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映像作家が深海生物を見ると、「人間の想像力をはるかに超えた姿形だ。」と言う。
不良のことを信用している田舎娘だ。
その彼女たちは、映像作家の言葉のように、私の想像をはるかに超えた存在だった。
大学外部のまともな人々(生粋の東京人)に相談すると、
相談内容そのものを否定されて、相談する私が攻撃された。
すると、「私が幻覚を見ているのではないか?」、と自分を疑ってしまう。
自分の経験したものが、たくさんの第三者から「幻覚だ。」と否定されると、精神的に参ってしまう。
しかし、後述の「セレブお見合いのバカ女」がたくさんいることを聞いた時だ。
「セレブお見合いでケンカ腰の女」=「偏差値50大学の田舎女」と、一致したときだ。
「私が偏差値50大学で見たものは幻覚ではない。」と思えるようになった。
鳥類は外見や鳴き声、求愛ダンスなどの差異で他種との混血を回避する。
それと同じように、「金持ちの前でケンカ腰になること」によって、
「不良の遺伝子を残す女だ。」とその女の遺伝子がディスプレイしいるんだろう。
偏差値50の田舎者の女は、例外もあるけれども、花婿候補よりも不良を信用している。
花婿候補よりも不良を信用しているから、田舎娘は行動がシュールになってくる。
田舎娘は 「人生で一番大切なものは、不良だ。」 と思っている。
『田舎者の女がカツアゲする側の不良におもねり、
同時に、カツアゲされる側のひ弱な金持ち男(私)にエッチなチョッカイを出す。』
このシュールな振る舞いは、不良も金持ちも、双方を敵に回してしまう。
不良の立場から見ると「不倫で金持ちの子供を産む女だ。」と思われる。
金持ちの立場から見ると「不倫で不良の子供を産む女だ。」と思われる。
結果、「その田舎者の女は誰と結婚しても婚外交尾で婚外子を産む不義の女だ。」となる。
「婚外子を産む不義の女」は「子孫繁栄の輪の中」からはじき出されてしまう。
(「婚外子を産む不義の女」が、現実的な選択肢として、私生児を産むことぐらいは可能だろう。)
「アタシは不良を信用している。でも、結婚相手は別。」これが田舎娘の頭の中だ。
シュール言動は、田舎娘たちが不良たちを信用しているからこそ、可能となる自殺行為だ。