08/08/12 12:33:55 ucQolQqE
梵天・帝釈天は、あらゆることで釈迦より圧倒的に勝っていたはずだ。ただし、それは一つを
除いてというべきだろう。梵天・帝釈天はただ一つのことで、釈迦にかなわなかった。そのこと
で、梵天・帝釈天は釈迦に圧倒的、絶対的に劣り、釈迦の敵ではなかった。梵天・帝釈天は釈迦
に対し、地にひれ伏して教えを請う存在に転落した。
あらゆることを知っている者、あらゆることに勝る者、つまり梵天・帝釈天は、自分は何一つ知
らないと言うことを知らない。自分は何一つできないということを知らない。梵天・帝釈天は、
この一点で釈迦に対し、釈迦に圧倒的に劣り、文字通り地にひれ伏して教えを請う存在だったと
言うべきだろう。梵天・帝釈天とは、ここで無知の知を学び、歓喜と慚愧を学んで釈迦の守護神
になることを誓う。
やや、願はくは世尊、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ(観経)、
皇后として、国家権力の頂点にあった偉提希は、囚われの身になったとき、釈迦にひれ伏して
教えを請う。このとき釈迦は人々に浄土教を開教する。
念仏道場は、自我の世界の梵天・帝釈天が、自然法爾の阿弥陀仏から歓喜と慚愧の中で、無知
の知を学ぶ道場でありたい。これが宗教の場である。僕はそう思う。
お知らせ 今後、渡海難は、2ちゃんねるの書き込み回数が少なくなるかもしれません。