09/01/28 20:30:19
NHK新大河ドラマ『天地人』(原作・火坂雅志)が順調に高視聴率を稼いでいる。
この主人公・直江兼続(なおえかねつぐ)と、パチンコの人気機種から一躍有名に
なった前田慶次(まえだけいじ)とは、強い信頼関係で結ばれていた。この二人が
朝鮮と深いかかわりがあったことに注目したい。
(中略)
二人のもう一つの共通点は、朝鮮との浅からぬ《縁(えにし)》だ。二人が生きた時代、
武将たちの大半は豊臣秀吉の朝鮮侵略に少なからずかかわらざるを得なかったが、
二人の朝鮮との《縁》は、「侵略↑↓被侵略」図式の枠を越えている。ドラマや
パチンコでは分からない、二人の戦国武将と朝鮮との《縁》を見よう。
(中略)
朝鮮への出発前の名護屋城中や、釜山の熊川城陣中では、兼続らしい逸話が残されている。
彼はどんな戦(いくさ)におもむいても読書を欠かさなかった。名護屋城では出兵前の
あわただしさの中で、当地にあった中国の医学書『済世救方』300巻を借り受けて
筆写させたり、博多の有力貿易商と茶の湯の会を催したりしていた。
熊川城でも、連歌会を開催している。半年を超える上杉軍の朝鮮滞在中、兼続の朝鮮との
《縁》で特筆すべきは、朝鮮にあった漢籍の書物や朝鮮の活本を大量に収集し、日本に
持ち帰ったことだ。これはもちろん《戦利品=略奪品》である。
ただし、戦乱で散逸・破損しかけていたものを保存するために日本に持ち帰ったと
されていて、朝鮮でも中国でもほとんど残っていない貴重な文化財を結果的に救う
ことになった、と主張する日本の歴史家もいる。彼が収集した書籍の多く、
例えば宋版『漢書』『後漢書』60冊、唐代の医学書『備急千金万』33冊など、
日本の国宝や重要文化財の指定を受けているものも少なくない。
(中略)
前田慶次に関する史料の中で、最も信頼性が高いとされる『前田慶次道中日記』。
関ヶ原合戦の翌年、1601年10月24日に慶次は京都伏見を出発し、米沢の上杉藩に
向かって旅立った。米沢には11月19日に到着している。日記は、慶次の高い文化的
教養を随所に感じさせ、「傾奇者」の面目躍如のユーモアにあふれている。
中でも注目すべきは、京都を出発してから美濃の関ヶ原まで、少なくとも3人の
朝鮮人が慶次に同行している点だ。その3人は親子で、関ヶ原で父親が急病で倒れ、
地元の領主に預かってもらうことにした。そのために書状をしたため、二人の子供
(名前は楚慶と寉人)は慶次とともに奥州に向かう。親子の別れは悲しいが、
仕方がないと記している。現地には「前田の碑」が建つ。
この3人はおそらく従者の親子と思われ、朝鮮侵略の際の捕虜の可能性も高いが、
記述の行間からは、慶次の3人に対する愛情が感じられ、彼らが単なる従者とは思えない。
子供を奥州まで同行させるのも、そのまま手放したくなかったからだろう。隆氏の
原作に登場する、慶次と同行する朝鮮忍者のモデルは、明らかにこの記述である。
道中記の慶次と朝鮮人親子との関係は全く不明だが、《侵略←→被侵略》の図式とは
別次元の《縁》が感じられよう。
NHK大河ドラマの主人公とパチンコのキャラクター、ともに日本の大衆の心を
とらえる人物に、それぞれに朝鮮との深い《縁》がある。韓日関係の積み重なりの
中には、恩讐を超えて個々の人間同士のさまざまな出会いがあったことを、
今さらながら思い起こさせる。
(省略部分はソースをご覧下さい)
ソース:民団新聞
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