08/10/05 02:40:01 Wt8XPi3N0
>>588にレスどうもです。
中毒したい人は必要なら、納得するまで中毒を続けるのも道でしょう。
信じなくていい人が、無理にこれを信じようとすることもないと思います。
本につじつまの合わないことがあっても私は静かに笑うだけ。
大体、真実をつかんだと感じても、その状態に居つつその状態を表現するのが
どれだけ難しいことなのかは、古今東西つたえられている文献によっても、
また、例えば本スレで55さんが見せて下さった姿をかいまみても、
判るのではないでしょうか。
私の知っている人は、「霊的なこととは、言葉でコレと言えないようなこと」、
「霊的なことを知る前の自分には、全く思いも寄らないことを、知った後には、
それを当たり前に感じるようなこと」と表現してくれました。
なるほどと思います。
言葉に表せることをどうつなげてみても、信じたく無いことを信じる証拠は
もたらされません。
むしろ言語では、「信用」のように信じてもらいたい方が証拠を揃えて保証を
示して信じてもらうようなことではありません。信じてもらいたい方よりは
信じる方の人が、「私は信じます」とみずから決心してそうすることを
「信仰」とか「信頼」とか名付けています。信じる心にもいろいろあります。
信じる側にいるとして、信用なら相手方の課題です。信仰や信頼なら自分の
方の課題です。
ホオポノポノについて最初に知った情報、「・・四つの言葉をてきとーに
唱えてみる、自分が経験すること見聞きすることは自分の内面の繁栄である」
これはシンプルで且つ非常にパワフルなことで、すーっと入ってきました。
この考えは私にとって、非常にパワフルでした。この考えや発信者が
情報発信ビジネスに利用されても、されなくても、全く関係ないほどです。
だって私が信じたのは、考えのほうです。発信者を信じたのではないです。
そうさせたのは私の経験や実感だから、なにも疑う必要がなかった。