09/05/02 11:52:04 wUDRXr4P
善知識を愚かに思い、師を謗る者をば、謗法の者と申すなり。
師を謗り、善知識を軽しめ、同行をも侮りなんど仕合わせ給うよし聞こえ候。浅間敷く候。既に、謗法
の人なり、五逆の人なり。
親鸞は言う。全知識を馬鹿にし、師匠を誹謗する者は謗法の人である。誹謗正法の人は、阿鼻大地
獄の中に堕して、この劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄の中に至る。かくのごとく展転し
て、百千の阿鼻大地獄をいつまでもいつまでも通り過ぎていく、と。ぼくは、この主張に違和感を覚えて
ならない。
韋提希、仏世尊を見たてまつりて、 ~ 号泣して仏に向かいて白して言さく、 ~ 世尊また何等の因
縁ましましてか、提婆達多と共に眷属たる(観経)。
夫が息子に殺され、自分自身も幽閉されてた韋提希が大泣きして釈迦に言う。「釈尊先生はどうして提
婆達多などと仲間になんですか」。
考えてもみよ。こんな事は、釈迦にとって、大きなお世話だ。釈迦は提婆達多とは親族であり、しばらく
は釈迦教団の一員として加わっていた。そんなことに釈迦は批判を受ける筋合いはない。しかしだからと
いって、全知識を馬鹿にし、師匠を誹謗する者は謗法の人であるといえば、このような事は言ってもいい
のか悪いのか。