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葉隠 (享保元年-1716年頃成立) 山本常朝・談 田代陣基・記述
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。
別に子細なし。胸すわつて進むなり。図に当たらぬは犬死になどといふ事は、上方風の
打ち上がりたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たるやうにわかることは、及ばざる
ことなり。我人生きる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて
生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死に気違なり。恥には
ならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて
居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。
【現代語訳】
武士道というは死ぬこととみつけたり。命のかかった選択をせまられたときは、さっさと死ぬという
つもりになっておくだけだ。別に細かい理論などない。度胸を決めて進むのだ。
目的が達せられずに死ぬのは犬死にだ、などというのは、大坂や京都あたりの軽薄な武道だ。
生きるか死ぬかが懸かったような場面で、目的達成を最優先しようなどとしても難しい。
私もふくめ、人はみな生きる方が好きだ。だから、大切な場面でも自分が助かる理屈を
探してしまう。もし、目的を達することができず、しかも生き残れば、それは腰抜けだ。
このバランスがとてもむずかしい。
もし、目的を達せず死ねば、それは基地外じみたほど平然とした犬死にで、恥にはならない。
これが武道には重要なことなのだ。
毎朝毎晩くりかえし自分の死を想像し、つねに死に身になっているならば、武道に関して
自由をえて、一生大きな失敗をすることなく、仕事をやりとげることができるのだ。