08/10/05 05:24:37 FjubWb2m0
と、ちょとスレ違いだけどもな、神との対話では「愛は大きいか小さいかではなくあるか無いかだ」
と言っていてだな、またそれでも友達と恋人と夫婦と…みたいに愛に大きさがあるように見えるのは
大きさではなく単なる「表現方法の違い」だということらしいのだぜw
わしはな、これが理解できてから初めて昔の彼女とまともに話をするコトができるようになった
どころか、今では仕事の上でのつきあいも、飲み仲間としてのつきあいもしているのだぜw
今彼女はいるんだけどよう、その昔の彼女のコトもわしは未だに愛しているのだぜ。
以前だとな、愛しているのだから独占という「表現方法」以外にないと思い込んでいたのだぜw
だが他の表現方法をしてもいいのだということがわかるとだな、その彼女の今の彼についての
愚痴話なんかも普通に聞いてあげられたりするようになってしまうのだぜw
そんな風になるとな、世の中の不思議に色々気づいたりして、例えば兄弟喧嘩をしたところで
相手は依然として兄弟としての地位を失わずにいるわけだが、恋人同士が喧嘩をすると
互いの縁を切断しなければならない事態に陥ったりしてしまうのだぜw
まぁなぜそんなコトをしなければならないのかといえば、それは執着に依存した恋愛を
しているから、連絡を取ってもいけないというコトになってしまうわけだが、まぁそういう恋愛を
否定するわけじゃあないし、わしだってそういう恋愛も好きなのだぜw
でもそっちより今の愛し方の方が楽しいのでもうあまりやらない、というわけなのだぜw