07/09/30 08:51:31 BCOtGcf8
>>231
『生殖秩序がその自然的過程を辿るのを妨げないように』(『人間の生命』16)
とカトリックが目指すところは、人間の自然的機能に対し敬意を表しそこに基礎を
置く全体性の原理への理解方法として常識的生命倫理の姿勢だ。
「避妊」の方法は愛情の表現と夫婦相互の忠実保持のために自然の周期を利用
できると教える。カトリックは、それを夫婦が本当のあますところのない誠実な
愛のあかしを立てることが出来る自然から与えられた能力を正しく用いる方法と
いう理由で許可している。
人工的な産児制限手段がどのような結果をもたらすかについては『人間の生命』
回勅の17に詳しく述べたところがあるので参照してほしいと思う。
『人工的な産児制限の手段のもたらす重大な結果
17 人工的な産児制限の手段とその理由がもたらす結果を考えれば、誠実な人々は、
このことにつて教会が提示している教えの正しさについて、より深い確信をもつに
いたるでありましょう。そこで、まず考えなければならないことは、これによって、
いかに広く安易な道が、夫婦間の不忠実と道徳の全般的低下に向かって開かれるか
ということであります。人間の弱さを知るために、また人間とくに欲望にとらわれ
やすい年若い人々が倫理の法を守るように鼓舞される必要のあることと、決して
この法の侵犯に安易な道を開いてはならないことを理解するためには長い経験を
要しません。また避妊行為を習慣とする男性は女性に対する尊敬を忘れ、妻の肉体
と精神の均衡を考慮せず、妻を尊敬すべき自分の伴侶としてではなく、単なる利己
的快楽の道具とみなすようになるおそれがあります。
つづく