09/02/03 23:02:17 YBCBXlgL
2月4日で、第一大邦丸事件が起こって57年となる。
②ところが韓国側の約束はウソだった。
「救急車よ早くきてくれ」という日本人漁師たちの願いも空しく、瀬戸さんはそれから
2日間も放置されたままだった。瀬戸さんは2月6日23時ごろ亡くなった。
すぐに解剖が行われ、瀬戸さんの死因は韓国憲兵の発射した銃弾が頭部に命中したことで
あることが判明した。
日本人漁師たちは、韓国側に瀬戸さんの葬儀を願い出たが無視され、漁師たちが数少ない
私物をお金にかえて薪を買い、それで火葬が行われた。
一方、後に残された日本人漁師たちは、韓国側に拉致され”取り調べ”を受けている最中、
全く食事を与えられないという虐待を受けた。
これは明確な国際条約違反である。
そこで漁師たちは、韓国側の略奪を免れ漁船に備蓄してあった食料を分け合って、命を
つないでいた。
また取り調べにおいても、脅迫によって無理やり「自分たちは韓国領海を侵犯しました」
という内容の調書へ署名させられた。
日本政府は抗議したが、韓国の李承晩政権は「大邦丸はわが国の領海と”李承晩ライン”
を侵犯した」と言い張った。
ところが海図など取り調べ調書がデタラメであったことが判明、在日米軍のグリッチ少将
が事件解決に乗り出し李承晩大統領と会見、李承晩は韓国憲兵隊が日本漁船を公海上で
拉致したことについて遺憾の意を表明した。
これによって日本人漁民と漁船の返還が決定され、2月15日に済州島を出発、アメリカ軍
のフリゲート艦に付き添われてようやく帰国した。
日本人漁師たちは韓国を出航するとき、ずうずうしくも韓国側から「日本に帰っても韓国
の悪口を言わないでくれ」と言われたという。
これが第一大邦丸事件である。
1965年までに、韓国側によって射殺された日本人漁師は瀬戸さんを含め44人、拉致被害者
は3929人、拿捕された漁船は328隻に及ぶ。