09/03/07 15:12:00
URLリンク(image.ytn.co.kr)
[アンカー]1897年から1910年まで大韓帝国皇室の写真原本が多量に公開されました。大部分は当
時の日本が政治的意図を持って撮影したものと明らかになり、これまで私たちが知っている大韓帝国
のイメージがどれほど歪んでいたのか見せてくれます。イ・ヤンフィ記者が報道します。
[レポート]1907年日本皇太子の韓国訪問を記念した写真です。普通の団体写真は対称構図が一般
的ですが、日本の皇太子を中心に立てるために朝鮮の皇太子栄親王と前列の人物たちを密かに右
側に寄せられました。同年、栄親王と李完用内閣を撮った写真を見ると、欄干の右側に韓服を着た人
が目立っています。これは高宗ですが、日本が流布した写真では高宗が誰かも分からないほど切ら
れています。高宗と朝鮮皇室の権威を毀損しようとする意図を見ることができます。
1897年高宗が大韓帝国を宣布して以後、13年間残っている写真は大部分日本のカメラマンが撮った
もので、日本政府の緻密な計算の下、意図的に見下した大韓帝国のイメージが一目で入って来ます。
[インタビュー: イ・テジン、歴史学者]「大部分の日本の人々は実は対外広告用写真です。日本人たち
は緻密な政治的意図で写真を撮ったから、当時の皇室人たちの人物から笑いが消えました。」
当時の写真は歴史的記録の根拠になります。1890年代の高宗と純宗の写真、1898年高宗と純宗を
害しようと車に多量のアヘンを入れたという毒車事件でも翌年撮った写真で純宗は以前と全く違うよう
に見えます。実際に実録には事件以後、純宗が心身症を経験したと記録されています。10年間、議
論されて来た明成(ミョンソン)皇后と推定される写真もイメージ操作が不可能な原本と見られています。
明成皇后が生存していた1894年、朝鮮の王族を載せた日本の広報物が一緒に展示されましたが、
明成皇后の姿が論難になっている写真とよく似ています。これと共に日本人高宗毒殺説を覆そうと、
葬礼を壮大に行い、これを写真38枚に記録した「李太王国葬の写真帖」なども公開されました。
今回、公開された写真はすべて私立美術館が数年間集めて来たもので、これまで惰弱と無能に象徴
された大韓帝国が日帝によってどれほど歪まされて今日まで続いてきたのか、再考する機会を与え
てくれます。
YTNイ・ヤンフィでした。
ソース:YTN (韓国語) 写真に歪みされた大韓帝国
URLリンク(www.ytn.co.kr)