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極楽世界はあらゆる迷いをたった真実の世界である。そのような世界には、疑いの心をもって我流
でいきなり到達することは難しい。だからこそ、諸仏は難思往生を願えという。ひたすらひたすら念
仏を称えよ。五会念仏を称えることが大事だ。
ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を
出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。
しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難
思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。(化身土)
念仏三昧せよ。座禅して念仏せよ。五会念仏を称えよ。それが念仏三昧である。念仏を疑い、信じ
る心のない者は疑いの心で念仏を称えればいい。これをだめと言ってもしょうがないだろう。五会念
仏は称える心は疑いの心でも、称えられている念仏は、間違いのない善本であり徳本である。ひたす
ら称える。そこが入口である。目的地は近い。
親鸞は言う。念仏以外の様々な行をするような万行・諸善の仮門は、曇鸞・善導の教えによりずっ
と昔に卒業した。双樹林下にあった釈尊先生の祇園精舎の真似ごとはずっと昔に辞めた。
善本・徳本の真門にすすみ、ひたすら難思往生の心を発してきた。ひたすらひたすら座禅して念仏
を称え、五会念仏を実践してきた。これによって、今、新たな世界が開かれようとしている。いよい
よ、難思往生から難思議往生への転換が開始した。
これまで難思議往生を求めてきたわけではない。定器、散器の自力の称名を称えてきたのだ。