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念仏道場は念仏を称え、座談する。個人差はあるだろうが、それぞれぞれの人がいったんは深
い禅定に入り、その効果が持続している状態の中で、人々が互いに話し合う。この話し合いで、
互いがどこまで腹を割れるかということが大事だ。いま、人生の危機にある一人の人の悩み苦し
みを、周りの人がどれだけ、互いに共感し、分かち合えるか。その人を心から支えられるか。こ
れが問われてくる。人生の喜びにある人が、その喜びを、互いに共感し、共有し、喜びを貰えた
ことにどこまで感謝できるか。これが問われてくる。これらは、互いが互いの気づきをこころか
ら認め合うことで達成されてくるものだ。念仏道場では、その実現こそ、リーダの責任であると
共に、参加者全員の共同作業である。
悩み、苦しんでいたものが、疎外感を味わうような念仏道場であってはならない。禅定の中で、
あるいは座談の中で気づきが生まれたにもかかわらず、それが無視され、忘れられたなら、念仏
道場は道場として意味がない。念仏道場は、こうした成果が得られたとき、人々は参加してよか
ったと思ってくれる。
参加してよかった。参加させて貰えて良かった。参加者にそう思ってもらえて念仏道場は一回
一回が成功である。参加者は、やがて自分一人に戻ったとき、念仏道場の参加者を思い出しなが
ら、その思い出に支えられ、一人で念仏を称え、自分の数々の諸問題を念仏の中で自力で解決で
きるようになるだろう。悪を抱えて念仏道場に参加し、念仏を学んで自力で問題を解決できるよ
うな人になる。悪が転じて善となる。これが称名念仏の効果である。