08/03/17 18:23:27 mfvJMgLh
「信仰とは根拠のない確信だ」という言葉があるけど、こういうやり取りを見ると、まさにその通りなんだなあと、ある種感動する。
俺は米一粒に七人の神様、的な考えは大事にしているが、基本的には無神論者。
でも「なんで無神論を支持するんだ」と言われても、正直なところ、全てを論理的には説明できない。
神はいない、というのが一番しっくり来る、という個人的な感覚でしかない。
無神論ですら、信仰つまり「根拠なき確信」の一つということなんだろうと思う。
いけないのは、その「根拠のない確信」を根拠に(へんな言い方だけど)、他人を攻撃する人間がいること。
2世ながら、ものみの塔の教義を否定してからずいぶん経ったけど、信仰とは「私はこれを信仰する」と自分自身に誓うことであって、それ以上でも以下でもないんだな、と思うようになった。
ただ、>>275の
>終末観や「神の国」論、「天の国」論などは、それを信じて扱う者にとっては不注意に扱うことはできない考えのはず
という一文にはとても同意。
これは他者に対する強烈な脅しになりうるから、ある程度どういう過程を経てその考えに達したかの説明は必要なんだと思う。
聖書が情報源ならそう言えばいいし、特にこれといった資料がないなら、そう言えばいい。その場合は「私がそう信じているから」というそれ自体が根拠だということになる。
客観的な資料がないとしても、>>269は自分が信じていることを信じればいい。信仰とはそういうものだから、心配無用。
ただ、もし脅しを武器に特定の教えを広げるとしたら、それはアンフェアだと思うんだ。
この先、誰かに自分の信仰を伝えるときは、そのへんを慎重に気をつけてほしいなと思ってます。