09/01/27 11:06:32
俺は小房のころから出来がよく、将来は底辺とは無縁のエリートの世界で働くのだと子供ながらに
想像していた。
「できる人間が出世していく」この言葉をそのまま受け取っていた。
だから、集団生活だとかルールだとかはすごくつまらなく思え、それはもう
毎日毎日、担任の怒りの矛先になっていた。
なつかしの通信簿には、注意力が足りない、協調性がない、と書かれても
なんのへっちゃらとか思っていた。
それでも、勉強に関してはどこか要領はいいらしくノー勉でも9割以上は採っていた。
今思えば、このころに社会不適合という病の兆候があらわれていたのである。
そうな風に育っていった俺は、上級大学院卒業後に社会の本当の恐ろしさを知ることになる。
卒業後、まもなく、俺が社会ではまったく役に立たない存在であることを知る。
アルバイトを転々、派遣を転々、先々で怒鳴られ厄介者ばらいされた。
俺は、世間の常識を思い知ることになり、またそれによって完全に粉砕されたのである。
だが、どうしても消えない俺の幸福への切望やプライドは、生きることを選んだ。
世の中の人は、人のあり方より、人の印象の与え方で、その人を判断する。
今更、世間それなりの職には就けない俺だが、収入は得ようと思う。
例え、底辺も底辺の職であっても、給料全額をつぎ込み、
よい家に住み、よいものを食べ、よい服を着る。
ただそれらによってのみ、世間に肩を並べることができ、
同時に精神の安定を獲得し、また、今まで与えられることのなかった幸福を手にすることができるように思う。