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2007年12月に就任したオーストラリアのラッド首相は捕鯨監視を選挙公約
にしており、調査捕鯨問題で日豪関係の冷却化は避けられなくなっている
というのが一般的な世間の見方だろう。前任のハワード首相が捕鯨問題を
重視せず、対日関係を良好に維持したのとは対照的である。
今後の日豪関係は冷却した状態が続くのだろうか?
私は上記の一般的な見方に疑問を感じている。日豪関係が表面上良好で
あった11年間のハワード政権時代の方が、実は日豪関係は危機に瀕して
いたのではないか。ラッド政権の日豪関係は実は非常に良好なのでは
ないか、と考えているからだ。
ハワード政権末期の2007年3月に日豪両国は安保共同宣言を発表している。
この宣言は米国の衰退を前提として、オーストラリアが仮想敵国インドネシア
から自国を防衛するためにどうしても必要としたのではないかと考えている。
そして、この条約の裏では日豪間で、インドネシア東部のキリスト教地域の
分離独立問題や東チモール問題など、オーストラリアとインドネシアが激しく
対立する問題での何らかの合意が行われているのではないかと想像する。
キリスト教化された地域を自国領に留めておきたいインドネシアの要望を
受けて、日本が代理人としてオーストラリアと交渉していたのではないか、
という仮説である。日本は戦国時代末期に九州の一部がキリスト教化を
受けた。それは植民地化の一端であり、日本は植民地化を防止するための
キリシタン弾圧に大きなコストを支払った記憶がある。現在のインドネシアも
類似した状態に置かれており、日本政府が同情するのは当然とも言える。
そもそも、インドネシアは大東亜共栄圏の後継国家のひとつでもあるのだ。
しかし、オーストラリアにとっては自国の十倍の人口を持つインドネシアは
大きな脅威であり、自国に近いインドネシア東部の分離独立を支援する
ことは国防の立場から譲れない政策であっただろう。1997年のアジア金融
危機、1998年のスハルト政権崩壊、1999年の東チモール独立はいずれも
ハワード政権時代に起きており、ハワード政権が国際金融資本に依頼して
それらを実行したのではないかと私は想像している。
その後もインドネシアを分裂させたいオーストラリアと、対抗するインドネ
シア・日本連合の間で対立が継続し、2007年3月にやっと和解に達したの
ではないか。そして、その和解によりハワード政権は役目を終えたのだろう。
米英のシーパワーが七つの海を支配していた時代が終わり、世界が
多極化し始めたことで、イスラエルと同様にオーストラリアも1990年代に
安全保障上の危機に追い込まれた。米国は一万㎞以上、欧州は二万㎞
近く離れており、いざというとき助けにならないからだ。その為、最大の
仮想敵国インドネシアを攻撃していたのだ。宣戦布告は行われていない
ものの、実際に起きたこと(東チモールへのオーストラリア軍展開)は
戦争に近いものだ。
では、実際には深刻な対立があったと想像されるハワード首相時代の
日豪関係はなぜ表面上良好だったのだろう?それは、日豪間の対立を
隠蔽する目的ではないかと私は想像する。対立の存在が公になることは
戦略上不味いからだ。そして、日豪間の対立終焉と共に成立したラッド
政権では日豪両国は非常に良好な関係にあるが、それを隠蔽するために
調査捕鯨問題での対立が演出されているのではないか。
現代の世界では、派手に報道される対立の多くは友好国間の演出による
合作劇(米国とイラン、日本と北朝鮮、冷戦時代の米国とソ連など)であり、
真の対立は一見友好にみえる二国間(米国と英国、米国とイスラエル、
英国とドイツ、日本と韓国など)に存在することが非常に多い様に思われる。
対立の存在、友好関係の存在を隠蔽することは、敵の目をくらませる為に
外交戦略上非常に重要になっているのではないかと想像する。