08/10/05 09:21:48 PdtjJ+UI0
>>662
その通り。
>577 :本当にあった怖い名無し :sage :2008/10/05(日) 01:49:55 ID:yqkqC+7r0
> >>575
> 博士は原稿を書いてないんで。
なんかココにすべての問題があるんじゃないかという気がしてきた。
文章そのものを書いたのは他の人だね。
例の校長のところ、読み返していたんだけど、(P82)
「二度と校長先生達の講演には呼ばれないだろう」
「私の話に耳を傾けなくなるだろう」
っていう文章にものすごい引っ掛かりを覚える。
ヒューレン博士は、講演に呼ばれようが呼ばれまいが、
話しを聞かれようが聞かれまいが、どうでもいいんじゃないのかな。
直後の「自分のための利益を考えてはいけません」と即座に矛盾する。
あとで50万円の講演とか書いてあるしオカシイ、あきらかに。
話を聞いて欲しい、という気持ちも自分中心の考え方だ。
これは、博士の話を「真意を誤読したまま文章として起こした」のではないかな。
ホ・オポノポノの理屈でいえば、「話しをすること自体」に意味はないはず。
モナさんのエピソードにあるじゃないか。(P27)
こういうことがこの本全体に起きているんじゃないか?
博士の言うことの“行間”をよめずに、馬鹿正直に文章として起こしたら、
矛盾がある本が産まれた…のではないか?
その点、ヴィターリの本は、LOAなどの知識を前提としながら文章を書いているため、
博士の“行間”をよめていた。だから、理論としてあまり矛盾がない文章を書けた。
のではないのかなあ。そういう風に考えると、すべて辻褄が合い始める。