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ユダヤ難民の足跡ツアー 上海で静かなブーム 子孫ら「ルーツ探し」
ユダヤ難民の足跡をたどるツアーが中国上海市を訪れる外国人
観光客に静かなブームになっている。1933年のナチスドイツ台頭で
欧州を追われたユダヤ難民のうち、日本などを経由して3万人近くが
上海に流入した。戦後、米国に亡命して生き延びた人も少なくなく、
その子孫や関係者らが「ルーツ探し」の一環として上海へも足を運ぶ
ようになった。上海の日本人居留区の中に“ユダヤ難民ゲットー”が
置かれていた事情もあり、ゆかりのある日本人も訪れるという。
■リトルウィーン
「この一帯は当時『リトルウィーン』と呼ばれていました」。ボランティアで
ユダヤ難民ツアーの英語ガイドを引き受けている米コネティカット大
3年生のエメット・マーキン氏(21)は旧ユダヤ教会(摩西会堂)から
歩いてすぐの舟山路を案内して、こう言った。大学でのユダヤの歴史
研究の一環だが、「民族の苦難の歴史を肌で感じたい」と自らの「血」の
ルーツ探しも兼ねて上海行きを選んだ。
日中戦争の結果、上海に進駐した日本陸軍と海軍が1943年2月に、
市内北東部の虹口区にあった日本人居留区に設置した「無国籍難民
隔離区(通称ユダヤ難民ゲットー)」の境界線の内側がツアーの“目玉”だ。
マーキン氏は週に何組もの観光客をここに案内する。
実質的に中国の主権が及ばなかった米英共同租界やフランス租界、
日本人居留区の場合、植民地とも違ってパスポートやビザを持たぬ
難民の上陸を拒否する理由がなかった。このため在リトアニア領事館の
杉原千畝氏が発給した日本通過ビザなどを頼りに、上海にたどりついた
ユダヤ難民は、ようやく避難場所をみつけることができた。
>>2-5あたりへつづく
写真
旧“ユダヤ難民ゲットー”の跡地めぐりをする欧米からの観光客
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
1947年ごろまで15人前後のユダヤ難民が同居していたと話す全福栄氏
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
1943年ごろの上海市内“ユダヤ難民ゲットー”の街並み
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
ソース:MSN産経ニュース
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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