
ケダモノでいい。鬼にでいいとは、別の問題だ。

 過去においてケダモノであったということと、今、いまケダモノであるとい
うこととも別の問題だ。

 人間の皮を被った鬼・ケダモノでなければ、僕の話は分かるはずだ。


271:神も仏も名無しさん
08/07/22 17:12:33 bvGpY9L+
>>270

なかなかいいこと言うじゃない。大事なことやと思う。
あんた面白いわ。教義云々抜きで結構好きやな。

269は御縁があればケダモノになりうる自分という自覚やね。
できればそうありたくはないけどもなりうる可能性はあるわな。

でもな。269が救われているというのであれば鬼やケダモノではないはず。
あんたは菩薩や。ちゃんと十種の益がついとるからな。
救われておるのにケダモノになる自分がおるんや。と慄いても意味がない。
そんな時あんたの顔は暗くて既に鬼のようや。

鬼にも蛇にもなる可能性のある自分やけど、それは阿弥陀様にまかせたんやろ?
んなら、もっとニコニコしとればええねん。

272:神も仏も名無しさん
08/07/22 18:26:33 FU6Zp/AH
けだものだもの。

273:神も仏も名無しさん
08/07/22 18:29:46 G44C/bGp
もののけだもの

274:神も仏も名無しさん
08/07/22 23:22:21 OkRpkfWL
ふぅ。話になりませんね。
失礼な言い方になりますが、少しだけ忠告?しときましょうか?

あなたは日々、様々な形で殺生を繰り返してますよね?たとえば食事だったり、歩いて虫を踏み潰してたり。
最も罪深いと言われる殺生をし放題の日々を送ってるんです。そんなあなたが自分はケダモノでも鬼でも何でもないと言うんですから困ったものです。

いいですか?殺生をするもしないも何もかもが縁次第。あなたが自分をどう思っていようが、あなたは鬼やケダモノ、いやそれ以上にお粗末な罪深い存在なんです。
他の誰でもない、あなた自身が最も罪深い存在なんです。
それは僕も同じ事。
だからこそ阿弥陀仏の本願の対象なんです。

今現在が問題?今まさにあなたは自らのお粗末さや罪深さの自覚すらろくに出来ていない「ケダモノ凡夫」なんです。
これは何も殺生だけの問題ではありませんけどね。

ケダモノでいいとか、過去にケダモノであったとか、そんな問題ではありません。今、まさに僕もあなたも、どうしようもない存在なんです。
そういった自覚と共に本願のありがたさに気付かせて頂けるんですよ。

275:神も仏も名無しさん
08/07/23 01:14:11 hdbJj3g3
>274
けだものがけだものに忠告してるだけだもの。
なんの役にも立ちゃしねえ。


276:神も仏も名無しさん
08/07/23 08:26:29 ED/Plwzr
>>275

けだもの駄洒落か。
俺もけだものだけどねw


277:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 08:57:56 bw9UNxfv
>>274
>失礼な言い方になりますが、少しだけ忠告?しときましょうか?

 貴方は恥知らずな失礼な方ですね(苦笑)。忠告などは不要ですよ。鬼ケダモノよばわりされ
るのは、貴方一人で十分だ。他人を巻き込みなさんなよ。

> 最も罪深いと言われる殺生をし放題の日々を送ってるんです。そんなあなたが自分はケダモノ
でも鬼でも何でもないと言うんですから困ったものです。

 道を歩いて虫が死ねば、僕は鬼ケダモノなんですか?。動物を殺して食べれば、僕は鬼ケダモ
ノなんですか?。いったいどういう頭をしているんでしょうね。

それ、一切衆生、三悪道を遁れて、人間に生まるる事、大なる喜びなり。身は卑しくとも畜生
におとらんや、家貧しくとも餓鬼にはまさるべし。心に思うこと叶わずとも、地獄の苦しみには
比ぶべからず。世の住み憂きは厭う便りなり(源信)。

278:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 08:58:53 bw9UNxfv
 僕は、見ず知らずの人間から、ネットでいきなり鬼ケダモノという罵声を浴びせられる必要は
ないと思っていますよ。僕は人間であるというアイデンティティを持ったら「困った者です
か」?。 (苦笑)

 「虫を殺しているだろう。生き物を殺しているだろう。お前は人間以下だ!」ID:OkRpkfWLは、
一体どういう教育を受けてきたの?。まあ、カルト浄土真宗のノータリンにノータリン教義を刷
り込まれてきたノータリンだと言うことは十分に見当がつくけどね(苦笑)

 人間とは何か。阿修羅とは何か。ケダモノとは何か。畜生とは何か。地獄とは何か。天とは何
か。貴方とは、根本的に価値観が違うようだ。

 それで、鬼ケダモノの貴方(OkRpkfWL)は、「仁義礼智信」は必要と思っているんですか?
不要と思っているんですか?。仁義礼智信など、無用だと思っているんでしょうね(苦笑)

 浄土宗の真の底も知らず(親鸞消息)、見ず知らすの人をいきなり鬼ケダモノ呼ばわりするの
はやめたらどうよ?

279:あぼーん
あぼーん
あぼーん

280:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 10:30:27 bw9UNxfv
 昔の権力者は、革職人、死体処理職人集団を人非人よばわりした。現代の真宗のノータ
リン共は、虫を踏みつけて歩く人間を、鬼ケダモノ呼ばわりする。あんたらの頭の構造は
どうなっているのよ?
 先日、漁民達は重油の高騰にたまりかねて全国ストをやった。これからは、魚食品が高
騰するだろう。魚を釣って生活している彼らも、鬼ケダモノなんか?。鬼ケダモノが人間
の真似をして全国ストをやったという話なのか?。馬鹿を言うのはやめたらどうよ?
   (苦笑)

 全国には、無数の食肉加工場がある。そこでは多くの労働者が牛や豚を生きたまま殺し
ている。彼らも鬼ケダモノなのか?。人間ではないのか? (苦笑)

 日本には、死刑執行刑務官というのがいる。法務大臣の命令で死刑を執行する。最近、
朝日新聞は法務大臣を死に神呼ばわりし、法務大臣が憤慨していた。死刑を執行した刑務
官に対し失礼ではないか、と。

 ああいう人たちも、みんな鬼ケダモノなのかね?阿弥陀様をありがたがらないといかん
そんな鬼ケダモノなのか?

 人間でない連中には、基本的人権というのはあるのか?。ないのか?人権とは人の権利
だ。あれは、鬼ケダモノに必要なのか?。不必要なのか?。

 食肉加工場の人には、基本的人権などは必要ないのか?。彼らは、牛や豚を生きたまま
殺している。生き物を殺せば鬼ケダモノだそうだが、彼らには仁・義・礼・智・信など無
用なのかね?。倫理・道徳などは必要のない連中なのか?

 食肉加工場の方々よ、あなた方は鬼だケダモノだ。あなた方には倫理・道徳など必要ない。
人非人だ。さあ、私たちの神様(阿弥陀様)を有り難く思いなさい。お前(OkRpkfWL)はこん
な馬鹿宣伝するノータリンか?。

 ノータリン宗教の馬鹿宣伝するのはやめたらどうだ?

281:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 10:32:23 bw9UNxfv
>280は、> 274へのレスの続きです。


282:神も仏も名無しさん
08/07/23 11:47:49 B41NRQ02
何をムキになってるんですか?僕の発言で気分を悪くしたのなら謝りましょう。まさか、あんな態度で人を馬鹿にしているあなたが、そんな事で気分を害するとは思いませんでしたのでね。
自分が馬鹿にされて気分を害するならば、人にもちゃんとした態度で接した方がいいと思いますがね。

まぁ、そんな事はさておき。何を幼稚な話をしてるんですか?あなたが自分でケダモノの心でケダモノのような行いをするものをケダモノと呼ぶと言ったんでしょ。
それにあわせてケダモノという言葉を用いてるんですよ。基本的人権?何を言ってるんですか?僕の言う罪深さと、人間社会の法律に基づいた罪深さとはまったく別の話ですよ?そんな事すら分からないんですかね?

無数の殺生をしながら、何の罪悪感もない。むしろそんなのは当たり前だとでも言わんばかりのあなたこそ、仏教の基本から分かっていないみたいですね。

まぁ、あなたが自分をどんなに素晴らしい存在だと勘違いしていようが勝手ですもんね。
あまりあなたを刺激しない方がいいみたいなので、このくらいでヤメときましょうか。


283:神も仏も名無しさん
08/07/23 13:48:11 ED/Plwzr
ケダモノ論議はそろそろやめ。
ケの一字をクに変えてクダモノにすればいいじゃないか。
そう。皆クダモノ。南無阿弥陀仏のタネの入ったクダモノになればよろし。

284:神も仏も名無しさん
08/07/23 13:53:48 zAmzSlpi
ていうか、渡海難の相手にならなければいいじゃん。

285:神も仏も名無しさん
08/07/23 14:05:06 B41NRQ02
皆さんにまで不愉快な思いをさせてしまいまして、申し訳ありません。
僕も先程の書き込み通り、もう終わりにしましたのでご安心下さい。

最後に今一度、お騒がせしまして申し訳ありませんでした。

286:風
08/07/23 17:29:17 eSk7AuSL
 唯、御念仏と親鸞様を信じて行けば良いのです。それは充分幸せな事です。
人と比べず、自分を捨てず愚かに帰り、唯、親鸞様を信じている私で充分幸せです。
他は何も要りませぬ、

287:神も仏も名無しさん
08/07/23 18:24:30 ED/Plwzr
>>286

唯、念仏と弥陀を信じるだろう。祖師を信じても助かるわけじゃない。
心得違いなさるな。弥陀を信じることに幸せを見出しなさいな。

288:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 18:35:53 bw9UNxfv
>>285
 話をすり替えて相手を鬼・ケダモノ呼ばわりし、相手の顔を先にぶん殴っておいて、これで
ヤメだヤメだと、幕引き宣言ですか。きちんと納得のできるところまでけじめを付けたらどうで
すか?。

>もう終わりにしましたのでご安心下さい。

 何を安心させたいんだい?何か誰かに不安があったのか?。

 貴方が話を持って行った相手は、鬼なんですか?ケダモノなんですか?。人非人なんですか?。
 貴方には、仁義礼智信は必要なんですか。不要なんですか?。仏法に先んじて仁義礼智信は必
要なんですか。不要なんですか。決着を付けようじゃない。
 

>>282
>何をムキになってるんですか?

 ムキになっている?。はて心当たりがない。あなたはいま、鬼ケダモノに向かって質問してい
るですか?。人間に向かって質問しているんですか?。(苦笑)

>僕の発言で気分を悪くしたのなら謝りましょう

 相手を鬼ケダモノとぶん殴って、気分を悪くしたのなら謝りましょうとは、随分失礼な人だ。
貴方の謝罪には心がない。相手を鬼ケダモノ扱いする人から謝られても、ちっとも嬉しくない。
詭弁を弄するのはやめたらどうよ?。貴方には礼儀は必要なのか?不要なのか?

289:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 18:38:14 bw9UNxfv
>人にもちゃんとした態度で接した方がいいと思いますがね。

 はて、ぼくはちゃんんとした態度で接してない?。心当たりがない。
 相手を鬼ケダモノよばわりする御仁からそんなこと言われるとは思わなかった。

>まぁ、そんな事はさておき。       棚上げですか(苦笑)

> 何を幼稚な話をしてるんですか?

 幼稚?。相手を鬼ケダモノよばわりする御仁から、こんどは幼稚扱いされたようですね。

>自分でケダモノの心でケダモノのような行いをするものをケダモノと呼ぶと言ったんでしょ。
       それがどうかしましたか。

>法律に基づいた罪深さとはまったく別の話ですよ?そんな事すら分からないんですかね?
     ほほう。

> 無数の殺生をしながら、何の罪悪感もない。むしろそんなのは当たり前だとでも言わんばかり
のあなたこそ、仏教の基本から分かっていないみたいですね。
       ほほう。

> まぁ、あなたが自分をどんなに素晴らしい存在だと勘違いしていようが勝手ですもんね。

 ほほう。

>あまりあなたを刺激しない方がいいみたいなので、このくらいでヤメときましょうか。

 相手を鬼・ケダモノ呼ばわりし、相手の顔を先にぶん殴っておいて、あなたを刺激しない方が
いいとは、随分と失礼な幕引き宣言ですね。貴方に礼儀は必要なんですか?。不要なんですか?

290:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 18:39:25 bw9UNxfv
 食肉加工場の方々、漁民の方々、殺虫剤メーカの方がなどには、>>282はなんと言うんですか。

 食肉加工場の方々よ、あなた方は無数の殺生をしながら、何の罪悪感も無い?。いけませんね。
あなた方は、自分たちのしていることに深い罪悪感を持たなければいけませんよ。あなた方は人
非人ですよ。人でなしですよ。あなた方は自分たちを人間と思っているでしょう。とんでもない
間違いですよ。仏教ではあなた方は人ではありません。ケダモノですよ。四つ足です。
 道を歩いて虫を殺す?。とんでもない罪悪です。ケダモノの心でケダモノの行為をしている鬼
・ケダモノのそのものです。


>>282は食肉加工場の方々にもこんなことを言うのか?死刑執行する刑務官の方々にも、こん
なことを言うのか?

 食肉加工場の方々よ、あなた方は、仏教上でとんでもないことをしているんです。それを気が
付いてないでしょう。あなた方は、恐ろしいケダモノの心でケダモノの行為をしているんです。
あなた方はケガラワシイ人非人です。まともな人間ではありません。仏教的には、あなた方は鬼
です。ケダモノです。罪悪感を持ちなさい。

 罪悪感無く殺生をしているあなた方は、仏教的には鬼ケダモノです。あなた方のような人には、
仁も義も礼も智も信もいりません。国民の食事を支えてる仕事の上の誇り?使命感?ちゃんちゃ
らおかしい。そんなものあなた方のような鬼ケダモノは全くいりません。

 私の信じる宗教の神様(阿弥陀様)を信じなさい。あなた方のような人非人・鬼・ケダモノ、
あなた方を救うのは、私の宗教の神様(阿弥陀様)しかおりません。私の神様に感謝しなさい。

 「道を歩いて虫を殺す?。とんでもないことだ。それこそケダモノの心でケダモノの行為をし
ているケダモノだ。渡海には懺悔の心がない。鬼だ。人非人だ」。

291:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 18:46:10 bw9UNxfv
>>282よ。おまえがノータリン浄土真宗を信じるのは勝手だが、言っていいことと悪いことが
あるだろう。

282よ。罪悪感無く、むしろ誇りを持って仕事をしていれば、食肉加工場の人々は、仁義礼
智信の必要な不要なケダモノなのか?。不要なケダモノなのか。かれらは、お前の神様を信
じれば、仁義礼智信は不要なのか?。不要なのか。

 おぬしは、自分に仁義礼智信は不要だとおもうのか?仏法と仁義礼智信とどっちを優先させる
んだ?

292:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/23 18:57:43 bw9UNxfv
>291
誤り  罪悪感無く、むしろ誇りを持って仕事をしていれば、食肉加工場の人々は、仁義礼
     智信の必要な不要なケダモノなのか?。不要なケダモノなのか。かれらは、お前の
    神様を信じれば、仁義礼智信は不要なのか?。不要なのか。


正  罪悪感無く、むしろ誇りを持って仕事をしていれば、食肉加工場の人々は、仁義礼智信の
   必要なケダモノなのか?。不要なケダモノなのか。かれらは、お前の神様を信じれば、仁義
   礼智信は、お前の神様の教えに優先して不要なのか?。必要なのか。

293:風
08/07/23 20:51:36 eSk7AuSL
 はい、親鸞様を信じその先に阿弥陀親様を見ております。親鸞様の教えに喜びと安らぎを頂き、幸せを見付けるでなく只今、幸せの真真ん中に生きております。智者の振る舞いをせず、唯唯頂くばかり。有り難うございます。

294:神も仏も名無しさん
08/07/23 21:26:04 v3YwsSA5
969 名前: 名無しさん@3周年 04/04/24 21:45

 死の前には何物もない
 学問も何かあらん
 金銭も何かあらん
 名利も何かあらん
 毀誉褒貶も何かあらん
 希望も目的も何かあらん
977 名前: 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 04/04/24 22:02
>>969
>死の前には何物もない
   馬鹿だね。死も忘れちゃいかんが、生も大事なんだよ。

>学問も何かあらん
    学問をしなければ社会は発展しないんだよ。

>金銭も何かあらん
 金がすべてじゃないが、金も大事だ。金がどんなに大事かは、布施に群がる親鸞会が一
番知ってるんだろう。

>名利も何かあらん
  名利も大事なんだよ。見ず知らずの人を頼るとき、最初は何でスクリーニングするんだい。
  名利を否定すれば、人々は最初のスクリーニング手段が無くなるんだよ。

>毀誉褒貶も何かあらん    これも大事だ。

>希望も目的も何かあらん   これも大事だ。

 出世間道の問題が解決すれば、世間道で全力を尽くすべきなんだ。出世間道の問題が未解決
の段階では、無価値のものでも、世間道で全力を尽くすべき時には、大事なものは山ほどある。
そのことを忘れなさんなよ。


295:神も仏も名無しさん
08/07/24 01:13:12 k0sX4nR4
なにやらアホみたいに仁義礼智信?がどうのこうの言ってるようですが、気は済みましたか?

仏教では殺生は最も罪深い行いのひとつとされている事すら知らない渡海さん。
社会常識の話などしていないのに、勝手に社会常識の範囲でグダグダ言ってる渡海さん。

もう、あなたと話などする気はありません。だって話にならないんですから。
人の意見は聞かない。答えに困れば「ほほう」「だからどうした」で済ます。
そんなあなたとは話す価値がないんですよ。だからヤメ。分かります?まぁ、分からないんでしょうけど。

勝手に勝ち誇って終わって下さい。そもそも勝ち負けなんて考えてるのはあなただけですけどね。
僕を負かしたと思えば気が済むんでしょ?

ではこれにて失礼。

296:神も仏も名無しさん
08/07/24 03:41:20 aUeR+B9y
 何か、話が題名の妙好人に学ぶと全然関係有りませんがな。

297:神も仏も名無しさん
08/07/24 09:58:06 +cl8CY/J
>>296

んだね。誰も全然妙好人じゃありませんがな。

298:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/24 10:43:05 p9sDfQeQ
>>295
>勝手に勝ち誇って終わって下さい。そもそも勝ち負けなんて考えてるのはあなただけですけどね。

 敗北感に打ちひしがられ・悔し涙止まらないようだ。お前は渡海難を打ち負かそうとしていたらし
いな。そしたら、渡海難が気が付かないうちに、返り討ちにあったということか?(苦笑)
 僕は返り討ちにした覚えはないんだが、どこかに勝者がいるのか?。法論はどっちが勝っても釈迦
の負け。勝者などどこにもいない。勝手に敗北感に襲われていれば、釈迦が一番悲しむだろう。もっ
と真剣に仏道を学ぶ気になったらどうよ?

>なにやらアホみたいに仁義礼智信?がどうのこうの言ってるようですが、気は済みましたか?

 なにごとよりは、聖教の教えをも知らず、また、浄土宗の真の底をも知らずして、不可思議の放逸
無慚の者共のなかに、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、あるべくも候
らわず。(親鸞消息)

 それ出世の法において五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・義・礼・智・信をまもりて、
内心には他力の不思議をたもつべきよし師資相承したてまつるところなり。   改邪鈔

 仁義礼智信を守りて王法をもって先とし、内心には深く本願他力の信心を本とすべき」よしを、懇
ろに仰せ定め置かれし   御文

 アホみたいに仁義礼智信がどうのこうの言ってる人、このアホ三馬鹿大将 → 親鸞・覚如・蓮如

 265よ。お前、どうせ本願寺の坊主だろう。親鸞・覚如・蓮如をアホというなら、着ている坊主
服を脱ぎ捨てろ。

299:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/24 10:43:54 p9sDfQeQ
 京都には西本願寺・東本願寺という大きな寺がある。そこに行けば親鸞像が置いてある。「馬鹿た
れ!アホみたいに仁義礼智信を言うな!」と、着ている坊主服を脱ぎ捨てて、親鸞像・蓮如像に思い
きっり叩きつけてこい。「坊主など、馬鹿馬鹿しくてやってられるか!!」と啖呵を切って来い。そ
うすれば、おぬしの話にも少しは耳を貸そうじゃないか。馬鹿者め!。

>仏教では殺生は最も罪深い行いのひとつとされている事すら知らない渡海さん。

 295は、敗北感に打ちひしがられ、悔し涙が止まらないらしいな。目が真っ赤に腫れ上がってい
るぞ。お前のような奴をノータリンと言う。覚えておけ。

>社会常識の話などしていないのに、勝手に社会常識の範囲でグダグダ言ってる渡海さん。

 王法をもって先とせよ。仏法の前にはこれに先行して社会の常識がある。仏法は社会の常識を破ら
ない。社会の常識で間に合わなくなったところを部分的に繕うのが仏法だ。
 「道を歩いて虫を殺せば、鬼だケダモノだという」。お前はいったいどこの話をしていたんだ?。
涙を拭いてよく考えろ。

 仏は善人も悪人も救うとは言っているが(歎異抄)。鬼・ケダモノを救うとは言ってないといった
ところが出発点だ。(>>267

 人間であろうとするなら、まず、社会の常識、仁義礼智信を守る。仏法に先んじて王法を守る。使
命感・正義感・博愛心・克己心・向上心・努力、こういうこころを大事にしようと努める。これが親
鸞仏教の出発点だ。

 僕は、自分を鬼ともケダモノとも思っていない。295よ。渡海難を鬼・ケダモノ呼ばわりしたの
はお前の方であることを忘れるな。

300:神も仏も名無しさん
08/07/24 10:44:45 M+aLSs9k
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ\ /  \ /  \ / \  /   \

301:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/24 10:45:08 p9sDfQeQ
>もう、あなたと話などする気はありません。だって話にならないんですから。
   ノータリンのお前に呆れかえって愛想を尽かしているのはこっちの方だ

>人の意見は聞かない。答えに困れば「ほほう」「だからどうした」で済ます。

 仁義礼智信を守りて王法をもって先とし、内心には深く本願他力の信心を本とすべきよしを、懇
ろに仰せ定め置かれし    御文

 お前には渡海難の話はまともに耳に入らんようだ。渡海難を打ち負かしたい。打ち負かしたい。悔
しい。悔しいと思えば、渡海難の話は耳に入らん。僕の話は耳に入らんでも、先人の大事な言葉ぐら
い耳に入れたらどうだ?。

>そんなあなたとは話す価値がないんですよ。だからヤメ。分かります?まぁ、分からないんでしょ
うけど。

 耳が痛くて聞きづらいんだろう。見ず知らずの相手を、いきなり名無しで「鬼・ケダモノ」よばわ
りする。2ちゃねんるは、何でもありだから気にはしないが、頭を冷やしてよく考えろ。

>勝手に勝ち誇って終わって下さい。そもそも勝ち負けなんて考えてるのはあなただけですけどね。

 渡海難が勝ち誇っているように感じるんだな。打ち負かそうと思ったら、返り討ちにあったか?。
馬鹿馬鹿しい。(苦笑)渡海難を打ち負かしたい。打ち負かしたいという根性の延長線だ。自分で勝
手に敗北感・屈辱感に打ちひしがられ、まともに相手が見えていない。勝者などはどこにもいない。
お前が勝手に一人で敗者になって目を回しているだけだ(苦笑)。

>僕を負かしたと思えば気が済むんでしょ?
 悔し涙で気がむしゃくしゃし、気の済む場所が無いようだな。頭を水風呂にでも入って頭を冷やせ。

302:神も仏も名無しさん
08/07/24 10:46:27 M+aLSs9k
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ\ /  \ /  \ / \  /   \

303:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/24 10:54:54 p9sDfQeQ
>>296-297
>何か、話が題名の妙好人に学ぶと全然関係有りませんがな。

 貴方にとって、蓮如上人は学ぶべき妙好人ではないんでしょうか。
 まあ、東西本願寺系以外の方であれば、蓮如などは見向きもしないかも知れない。しかし、蓮如は
本願寺中興の祖という立場を越え、親鸞聖人の教えをとても分かりやすく語ってくれている大恩人で
すよ。僕にとって、親鸞・蓮如はほとんど一体だ。僕の中では、題名といささかも違っていません。

 まあ、蓮如上人に学ぶと言っても虫食い的に都合良く読み、嫌なところは墨を塗り、白ペンキを塗
って書き替えるというのは、本願寺の坊主のお家芸だ。

 仏法ではなく王法をもって先とせよなどと言うところは、真っ先に削除し、書き替えているんだろ
う。本願寺のマインドコントロール操り人形には、僕の話など、妙好人とは全く関係ないことになる。
渡海難の話は、妙好人と関係ないと言われても、それは僕のせいではない。

304:あぼーん
あぼーん
あぼーん

305:神も仏も名無しさん
08/07/24 13:40:15 aUeR+B9y
何故そうやって上から下を見る物言いしか出来ませんの。難しい事を並べる事は誰でも出来ます。優しい言葉に話すことが出来るが本当の賢さですよ。汚い言葉で話し、沢山本引きして並べて満足ですか。

306:あぼーん
あぼーん
あぼーん

307:7
08/07/24 15:56:23 kVmoGDGs
今年の夏も暑いですね。皆さん熱中症は室内でもかかるので気をつけてください。水をこまめに飲むといいです。

南无阿彌陀佛

308:神も仏も名無しさん
08/07/24 17:51:10 m6N8YZoJ
世法は、時代によって変わっていく。権力の交代だったり、
前時代の過失を改正または改悪したものだったり。
王法もまた同じ。現代は一応は民主主義が王法に当たるものかな?
だから善悪の価値も、建前的には、その時々の民意が反映した流動的なものになる。
仏法は変わらない。ことに真宗においては「若不生者不取正覚」の
阿弥陀如来の誓いは全く変化する事無く、私を救済し続ける。
私に療治するものが無くなるまで。毎日が、お慈悲のなか。毎日が、診察中。
つまり、今。常行大悲だよ。

309:神も仏も名無しさん
08/07/24 20:30:14 O4HRQYOO
真宗オタクの特徴は漢字の専門用語ばっかりで、何を言ってるのかよくわからないことだ。


310:神も仏も名無しさん
08/07/24 21:40:35 dyQq7+tD
 蓮如さんは大嫌いです。奥さん五人で女性にだらしが無いから。お坊さんで潔癖でなく如何しますのや。親鸞さんのように葛藤したと聞きませんしねえ。大嫌い。

311:神も仏も名無しさん
08/07/24 22:52:39 +cl8CY/J
>>310

まあ凡夫はそんなものじゃないですかねぇ。
尊い生き方して往生するんじゃないですからねぇ。

312:261
08/07/24 23:28:28 VzE+kqRk
<303 妙好人に蓮如上人を上げるのは如何なものでしょう?。 渡海様のご意見以前より
感じ入り、信心の助けと致しております。ただ、「妙好人」とは教えの信底と無縁の一凡夫
に過ぎない私どもが、必ず救うという「南無阿弥陀仏」のを教えを只管信じ、願えば、そこに救いを
得られる。、これは大きな心理で有ります。私が、下品下生の者と気付かせて頂いたのも、真宗の
教えで有ります。それでも、阿弥陀7如来の救いで、どの様な者でも、後生は弥陀の蓮華として、
極楽浄土に往生出来る安心を糧に日常を生きているのです。これに気付かせて下さったのが、
親鸞上人や、蓮如上人や他の先達で有り、気付いて実践しておられるのが「妙好人」と
と言われる方々と思います。もちろん私はその境地には至れません。

313:神も仏も名無しさん
08/07/24 23:58:33 m6N8YZoJ
>309
ごめんね。ここではこんな感じ。
簡単に言えば、大無量寿経っていうお経に説かれた仏さまの誓い
「必ず往生成仏させる、もれなく救う」と言う願いが
自分の人生の核となるってことかな?さすれば、死後どうなるのか、は解決される。
その願いを必ず叶う真実とするから、必ず浄土に往生することに疑いがない。
死が解決されれば、それは必然的に今現に生きてる事にも影響してくる。
この影響のことを昔の人は、「おかげさま」とか、「ご恩うれしや」と呼んで
労苦の中にも喜びを感じて生きていた。
それは、現代の競争的価値観とはまた一味違う生き方。
負け組が生まれない、実質的に存在しない生き方なのさ。


314:神も仏も名無しさん
08/07/25 09:50:59 bw/8Gnfd
>312
「仏言広大勝解者 是人名芬陀利華」と言われる。芬陀利華(白蓮華)はまた、
妙好人、上々人とも名付くと言われるから、弥陀の弘誓をそのまま受ける人は、
みんな妙好人と言えますね。蓮如上人もまたその一人と言うことが出来ます。

315:風
08/07/25 20:43:25 N2Xxh0ra
傲慢ではありません。どうして下品下生なんですか?。人皆佛の子であるのに。御念仏出来る・親鸞様のお聖教読める。望めば千教万典読め能力あるのに本当に、低下の泥凡夫なんですか?。

316:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/26 12:47:51 2c200USH
 親鸞会系の出版社、チューリップ企画と元親鸞会会員の田中さんとの間で
行われた論争の番外編につい、続きを書きました。


 ブログ親鸞仏教    www.しんらん.jp/


317:あぼーん
あぼーん
あぼーん

318:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/26 13:34:25 2c200USH
 >>315については、みんな、ダンマリ?
 間違っていてもいいから、食いついてコメントしようという人はいないのか。

 「俺は下品下生ではない」と思っている人は別だが、「俺は自分を下品下生だと
思っている」という人はいるんだろう?。

 自分は下品下生であるのか、下品下生でないのか、それもわかりません。
という人はもっと多いんだろうけどね。

 清沢満之と歎異抄が、思いもよらず、浄土真宗を根本から意味不明の混乱思
想にしてしまった。僕は全くそう思う。

319:261
08/07/27 00:43:32 ePPZJhbT
>315 貴方は下品下生では有りません。ご上人の教えを充分摂取され、弥陀の真髄やその他の仏典
も熟読され、実践されて、現在を生きていらっしゃいます。そして尚、「傲慢ですが」と謙遜され、
他の人に強じる事も有りません。

320:神も仏も名無しさん
08/07/27 01:30:03 M2Ro+ElE
917 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :04/04/20 13:06
 浄土教の先人は「先生(阿弥陀仏)」という言葉を下に創作物語を添えた。それが阿弥陀物語
だ。阿弥陀物語をなぜ作ったのか。「ああ先生」と称えることのすばらしさを伝える手段として
「先生物語」を創作したんだ。阿弥陀仏という化け物がどっかに存在するんじゃない。人は、結
婚すれば、田中さんが鈴木さんと結婚すると鈴木さんに変わる。人は、どう名前が変わってもい
い。しかし阿弥陀仏はそうじゃないんだ。阿弥陀という名前を離れてどっかに存在するんじゃない。
「ああ先生(南無阿弥陀仏)」と称えることはすばらしいことだよということを、人々に伝える
ための道具として、阿弥陀物語が作られたんだ。それが阿弥陀物語なんだ。そういうことを忘れ
ちゃいけない。阿弥陀ではなく、南無阿弥陀仏が尊いんだ。
 阿弥陀仏(先生)は、阿弥陀物語(先生物語)を通じ、南無阿弥陀仏を称賛している。こうい
う構造にこそ、創作者たち先人の知恵がある。南無阿弥陀仏は、我々が口にそれを称えるところ
で実体を持つ。南無阿弥陀仏は、座禅して称えるところに根元的な意味を持つんだ。



321:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 10:12:45 qmHWOVzL
>319
 下品下生の人から「貴方は下品下生では有りません。ご
上人の教えを充分摂取され・・」などとおだてられても、相
手は嬉しくないんじゃないか?

  下品下生の人からは「アホ・馬鹿」と言われた方が、安
心する人の方が多いと思う。
 上品上生の人から「貴方は立派な人だ」と言われれば、
これは名誉なことだろう。
                         -苦笑- 
 

322:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 11:53:58 qmHWOVzL
>321
 まあ、319を見ると、まさにこれこそが、典型的な下品下生
の見本であるということも、まあ、言えるわな。

 浄土真宗に嵌った人間には、こう奴が実に多い (苦笑

323:神も仏も名無しさん
08/07/28 13:03:31 niluCmUr
どうでもいいけど、苦笑というのは見苦しいものだね。

324:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 14:26:19 qmHWOVzL
>323
>見苦しいものだね。

僕の感情は、貴方に到達しようだね。
 >>319 のカキコを見て僕が感じた見苦しいという思いを伝えたい。苦笑にはそう
いうメッセージがある。
 
 こういうことは、へたに言葉で説明しても伝わらない。苦笑という表現なら、少なく
とも一部の人には伝わるだろうと思っていたのさ。

 苦笑にはもっと伝わって欲しい思いはあるんだが、全部伝わるとは、僕も思って
ない。貴方のカキコで、思いの5割から6割程度伝わった人がいるということがわ
かったよ。


325:神も仏も名無しさん
08/07/28 16:54:08 wkaGHQbH
まあ、どうとでもいいたまえ。(苦笑

326:風
08/07/28 21:26:31 OwwjA3Zn
 私は聞いております人は皆神佛の子であり、それは変わらないと。南無阿弥陀佛とは「貴方は神佛の子であると言う約束である」と。それ以外無いのだと。

327:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/28 21:30:48 qmHWOVzL
>325
<苦笑>にはTPO(時と場所と場合)が必要。
使うところを間違えると間抜けになる。

 気位の高い人は気を付けた方がいい。(苦笑)

328:あぼーん
あぼーん
あぼーん

329:神も仏も名無しさん
08/07/29 01:01:28 zCspY7+r
>>320

まあ、320を見ると、まさにこれこそが、典型的な基地外

の見本であるということも、まあ、言えるわな。


330:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/29 12:05:31 xgq8jUa5
>329
 日本人の先祖達は、「桃太郎」という架空の人物の元に創作物語を添えた。それが「桃太郎物
語だ」。
 「桃太郎物語」をなぜ作ったのか。「善を行え。悪をするな」といことの大切さを伝える手段
として「桃太郎物語」を創作したんだ。犬や猿やキジと会話するそんな化け物がどっかに存在す
るんじゃない。吉備団子を喜ぶキジがいるわけがない。人は、結婚すれば、田中さんが鈴木さん
と結婚すると鈴木さんに変わる。人は、どう名前が変わってもいい。しかし桃太郎はそうじゃない
んだ。桃太郎という名前を離れてどっかに存在するんじゃない。
 善をすることは大事なことだ。悪いことをしてはいけないんだ。こういうことを、少年少女に伝え
るための道具として、桃太郎物語が作られたんだ。それが桃太郎物語なんだ。そういうことを忘
れちゃいけない。
 桃太郎が偉いんじゃない。桃太郎は架空の人物なんだ。それよりも、桃太郎を見習って、一人
一人が善をすることが大事なんだ。悪をしないことが大事なんだ。桃太郎物語は、物語を通じ、
善を称賛し、悪を懲らしめている。こういう構造を子供達に示そうという働きにこそ、物語創作
者たち先人の知恵がある。
 善は我々がそれを実行するところで実体をもつ。悪はそれをしないことで意味を持つ。南無阿
弥陀仏は、座禅して称えるところに根元的な意味を持つんだ。


 まあ、↑を見ると、まさにこれこそが、典型的な基地外の見本であるということも、まあ、言
えるわな。(by >>329  -329の笑話-)

331:神も仏も名無しさん
08/07/29 18:34:53 zCspY7+r
>>330
923 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :04/05/03 23:44
>>877
>架空ではないだろ?

 架空でなかったら何なんだい?。架空と言っても、原型はあるんだよ。原型はもちろん釈迦だ
よ。原型は釈迦でも、阿弥陀が架空ということには変わりがない。
 あんたらは、犬に吉備団子を与え、日本一の旗を掲げて鬼退治した桃太郎を、実話と思うか。
架空と思うか?。
 阿弥陀仏が架空でなかったら何なのか。答えが出るまで、おぬし、豆腐の角に頭を休めて、坊
主を名乗るのを辞めとくといいi。

名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 投稿日:04/05/06 20:33
>>354
>南無阿弥陀仏といへる行体は、すなはちわれらが浄土に往生すべきことわりを、
この六字にあらはしたまへる御すがたなり

 我々には霊魂がある。死んだら霊魂は冥界に行く。冥界には王様がいる。王様
は、存在を信じてくれた人だけ、自分の冥界に引き入れてくれる。冥界の王様を
信じると、あ~ら、不思議とばかりに、体から霊波が出て、あの世に一瞬で届く。
死ぬまで信じ固めていくと、冥界の王様を信じた霊波で、王様の世界に引き入れ
られ、霊魂は清められる。ああ、ありがたい。ありがたい。
 冥界には王様がいないという人が一人でもいると、今度は、その全員が冥界に
入れなくなる。連帯責任だ。だから、みんな信じないといけない。王様の実在を
信じ固め、死んだら王様の冥界に行きましょう。
 栗花さん。あなたが言いたいことはそういうことなんだろう?。親鸞だの信心
だの、仏教だのと言わなくても話ができるじゃないか。


332:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/29 19:34:04 xgq8jUa5
>>330
 僕は、自分が過去に2ちゃんねるで書き込んだ記事が、2ちゃんねるの中で
コピペされることはある程度我慢しているが、こうもやたら書き込むと、まるで
ここのスレッドが渡海学校の教室のようになって、不愉快に思う人もいるだろう。

 ここのスレッドは、渡海思想を学ぶところではない。僕は、自分の発言に責任
を回避するつもりはないが、掲示板の議論には流れがある。勢いもある。そうい
う背景を無視してコピペされることは、僕にとって愉快ではない。
 僕の中でも、考えには変化があり、以前の考えていた考えを今は持ってないこ
とも多い。書いた本人が忘れているものもある。

 無意味なコピペは自粛したらどうだ

333:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/07/29 19:35:40 xgq8jUa5
>332  m(_ _)m

誤 >> 330
正 >>331

334:神も仏も名無しさん
08/07/29 20:20:52 zCspY7+r
972 名前: 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 04/04/24 21:47

>>965
> 十分、汗かいてるよ。

 汗かいてる?。うん。それならもう心配することはない。
 十分あせかいてる人に、重ねて汗をかけなどと、僭越なことは言わないよ。
 汗を掻いていても、困ったときがくれば、座禅して念仏してみなさい。どこか
に活路は見つかるだろう。

 困ってから、急いで念仏称えても間にあわんかもしれん。そう思ったら、
困ってないときから、こまめに称える習慣をつけるといい。背筋を伸ばし
腹式呼吸しながら息を整え、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えるといい。
それだけで、もし、気づかなかった問題が見つかれば、それも儲けもんだ。

 親鸞さんも、お釈迦様も、965が幸せになること以上のことは、望んでいない。


335:神も仏も名無しさん
08/07/29 20:32:34 7ObnN2eA
>ここのスレッドは、渡海思想を学ぶところではない。

だったらこのスレに来るな。つーかこのスレの秩序を乱す渡海はこのスレに必要ないから。

336:神も仏も名無しさん
08/07/29 20:55:36 zCspY7+r
渡海は自分の書いた事も覚えてられない認知症

渡海、お願いだから来ないでね!

あ!言っても理解出来ないから、無駄なんだ・・・・・・・・・・

337:神も仏も名無しさん
08/07/30 07:00:18 tjn5AYR4
まことの信を定められてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、そらにみちみちて、
釈迦のをしへ、 弥陀の本願はひがことなりと仰せらるとも、一念も疑あるべからず

338:7
08/08/01 09:15:57 1Sk/mheD
まことの信を定められてのちには・・・・

そう、「定められて」と示されていることが本当に有り難いですね。仏の方より往生は治定せしめたもう・・・。

南无阿彌陀佛

南无阿彌陀佛

339:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/02 10:45:38 s54hCTmD
>337
>まことの信を定められてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、そらにみちみちて、
釈迦のをしへ、 弥陀の本願はひがことなりと仰せらるとも、一念も疑あるべからず。

 そうか、いいことをしなければいけないんだ。悪いことをしてはしてはいけないんだと分かる
と、非常に多くの人々が、そのような努力をされていることに気づかされてきます。

 ああ、あの人も桃太郎さんみたいだ。こっちの人も桃太郎さんみたいだな。あっ、頑張って
いる桃太郎さんは、向こうにもいるぞ。そっちの方にもいるぞ。桃太郎さんは、実にあらゆると
ころ、空に満ち満ちているように思えてくるでしょう。

 桃太郎さんの教え、つまり、 いいことをしなければいけない。悪いことをしてはしてはいけな
いという教えは、仮に間違っているという歪んだ主張をする人がいても、それに引きづられて
決して疑いを持ってはいけません。
 
念仏を称えることが大事なんだなと分かれば、弥陀のような仏、釈迦のような仏は、そらにみ
ちみちているように思えてきます。念仏を称えることが大事なんだという釈迦の教え、 弥陀
の本願は間違っていると、誰かが言っても、それに引きづられて疑いを持つべきではありま
せん。


340:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/02 18:17:03 s54hCTmD
>338
 いいことをしなければいけない。悪いことをしてはいけない。こういう確信、
認識観、世界観は、架空ではあっても、桃太郎さんが私たちに持たせてく
れる。桃太郎さんは架空だけど、本当に有り難いですね。

 そうか。念仏は大事なんだな。念仏することは大切なことなんだな。こう
いう確信は、架空ではあっても、阿弥陀物語に登場する阿弥陀仏が、時
代を超えて持たせてくれる。阿弥陀仏さんは本当に有り難いです。

 南无阿彌陀佛 南无阿彌陀佛

341:神も仏も名無しさん
08/08/03 09:44:27 55w8Wbsl
>>338

>そう、「定められて」と示されていることが本当に有り難いですね。仏の方より往生は治定せしめたもう・・・。

そやね。だから念仏行者は義なきをもって義とするんやね。
義とは行者のはからいと祖師は言われとりますがな。

まことの信には信心守護の益がありますし、阿弥陀さんの心は金剛心ですから。

342:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/03 11:29:13 OvQaSf3J
>>341   議論の結論に異議を差し挟むつもりはない。考えのプロセスに賛成しかねる。

>そやね。だから念仏行者は義なきをもって義とするんやね。義とは行者のはからいと祖師は言
われとりますがな。

 念仏行者は義なきをもって義とすると言ったのは誰?

 親鸞は言う
他力には義なきを義とす
 <尊号真像銘文末 末燈鈔 浄土三経往生文類 親鸞聖人血脈文集 如来二種回向文>

他力不思議にいりぬれば 義なきを義とすと信知せり
        <正像末和讃>
他力には義なきを義とすとしるべきなり。
        <正像末和讃>

他力と申すことは、義なきを義とすと申すなり。<消息>
如来の誓願には義なきを義とすとは、大師聖人の仰せに候いき。<消息>
このゆえに他力なり。義なきがなかの義となり。<消息>
義なきを義とすと、他力をば申すなり。<消息>
他力と申すは、行者のはからいのちりばかりもいらぬなり。かるがゆえに、義なきを義とすと申
すなり。<消息>
弥陀の本願を信じそうらいぬるうえには、義なきを義とす<消息>
他力ともうすは、仏智不思議にてそうろうなるときに、煩悩具足の凡夫の無上覚のさとりをえそ
うろうなることをば、仏と仏とのみ御はからいなり。さらに行者のはからいにあらずそうろう。
しかれば、義なきを義とすとそうろうなり。義ともうすことは、自力のひとのはからいをもうす
なり。他力には、しかれば、義なきを義とすとそうろうなり。        <消息>

343:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/03 11:31:11 OvQaSf3J
 歎異抄は言う。
 念仏には無義をもって義とす。
 念仏は、無碍の一道なり。
 念仏は行者のために、非行非善なり。

 金子大栄は言う。
 「念仏者は無碍の一道なり」。
 「念仏者は」念仏(者)は、者を「は」と訓したるものが、「者は」と連書された。(岩波文
庫 金子大栄)。

 念仏行者は義なきをもって義とすると言ったのは誰?
 これは、2ちゃんねるの341が初めてではないか?


 自説を立てることに僕は反対はしない。絶対的孤立的一人説であることは、なんの支障もない。
しかし、自説は自分の責任で立てるべきであり、祖師が言っていると誤解することは、厳重に避
けたいものだ。

 なお、ついでながら、念仏者は無碍の一道なりと読む金子大栄流の読み方に、渡海難は反対し
ている。
 「念仏には無義をもって義とす」という歎異抄の考えにも、渡海難は反対している。
 いずれも理屈に合わないと考える。

 「他力には義なきを義とす」これは正しい。親鸞の考えだから正しいのではなく、もっとも自
然で素直な分かりやすい考えだから、僕はこれに賛成する。


 自分はどのようなことを考えてもいいが、それが自分から発した説か、他人からの説かは、明
瞭に意識しておくべきでしょう。


344:神も仏も名無しさん
08/08/03 15:42:05 5RgsvS7x
座禅して自力で念仏称えるのだから、無義の義というのは理屈に合わないだろね。
でも、まったくはからわない、てのも考えてみれば無理な話に思える。
こういうところになると298さんの説なんかが、なるほどと思えてくるけどなあ。



345:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/08/03 16:14:01 OvQaSf3J
>>344
 「王いま座禅してただ当に念仏すべし」と。(行の巻)

 お釈迦様と法照様と親鸞様に申し上げる。あなた方の理屈では、座禅して自力で念仏称えるの
だから、無義の義というのは理屈に合わないだろね。でも、まったくはからわない、てのも考え
てみれば無理な話に思える。
 
 親鸞様に申し上げる。貴方の説は無義の義という理屈に合わない。平成時代、2ちゃんねると
いう掲示板にご登場遊ばされた298さんの考えには、なるほどと思えてくるものがある。親鸞さ
んよ。貴方の説は、298さんの考えには及ばないよ。  (by 344)


 この上は、念仏をとりて信じ奉らんとも、また捨てんとも、面々の御計らいなりと云々(親鸞)



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