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2月4日で、第一大邦丸事件が起こって57年となる。
①1952年2月4日、福岡県北湊町の大邦漁業株式会社所属の漁船、第一大邦丸と第二大邦丸
(それぞれ乗組員22名)は、済州島に近い公海上に設定された284農林漁区で操業していた。
午前7時ごろ、韓国漁船第一昌運号・第二昌運号が接近してきて友好的な態度をよそおい、
「魚はとれますか?」などと日本語で話し掛けてきた。 韓国漁船は大邦丸からいったん
離れ、操業をはじめたという。
ところが、この漁船には武装した韓国の憲兵を含む7~8人が潜んでおり、漁船に偽装した
武装船だった。
第一大邦丸が網揚げ作業をはじめたとき、およそ30mの距離から無警告で、韓国漁船に
潜んでいた憲兵が自動小銃で日本漁船を攻撃しはじめた。
不意をつかれた日本漁船は攻撃を回避しようと船を走らせたが、韓国武装船のしつような
追跡と銃撃を受け、このときに第一大邦丸の漁労長・瀬戸重次郎さん(当時34歳)の後頭部
に銃弾が命中、意識不明の重体となった。
これによって二隻の日本漁船は、韓国武装船に拉致された。
日本漁船は済州島・翰林に連行、金目のものは韓国警察に略奪された。
日本人漁師たちは韓国警察に、頭部に重傷を負った瀬戸さんのすみやかな治療を懇願したが、
韓国側は瀬戸さんを一人の”開業医”に預けただけだった。
そこは病室はおろか治療に必要な設備が何一つないところで、日本人漁師たちは、医療設備
が整った韓国軍の病院で瀬戸さんが治療を受けられるようにしてくれと抗議したが、何度も
拒否された。
それでも食い下がって何とか入院の承諾を得たが、瀬戸さんは放置されたままだった。
日本人漁師たちは、瀬戸さんの生命維持のためリンゲル注射をしてくれるよう頼んだが、
韓国人医師に「リンゲルは高価だから」と冷たく言われ拒否された。
日本人漁師たちが、自分たちの所持品を売って現金を払うという約束をして、ようやく
瀬戸さんは注射をうってもらえた。