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エノラ・ゲイ乗組員:広島の放射線被害「これほどとは…」
1945年8月6日、広島に世界初の原子爆弾を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」
乗組員(12人)の一人で爆発物の監視を担当したモリス・ジェプソンさん(87)が2日までに、
米ラスベガスの自宅で毎日新聞とのインタビューに応じた。ジェプソンさんは、64年後の
今も被爆者の後遺症が残っていることについて「放射線被害がこれほど大きいものとは
思っていなかった」と述べた。また、原爆使用についてオバマ米大統領が「道義的責任」に
言及したことについて、「間違っている」と批判、「戦争早期終結のためだった」と使用を
改めて正当化した。
◇オバマ大統領の道義的責任発言「世間知らずで間違い」
エノラ・ゲイ乗組員で生存しているのはジェプソンさんを含む2人だけ。オバマ大統領の
発言を乗組員が公に批判したのは初めて。
ジェプソンさんらは45年6月から、テニアン島(太平洋)で特別任務メンバーとして、他の
一般米兵とは離れて生活。当時から「私は物理を学んでいたから爆発物が原爆だと知って
いたが、機長(故ティベッツ氏)らを除き、ほとんどの乗組員は超強力爆弾(スーパー・パワ
フル・ボム)という認識だった」と振り返った。
ジェプソンさんによると、投下時、爆弾(5トン)が離れた瞬間、機体が跳ね上がり、約43秒
後に窓から閃光(せんこう)が入り、爆風で飛行機が振動した。しばらくして再び振動が起き、
機長が機内通信装置で、投下されたのが原爆であることを乗組員に明かしたという。
ジェプソンさんは「窓から(キノコ)雲と火が広がっていくのが見えた。多くの命が奪われ、
多くが破壊されていることを意味した。うれしいことではなかった」と語った。
現在も残る放射線被害については、「(原爆を開発した)ロスアラモス研究所自体、これほど
被害が大きいことは理解していなかったと思う。米国の物理学者も驚いた。当時のトルーマン
大統領でさえ知っていたとは思えない」と語った。
だが、当時は米軍の本土上陸作戦が近づいていたと説明、「上陸すれば、米兵だけでなく、
日本兵や一般の日本人の多くが犠牲になることは明白だった。原爆は戦争を早期に終結し
犠牲を回避するための唯一の選択だった」と述べた。
その上でオバマ大統領が4月にチェコ・プラハで原爆使用国としての「道義的責任」に触れ、
「核のない世界」を目指すと述べたことについて、「原爆を使用した米国を罪だとしており、
あまりにも世間知らず(ナイーブ)な発言だ。彼は我々の世代が死亡するのを待っている」
と批判。将来、米大統領が被爆地を訪問することになった場合、「とても悪い気分になる
だろう」と述べた。
>>2-5あたりへつづく
写真:モリス・ジェプソンさん
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ソース:毎日jp
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